メグとタケシ
翌日、水曜日は、体育があるため休みがちだったメグだが、幽霊学校のネコが気になり、再び金網をよじ登った。
「タケシさん、また来ましたよ、あの子。」
太陽がやや傾き始め、柔らかい光が教室に差し込むころになると、二階の三年六組の教室にネコたちは集まる。
ツトムという名のクロネコがタケシに報告すると、ネコたちは一斉に頭を上げた。
「江戸中って言ってたぜ。」
「わりと、かわいかったよなあ。」
警備員と老人に化けたネコたちが、口々にこう言い、騒ぎ出した。
「タケシさん、僕がもう一回行ってくるよ。」
ユウはもう机から降りている。
「待てよ、ユウ。」
タケシは、ニュアオーンと唸った。すると、教室に次から次へとネコが集まってくる。五十を超えるネコたちで、教室はネコだらけになった。
「このなかに、あの女子中学生を知っているやつはいるか?」
タケシの質問に、ざわつくネコたち。
「あの女子中学生って?」とあるネコが質問する。
「見てない奴は、今すぐ見てこい!」とタケシが叫ぶ。
十数匹が教室から出て行く。
「誰も知らないのか?」
ユウは、残ったネコに問いかけた。
「昨日、俺が息を吹きかけたけど、効かなかった。あの子、普通じゃないぜ。」とツトムが言う。
「体育館の屋根で遊んでる俺たちを見てたぜ。ムササビだって、誤魔化したけどな。」
「イヌらの回し者じゃねえか?」
イヌと聞いて、ネコたちはざわついた。そこへ、出て行ったネコたちがどやどやと戻って来た。
「どうだ?」とタケシ。
「商店街で見たことある。」
「五丁目の子だよ。」と二匹が答えた。
「あれ、人間か?」とユウ。
「人間は、間違いない。」
「来るなって言ったのに、なんでまた来るんだろ。」
「昨日は人間に化けたんだろ? 今日は幽霊で脅かせば?」
「それでいこう!」とタケシが言った。
ネコたちは口を閉ざし、タケシに向き直る。
「リョウマとリンタロウは、鍵を開けて、そいつを入れてやれ。ツトムたちは、トイレで物音を立てて、脅かす。ジュンは、音楽室でピアノでも鳴らすか。とにかく、みんなで脅かしてやろう。位置につけ!」
ネコたちは一斉に動き出した。
メグは、警備員を警戒しながら、少しずつ校舎に近づいた。何気なく渡り廊下側のドアを触ると、動く。
「やっぱりいるんだわ、警備員さん・・・。ここ、閉め忘れたのかな。」
メグは、警備員に話を聞こうと、校舎に足を踏み入れた。廊下は長く、あちこちの窓から差し込む日差しが、寂しい陰翳を作っている。
メグは歩き出した。玄関の辺りで、突然の物音に身構える。
「警備員さんかな?」
メグは、かぼそい声で叫んだ。
「こんにちは、警備員さん、こんにちは。」
返事をしたのは静寂だけだった。メグの声が、校舎の壁から壁に響き渡る。
上から、再び音がする。メグは、二階への階段を上がる。
理科室。近づくと、突然窓ガラスがパリンと割れ、破片が飛び散る。メグが悲鳴を上げると、教室から骸骨の標本が歩いて来た。メグに頭を下げ、廊下を歩いて行く。
「これって・・・。」
メグは、胸に両手を置いて、呼吸を整えた。
ピアノの音が聞こえる。メグは、音楽室に向かった。教室に入ると、埃だらけのピアノの鍵盤が動いている。
「この曲・・・。『ネコ踏んじゃった』?」
メグは、異常現象を普通の人と違う感覚で捉える。恐ろしいと感じるべきところを、なぜそのようなことが起こるのかと疑問が先行し、それは強烈な好奇心となって、恐怖を覆い隠してしまう。
「そうだ! ネコさんだ・・・。」
メグは、ネコを探そうと、校舎内を歩き回った。
タケシは、三年六組の教室で、他のネコからもらったチップスターを食べていた。
「やっぱ、コンソメが一番うまい・・・。」
「タケシさん、隠れてください!」とユウが駆け込んでくる。
「ユウ、どうした? そんなに慌てて。」
「失敗だ! あの子が、僕たちを探し回ってる! ジュンが、よりによって『ネコ踏んじゃった』を弾いちゃって・・・。」
タケシは、チップスターを口にくわえた。
「まだ半分も食べていない。」
遠くで足音がする。
「来た! タケシさん!」
「みんな、隠れたか? ユウ、とりあえず、俺が話をしてみる。そいつ、もしかすると・・・。」
