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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

日常ギャング

 二十九人乗りのマイクロバスで一番後ろの席、その左の窓際に平次は座っていた。

 ずっと窓の外を見ていた平次はふと、前を向いた。

 ガイドもいないツアーバス。運転が下手な運転手。そして、わずかな参加者。

 とある会社がイチゴ狩りツアーを敢行し、平次はそれに参加したのだが、その危険性もあってか、参加者は平次含め三人しかいなかった。

 いや、三人でも多いぐらいだ。

 この世界に遊べるほどの余裕を持つ人間はごく一握りなのだから。

「…………」

 平次は運転手の荒い運転に顔をしかめながら、視線を外の風景へと戻した。

 国道沿いであるため、右を見ても左を見ても様々な店があった。

 ただ、そのほとんどが営業停止となっている。

 活気はない。

 道を通る人さえいない。

 けれど、活気がない街でも、活気があった頃を思い出すと、心が躍る。

 だから、平次はここを通るのが好きだった。

 しかし、現在においては素直に楽しむことは出来なかった。

 後ろを見ると、黒い車があったからだ。

 黒い車の助手席に座っていた男が窓から顔を出し、挨拶とばかりに、ハンドガンを二、三発撃ちこまれた。

 ギャングである。

「はぁ……」

 平次はため息を吐いて、バスの窓から身を乗り出し、ハンドガンで応戦するが、窓を貫通させることは出来ない。

 お返しとばかりにギャングからアサルトライフルによる弾幕が張られた。

「うっ! くっそぉぉぉぉぉ!」

 銃弾の嵐が吹き荒れる外に顔を出すことは出来ない。

 嵐が止んだとしても、ちっぽけなハンドガン一丁ではギャングの車を止められない。

 高火力の武器を使えば車を止めることは可能だが、身を乗り出したような不安定な姿勢では命中精度の悪い武器は使えない。

 うんうんと悩む平次の横で一台の軽トラックが通ろうとしていた。

「これだ!」

 平次は急いで窓を開け、弾幕の間隙を縫うように飛び出した。

 後もう少しで通り過ぎようというところで、軽トラックの荷台に着地した。

 その勢いのままに平次は携帯していたサブマシンガンを追っ手に向けて乱射する。

 ハンドガンの弾を防いだ防弾ガラスもサブマシンガンの弾丸を防ぐことは出来なかったようで、弾が運転手の頭を貫通した。

 コントロールを失った車は営業停止中のコンビニに突っ込み、爆散。

 見事、刺客を撃退した平次だが、その代償として、バスは行ってしまった。

 楽しいイチゴ狩りはもう出来ないのだ。

「はぁ、俺はいつ旅行に行けるんだか……」

 これで三十六回目の失敗。

 平次はずっとこの街を出られずにいた。

 街から出ようとすると必ず妨害に遭い、たちまち移動手段を失ってしまう。

 せめて、昔のように人がいてくれれば、それに紛れることも出来ただろうに。

 平次はサブマシンガンを路上に捨ててから、荷台の上に座って、コンビニから漏れ出る黒煙を静かに眺めた。

 ――このまま、どこまでも走ってくれるといいんだけど。

「そうはいかないか」

 キキィ、というブレーキ音が鳴り響き、軽トラックが停止する。

 あんな騒ぎならこの時代、いくらでもある。つまり、普通はこんなことがあっても、車を止めることはない。

 だが、その騒ぎの渦中にいた人間が自分の車の荷台に乗っているとわかったらさすがに止まらざるを得ない。

 誰も彼も面倒事に関わりたくなどないのだ。

 平次としても、面倒なことは御免なので、即座に荷台から降り、そそくさとその場を離れようとする。

「おい」

 すると、軽トラックから出てきた小太りした中年のおじさんが平次を呼び止めた。

 ――まぁ、逃げれるわけがないよな。

 平次は足を止め、振り返って、おじさんに返事を返す。

「何でございましょうか?」

「何って……わかりきってるだろうが! 人の車の上でおっぱじめられたら困るよ!」

「すいません、ちょっと追われてまして」

「んー? あんたまさか、日常ギャングか……?」

「生産性のない方ですけどね」

「そりゃあ、一般人って言うんじゃねぇか?」

「はは、確かに……おじさんと同じですね」

「……同じではないな」

「ん?」

 ――同じではない?

