そして舞台が始まる
私が社交界デビューして初めて参加する夜会は、アルヴァン様の親友のオスカー・ヘンドリック様の家で開かれるものだった。初めての夜会は緊張するだろうから、知り合いの所で開く夜会が良いだろうと、前もってオスカー様が計画してくださったのだ。
オスカー様はアルヴァン様と同級生で、よく学校の長期休みにはアルヴァン様と一緒にグラーツ家の領地に遊びにきていた。だから私も何度もアルヴァン様の家でお会いしていて、名前で呼ばせて頂けるほどには親しくさせて頂いている。
黒髪黒目で落ち着いた雰囲気のあるアルヴァン様と違って、オスカー様はなんというか……赤味がかった金髪で琥珀色の目がとんでもない程の色気を含んでいる、女性に大人気の方だ。アルヴァン様が言うには、オスカー様がモルガン公爵家のマリエル様と婚約した時には、適齢期の令嬢全てが涙したそうである。
もちろん私の婚約者のアルヴァン様のオスカー様に負けず劣らず素敵な方なのだが、社交界に出るようになった時にはもう私と婚約していたので、令嬢たちの視線はまだ婚約者のいないオスカー様だけに向いていたのだろう。
そういえば、オスカー様の婚約者のマリエル様とお会いするのは初めてだわ……。
マリエル様は去年社交界にデビューされていて、薔薇のように美しいと評判の方らしい。去年の社交シーズンの終わりにオスカー様と婚約されたのだけれど、オスカー様は政略的なものだけどね、なんて言ってらした。
公爵家ともなると、なかなか自分だけの気持ちでは結婚相手を決められないのかもしれないわね。
まあ私とアルヴァン様も政略結婚には違いないのだけれど。でも、お互いに愛し合っているのだから、世間で言う政略結婚とは違うわよね。
そんな事を考えているうちに、グラーツ家の馬車がヘンドリック公爵家の王都屋敷に着いた。さすがにヘンドリック家は筆頭公爵家だけの事はある。夜会が開かれる屋敷も、王都にいる間だけのものとは思えないほど、絢爛豪華で壮麗だった。
先に馬車から降りたアルヴァン様が、私に手を差し出してくれる。
「メリーベル、手を」
「ありがとう。アルヴァン様」
さあ、これから初の夜会よ。アルヴァン様に恥をかかせないように、淑女らしく振る舞わないと。
なんて返事した舌の根も乾かない内に、あまりにも豪華なお屋敷の内装にポカンと口を開けてしまう。慌てて扇で隠したけど……アルヴァン様に見られちゃったかしら。
チラリと背の高い婚約者様を見上げると、笑いをかみ殺すような表情をしていた。
ううう……。やっぱり見られてたぁ。
どうも私は感情が顔に出過ぎてしまうみたいで、いつもナマーの講師に注意されてしまうのよね。こんな事じゃ、アルヴァン様の婚約者として失格だわ。
私はコホンと咳ばらいをすると、にっこり微笑んだ。
「初めての夜会で緊張しましたの。さあ、行きましょう」
「仰せのままに、お姫様」
クスリと笑われたのは分かったけど、そちらを見ないでツンと顔を上げる。淑女、淑女。私は淑女。
フロアに着くと、そこは光の洪水で溢れていた。たくさんのシャンデリアが、キラキラと煌めいて反射している。その下で笑いさざめく紳士淑女に、私も大人の仲間入りをしたんだと、訳もなく感動してしまった。
アルヴァン様は迷いのない足取りで、オスカー様の所へ挨拶に行った。すぐに気がついたオスカー様の方から私たちに近づいてくる。
「オスカー。今日はお招きありがとう」
「アルヴァンとメリーベル嬢。よく来てくれたね。今日は楽しんでくれたまえ」
通りすがりのウェイターからカクテルを受け取り、それをアルヴァン様に渡す。それからオスカー様は私の姿を見て、ほんの少し目を見開いた。
「これはこれは。見違えるほど素敵なレディーになったね。もうすっかり大人の仲間入りだ」
にっこりと微笑む姿に、周りの令嬢たちからため息がもれる。
まあ、確かにその気持ちは分かるわ。オスカー様ってとんでもなく整った顔をしていらっしゃるもの。まるで物語の王子様のようよね。……もっとも、私はアルヴァン様のような私だけの騎士って感じのストイックな貴公子の方が好きだけれども。
いや、でもちょっと待って。アルヴァン様が王子様のような姿だったらどうかしら……
あら。それはそれで素敵な気がするわ。
「―――では、どうかな」
オスカー様に話しかけられて、ハッっと我にかえる。
いけないいけない。アルヴァン様の事になると、ちょっと意識が逸れてしまうのよね。気をつけなくちゃ。
「……またアルヴァンの事でも考えて妄想していたね?」
「また、っていう表現はどうかと思いますわ」
「ではアルヴァンの事は考えていなかった?」
「―――オスカー様は意地悪です……」
子供っぽいって分かっていながらも、ぷいっと横を向いてしまう。
オスカー様って、たまに意地悪だわ。
「俺の婚約者を、そういじめないでくれないか?ああ、そうだ。今日はマリエル嬢にメリーベルを紹介したいと思っているんだが」
「そうだね。メリーベル、私の婚約者は少し気が強い所があるから、もし何か言われたらすぐ私に言って欲しい」
「は……はい……?」
何か言われる、って……何を言われるんだろう?というより、マリエル様と私って、特に繋がりは必要ないような……?
