莉子の母親
数日が過ぎ、タケシたちは二人目を転入させようと準備を調えていた。莉子に五万円を要求されたメグは、翌日にでも渡すつもりでいたが、タケシたちに止められた。
体育館では、シゲルの指導の下、成りすまし変身の特訓を続けていた。
「おおっ! だんだん近くなったぞう!」
シゲルは、ポスターと変身したネコたちを見比べて言った。
北条莉子宅を担当しているソウスケは、やりきれない表情をメグたちに見せた。
「ますますひどくなるぜ、母親の暴力・・・。」
タケシは複雑な顔をする。
「天罰だと、思っていいんじゃないか? 今、メグちゃんを守ることで精一杯だ。」
メグは首を振る。
「莉子さんは、きっと、苦しんでる。わたしには、わかる。ネコが大好きな莉子さんだもん。」
「クラスみんなから、お金を集めてる。一人一万円だから、相当な金額だよ。」
堂下翔太の頭の部分を務めるシンジが言った。
「なぜ金を集めるているか、そこだね。」とユウ。
「なに、どうせ遊ぶ金だろう。」
タケシは莉子に同情する様子がない。
「タケシさん、転入生を増やして、わたしを守ろうとしているのはうれしいけど、そのまえに莉子さんを助けてほしいの。」
「わかってる。北条と敵対している、今村の存在もあったな。三年生にも転入させて、調査させようと思っている。でも、生徒会が不良連中を目の敵にするのは当たり前だろう。」
「その生徒会が、わたし、気になる。ツトムくんの報告を聞いてから、それとなく注意して見てたけど、確かに、変な感じ。」
「生徒会室で女子会長がいちゃついてた話か。ツトム、あれ? ツトム、いないのか。」とタケシは教室を見回す。
「ツトムは成りすまし変身の特訓を見てるよ。ここんとこ、江戸川中には行ってないんじゃない?」とユウが答えた。
メグは、日が落ちる前に帰ろう立ち上がる。
「帰る。明日は、メスネコ・メグで学校に行く。シゲルさんに言っといてくれる? それから、ソウスケくん。莉子さんちにも、一緒に行ってね。」
メグは、「バイバーイ!」と言って教室を出て行く。
「メグちゃん、ちょっとだけ、性格変わってきたな。」とタケシがつぶやいた。
「いいことじゃない。」とユウがほほえむ。
翌日、メグはシゲルと合体し、メスネコ・メグになって江戸川中学校を徘徊した。ネコ目線で見る学校はまた別で、メグは新鮮な気持ちで教室を眺めた。
教室内外で、莉子は沢山の生徒に声をかけ、金をせびったり、受け取ったりしている。
「莉子さん、あともう少しだよ。」と取り巻きのひとりがケータイの電卓アプリを開いて計算している。
「あと七万だ・・・。」
「メグ・・・。あいつ、今日も休みやがって。」
莉子は、グミを取り出すと包み袋を廊下に投げつけた。
「集金に行きますか?」
「そうだな・・・。」
「聞こえてるよ。」
ユウは、莉子たちを見上げてにこっと笑った。
姿を消したメスネコ・メグは、莉子たちの足下にいた。メグにはタケシとユウ、ツトムが付いてきた。
ツトムは生徒会室を見張るよう、タケシに言われていた。
「あと七万?」とタケシはつぶやいた。
「誰かに、お金を要求されてる・・・。」とメグ。
「そういうことだな。いったい誰に・・・。まさか母親が?」
「ソウスケは、そんなこと言ってなかったよ。」とユウ。
「江戸川中では、北条莉子が一番幅を効かしてる。他の中学校の連中かもしれんな。ユウ、少し探ってくれんか?」
タケシはユウに頭をすりあわせながら言った。
「いいよ。でも、淀中の近辺は私立中学がふたつ、公立の品川中学校も不良連中の話は聞かないよ。」
「それぐらい、俺もわかってる。一応探ってみてくれ。意外にも頭のいいエリートってこともある。今どき、暴力団だって頭のいいやつがやってんだから。」
「タケシさん、わたし、莉子さんにお金を渡す。」
「そうだな。メグちゃんの好きにすればいい。これ以上矛先が鋭くなってもいけないしな。おい、ツトムのところに行ってみよう。」
メグたちは建物を自由自在にすり抜け、隣校舎へ飛び移った。
生徒会室の屋上では、ツトムが幸せそうな顔をしている。