 そう疑問に思い、平次は聞き返すが、おじさんは答えてくれなかった。

 今日初めて会ったおじさんに深く追及するのもおかしいと思い、平次は軽く流すことにして、話を切り上げた。

「次から気をつけます」

「そうそう、次から気をつけるんだぞ」

 おじさんはうんうんと頷いてから、言葉を発した。

「じゃあ、銃刀法違反で逮捕するから」

「え?」

 手にガチャリと手錠がかけられる。

 おじさんは銃を取り上げてから平次を助手席に乗せて、ドアを勢いよく閉めた。

 そして、ドア越しにおじさんは言う。

「私は一般人じゃない。警察だ」


   *


 机が一つとパイプ椅子が二つに、警察官が三人。警察官の制服の青色以外は灰色を基調としている空間。

 そんな食欲のそそらない取り調べ室で、平次の前に七味唐辛子がかけられたうどんが置かれた。

「ほら、うどんだぞ? 食えよ」

「…………」

 向かい合って座っている警察官は木下という名前らしい。

 平次を逮捕したおじさんとは別の警察官である。

 現在、残りの警察官は成り行きを見守るだけで、何も喋らず、喋るのは木下だけという状況だった。

「アジトはどこだ? お前は日常ギャングなんだろう?」

「何の……ことだ」

 木下は中肉中背の男で、不釣り合いな笑みを顔に貼りつけていた。

 何も喋ろうとしない平次を前に、その顔がガラリと変わる。

「とぼけるな。身元は割れてるんだ! なぁ、日常ギャング『八味』の元リーダー、堺平次さんよぉ!」

 木下は立ち上がり、自分が座っていた椅子を蹴飛ばした。

 取り調べの様子を見守っていた他の警察官が息を飲んだ。

「…………」

 それでも平次は黙り続けている。

 木下は机の上に座り、平次の耳元で声を震わした。

「仲間割れ、だそうだな。悲しいなぁ? おい!」

「…………」

「なんか言えよ」

「…………俺は七味唐辛子が嫌いなんだ。うどんは美味しそうだから……作り直して一味唐辛子をかけてくれないか?」

 平次がようやく口が開いたと思ったら、出てきたのはそんな言葉であった。

 木下がスッと目を細めて、言う。

「どっちも一緒だろう?」

「一緒じゃないさ」

 平次はゆっくりと立ち上がる。

 その動きは木下の態度とは対称的で、木下の神経を逆撫でした。

 平次はそのことに気づかず、平然と話を続けた。

「一味唐辛子は唐辛子のみを使っているが七味は唐辛子と他六種類の薬味を使ってるから辛味がマイルドになってやがる。そんな物が唐辛子を名乗っちゃいけない」

「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって! 一味唐辛子なんざ辛くて食えやしねぇ! 七味唐辛子こそがどんな料理にも使える最高の調味料なんだよ!」

