日本の乙女
大学でアラビア語を専攻している者です。現在エジプトに滞在し、現地の語学学校に通っています。2017年7月上旬にその語学学校でハーフィズ・イブラーヒーム حافظ إبراهيم (1871-1932) というエジプト人詩人の『日本の乙女』(1904) غادة اليابان というカスィーダ(アラブの伝統的な詩の形式)を講読しました。エジプトに滞在していた日本人の少女が、日露戦争に際して、従軍看護師になって国の為に忠義を尽くすべく帰国する、というお話です。
日本から遠く離れたエジプトの詩人が日本に関係する詩を書いたというのはとても面白いことだと思います。が、今日Google と Amazon 上で『日本の乙女』で検索してみた限りでは、抄訳は少し見つかったものの、完全な日本語訳は見つかりませんでした。そこで稚拙な訳ではありますが、私がその詩の全文を和訳してみました。自分ひとりで辞書を引きながら読んでみた時は、各詩行が何を言っているのか全く解読できませんでした。語学学校のエジプト人の先生が「ここはこういう意味だよ」と解き明かしてくれたおかげで、ある程度は分かりました。が、それでもなお、一部の表現は未だによく分かりません。そこは諦めて逐語訳しました。
もともとアラブ文学を専門的に勉強しているわけではない私が、ただでさえ解釈の難しい詩文を訳すだなんて僭越もはなはだしいとは理解しています。が、いかに的外れな下手くそな訳ではあっても、誰も翻訳しようとしない作品を翻訳するということには意義はあるはずです。なおかつ、たたき台があれば、他の人がそれを見てより良い和訳をすることも容易になるはずです。どうかたたき台というつもりでご覧いただければ幸いです。
その前に、詩人ハーフィズ・イブラーヒームがどのような人かを見てみましょう。
『ブリタニカ百科事典』の公式サイト "Ḥāfiẓ Ibrāhīm"
https://www.britannica.com/biography/Hafiz-Ibrahim
(2017/07/07 閲覧)
はハーフィズ・イブラーヒームをこのように紹介しています。
「ハーフィズ・イブラーヒームはエジプトの詩人である。「ナイルの詩人」 شاعر النيل として知られている。
ハーフィズ・イブラーヒームはナイル川の船の上で生まれた。法律事務所で働いたのちに軍に入営した。1891年にカイロ兵学校を卒業した後、スーダンに赴任しイギリス人の軍司令官であるキッチナーのもとで働いたが、イギリスに対する暴動に加わったとして除隊させられた。スーダンで軍務に服している間に詩を書き、1901年に最初の詩集を出版した。その後彼は愛国的な詩を書いた。彼は人間の普遍的な感情を表現する能力に加えて、詩を暗誦する優れた能力をもっていたため、際だった社会的地位を得た。1911年から1931年までカイロ国立図書館の館長を務めた。1903年のヴィクトール・ユゴーの『レ・ミゼラブル』のアラビア語翻訳に見られるように、散文を書く才能も持っていた」
(以上、ブリタニカ百科事典より引用・和訳)
本文は
http://www.arabicnadwah.com/arabpoets/japan-hafiz_ibrahim.htm
(2017/07/07 閲覧)
に依りました。
あらすじ
エジプト人の青年が自分の国の現状を憂える場面から物語が始まります。その後彼は自分が恋をしていた日本人の美しい少女のことを思い出します。彼女は美しく才能にあふれた少女でした。日本とロシアとの間に戦争が勃発すると、少女は青年に別れを告げに来ました。彼女は、日本に帰国して祖国の為に戦場に行くと言いました。エジプト人の青年は怒って猛反対しました。「君のようなたおやかな少女がどうして戦場で戦えるというのか、危険だからエジプトに留まれ」と。エジプト人の青年は出征した経験があり、戦場の悲惨さをよく分かっていました。しかし少女は自分の決心を変えようとはしませんでした。彼女は言いました。「私たち日本人は勇猛な民族であり、死などは恐れません。実際に武器を持って敵兵を倒すことはできなくても、その代わりに従軍看護師として傷痍軍人の看護に身を尽くましょう」と。少女は国の為に、命をなげうってでも奉公する道を選びました。
