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姫と執事  作者: 高塚 冷
想いは募るばかり
2/3

露呈する恋心

 お姫様は今、自室にて着付けの真っ最中である。後日開催される御茶会へ着て行く為の新しい着物を、先頃贔屓にしている呉服屋さんに仕立ててもらった。それが今さっき届いたのである。

 和装の着付けはある程度心得ているお姫様ではあるが、やはり一人での着付けは何かと大変。なので専属メイドの虹ヶ埼に手伝ってもらっている。

 シュシュッと小気味のよい衣擦れの音を鳴らしながら帯を上手に絞めて、さて、こんな感じだろうか。と、質素な姿見の中に着物姿を映して、身体を右に左に捩っては着崩れしていないかを入念にチェックする。


「大変お似合いです」


 帯の結びや衿の具合を調節しながら虹ヶ埼はそう言った。姿見の中でお姫様とメイドは視線を合わせ微笑みを交わす。


「お世辞ありがとう」


「いいえ、お世辞ではありませんよ? 普段は和装をお召しにならないのでとても新鮮味があって、より一層お美しゅうございます」


「フフッ。そう?」


 澄みきった空の様な明るく淡い青の生地に、色とりどりの草花がふんだんに描かれた着物は、まるでお姫様のひととなりを表しているかのよう。

 袖口を親指の付け根でちょんと持つと、まるで日本舞踊を舞うカのように品を作り、その場でゆっくりと回って見せた。袖下がヒラリと靡き、真新しい着物の香りがふんわりとお姫様の周りに広がった。

 ああ、何て素敵なお着物なのだろう。こんなに美しい物を仕立ててくれた呉服屋さんの若旦那に感謝しなくてはならない。お姫様はこの着物を大層気に入った。大事に大事に着ていこう。そう心に誓った。

 さて、素晴らしい自分のお気にを身に纏い、気分が良くなってきたお姫様。こうなってくるといち早く好きな人にこの艶姿を見てもらいたくなってくるというのが世の常である。無意識のうちに想い人の顔を思い浮かべてしまう。

 嗚呼、太刀洗……。


「姫」


 ついうっかり思い更けていると、急にメイドの虹ヶ埼が訊ねてきた。

 ハッと我に返ったお姫様は、言葉を発することなく視線だけでを虹ヶ埼へと向け、小首を小さく傾げた。

 虹ヶ埼は微かに口角を上げ目を細めるように微笑む。まるで可愛い我が子を見守るような面持ちだ。お姫様も思わずふんわりと微笑んでしまう。


「なんでしょう?」


「いえ、なんだか幸せそうな表情でしたので、どうしたのかな、と」


「っっっ!?」


 気がつけば頬の筋肉はトロトロに緩み、なんともはしたない笑みを浮かべていたお姫様。一国の領主の娘がこのような顔をしてはダメだ。

 お姫様はくしくしと目元を擦ってみたり、忙しなく前髪を梳いてみたりと、なんとかして平静を装うとするのだが、その行動自体が返って狼狽具合を相手に知らしめてしまうのだ。

 

「気のせいでしょうか? ここ最近の姫は何やら乙女具合が日に日に増しているように見えますが……」


 虹ヶ埼の言葉が耳に入ってきた瞬間、条件反射の如く姫の脳裏に浮かんで出てきたのは専属執事太刀洗の凛々しいお顔……。

 意中の彼の凛々しいお顔……。

 頭の中が瞬時に太刀洗色に染まる。それと同時に体温が急激に上昇した。姫の体から放出された熱気は着物に纏わり付き、じんわりと汗ばみ始める。


「おや? お顔が真っ赤ですよ?」


「んなっ!?」


 狼狽する自分に狼狽し、更なる狼狽を呼ぶ。悲鳴とも呻きとも分からない小さな声を短く漏らしたお姫様は、まるで小さなこどもが反抗するかのように身体ごと顔を背けた。


「!?」


 普段のお姫様ならば『冗談はおよしなさい』とか言って窘めるのだろうが、今日に限ってはそうでない。明らかにいつもと違うその振舞いに、メイド虹ヶ崎は目を丸くした。

 そして、直感的に思ったのである。

 お姫様は今、誰か殿方に恋心を抱かれているのだと。

 そう確信したメイド虹ヶ崎は、物音を立てないようにそっと肩越しからお姫様の表情を窺ってみる。

 普段は透き通っているかのような色白の頬が食べ頃の林檎のように紅潮し、ギュッと閉ざされた瞼から伸びる長く綺麗に整えられた睫毛が微かに震えているではないか。まさにその様は、一昔前の恋愛系少女漫画のヒロインのようだった。

 もう、その様子を見てしまったらスルーをしてしまう訳にもいかない。お姫様専属の給仕であり、時には人生の先輩として、そして歳の離れた姉のように接してきた虹ヶ崎は、羞恥に堪える我が主人の様子がとてもとても愛おしかった。そして、些細なことでも構わない。何かお姫様の為になにかできないのかと素直に思った。