「おい、起きろ!」
タケシはツトムの頭に一撃を入れる。
「あれ? もうご飯?」
「ダメだろう、寝てちゃ。」
「タケシさん? アイタタ。後から脳に響いてくるよ。殴ることないだろ? メグちゃん! メグちゃんが起こしてよ。」
「なに文句言ってるんだ。」
「大丈夫だって。今授業中だよ。生徒会室に誰が来るんだよ。」
「静かに!」とメグが囁いた。「誰か来る・・・。」
みんなは耳をすましたが、ツトムは生欠伸をしながら言った。
「生徒会長さんだよ。鍵の音がしたろ? この部屋は生徒会長さんが独占してるからね。」
「今村・・・。」と言ったあと、タケシは咳払いをした。
「今村沙也加。」とツトム。「授業をサボって、なんやらトレーニングをしたり、タバコ吸ったり、男とイチャイチャしたり。先生なんてぜんぜん来ないからやりたい放題だよ。先生たちも恐れてる、そんな感じもするね。」
「何者なの?」とユウ。
「ドラマの脚本どおり。お父様が政治家で、お母様が財閥令嬢。金と力はほしいまま。」
「お嬢様か・・・。」とタケシ。
「ただのお嬢様じゃないぜ。下、覗いてごらんよ。」
ツトムの言うままに、メグたちは天井裏から生徒会室を見下ろしてみる。
今村沙也加は、いつの間にかトレーニングウエアに着替えていた。
「隣にジムがあるよ。」
ツトムの案内で移動すると、今村はトレーニングを始めた。一通り体をほぐすと、少林寺拳法の型を演じた。
「トレーニングマシンとか、持ち込んだみたい。ほとんど私物化してるよね、生徒会室。すごい動きしてるでしょ。都大会で個人優勝したんだって。」
「北条莉子を目の敵にするってことは、よっぽど正義感が強いのか。」
タケシはつぶやいた。
「正義感? タケシさん、そんな人がタバコなんか吸わないよ。ここ、つまんないからさ、職員室行こうよ。」
ツトムの案内で一通り校内を巡ったが、特に目立ったことはなかった。給食の時間、タケシたちは懐かしそうにメニューを眺めた。
「今日はカレーなのか。」とタケシは喉を鳴らした。
屋上に上がり、ひなたぼっこをする。
「不思議なもんだな。あんなに嫌だった学校が、こうやって眺めてみると懐かしい。まさか、こんな気持ちになるとは思わなかった。」
タケシは目を閉じながら、独り言のように言う。
「僕、品川中学校に行ってみるよ。」
ユウはそう言って、メグたちにウインクをした。
「ウインクができる幽霊ネコって、ユウぐらいなもんだ。」
「タケシさん、ソウスケのとこにも行くんでしょ? まだ行かなくていいの?」とツトム。
「もう少し寝かせてくれ。」
タケシは、給食の残りのカレーを食べたのだ。食べ過ぎて動きが鈍くなったので、ソウスケがいる四丁目に向かったのは五時過ぎだった。
ソウスケも北条莉子の屋根上で寝ていた。よく寝るから「寝子」と名前がつけられたというから、ネコがよく眠るのは仕方がない。
「じゃあ、そろそろ行くか。」とソウスケは欠伸をする。
北条莉子の母親が務める会社は、自転車で十五分ほど。メグたちにとっては全力疾走で五分ほどの距離だった。汐留のオフィスビル街の一角、七階建てビルの五階に、『STS企画』の会社名。
会社の屋根裏を歩くメグたち。
「北条、北条・・・。ほら、あのおばさんだよ。」とソウスケはあごで示す。
「どれだ?」とタケシ。
ソウスケは下に降りて、北条莉子の母親のデスクに飛び乗る。
「似てるな。わりと、優しそうに見えるが・・・。」とタケシ。
メグは黙って見ている。母親が電話の合間にグミを口に放り込んだのを見て、確かに莉子の母だろうと思った。
ソウスケは、天井に駆け上がった。
「五十人近くが電話でいっぺんにしゃべるから、うるさくてしょうがねえ。」
「パワハラしてるのは、主任だったな。」
「ほら、あの男・・・。」
灰色の作業服姿の男が、電話をしている女子社員を監視するかのように、目を光らせて巡回している。
「なにをしてるんだ、この会社。」とタケシ。