「俺が言ってるのはそんな物を唐辛子と呼ぶなってこった」

 突然、平次は木下の手によって床に倒される。

 木下は腰から抜いたハンドガンを平次の頭に擦りつけて、言った。

「なぁ、今すぐ死刑してやろうか?」

 ゾッとするほど冷たい声だった。

 本気で殺すつもりだ。

 こいつら警察は昔の警察とは別物である。

 市民の味方でも何でもない。

 人を処刑する権限を持ち、略奪の邪魔をする者を狩る無法共だ。

「アジトを吐け……吐かないなら、殺す」

 木下は引き金に手をかけ、キリキリと音を鳴らす。

 ――こんな危険な連中にあいつらを売るぐらいなら……。

「死んだ方がマシだ」

「よーし! わかったぁ! お望み通り殺してやる!」

 平次が死を覚悟した、そのとき、ドアを叩く音が聞こえた。

「ああ?」

 木下はイラついた顔でドアを見上げる。

 警察官の一人がドアを開けると、何かの器が乗っているお盆を手に持った女が中に入って、声を出した。

「うどんを届けに参りました」

 木下はハンドガンを腰に戻しながら、言葉を吐く。

「頼んでないはずだ」

「いえいえ、作り直して一味唐辛子をかけろという要望がございました」

 女は木下に近寄って、器の中身を見せた。

 それを見た木下が面白くない顔をする。

「誰か頼んだのか?」

 木下が他の警察官二人に訊ねた瞬間、すなわち、女から目を離した瞬間、女はうどんを木下の顔面にぶっかけた。

「あっつぅぅぅぅぅ!」

 木下が転げまわる間、女はすばやくハンドガンを腰から抜いて、警察官二人を射殺する。

 木下が復活し、腰に手を回して銃を抜こうとするが、女は既に照準を合わせており、一発の弾丸が木下の眉間を貫いた。

 床に広がっていくうどんの汁を見て、平次は呟く。

「……一味唐辛子?」

 女がフッと笑って、平次に手を差し伸べた。

「助けに来たわ。急いで」


   *


 今から十年前。

 略奪を主とする一つのギャングが存在した。

 最初はある思想を抱えただけの小さな小さな盗賊集団だったが、その思想の下に人が集まり、ギャングは統治機構と拮抗するほどの大組織と成り得た。

 当時、統治機構による政治は非道の一言に尽き、住民は革命を望んでいた。

 住民を味方にしていたギャングはこの望みを無視することは出来ず、統治機構に宣戦布告した。ギャングを快く思っていなかった統治機構はこれを受領し、二つの陣営による戦争が始まった。

 戦争は熾烈を極めた。

 世界大戦のような大規模な戦いではないが、多くの者が死んだ。

 やがて、ギャングは勝利し、略奪の道が世界の道となった。

 そこまでして、間抜けにもギャングは気づいたのだ。

 生産する者がいなければ略奪することは出来ない、と。

 かくして、ギャングから抜け出し、生産することを道とした者が現れた。

 その者達が集まり、結成した組織を人々は日常ギャングと呼んだ。

 それから五年の月日が経ち、日常ギャングが勢力を増し、生産物の幅が広がり始め、一味唐辛子の生産を行う日常ギャングまで出てきた。

 堺平次率いる日常ギャング『八味』の誕生である。

 仲間との厚い絆と、圧倒的な集団戦闘能力によって、たった四年で、『八味』は大組織となった。

 しかし、ある日、順調に思えた『八味』に陰りが見えた。

 つい先月入ったばかりの新入りがこんなことを言ったのだ。

「吉村さんが主導で、七味唐辛子を作るみたいなんです。俺は反対したんですが!」

 冗談ではなさそうな雰囲気であった。新人といえど、同じ仲間だ。

 仲間の言うことを全て信じてここまで成長した平次はこの言葉も真に受けることになる。

「……そうか」

 その日、堺平次は早退し、自宅でベッドに寝転がりながら思考を深めた。

 堺平次は七味唐辛子が嫌いだ。

 七味唐辛子の生産は止めろ、と言いたかった。 

 ただ、それを言ってしまえば、皆から嫌われるだろう。

 けれど、皆と七味唐辛子を生産することは出来ない。

 それなら、いっそ組織を抜けてしまった方が楽なのではないか。

 平次はその考えに行き着き、翌日、実行してしまった。

「皆には悪いけど、『八味』を……抜けようと思う」

 平次の言葉を聞き、『八味』の幹部である吉村という男が声を震わせる。

「な……どうして、ですか?」

「それは……」

 平次は手を震わしながら、ポケットから七味唐辛子を取り出す。

 一瞬の逡巡の末、手の震えは止み、平次は七味唐辛子の瓶をポケットに突っ込んで、言い放った。

「聞かないでくれ」

 こうして、堺平次は日常ギャング『八味』を抜けた。


   *


 取り調べ室から逃げ出した先はゴミが散乱する路地裏だった。

「どうして俺を助けたんだ?」

 平次は息を整えつつ、女に説明を求めた。

 助けるにもメリットという物が必要である。

 善意で助けられるほどの余裕は今の時代にはない。

「あなた、堺平次なんでしょ?」

「『八味』の元リーダーに用があるってわけか?」

 女は口角を上げて、笑った。

「そういうことよ」

「何をさせるつもりだ」

「一味唐辛子を主に生産する日常ギャング、『八味』は唐辛子の入手が困難となり、略奪を始めたわ」

 平次は目を大きく開き、言葉を漏らす。

「そんなバカな……ルートは確保しておいたはずだ」

「そのルートがギャングに潰されたみたいなのよ」

「……それは本当か?」

「私たちが調べた限りではね」

「あいつら……」

「話合いがしたいわ。あなたを助けたのはアジトの場所を教えて欲しいからなのよ」

「……聞いてることは警察と同じだな」

「その情報を聞いてどうするかは全く違うわ」

「そうだな」

 平次は目を閉じて黙考する。

 アジトの場所を教える、それが何を意味するか。

 皆に迷惑をかけるかもしれない。

 けれど、女の言うことが本当かどうか、確かめる必要はある。

「わかった……案内しよう」

 平次はスッと目を開けて、そう返答した。

 その言葉を受けて、女が含みのある笑みを浮かべて言う。

「そうと決まればさっそく行動ね。そうだ、護身用に持っておいて」

 手渡されたのは警察が持っていた物と同じリボルバー式ハンドガンであった。

 ――武器を渡されるということは、少しはこの女を信用してもいいのだろうか?