 プライベートでデリケートな事柄ではあるが、もうここまで来てしまっては収まりがつかない。虹ヶ崎は意を決し、お姫様に訊ねた。


「……姫? 差し出がましいことを申し上げますが、もしや、お気にかけている殿方が居られるのでは?」


「ふぇっ!?」


 お姫様の反応は実に素直だった。あらぬ声を発し、ビクッと肩を震わせながら素早い動作で振り向いて、充血し涙に塗れた目で虹ヶ崎を見た。そして、わなわなと身体を震わせながらあわあわと狼狽し始める。頻りに顔を触ってみたり、無意味に腕をばたつかせてみたりと、まるで漫画かアニメのリアクションの如く、はわわはわわと取り乱すお姫様の様子に、メイド虹ヶ崎の母性本能が動かされた。そして、次の瞬間にはお姫様を抱き締めていた。


「ひゃうっ!? に、虹ヶ崎!?」


 更に虹ヶ崎は互いの体が隙間なく密着するくらい力強く抱き締め、そっと優しく頭を撫でる。虹ヶ崎に伝わってくるお姫様の体温は熱く、ほのかに、えも言えぬ湿り気を帯びていた。


「虹ヶ崎、くっ……、苦しいっ……」


「……っ!!」


 言葉の全てに濁音記号が付くようなお姫様の言葉で虹ヶ崎は割れに帰り、主人を束縛している腕を解いた。


「申し訳ありません!! 勢い余ってつい……」


 解放されたお姫様は肩で息をしながらギュッと胸を押さえ、赤らむ顔で虹ヶ崎を見た。

 戸惑うやら驚くやらのお姫様は、そこからどうしてよいか分からず、ただその場に佇むことしかできない。

 ジッと見つめ合う二人。

 主人の心中をなんとなく察したメイド虹ヶ崎は、両手でゆっくりと手繰り寄せるように主人の手を取ると、その手を優しく包み込み自らの胸元にぐっと引き寄せた。

 お姫様の視線が虹ヶ崎の胸元と顔を往復し、体温が更に上昇していく。


「「…………」」


「「………………」」


「「……………………」」


「……姫」


「──っんぐっ」


 返事をしようとしたのだかタイミングが悪かった。固唾を飲むのと同時に呼ばれたものだから、息が詰まって変な声が出てしまった。だがお姫様は慌てず、息を整え軽く咳払いをすると覚悟を決めたかのように虹ヶ崎の目を見つめ、「……はい」と恐る恐る返事をする。

 狼狽えるお姫様の全てが愛おしい。普段の顔とは全く違う乙女の一面が途轍もなく、ただひたすらに愛おしい。虹ヶ崎は本心からそう思い、ついつい表情を緩ませた。


「とうとう、この時がやってきたんですね……」


 その言葉を皮切りに、虹ヶ崎は幼子を寝かしつけるかのような優しい声色で語り始めた。


「好きな人ができる。それは男女関係なく誰もが一度は通る道です。至って普通のことですから、何も心配する必要はありません」


 その言葉に、お姫様はほんの一瞬顔を赤らめるも、虹ヶ崎の目を見詰めたまま話を聞き続ける。


「好きな人のことを想う度に胸がいっぱいになったり、苦しくなったり、無性に不安になったり、はたまた心此処にあらず、といったことも。……でも、それは異常なことではないんですよ。それこそが"恋"なんです」


「っ!? こっ、恋……ですか……?」


「はい。紛れもなく」


「……」///


「何よりも、今姫が浮かべておられる表情が全てを物語っていますよ?」


 クスクスと嬉しそうに笑みを浮かべた虹ヶ崎は、徐に姿見を姫の真正面に移動させる。そして、お姫様の表情がしっかり映るように角度を調整した。

 お姫様は思わず視線を姿見に映し出された自分に向ける。

 するとどうだろう。そこには自分でも今までに見たことのない自分がいるではないか。桜色に染まった頬、ほんのりと涙に濡れた瞳、どこか戸惑いと不安を帯びた表情。毎朝や公務前に身嗜みを整える時の鏡の中の自分とは明らかに違う"乙女"がそこに映し出されていた。


(これが、わたし……!?)