「簡単に言うと詐欺だな。電話の相手は地方の公務員。不正に手に入れた名簿でさ、手当たり次第電話をかけて、マンション購入を持ちかける。契約すると、契約金だけ取って肝心のマンションはない。主任がなんで作業服なのかと言うと、契約を結んだ客に資料を送ったりもしてる。」とソウスケ。
「電話をしてるのは、まじめそうな女性だぞ。ほんとにそんなことしてるのか?」
「タケシさん、俺たちはまだ子どもだ。大人の世界なんか全然わかっちゃいない。」
タケシは、ソウスケの偉そうな口のききように少しムッとした。
「お母さんが、呼ばれてる・・・。」とメグが言った。
作業服姿の主任の後を、母親が歩いて行く。
「始まったか。」とソウスケは言った。「お説教だよ。あっちの主任室だ。」
主任室の屋上に行くと、いきなり鋭い音がした。莉子の母親は、床にうずくまっている。髪を振り乱し、頭を殴られたのか、手で押さえている。
主任は机に寄りかかり、錠剤をポケットから取り出すと口に含んだ。
「終業まであと十分。今日も契約一件も取れなかったな。」
主任の声は、低く聞き取りにくかった。
「立てよ。」
母親は立った。しかし、すぐに頭を打たれ、倒れた。
「ガムなんか食ってる場合かよ。おまえにそんな余裕あんのか!」
メグの目には涙が溢れた。主任に飛びかかろうとしたところをタケシとソウスケで引き留める。
「ひどいな・・・。」とタケシは言った。「少し、懲らしめとくか。」
「メグちゃん、俺たちに任しな。」とソウスケは目を光らせた。
タケシとソウスケは、一旦メグの視界から消えた。
主任が倒れた莉子の母親に蹴りを入れようとしたときだった。主任は見えない風に吹き飛ばされたかのように、机に仰向けに倒れた。
タケシとソウスケが姿を現す。
「どうしたの?」とメグは訊いた。
「なーに・・・。体当たりをしただけだよ。」とソウスケは言った。
「お、思いっきり、助走をつけてな。」とタケシ。
ふたりとも、呼吸が荒い。
下を見ると、主任は机から転げ落ちていた。顔はひきつり、瞳孔は大きく開いている。
「・・・主任。」と母親は体を揺する。
「逃げて。莉子のお母さん・・・。」とメグは言ったが、母親は逃げる素振りを見せず、主任にもう一度声をかけた。
「今頃こんなこと言うのはなんだけど、やりすぎたかな?」とソウスケ。
「ネコ二匹の体当たりだぞ。」とタケシは体を舐めながら言った。
終業のベルが聞こえた。社員たちの動く気配が伝わる。莉子の母親も主任室を出た。
「まだ倒れてる・・・。」とメグが言う。「・・・大変! あれ、見て!」
主任の胸から、赤いモノが流れている。
「嘘だろ?」
タケシとソウスケは主任室に降りた。メグは脚が震え、動けなかった。
主任は目を開いたまま、動かない。腹には、ナイフらしきモノが立っている。
「死んでる?」とソウスケ。
タケシは、主任の口元に顔を寄せる。そして、右手の脈に肉球を当てて見た。
「大変なことになったな・・・。」
タケシとソウスケは、泣きじゃくるメグを再び屋上に連れて行く。メグの気持ちが落ち着いたところで帰ることにした。
三年六組の教室にはネコたちが集まっていた。メグは机に顔を突っ伏して、ひとしきり泣いていた。
タケシとソウスケは事情を説明した。
「日頃から、母親には殺意があったんだ。そのチャンスを、俺たちが作ってしまった。」
タケシは、力なく言った。
「まあ、そう自分を責めないでよ。」
性格の優しいユウは、妙に明るい声で言った。
「そうだぜ。聞けばそいつ、殺されても仕方ないんじゃないか? メグちゃんも、そんなに泣くなよ。」
シゲルはメグの肩をぽんぽんとたたく。
「莉子さんが、かわいそうで・・・。」とメグは言った。
メグの言葉に、ネコたちは黙る。
「母親が殺人犯で捕まるって、最悪だな。」
体育館で成りすまし変身の練習をしていたシンジたちが、教室に入ってくるなり叫んだ。
「やったぞ! できたぞ!」
シゲルがシンジに駆け寄る。
「ほんとか?」
「シゲルさん、あのジャニーズのイケメンだけじゃなく、どんな人間にも変身できるよ!」
「すごいぜ、おまえたち。よくやった!」
シゲルとハイタッチをするシンジたち。
「それだ!」とタケシが叫んだ。「さっそく、頼む!」