表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
憂いっ子メグと幽霊ネコたち  作者: 瀬賀 王詞
19/27

病床の都議会議員


 世田谷区広尾に住む都議会議員、田沼博和は、寝室から庭を眺めていた。小一時間ほど降った雨が上がり、日差しが差したところで目が覚め、老妻に窓を開けさせた。


 四十二歳で都議会議員に初当選、国政には目もくれず、三十二年間東京都のまつりごとに従事した。


 秋も深まり、楓の木も来る冬に身構えている様子。


「秋と共に去りぬ、か・・・。いや、まだくたばるわけにはいかん。まだ・・・。」


 そうつぶやくと、田沼は胃がくしゃみでもするかのように咳き込んだ。


「あなた、無理はなさらず、横におなりなさいな。」


 妻の千賀子が寝室に入ると、田沼はまた咳き込んだ。千賀子は夫の背中をさすり、袋から薬を取り出した。田沼は薬をかみ砕くように飲み込むと、震える手でコップの水を飲んだ。


「啓一はまだか?」


 田沼の甥は、某大学の法学部を卒業し、司法試験に合格したばかりだった。子のない田沼は、後継者にと考えていた。


「電話は何度もしてますよ。あの子も忙しいみたいで・・・。」


「もう後がないんだから、すぐ来いと言いなさい。」


「後がないって、そんなこと・・・。」


「いいから、電話をするんだ! 言っておきたいことがある。」


 田沼はまた咳き込んだ。千賀子は、仕方なく寝室を出ると、居間で受話器を取った。


 甥の啓一はなかなかケータイに出ない。千賀子は、留守電に伝言を残そうという気になれない。


 もう一度電話をかけ、呼び出し音を聞いていると、玄関からチャイムが聞こえた。千賀子は受話器を置き、「はい。」と返事をして玄関に出る。モニターを見ると見なれない顔がある。


「どちら様でしょう?」


「大滝健吾と申します。都庁に勤めております。田沼先生がご病気とお聞きし、お見舞いに参りました。」


 客の手には見舞いの果物がある。千賀子は土間に降り、鍵を開けた。大滝の耳に、田沼の咳が聞こえた。


「はじめまして、奥様。」


 千賀子は、大滝が差し出した大きな果物を受け取ると、大滝を家に招き入れた。


「どうも申し訳ありません。こんなことまでしていただいて。都庁の方ですの?」


「大滝健吾と申します。先生とは殆ど面識はありませんが、先生の政策には衷心から賛同し、支持して参りました。」


「まあ、そうですか。それは有り難いことです。どうぞ、中にお入り下さい。」


 寝室から咳は聞こえるが、少しは楽になったような息づかいだった。


 千賀子は夫の支持者と聞いて安心したのか、居間に大滝を通すとソファに座らせた。


「初対面のあなたに、こんなことを申し上げるのはどうかとは思いますが、実は、もう、長くないんです。」


 大滝は、驚いた表情を見せたが、なにも言わなかった。


「わたしたち、子どもがおりませんから、夫は甥を後継者にと考えているようなんですが、この甥が忙しそうでなかなか話をする機会がありません。今も電話していたところなんです。大滝さんとおっしゃいましたかね、都庁の方ということでしたら、もし万が一、甥が間に合わなかったら、夫の話を聞いておいてくださいませんかね。」