 そこまで考えて、平次はふと気づいた。

 まだ、女の名前を聞いてない。

「あんたの名前、聞いていいか」

 平次はハンドガンを懐に仕舞いながら、女に名を問う。

 女は口に手を当てて、少しばかり考えるようにしてから、口を開いた。

「理沙よ。天音理沙」


  *


 平次は理沙の車に乗って、『八味』のアジトまでやってきた。

 戦争の前から存在していた高層ビルを勝手に借りて、『八味』は運営されている。

 生産するための工場をアジトと呼ぶ場合が多いが、『八味』はいくつもの工場を有しており、それを統括するこのビルをアジトとして呼んでいる。

「ここがアジトなの?」

 隣にいる理沙がそう聞いてきたので、平次は歩きながら、短く答えた。

「ああ」

「そう……随分と大きな物ね」

「小さい組織ではないからな」

 自動ドアを抜け、エントランスホールに入ると、見慣れた光景がそこには広がっていた。

 開放感のある空間にはいくつもの観葉植物があり、茶色いソファーで待つことも出来るようになっている。特に、中央に置かれた大きな噴水は見てるだけで時間を忘れてしまう。

 一年間ほどここを離れていたが、ここの思い出は今も色あせることはない。

 ずっと思い出に浸っていたいが、そうもいかず、新人と思わしき受付に話を通し、待つこと数分。

 吉村が自慢のスーツを乱しながら、エントランスホールに姿を現した。

 平次が挨拶をするために立ち上がると、吉村は言葉を挟んだ。

「平次さん、戻ってきたんですね!」

「いや、戻ってきたわけでは……」

「そうだ! これ見てくださいよ!」

 吉村が懐から取り出した物、それは一味唐辛子だ。

 なのだが、少し蓋の形がおかしい。蓋の上部が従来の物よりも丸く大きくなっている。

「これがどうかしたのか?」

「蓋を開けてみてください」

「……?」

 平次は蓋を回し開けようとするが開かない。

 そこで、蓋全体を調べるとボタンがあることに気づく。

 ボタンを押すと、蓋の上部の球体が半分に割れ、その中身を明らかにした。

 開けても一味唐辛子を出す穴があるだけ、平次はそう思ったのだが、

「ん?」

 割れた球体の上半分、つまり、蓋の裏ににプラスチック製の小さなつまみを発見する。これに何か仕掛けがあるということだろうか。

 平次はチラリと吉村を見やる。

 吉村はただ微笑むだけだった。

「…………」

 平次は訝しげにつまみを回す。

 すると、あら不思議。穴が大きくなっていくではないか。

「これは……!」

「ふふっ……なんと出る量を調節できるんですよ!」

「すごいな!」

 唐辛子が全然出なくて何度も瓶を振った経験を活かしたというわけだ。

 これなら一振りで自分好みの味に出来る。

「ありがたくもらうよ」

 平次がそう言葉に出すと、吉村は目を滲ませた。

「俺達……平次さんが出てっからずっと一味唐辛子作って待ってんすよ。でも、受け取ってもらえる日が来るなんて、思って、なくて……」

 自分のことを待っていた。何も言わずに組織を抜けた元リーダーに対してここまで思ってくれている。

 そのことを素直に喜びたい平次だが、その表情には険しさがあった。

 吉村の発言に不可解な点があったからだ。

「どういうことだ? 七味唐辛子を作ることになったんじゃ……」

「へ? ああ、それは平次さんが嫌がるから止めようって話になったじゃないですか。というか、何で平次さんが知ってるんですか?」

 ――何だって?

 平次が『八味』を抜けたのは七味唐辛子を作るという話を仲間から聞いたからだ。

 ――それが虚偽だった?