メグは、三年六組の教室に近づいた。日光は赤みを帯び、廊下の奥まで降り注いでいる。
「ネコさ〜ん。」
メグは、優しい声で呼んだ。
ネコたちは、六組の教室の壁に潜り込み、固唾をのんで見守る。ユウはタケシが寝そべる机の下で、メグを待つ。タケシは、相変わらずチップスターを食べている。
メグが六組の教室に入ったとき、逆光で、ネコのシルエットだけが瞳に映った。
「いた・・・。」とメグはつぶやいた。
タケシは、口を動かすのをやめ、口周りを右手でなで回すと、メグを見上げた。ニャーンと鳴いてみせる。
「こんにちは、ネコさん。なに食べてんの?」
メグはそう言うと、頭をぺこりと下げる。
「おや? そこにもいるね。」
ユウは、目と耳をつり上げ、威嚇する。
「ごめんね。みんなで仲よくしてるところを。ちょっと、ヒマでさ。それに・・・いつも、悲しいことばかりだから・・・。」
タケシは、夕日を見るように、目を細めた。メグの瞳に夕日が映っている。夕日が大好きなタケシは、メグのかわいい顔を見て思わずほほ笑んだ。
「チップスター、好き?」とタケシは言った。
ユウは、驚いて椅子の上に飛び乗った。タケシは、跋が悪そうに欠伸をした。
「今、しゃべった?」とメグは手を打った。
タケシは、チップスターを食べ始めた。
「やっぱり、普通のネコさんじゃないね!」
ニャオーンとユウが鳴いて誤魔化す。
「体育館の屋根からさ、たくさんのネコさんたちが校舎の壁に飛び込むのを見たんだ。壁に吸い込まれるように、消えてってさ。近所のおじさんがムササビだって言ってたよ。そんなはずないのにね。」
タケシとユウは、顔を見合わせる。
「あ、そう・・・。チップスターね。わたしも大好き。やっぱり、塩味が一番。それ・・・コンソメ味?」
「食べる?」とタケシは言った。
「あとちょっとしかないようだから、いいです、遠慮します。」
別の机に飛び上がったユウを見てメグは言った。
「あなたも、人間の言葉を話すの?」
ユウは、タケシを見る。
「俺はタケシ、こっちはユウだ。ほら、ユウ、なんか言えよ。」
「タケシさん、いいの? 僕たちのこと、話して。」
「ほら、あいさつしろよ。」
「あっと・・・。こんにちは。僕は、ユウ。きみは、なぜここに来たの?」
「ネコが好きだから。それと、なんとなく、ここに来ると落ち着く。わたし、すぐ落ち込むの・・・。この校舎も、子どもたちがいなくなって、寂しい様子で、泣いてしまったけど。泣き終わったとき、なぜだか不思議と、とっても心が軽くなった。これは、初めての体験だった。」
「タケシさん、この子、普通の子と違いますね。」
「だから、話しかけたんだ。俺たちが見えること自体、普通じゃないだろ?」
「そうか・・・。」
「きみの名前は?」とタケシは訊ねた。
「あっ! ごめん。わたし、メグ。倉内メグ。よろしくね。」
そう言って頭を下げた。
すると、壁から隠れていたネコたちが現れた。
「よろしく〜。」
「メグちゃんかわいいね!」
口々に声をかけるネコたち。教室中がネコだらけになり、メグの足に頬をすりすりネコもいる。
「こんにちは!」と一匹一匹に声をかけるメグ。
ネコたちは、メグを見上げて騒然となる。
「おーい、静かにしてくれ!」とユウが叫んだ。
「メグさん、きみも座りなよ。」とタケシが言う。
メグは、タケシの言われるがままに腰を下ろした。
「ごめんよ。こんなかわいい人に臭い息なんか吹きかけて・・・。」
ツトムがメグの前に来て、頭を下げた。メグは首を傾げる。
「いいんだツトム。下がっててくれ。」とタケシ。
メグは、立ち上がる。
「みなさんこんにちは。わたし、倉内メグ。よろしくね。」
ネコたちは拍手をしたが、肉球のためにパフパフと音がした。
「みんな、しゃべるし、人間みたいな名前なんだね。」
ネコたちがしーんとなる。
「あれ? わたし、失言してしまったかな?」
タケシはポテトチップスをたいらげ、前足で包みをたたみながら言った。
「そこなんだ、メグさん・・・。」
タケシは口周りを丹念に舐め始めた。
「僕が説明する。」とユウが両前足を伸ばした。「メグさん、僕たちは、元々人間なのさ。」
「元々・・・人間?」
ネコたちは、依然として静かにメグの反応を観察している。
「・・・そう。人間だったの・・・。こういうことも、あるんだね。」