 千賀子がふと見ると、廊下に田沼が立っている。


「なんだ? 啓一じゃないのか・・・。」


 大滝はすぐに立ち上がり、深く頭を下げた。


「都庁市民生活課の大滝健吾です。田沼先生と面識はございませんが、先生がご病気とお聞きし、ご迷惑と存じましたがお見舞いに上がりました。」


「大滝健吾・・・。知らんな。しかし、そうか、見舞いに来てくれたのか。ありがとう、ありがとう・・・。」


 千賀子は田沼を椅子に座らせると、台所へ立った。


 田沼は、大滝健吾の顔をしみじみ見つめ、「都庁に勤めて何年になる? まったく見覚えがないが・・・。」と言った。


「先生の政策、お考えに賛同し、ご支持させていただいておりました。そのような者は、わたしの周囲にもおります。」


「そうか・・・。それは、うれしいことだ。わしの考えは、時代に合わないようで、議会では煙たがられておったからのう。」


「不易流行の、『不易』を大切にされ、時代に流されない都政を、田沼先生が牽引されてこららました。今日の東京都が安定しておりますのも、田沼先生あってこそです。」


 千賀子は大滝の前にコーヒーを置いた。


「なあ、千賀子。うれしいことだのう。わしの政治をわかってくれている、こんな青年もいてくれたとは・・・。」


 田沼は唐突に慟哭し、両手で顔を覆った。


「コーヒー、どうぞ召し上がれ。」と千賀子はコーヒーカップを大滝に寄せた。


 田沼が感激にむせぶ間、大滝はコーヒーの香を嗅いだ。


「田沼先生は、江戸川区に巨大ショッピングモールが建設予定であることをご存じですか?」


 千賀子が田沼に水を飲ませ、気分が落ち着いたところで大滝は切り出した。


「知っておる。知らんでか。わしは猛反対した。」


「やはり、そうでしたか・・・。わたしは、建設予定になっている淀川中学校の卒業生です。」


「それでか・・・。それで、わしのところに来たのか。」


「もちろん、それだけの理由でここに来たのではありません。田沼先生を支持する者として、わたしにできることはないか、教えをお伺いしたく、のこのことやって参りました。」


「それは、わしの天敵を倒してくれるという意味かな?」


「・・・はい。」


 田沼は、大滝ににじり寄り、じっと瞳を見た。


「大滝健吾と言ったな。きみは、わしの天敵がだれか、わかるのか?」


「はい・・・。申しましたとおり、わたしは田沼先生の支持者です。」


「もう少し早く来てくれれば・・・。」


 そう言って田沼はまた咳き込んだ。千賀子が立ち上がって背中をさする。


「まあ、いいだろ。啓一も当てにならんし、こんなタイミングできみが来てくれたのもなにかの縁じゃろう。」


 居間に電話が鳴り始める。夫人は立って受話器を取った。


「敬ちゃん?」と言う夫人の声を聞き、田沼は「代われ」と咳混じりに言った。


「遅いぞ、啓一。わしはもう長くないと言っておるのに・・・。なに? 政治家にはなりたくない? まだそんなことを言っておるか。いい、いい、わかった。それなら最後の頼みじゃ。わしはもうじき、七十四年のすばらしき人生を終わる。一ヶ月後の都議会議員選挙に幽霊で立候補するわけにはいかん。そこで、後継者を立候補させる。名前は・・・。」


「大滝健吾、です。」と大滝は小声で言った。


「大滝健吾、大滝健吾という、わしの支持者じゃ。お前は、参謀としてサポートしてくれ。わしの最後の頼みじゃ。大滝健吾を当選させないと、お前を恨むぞ。幽霊になってお前のマンションに住み着いてやるぞ。」


「わかったよ、わかった。」と言う啓一の声が大滝にも聞こえた。


「そうか、頼んだぞ。啓一・・・。」


 田沼は受話器を千賀子に手渡した。夫人はひとこと言って電話を切った。


「跡取りは血縁の者をと思っておったが、仕方あるまい。大滝くん、明日までは生きられそうじゃ。わしの親しい議員に紹介するから、明日また来なさい。」


「明日、ですか? どこで?」


「ここじゃ。最後の晩餐は、我が家でと決めとった。」



 翌日、大滝健吾は千賀子を手伝い、最後の晩餐の支度をした。近隣の料亭から板前を呼び、豪勢な最後の晩餐となった。五人の都議会議員が招待されていたが、いずれも初老に近い年齢だった。


「大滝健吾と申します。田沼先生の推薦を受けて、この度の都議会選挙に立候補させていただきますので、ご支援のほどよろしくお願いいたしますにゃー。」


 五人の議員は拍手をした。


「なかなか立派な青年じゃないかね。」


「最後、にゃーって言わなかったか?」


 田沼の地元では甥の啓一を応援に呼び、地盤を固めた。五人の議員のサポートを受けて支持者を拡大し、精悍な顔つきでおばちゃんたちの人気を集めた。


 田沼は一時快復したように見えたが、大滝健吾の当選を見届けると一気に体調が悪化し、大滝の初登庁の前日心不全で亡くなった。


 初登庁した大滝健吾は、玄関ホールで都議会議員にあいさつ。田沼老人の天敵、都議会議員の今村には特に慇懃にあいさつをした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