 後頭部に不快な感触がすると共に、背後から聞き覚えのある女の声が発せられた。

「手を上げて、銃を捨てなさい」

「…………なーるほど、そうきたか」

「平次さん!」

 平次の顔に一筋の汗が流れた。

 これは非常にまずい事態だ。

 ここは『八味』のアジト。それなりの防衛設備は整っている。

 しかし、平次がこの場所に立っていると、後ろにいる理沙は無力化出来ない。

 そして、理沙が平次をすぐに殺さないのは仲間が来るのを待っているからだろう。

 つまり、時間を稼がれたら終わり。

 ――何とかしなければ。

 平次は隙を見つけるべく、理沙に話しかけた。

「あんた、日常ギャングじゃなかったのか?」

「当たり前でしょ? 何で私がせっせと何かを作らなきゃいけないのよ 欲しい物は奪った方が早いわ」

「なるほど、まさにギャングだ」

 ――理沙の、この自信は何だ?

 服が汗をジットリと吸う。

 普通に考えたら不利なのはむしろ理沙だというのに、理沙は落ち着いた口調で言った。

「本当に甘い連中よね」

「どういう意味だ?」

「あなた達、人は殺さないなんてルールがあるらしいわね」

「…………『八味』の皆はお前らのようなギャングとは違う」

「それが甘っちょろいのよ! だから、こんなことになってるんじゃない」

「それは関係ないだろ」

「関係大アリよ。事実、私を殺せないからあなた達は何も出来ない」

「…………」

 理沙は母親のように優しい声音で言った。

「ねぇ、最後だから教えてあげる」

「何だ?」

「あなたを排斥し、七味唐辛子を生産することが秘密裏に決定した。あなたは仲間からその情報を与えられた。そうよね?」

「ああ……だから俺は」

 組織を抜けたんだ、その一言を平次が発する前に、理沙はこれまで悩んでいたことを全て吹き飛ばすような言葉を口にした。

「その大事な大事なだーいじな仲間は……私の部下なの」

「は?」

「混乱させることだけが目的だったんだけどね。まさか組織を抜けるなんて……あなたって本当に面白いわ」

「全部あんたが……」

 理沙はクスリと笑って、低い声を発した。

「でも、あなた結構しぶとかったわね」

「あんたのところの戦闘員が弱かっただけさ」

「そうなのよねぇ。そこがネックなの」

 女は銃口をゴリゴリと平次の頭に押しつけ、唇の端を吊り上げて笑った。

「でも、この作戦が成功すれば、解決するわ」

 ――ああ……してやられたな。

 どうして、皆と向き合わなかったんだ。

 たった一人の仲間によってもたらされた情報をどうして、信じたんだ。

 組織は一人で成り立っているのではない。

 仲間を信じるけれど、それは仲間一人ではなく、皆を信じるべきなのだ。

 それをわかっていなかったがゆえに、日常を壊されてしまった。

 結局のところ、組織を抜けたのは平次の意思でだ。

 自分の弱さがこんな事態を招いてしまったのは事実なのである。

 しかし、そうだとしても、そうなるように仕向けた理沙を、平次はどうしても許せなかった。

 ――お返しはさせてもらうぞ、理沙!

 平次は先程もらった一味唐辛子を取り出し、背にいる理沙に見せた。

「最後なんだ。いいだろう?」

「…………」

 理沙は良いとも悪いとも言わなかった。

 平次は沈黙を肯定と受け取り、蓋を片手で開け、その匂いを嗅いだ。

「ああ、やっぱり一味唐辛子だ……」

「満足したかしら?」

「ああ、もう十分だ」

 平次はそう話すと、一味唐辛子を顔の横から後ろに向けて振った。

 振った方向は理沙の声が聞こえた方向だ。

 大量の唐辛子が理沙の顔にかかる。

 その瞬間、平次は瞬時に身を屈めた。

 ガチッという引き金を引く音が聞こえ、頭上を一発の弾丸が通過する。理沙が発砲したのだ。

 平次は肝を冷やしながらも、二発目が射出される前に理沙の腕を掴み、理沙を組み伏せた。

 そこから、平次は理沙の銃を奪い、優しく言った。

「どうだ? 『八味』自慢の一味唐辛子は辛かっただろ?」

 理沙は何も答えない。

 ただ力いっぱい目をつぶるだけだ。

 その様子を見た平次は理沙を手放し、一歩、二歩と後ろに下がった。

「ぐ……うぅ」

 理沙は唐辛子が目に入り、大変辛そうだが、楽をさせてやることは出来ない。

「悪いな、俺達『八味』は」

 平次は銃を構えて、しっかりと狙いを定め、

「人を殺せないんだ」

 理沙の両足を撃ち抜いた。

  