『日本の乙女』 ハーフィズ・イブラーヒーム
私の手のひらよ、責めないでおくれ。たとえ(手のひらから)剣が離れていったとしても。
私の決心は固まった。しかし時局は(私にとって)不利だった。
(ad-dahru ʾabā は「時局は不利だった」は、直訳すると「時が否定した」)
努力している最中の聡明な努力家であっても、おそらく求めていたものは得られなかったであろう。
(mubṣir「聡明な」は直訳すると「目が見える」)
(それでも)さあかかって来い、困難よ。栄光の中に理由があるのならば、困難は私に試練を与える。
時局は私に対して乱暴に振る舞った。もしも天国を好まなかったならば、私も礼儀を欠いた振舞いをしたであろう。
(ʿaqqa は直訳すると「切り裂く」ですが、先生によればここでは「礼儀を欠いたふるまいをする」だそうです。al-ḥusnā は al-ʾaḥsan 「もっとも良い」の女性単数形ですが、語学学校の先生によれば、ここでは天国のことを指しているそうです)
えい、この世よ、しかめ面しろ、微笑め。私はお前の稲妻を引っかき傷だとしか見ていないのだ。
(「しかめ面しろ、微笑め」というのは放任法。先生によれば、この世が私に味方しようがつらく当たろうが私はそんなことは気にしない、という意味だそうです。
また語学学校の先生によれば、「私はお前の稲妻を引っかき傷だとしか見ていないのだ」というのは「私はこの世を美しいものだとはみなしていない、つらく厳しいものだとみなしている」という意味だと解説してくれました)
すでに弱体化してしまった(私の)国。国は同胞を憎悪し、外国人を偏愛する。
国は、価値もないむなしい称号を熱愛している。位階を求める争いで人々が犠牲になっている。
危険な出来事が国を標的にしている。国は享楽に耽溺し、音楽を好む。
(まだ確認はしていませんが、音楽はこの時代のエジプトではくだらない享楽とみなされていたのかもしれません。今の日本でいえばパチンコのような感じでしょうか)
国は(自分の危機的な状況に)気づいていないのだ。外国の敵が国を弄んだ。あるいは(私たちの)国をもてあそぶことに夜を費やす。
(qaum は「民族」という意味ですが、先生によればここでは外国の敵のことを指しているそうです。私が思うには、イギリスのことでしょう。)
国が私から聴いてくれたらよいのだがなあ、悲しい話と驚くべき話を。
私は一人の少女を愛していた。神は彼女にたくさんの天稟を授けた。
美しさが、(金好きの)ユダヤ人に黄金のことを忘れさせる(ほど美しい)黄色によって飾った顔を、彼女は持っていた。
ある日彼女は私に報せを持ってきた。糞くらえ、こんな報せめ。
(「糞くらえ、こんな報せめ」は、直訳すると「神がお前の面倒をみて下さいませんように」となる。罵倒の表現。「お前」は「報せ」のことを指す。つまり擬人法である)
彼女は身体を上品にゆらゆらと揺らしながら歩いてやって来た。その夜はまるで青年のようだった。
(「その夜はまるで青年のようだった」は、直訳すれば「その夜はひとりの青年である」となる。「少女が歩いてくるさまを、その少女が好きな青年のように夜がその少女が歩いてくるのを見ているのだ」と先生は解説していました)
空の新月は、その空をよちよち歩きする赤ん坊のようにゆっくりと昇って行った。
(ḥabā は「(赤子が)四つん這いで歩く」という意味)
彼女は、口を開けて微笑みながら私に言った。歯並びの良い真珠のような歯を覗かせて。
(直訳:真珠と歯並びの良い歯をなした微笑む口の開きを伴って、彼女は私に言った)
「人々が私に急ぎの旅を知らせてくれました。私はもうエジプトへは戻ってこないでしょう。
(「私はもうエジプトへは戻ってこないでしょう」は、直訳すると「私は私に、この後に帰還を目にすることがない」となる)
私の祖国(日本)が私に朝早く出発せよと求めたのです。おそらく私は、祖国の為に義務を行うことになるでしょう。
私たちは熊を、その喉を掻き切って殺し、その皮を切り刻むのです。あの熊は自分が打ち負かされないとでも思っているのでしょうか」