 今現在の自分がどんな状態なのか、聞いて、見て、しっかりと認識したお姫様は、悲鳴とも唸り声とも金切り声とも言えない声を発し、その場にしゃがみこんで両手で顔を覆った。

 恥ずかしい、ただひたすらに恥ずかしい。そう思えば思うほどに顔の温度がジワジワと上昇していくのが分かる。顔から火が噴き出てきそうなくらいに熱い。


「……姫」


 メイド虹ヶ崎は、しゃがみこむお姫様の傍らに寄り添うように座り込むと、両腕でそっと肩を抱き寄せた。

 熱を帯びたお姫様の身体が微かに震えている。何時もの自分とは全く違う"乙女"な部分を目の当たりにし、酷く動揺しているのだ。


「……大丈夫です。…………大丈夫ですから」


 お姫様を抱き寄せる腕に力が込もる。こんなにも脆弱な姿を目の当たりしてしまっては、もはやそうせざるをえない。こうでもしていないと、砂浜の波打ち際に作った砂山やお城の如く、押し寄せる不安感と言う波に浸食されて、今にも脆く崩れ去ってしまいそうだった。

 虹ヶ崎はお姫様を抱き寄せる腕を解かずに、感情が落ち着くまでの間、何も言葉を発することなく寄り添い続けた。





  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 どれ程の時間が経過しただろうか。あれからずっと、メイド虹ヶ崎に抱き寄せられたまま床に座っていたお姫様は、やっとのこと平常心を取り戻すことができた。

 お姫様の髪を優しく鋤くような手つきで頭を撫でながら、チラッと軽く顔を覗きこむ虹ヶ崎。互いの視線が合わさり、少しの間を置き、どちらからともなく笑みが溢れた。


「えへへ……、取り乱してしまいました。なんともお恥ずかしい……」


 お姫様はそう言いつつ、涙の跡で汚れた頬を両手でクシクシと拭うと、ほんのり充血した目を窓の方へと向けた。それに釣られて虹ヶ崎も一緒の方向へ視線を向ける。

 もう外は紺碧色の薄暗い空となっており、太陽は遠くの稜線の向こうに沈んでいた。部屋の中もだいぶ薄暗くなっていて、デスクのスタンドライトだけが灯っていている状態だ。白熱灯特有の暖かみを帯びた灯りが二人の穏やかな表情を薄暗く照らしている。


「もう、こんな時間なんですね……」


 掠れぎみの声でそう呟いたお姫様は、一呼吸置いて徐に体勢を整える。そして、ゆっくりと立ち上がろうとした。メイド虹ヶ崎は抱き寄せていた腕を解くと素早く膝立ちになり、立ち上がろうとするお姫様の身体をそっと支える。


「ああ……、そうでした。着物の試着をしてたんでしたね……。忘れてました」


 冷静さを取り戻し、身の回りの状況を確認してみると、新調した着物を試着している途中だったことを思い出したお姫様。着崩れした着物を整えながら、恥ずかしそうに項垂れた。


「……普段着にお召し替えなさいますか?」


 虹ヶ崎にそう訊ねられたお姫様は、どこか気恥ずかしそうに微笑んで、コクリと小さく頷いた。

 まるで恥ずかしがりやな小さい子どものような反応に、ついつい笑みを溢してしまう虹ヶ崎。すると、その様子を目の当たりにしたお姫様は再び顔を赤らめ、「ぐぬぬ……」と唇を噛んで悔しそうな表情を浮かべ気持ちを露にした。

 今日のお姫様は表情豊かでなかなか面白い。ついつい調子に乗ってしまう虹ヶ崎は、これみよがしに抑揚をたっぷり付け、「あらあら、まあまあ」と言いながら、頬に手を添え小首を傾げて満面の下卑た笑みでお姫様を挑発する。


「こ、こらぁ! 調子に乗らない!」


 メイドに弄ばれていると察したお姫様は、両手をグーにして体の真横でブンブンと激しく腕を上下に振りながら膨れた。漫画の可愛いヒロインあたりがやりそうなリアクションだ。そして、これがまたなんとも可愛らしく様になっていた。

 これには流石の虹ヶ崎も表情筋を弛まさざるをえなかった。何この可愛い女の子!! と、反射的に思い、とてもだらしのない笑みを浮かべながら「ンデッヘッヘヘェー」と奇怪な笑い声を発する。もう、お姫様に従事する身であることすら忘れ、見境なしである。


「もう!! いい加減にしてください!!」


 テイヤッ!! と言わんばかりの勢いとキレのある空手チョップが虹ヶ崎の額に炸裂した。テンッと乾いた音が鳴って、衝撃が加わった箇所がジワーンと熱を帯びてヒリヒリし始める。


「調子に乗り過ぎですよっ!?」


「あたたぁぁ~っ……、申し訳ございません……」


 チョップを食らった額をゴシゴシと撫でながら、ペコペコと平謝り。冷静さを欠いてしまったことに反省する虹ヶ崎。


「もぅ……、ばかっ」


 お姫様は頬を膨らませ、ふんっ!! と、そっぽを向いた。

 またその仕種がとても可愛く新鮮味があってたまらなくイイ。と、メイド虹ヶ崎は内心小躍りしてしまうほどに舞い上がっていたが、流石にもうそろそろ真面目にした方が良さそうだと察した。

 小さく咳払いを一つ。乱れているエプロンとメイド服の裾を整えながら姿勢を正して、両手を腰の前にちょこんと置いて浅くお辞儀をして、


「お召し替え、いたしましょう」


 普段通りのメイド虹ヶ崎に復帰。

 慣れた手つきでお姫様の着替えの準備を始めた。

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