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憂いっ子メグと幽霊ネコたち  作者: 瀬賀 王詞
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幽霊ネコたち

 

 自殺・・・。自らを殺す・・・。この世で最も恐ろしい人間の行為だ。そして、人間だけができる特権的な行動だ。


 ここ数年来、この悲しむべき人間の行為は減少しつつある。五年前の三万人から、今年度の調査では、五千人が自殺が愚かな行為だと悟った。年齢別では、十四歳までの自殺者は百人程度、十五歳から二十四歳では千人近くになる。


 若い少年たちが自ら命を絶つ。時代や社会の価値観がどんなに変わろうとも、この事実は憂うべき事実だ。


 彼らの魂はどこへ行くのだろうか。



 猫。ネコ。この世で最も愛らしい動物だ。


 人間のペットと言えばイヌとネコだが、どちらがかわいいかと言えば、やはりネコに軍配が上がるだろう。ネットの動画投稿でも圧倒的にネコが多い。また、イヌの牙は大変危険であり、狂犬病などを含め、年間数名がイヌにかみ殺される事実を考えれば、恐ろしい動物と考える方が適切であり、イヌのなかにも稀にかわいいイヌもいる、という認識をもつほうがよろしかろうと思う。公園などで不幸にも踏んでしまう大糞などは、八割がイヌのものであり、大抵のネコは砂を被せて隠す。


 行動様式から判断しても、どちらが魅力的かと言えば、これもネコの評判がよい。手を舐めて顔を拭う仕草、頭を大きく後ろに反らして尻尾の付け根を舐める仕草、足を大きく開脚させておなかや性器の辺りを舐める仕草など、枚挙に暇が無い。しなやかに体を伸ばし、高い塀を飛び乗り飛び降りし、塀の上をモンローウオークで歩く姿、屋根の上や車の下でひなたぼっこをする姿、背中を砂にこすりつけて目を細める姿。


 ネットの動画投稿では、段ボール箱に助走をつけて突っ込むネコがいたが、あれなどは、ネコの中のネコと言ってよい。


 危険な野良犬は、自治体の保健所が捕まえて処分するが、害の少ない野良猫は、保健所で処分されることはない。ただ、イヌ以上の数のネコが捨てられ、野良猫として存在する。どんな都市にも、小高い山があり、そこは『姥捨て山』ならぬ『ネコ捨て山』となっている。野良猫にエサをやる善良な市民もいるが、実際は多くのネコが虫けらのように命を落としている。地方の道路では、毎日数百匹のネコが事故に遭う。無残に何台もの車に轢かれ、肉の断片と化していく。


 彼らの魂はどこへ行くのだろう?



 若くして命を絶った少年たちの魂。

 この世で最も愛らしい子ネコたちの魂。

 

 両者が出会う空間が、この宇宙のどこかにある。そして、コーヒーにクリームを垂らすように融合した新たな魂が、東京のある場所で再生する。



 憂いっ子メグが、その場所に気づいた。


 通学路にある中学校。グラウンドは草が生い茂り、金網は錆び落ち、掲揚台は傾いている。七年前、廃校になった淀川中学校だった。割れたガラスからコウモリが出入りし、その糞が山のように積もっている。


 ある日の下校時、夕日に染まった校舎の窓ガラスがまぶしくて、メグは思わず目を細めた。体育館の屋根から何かが飛び降り、校舎に吸い込まれていく。


「あれは・・・ネコ?」


 目をこらしながら、メグはつぶやいた。ネコと思われるような華麗な動きで、次から次へと飛ぶ。体育館から校舎までは、そう離れてはいないが、ネコなどが飛べるほど近くもない。


 ネコ好きのメグは、校内に入ろうとしてみたが、校門は頑強に閉まっている。学校周りを一周してみると通用門があるが、そこも通れそうにない。学校の周りに張り巡らされている網塀は、高さが二メートル以上はある。 メグは、人気の少ない通りの塀の網に手をかけた。身長百四十三センチ。ひ弱なメグでも、ここぞというときには意外な能力を発揮する。


「うんしょ!」


 か細い声が、少し太くなる。◇形の錆びた網に足をかけ、ヤモリのように、メグは塀を乗り越えた。


 メグがグラウンドに足を踏み入れたとき、怪しい風が吹き抜けた。それは、生き物の息のような生臭い風だった。夕日の色さえ紫に見える。


「ここは・・・。」


 メグは急にめまいを感じたが、辛うじて立った。渡り廊下の鉄柱につかまり、しばらく息を整えた。まるで、その空気になじむのを待つかのように。


「重い・・・。とてつもなく深い悲しみが、ここには落ちている・・・。」


 水飲み場のコンクリートに腰を下ろし、校舎を見上げる。長年、生徒の声を聞いていないコンクリートは、どこか寂しげだ。


「そうだ・・・。ネコ・・・。」


 メグは、歩き出した。体がそこに慣れたのか、足取りは少し軽くなった。周囲の住民に気づかれないように、薄暗くなった校舎の影に入る。窓から教室を覗くと、机のない教室が見えた。それを見ているうちに、メグの瞳は涙でいっぱいになる。