ああ、でも夫同士が親友だから結婚後もお付き合いができるのかしら。だったら向こうは公爵家の方だから、私の方が合わせないといけないわよね。
「ここで待っててくれないか。呼んでくる」
オスカー様が立ち去ると、アルヴァン様が身体を屈めてそっと耳元でささやいた。
「マリエル嬢は少しばかり悋気持ちでね。他の令嬢が少しでもオスカーに近づくと大変な事になるんだ。もっとも君は俺の婚約者として紹介するから、大丈夫だとは思うけど」
「もちろんですわ、アルヴァン様。私はアルヴァン様以外の方には全然心を魅かれませんもの」
胸を張ってそう宣言すれば、優しい微笑みが返ってきた。ああ、幸せです……。
「うん。それは知ってる。だから安心してオスカーにも会わせられるんだ」
ああ、まあね。オスカー様って何とも言えない色気がありますもんね。婚約者がいてもフラーっとよろめいてしまう令嬢もいそうだわ。私は絶対そんな事ないけど。
そんな会話をしているうちに、オスカー様が戻ってきた。一緒に腕を組んでいる令嬢がマリエル様だろう。流行のドレスに身を包んで、豪華な金の巻き毛と海のように青い瞳を持つ、高貴な令嬢だった。
オスカー様と並ぶその姿は本当にお似合いの美男美女で、ついつい見とれてしまうほどだ。
「待たせたね。マリエル、こちらが私の親友であるアルヴァンの婚約者のメリーベル・シュタイン伯爵令嬢だ。私も小さい頃から知っている娘で妹のようにも思っているから、仲良くしてやって欲しい。メリーベル、こちらが私の婚約者のマリエル・モルガン公爵令嬢だ。社交界の先輩として、分からない事は教えてもらうといい」
「お初にお目にかかりますわね。私はオスカー様の婚約者で、マリエル・モルガンと申します。メリーベルさん……と、お呼びしていいかしら?これからよろしくお願いいたしますわね」
「はい。メリーベル・シュタインと申します。今年デビューしたばかりなので、色々と教えてくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします」
お辞儀のお手本のような優雅な礼を見せられて、私も慌てて挨拶を返す。
やっぱり公爵家の方ともなると、所作の美しさも段違いだなぁ。我が家は伯爵家と言っても、元々が武家の出なので、領地ではこういった優雅さとはほど遠い生活を送っている。み……見習わなくっちゃ。
「メリーベルさんは、グラーツ候の婚約者でいらっしゃるのよね?」
「はい。私が六歳の時に婚約いたしました」
なんだか早速、オスカー様に気があるのかを探られている感じがしたので、アルヴァン様に大好き視線を送ってみる。すると、いつものごとく苦笑が返ってきた。
照れないで、たまには甘く微笑んでくれてもいいのになぁ。
視線を戻すと、マリエル様の隣でオスカー様が無駄に甘く微笑んでいた。むう。見たいのはそっちじゃないのに。
そんな私の態度を見たからか、マリエル様の雰囲気がなんとなく柔らかくなった。
なんていうか、本当にオスカー様の事がお好きなのね。政略的な婚約で結ばれた相手を好きになった者同士で、仲良くなれるかしら―――
そんな事を考えていたら、楽団が音楽を奏で始めた。舞踏室との境のドアが開け放たれ、大きな鏡をふんだんに使ったダンスフロアが姿を現した。
まあ、なんて素敵!
煌めくシャンデリアに大きな窓にたくさんの鏡。鏡にシャンデリアの灯りが映されて、まるで無限の回廊に見える。
ヘンドリック公爵夫妻の合図と共に、今夜の夜会が始まった。私はアルヴァン様と、マリエル様はオスカー様と腕を組んでダンスフロアへと足を進める。
最初のダンスは婚約者と踊るのが通例だ。
アルヴァン様のパートナーとして、初めて踊るこのダンスは、私にとって思い出に残るダンスだった。
三曲続けて踊った私たちは、ちょっと疲れて軽食のできるフロアに戻った。飲み物だけなら立ったままダンスフロアで頂けるけど、正直、初めての夜会で三曲も続けて踊った私は、少し座りたかったのでオスカー様の提案には感謝した。
そこから舞台が始まるのだと知っていたなら、ずっとずっと夢心地のまま踊っていたかったのに……