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運命の幕が上がる

 人が恋に落ちる、その瞬間を見た。

 何気なく巡らされていた視線が、その瞬間、時を止めた。ハッっと息を吸い込む音が聞こえて、足が止まる。ほんのりと色づく耳元。そして、見開く、漆黒の瞳。

 その視線の先にいた人が、ゆっくりと顔をめぐらし、まるで芸術家の手になるような完璧な美貌が露わになった。黄金のような輝きを持つ金の髪。白磁のような白い肌、咲き始めの薔薇のように可憐な唇。

 伏せていた瞳が、真っすぐにこちらを射抜く。濡れたように潤む、美しく蒼い瞳。

 そうして、ゆうるりと、たおやかに微笑んだ。


 きっとその瞬間に、心を囚われたのだろう。


 恋に落ちたその人は、私の婚約者で―――

 彼の視線の先にいるのは、私ではない別の女性だった。







「ヘレナ、ヘレナ。この髪型は、おかしくないかしら?」


 何度も何度も鏡を見返すけれど、自分では頭の後ろが見えないので、どういう仕上がりになっているのか今一つ確認できない。だから心配になって聞くのに、メイドのヘレナはいつもと変わらない平坦な声で返事をした。


「ええ。お嬢様の美しい栗色の髪に、アルヴァン様から頂いた髪飾りはとても似合っていらっしゃいますよ」

「もう。ヘレナったらも少し親身になって私の質問に答えてくれないかしら?返事がおざなりすぎるわ!」


 ぷぅっと頬をふくらませて抗議すると、ヘレナがその頬をつんとつついた。

 私専属のメイドとはいえ、分家筋の娘で五歳年上のヘレナは、小さい頃から一緒に育ってきて今では姉妹のように仲が良い。もちろん他の人の目があるところではこんな風に気安く接する事はできないけど、私達しかいない部屋の中では昔と同じようにして欲しいとお願いしているのだ。


「でもお嬢様。さっきから何度も聞かれておりますので、答えるのにも飽きました」

「そんなに何度も聞いてないわよ」


 二、三回だと思うわ。たぶん。


「いいえ。先ほどから数えておりましたが、これでもう十七回目です」

「え……あら。そんなに?」

「さようでございます」

「でも気になるんだもの。アルヴァン様に頂いた髪飾りを初めてつけるのよ?ねえ、ヘレナ、おかしくないかしら?」

「十八回目の質問でございますね、お嬢様」

「もうっ。ヘレナの意地悪っ」


 くすくすと笑われて、かわかわれていたのに気がつく。


 だって仕方ないじゃない。子供の頃からの婚約者とはいえ、やっと私が成人して、二人で一緒に行く初めての夜会なんだもの。

 デビュダントの時のダンスのエスコート役はお父様だったから、アルヴァン様のエスコートは初めて。お慕いしている方の初めてのエスコートに、そわそわして緊張してしまうのは仕方ないわ。


 アルヴァン・グラーツ様は私より六歳年上の二十二歳で、侯爵家の跡取りである。わがシュタイン伯爵家とは、領地が隣同士という事もあって、お互いが子供の頃から交流があった。二つの家では境界地の事で無用な争いを避けるために度々婚姻が行われていたから、アルヴァン様は幼馴染で親戚のお兄さんみたいなものだった。

 ここ数代は両家の間で婚姻は行われておらず、それゆえに、少し年が離れてはいたものの、十年前の私が六歳の時にアルヴァン様との婚約が結ばれた。


 その頃の私はまだ子供で婚約が何を意味するのかも分からなかったけれど、寄宿学校から長期休みの度に領地に戻ってくるアルヴァン様はどんどん凛々しい殿方になっていって―――。


 いつの間にか、私はあの方に恋をしていた。


 私にとって幸運だったのは、恋した相手が親の決めた婚約者であったことだろう。アルヴァン様への想いを隠す必要もなく、会うたびに幸せな気持ちになった。

 アルヴァン様の黒い瞳にも私への想いがこめられていて、私たちはきっとこのまま幸せな夫婦になるのだと思っていた。


「きっと着飾ったお嬢様を見て、グラーツ様も惚れ直しますね」

「そうだといいんだけど……」

「初めての夜会へ一緒に行く為に家に迎えに来た時に、まだまだ子供だと思っていたお嬢様がいつの間にか立派な淑女になっていたのに遅ればせながら気がついて、一瞬で心を奪われるのですわ」

「……ヘレナ。それはどこかの恋愛小説の受け売りでしょう」

「まあ。お分かりになりました?今一番流行っている小説の内容なんですよ」

「そう、なの。……それは、まあ、素敵ね」


 普段はヘレナほど恋愛小説にのめりこまないけど、まるでアルヴァン様と私のような設定のお話なら、一度は読んでみなくちゃね。

 べ、別にそれを参考にしたいって訳じゃないのよ。ほんとよ。


「でも本当にお嬢様の今日の装いを見たら、グラーツ様も驚かれるでしょうね」


 そうかしら?そうだといいんだけど。

 姿見に写る自分の姿をじっくりと見る。今日はデビュダント以来の初めての夜会だから、お母さまがはりきってドレスを作ってくださった。薔薇色のシフォンのドレスはふんわりとふくらんでいて、裾のほうは幾重にも生地が重ねられていて、まるで本当の薔薇の花のよう。少し開いた胸元にはアルヴァン様の瞳の色と同じ、黒真珠を一粒だけ使った意匠の水晶のネックレスをつけている。

 薔薇色のドレスに黒の色を合わせるのは少し大変だったけど、婚約している間柄の場合、相手の持つ色をまとうのが、最近の流行なのである。


 いつもそのまま降ろしていた栗色の髪はハーフアップにまとめられて、アルヴァン様から今日の日の為に贈られた髪飾りで留めてある。髪飾りには私の瞳の色である、青い宝石が使われていた。

 顔にはほんの少しメイクをしていて、頬は薔薇色になっている。少し不安げな青い目が、じっと私を見返していた。


「本当に?アルヴァン様もそう思ってくださるかしら」

「ええ、もちろんですとも。今日のお嬢様は間違いなく、会場で一番お美しいと思いますよ」


 それは言い過ぎじゃないかしら、と思ったけど、ヘレナは真剣にそう思ってるみたいなので、あえて訂正はしなかった。


「でも、他の誰が美しいと思わなくても、アルヴァン様だけが美しいと思ってくださったら、それでいいわ」

「もちろん、そうなりますとも」


 その言葉の通りに、迎えに来てくださったアルヴァン様は、初めて見る私の大人びた装いに目を見張っていた。そして柔らかく微笑んで


「いつもは可愛らしいと言ってたけど、今日は美しいと賛美しないといけないな」


 なんて言ってくれたものだから、もう天にも昇る気持ちになって舞い上がっていた。


 ヘレナの言っていた小説のように、心を奪われてくださったのかしら―――

 そうだったらいい、と思った。

 私が恋してるように、アルヴァン様も小説のヒーローのように熱のこもったまなざしで、私に愛を囁いて欲しい。


 王都の屋敷に仕える見送りの者たちに挨拶をして、アルヴァン様のエスコートでグラーツ家の馬車に乗って夜会へと向かう。

 馬車の中で隣り合って座るアルヴァン様の端正な横顔をちらちらと見ながら、私は初めての夜会に胸を躍らせていた。







 ―――運命の幕が上がった事にも気がつかず。

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