   *


 ギャングがこの世界を支配するようになってから、警察とは名ばかりで、警察は警察としての役割を果たさなくなった。

 そのため、日常ギャングから有志を募り、昔の警察の役割を担う対ギャング組織『日常委員会』が結成された。

 無力化した理沙をそこに引き渡す、その手続きのため、平次は依然として『八味』のアジトにいた。

 『日常委員会』に通報すると、二時間後に回収を来るとのことで、平次はそれまで待つことになったのだ。

 その間、騒動を聞きつけて、『八味』の全メンバーがエントランスに集合したのだが、誰も口を開こうとはしなかった。

 当然、なのかもしれない。

 ようやく新たなリーダーとスタートを切ったのに、自分勝手に出て行った元リーダーがそこにいるのだから。

 通報してから、一時間が経過しようとしていた頃。

 沈黙に耐えかねたのか、吉村が理沙に関する情報を平次にもたらした。

 その情報を聞いた平次は荷物を確認しながら、聞き返した。

「ギャング『女狐』?」

「ええ、リーダーの理沙が狡猾でして……戦闘力はないものの、あらゆる手でのし上がってきたギャングなんですよ」

「狐ね……あの女にはもったいない名前だな」

「はは、そうっすね」

 吉村が笑うと、皆も笑った。

 懐かしい雰囲気だった。

 平次が『八味』でリーダーをしていた頃から何も変わってない。

 ――これだから、ここは好きなんだ。

 ずっとこのままでいたい。平次はそう願った。

 しかし、その雰囲気が自分を中心として作られていることに、平次は罪悪感を覚え、場が凍りつくような発言を放ってしまう。

「ま、騙されていた俺が言うのもおかしいがな…………」

「…………」

 吉村が黙ると、皆も黙った。

 ――これでいいんだ。

 さっきよりもずっと出て行きやすい。

 平次は無言のまま踵を返す。

 誰も引き留めれる空気ではない。

 これが一番なのだ、と平次は自分に言い聞かせ続け、そのままアジトを出ようとしたときだった。

 吉村が平次に静止の声をかけた。

「平次さん、待ってください!」

「どうした?」

「俺の方こそ聞きたいです。どうしてなんですか?」

「どうしてって何がだ?」

「誤解は全て解けました。なのに……平次さんは出て行くんですか?」

「…………」

 平次は吉村からもらった一味唐辛子を懐から取り出した。

 理沙との戦いで中身がほとんど残っていないそれは吉村がリーダーとして成した偉業であり、吉村がリーダーとして皆に認められた証拠だ。

 皆が吉村に付いて行っているのはこれを見てわかっていたことだが、実際に目で見て平次は確信する。

 『八味』に平次は必要ないのだ。

 その事実で、平次は安心感と寂寥感が入り混じった何とも言えない感情に支配された。

 何と言えばいいのかわからない。

 正解などわからないままに平次は思いついたことを口にする。

「お前一人で何とかなってたじゃないか」

「何とかなってないですよ……平次さんが出て行ってから何度崩壊しかけたか、わかりますか!」

「……!」

「平次さん、戻ってきてくださいよ!」

 吉村が叫ぶと、皆もそれに続いた。

 けれど、ただ吉村に便乗するのではなく、一人一人が自分の言葉で訴えていた。

 その言葉を受けて、自分が必要ない人間なのだと卑下することは出来ない。

 だから、平次は最後の足掻きをした。

「皆……だが、俺は敵に踊らされて、勝手に出て行ったんだぞ?」

 平次の、子供のような発言。

 それを吉村は「関係ないですよ」と切って捨てた後、言葉を重ねた。

「そんなことがあっても、皆、平次さんに戻ってきてほしいと思ってるんです。『八味』はやっぱり平次さんがいてこそですから」

「…………そうか」

 平次はほんの少しばかり残っていた一味唐辛子を全て飲み込んで、呟いた。

「この一味唐辛子は本当にすごいな。本当に……辛い」

 平次は辛い物が好きである。

 つまり、辛い物にはある程度の耐性があるのだ。

 しかし、『八味』が思いを込めて作り出した一味唐辛子はそんな平次が涙をこぼすほど、辛かった。


   END

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