「この学校も、生徒がいっぱいいて、賑やかだったときもあったのに・・・。」


 壁に顔を伏せ、メグはしばらく泣き続ける。


 学校を飛び跳ねていたネコたちは、どこへ行ったのだろうか。


 そのうちの一匹が、校内に侵入したメグに気づいた。追い返そうと、ぷうっと息を吐いた。それまでの侵入者―卒業生や、あるいは犯罪者は、大抵、その生臭い風に生気を削がれ、校舎に近づこうとはしなかった。メグは、不思議にもその息風に耐え、校舎に近づいた。


 ネコたちは、西日の当たる二階の教室に集っていた。消えていく夕日の温かさを貪るように毛を膨らませ、机の上で丸くなっている。


「タケシさん、変なやつがいますよ。」


 全身黒毛のネコが、開けた窓から入ってくるなり言った。


「わかってる。」


 タケシと呼ばれたネコは、前足を腕組みさせる、いわゆる香箱座りで、髭をピンと震わせると、大きな欠伸をした。薄茶の背中が夕日に映えて、金色に見える。口周りから首下にかけて生える白毛が特徴的で、射貫くような眼光は夕日に負けていない。


「ぷうって、息を吹いたけど、逃げないんですよ。」


 黒毛のネコは、言い訳をするのが恥ずかしいのか、そう言うと顔を伏せ、右手の肉球を舐め始めた。


「変わった奴もいるさ。おい、何人かで、追い返してこいよ。」


 タケシは、欠伸をしながら言った。


「僕が行くよ、タケシさん。」


 白毛に黒と橙の斑の入ったネコが、背中を丸めて背伸びをする。


「ユウが行くほどでもないだろ。」


「いや、ちょっとヒマだからさ。それに、ツトムの臭い息が効かないなんて、どんな奴かと興味が沸いてさ。」


 ユウは、そう言うと机から飛び降りた。後に数匹が続く。埃だらけの廊下は、ネコたちの足跡で、へんてこな模様ができている。ユウの背後から、どこからともなくネコが集まり、二階の廊下から階段を降り、一階の廊下を歩く頃には、十数匹が集まっていた。ユウが立ち止まると、他のネコたちも歩みを止め、次々に折り重なっていく。ネコたちが体を重ね、大きな塊となり、ユウは、一番上の飛び乗った。

 

 涙が乾き、ハンカチで顔を拭いたメグは、校舎の二階の窓に映る、今にも消え入りそうな夕日を見つめた。


「もう日が暮れるなあ。明日、探そう、ネコさんたち。」


 そう考え、帰りかけたとき、校舎の窓が突然開いた。


「だめだよ! 黙って入ったら。」


 警備服を着たおじさんが、険しい顔を見せた。


「すみません・・・。ごめんなさい。」とメグは頭を下げる。


「ここは廃校になったんだ。立入禁止の看板が見えないのか。」


「はい、あの、ほんとに、ごめんなさい。帰ります。」


 メグは足早に歩き出した。


「もう来るんじゃないぞ!」


 背後からの声に追い立てられ、メグはグラウンドを全力疾走。人目を避けて金網を無事に乗り越え、路地に着地。電車が走る音を聞いて、ふうっとため息をついた。


「見つかっちゃった・・・。」


 来た道を、また歩き出した。通用門も、正門も、来たときと同じように、強固に閉ざされている。


 メグは、夕日の届かなくなった薄暗い校舎を見上げた。すると、体育館の屋根から校舎に飛ぶ数匹のネコが見えた。


「ムササビじゃよ、あれ。」


 突然のしわがれ声にふり帰ると、自転車に乗った老人が言った。


「学校がなくなってから、この辺も寂しくなってのう・・・。」


「ご近所の方ですか?」


「うん。学生服が懐かしくてつい声をかけてしまった。あんたは、どこの中学かな?」


「江戸川中学校です。」


「江戸中ですか。そうですか、そうですか・・・。」


 老人は、にっこり笑うと自転車を漕ぎ出し、帰っていく。ヨロヨロ運転の老人の後ろ姿を、メグは心配そうに見送る。


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