痛苦が私の心を切り刻む中、私は言った。「お前こん畜生め! 戦争でガゼル(のようなお前)が何をするというのだ。
(ガゼルは、美しい女性のたとえ)
我々は、娯楽のための場所・遊び場を探し求めているガゼルにとっての放牧地となるような戦場などこれまで知らなかった。
「戦争というのは、(買いたいという)願望によって買われる魂でもなければ、思考停止した知能でもないのだよ。
(正直なところ、ここは何度も先生に説明してもらいましたが、理解できませんでした)
お前は(お前自身の)身体つきが武器の内に入るとでも思ったのかい。それとも鋭い刃のような目蓋のことを考えたのかい。
(ハンス・ヴェーアで ḥasiba の項を見ると ḥasiba A min B で、「AがBに属しているとみなす」という意味だと述べられている)
それならば私に(戦場で私が何をしたのかを)問うてくれ。私は戦争に行った。私は戦場で恐怖という乗り物に乗った。
(「私は戦場で恐怖という乗り物に乗った」は直訳すると、「私は恐怖に乗り、それ(=戦争)の中にある乗り物に乗った」となる。ここも先生の解説を聴いてもよく理解できませんでした)
戦闘機からの空爆で死が迫った。砂埃が戦場の上に霧を覆いかぶせた。
( ghāra は「飛行機からの空爆」のこと)
私たちに対して、戦争の両目にある眉間が凝縮した。私は戦争の中で死もまた眉間を凝縮させたのを見た。
(qaṭṭabat mā baina ʿainaihā「眉間が凝縮した」は、直訳すると「それ(=戦争)の両目の間にあるものが眉をひそめた」という意味。qaṭṭaba は「眉をひそめる」語学学校の先生によれば、「眉をひそめ、怒りのこもった怖い顔つきをした」あたりの意味だそうです)
馬が真剣に歩くような歩き方をしながら、アズラーイールが、戦場の各所を、そしてあの砂埃の下を徘徊していた。
( al-haidabā は、馬の歩き方の一種。 ʿazrāʾīl 「アズラーイール」はイスラームにおいて、生きている人から生命を取り上げる天使)
だから(お前よ)、戦争を知っている者の為に、戦争から離れなさい。ガゼルよ、ワサビノキのところに、隠れ場所に留まっていなさい」
すると少女は私を恐がらせる声で答えた。彼女は私にガゼルと、そして強いライオンを見せた。
「私たちの民族は死を飲むことも甘いことだとみなしました。あなたはどうやって私に飲むなと要求するのですか。
私は日本人女性です。私は自分の目標を遠ざけはしません。私は死を味わいましょう。
もしも射的がうまくできなかったならば、あるいは私の両掌が剣さばきをすることができなかったならば、
私は負傷者の看護をし、彼らに権利を与えます。そして戦争で怪我を負った人(兵士)を慰めます。
(ḥaqq のよい訳語が思い浮かびませんでした。そのため普通に「権利」と直訳しておきます)
このようにして、天皇陛下は私たちに、祖国を父母のようにみなすことをお教えになりました。
(「天皇陛下」は、原文にはal-mīkād つまり「みかど」とあります。言うまでもなく明治天皇を指しています)
東洋を復興なさり西洋を揺るがしなさったことで、天皇陛下はあたなをも満足させる王でいらっしゃいます。
もしもあなたが天皇陛下を(どのような人物かを)試してみたのならば、あなたはこのお方が、変化しているあらゆる物事への叡智をお持ちのお方でいらっしゃるということを発見することでしょう。
天皇陛下とそのお冠はどちらも小さくあらせられました。(その幼い時からすでに)御寝台の中にあり(ながら)王の威厳(が具わっていらっしゃいました)。
このお冠は栄光のための天井となりました。このことは空の中の惑星になりました。
(ghadā は「~になる」という意味の動詞で ʾaṣbaḥa に同じ。先生は最初の samāʾan は「空」ではなく「天井」という意味だと説明しました。しかし「栄光の為の天井」)がどのような意味なのかは私もよく分かりません
御休憩所にあってもそこから国を復興なさいました。そして栄光の為、国にたゆまず努力をすることをお求めになりました。
そこで国は栄光目指して崇高になり、天皇陛下のお志を希求しています。国はあらゆる物事において目標を達成しました。
(以上)