メグの目に涙が溜まる。やがて、机に顔を伏せ、小声で泣きだした。ネコたちのなかにも、つられて泣くネコがいる。
説明を続けるべきか、ユウは戸惑ったが、タケシに促されて、ユウは口を開いた。
「ここにいる僕たちはみんな、自殺したんだ。そしておそらく、地縛霊になった。どういうわけか、ネコの魂と融合して、ここに住み着くようになった。」
「自分たちがどんな存在なのか、自分たちだってわからない。」とタケシが言う。「廃校になった校舎に住み着いて、人間でもない、ネコでもない。やっぱり、幽霊なんだろうな。でも、太陽のぬくもりだけは、感じられる。人間だったときは、太陽を有り難いって思ったことはないけど、太陽って、ほんとうに、あったかい・・・。」
メグのすすり泣きが大きくなる。
「みんな、大変な思い、したんだね・・・。」
メグの言葉に、ネコたちの泣き声が大きくなった。
夕日の光が少し弱くなる。
タケシは、メグの机に飛び移った。そして、にゅあおーんと鳴いた。メグは、涙だらけの顔を上げ、タケシを見つめた。恐る恐る、タケシの頭を撫でるメグ。タケシは、気持ちよさそうに目を細める。
「幽霊なんかに見えない。みんな、だって、こんなに温かいし、匂いだって、するよ。」とメグは鼻をくんくんさせた。
「中途半端なんだよな。幽霊っぽかったり、ネコっぽかったりする。」
誰かが言う。
「何匹か合体してさ、人間に化けるし。」
「人間に化ける?」とメグが訊く。
何匹かのネコが集まり、人間に化けてみせる。
「あっ! 昨日の警備員さん・・・。」とメグは驚く。
別の何匹かが集まり、じいさんと自転車に化けた。
「あれ? 近所のおじさん? あれはムササビじゃよ、と言った・・・。」
タケシが目を開く。
「人間に化けると、ちゃんと人間に見えるみたいで、少しだけ、人間界に関われる。それがまあ、一番の楽しみだ。メグさん、もう暗くなるよ。」
メグは、ゆっくり立ち上がり、涙を拭いた。
「ありがとう、タケシさん、わたし、帰るね。」
ネコたちが教室に道を空ける。
「ねえ、また来てくれる?」と子猫がメグに寄ってくる。
「ダメだよ、セイヤ。」とユウがたしなめる。「メグさんにはメグさんの生活がある。僕たちは、生身の人間と関わったらいけないんだ。」
セイヤという子猫は、すねるように寝そべる。
「迷惑じゃなかったら、また来ます。いいですか?」
メグは、笑顔を作って言う。
ネコたちは、一斉にタケシを見る。
「タケシさん、ダメですよ!」と小声でユウがささやいた。
「ユウ・・・。メグさんは人間だ。人間の行動に、俺たちが関わったらいけない。つまり、俺たちは、メグさんに来るなって言えないんだ。」
ネコたちが歓喜の声を上げて騒いだ。ユウは、渋い表情を作り、ツメで頭をかいた。
「ユウさん、ごめんなさい。目立たないようにしますから。それじゃあ、みなさん、さようなら。」
ぺこりと頭を下げ、メグは教室を出た。ほとんどのネコが後を追いかけ、玄関まで見送った。
「タケシさん・・・。」
ユウは不満そうにタケシを見た。
「ユウ、おまえ、感じないのか?」
「なにをですか?」
「あの子は、自殺する前の、俺たちの姿だ。」
「まさか・・・。」
「ツトムからの情報だが、学校でいじめられているらしい・・・。」
「・・・でしょうね。心の優しい子は、いじめられますからね。でも大丈夫ですよ、タケシさん。自殺するのは、だいたい男子じゃないですか。女って神経が太いから、自殺なんかしませんよ。」
「ユウ、俺たちは、なぜここにいる? 成仏できない地縛霊が、死んだネコの霊にとりついた。それは、なんのためだ?」
「どうしたんですか、タケシさん。いつも、ひなたぼっこができる、それだけで幸せだと、言ってたじゃないですか。」
「そうだ。確かに。でもな、ユウ。あの夕日を見ながら、考えた。そもそも、俺はなぜ自殺したんだろうって・・・。」
ユウは、返す言葉が見つからず、うつむく。
「メグ・・・。あの子は、不思議な子だ。俺は、そう感じた。もしかしたら、俺たちの存在に、光を当ててくれるかもしれない。真夏の強い日差しではなく、この、夕日のように、優しく、温かい光を・・・。」
タケシは、そう言うと、窓の棧に立ち、ビルの谷間に沈みゆく夕日を眺めた。




