清廉なる歌姫
海が綺麗で港町だからか活気づいている。
漁業が盛んで、町の人たちも何と言うかこう……そう、騒がしい人達。
子供達は朝から晩まで海で遊び、その町のセレブ様達は表通りでショッピングやなんかを楽しんでいる。
裏通りは裏通りで皆それなりに楽しんでいる様子。
おじさん達は下品でどうしようもない人たちだけど、なんだかんだで良い人たちだし、おばさん達も口は悪いけど気の良い人達。
まだまだ全然貧富の差は縮まらないけれど、そこまで治安の悪くない町が私の長年住んできた町だ。
私と同じ年くらいのセレブ様達は皆楽しそうにショッピングをしているが、残念ながら私はセレブ様ではない。
セレブ様は女が仕事を持つだなんてと私のような身のものをまるで虫けらを見るような目で見てくる。
セレブ様と対等に喧嘩をして勝てるとは思っていないけど、そんなことをあからさまに言われるとちょっとムッとしてしまう。
もう少し若かったら殴りかかってたかもしれない。その度におじさん達に止められていたけど……
「ふぅ……綺麗ね」
丘まで駆け上がるとこの町が一望できる。既に漁師のおっちゃん達が忙しそうに走り回るのが見える。
私の仕事は夜の仕事だからなんだか昼にお仕事するのも憧れてしまう。
私は仕事場である裏通りでは一番大きくて人気な歌劇場で歌を歌わせてもらっている。
私は仕事が終わるとそのまま楽屋で仮眠をとらせてもらい、この丘に行き、そして家に帰る。
台風や大雨がこない日を例外とすれば皆勤賞なのだ。
「さて! また夜頑張らないと!」
私は頬を両手でパンッと叩いて気合を入れる。
「セーレお疲れ様、素晴らしい歌声だったよ」
後ろを振り替えると、この時期に珍しくコートを着ていて、反対側の顔だけを覆った仮面をつけている。
片側の目がすごく印象的で、燃えるような紅い目をしている。
私は一瞬だけ魅入ったが、すぐに繕う。
その男性を私、セーレは知らない。勿論気味悪く思ったがそんなことを相手に見せる程若くはない。
「あらありがとう、始めての方かしら? 見かけないけれど」
「まあ……そうだね」
俯きながら彼は言った。
「中々良いお店でしょ? 裏通りでも品がある人達……兵士様や貴族様も来るから比較的華やかなのよ」
私はにこやかに笑うが、仮面の人は淡々とした表情で「そうなんですか」と言った。
この人会話する気あるのかしら。
今まで会った人の中にも口下手な人はいたけど、話をふると皆が口下手なりにも必死に話そうとしていた。
けれどこの人はただ私の顔を見ているだけで、会話をしようという気はないように見える。
「それじゃあ私はそろそろ帰るわね、今日の夜も来てくれると嬉しいわ」
私はそれだけ言ってそそくさと彼の横を通り過ぎようとしたが、彼はそれを阻む。
「これ、君にプレゼントだ」
そう言って私の手に細長く、上質な包装をされた物を渡された。
「気持ちは嬉しいんだけど、お客さまからのプレゼントは受付を通してからという約束があるのよ」
「それは歌い手としての君じゃなく、セーレ・ヘルダへのプレゼントだ」
紅く燃えたような目に私は拘束されたような気になる。
彼の紅い目には私が写されている。この町では少し珍しい彼と同じ黒の髪に碧眼。
彼の顔は半顔だけどよく見ると整っていることが伺える。
それに比べて私は全くもって普通の顔だちだ。トーク能力がなければ私は劇場でも使えない人間だっただろう。
結局私は彼から頂いたものを突き返すことはできなかった。
**********
家へ帰って化粧を落とし、服を仕事用ではなくラフなものに着替えてようやくベッドに寝転がることができた。
眠りにつきそうになったが、私は仮面の方から頂いた包みを思い出した。
ベッドから飛び起きると、机の上に置いておいた包みを慎重に開ける。
中には豪華そうな青い薔薇をモチーフにしたチョーカーが入っていた。
「…………素敵だわ」
私はチョーカーを様々な方向から見る。私の好みのデザインで思わず飛び跳ねてしまう。
今までもプレゼントは少なくないくらいには貰っていたが、貴族特有の豪華なだけのものを散りばめたものだったり、私の好みではなかった。
しかし、このチョーカーは高級なものには変わりはないだろうが、ゴテゴテはしていない。
私はチョーカーを握りしめたままベッドによたよたと歩き、すぐに眠りについた。
**********
目を覚ますと既に太陽は隠れていてそろそろ夜になりそうな時間帯になっていた。
私は怠い体に鞭を打ち、顔を洗い、髪を梳かして、派手な服に着替える。そしてもう一度三面鏡で確認してから家を出た。
本職である劇場で歌い手をする前に、私は海の近くの喫茶店で歌を歌わせてもらっている。
喫茶店で歌うこともあれば、海の海岸で歌ってくれと頼まれることもある。
それは海の魔女として恐れられているセイレーンのふりだ。
ふりと言っても夜遅くまで海に居る子供達に対しての戒めである。
私は普段は好き好んで通らない表通りを通って仕事先へ向かう。
今日は一年に何度かしかないメール市の日だ。
朝は貴族様がいつもよりも多くて是が非でも行きたくはなかったが、夕方近くなると人はぐーんと減る。
そしてその頃を見計らって普段は見れない貴重なものを見たり購入したりするのだ。
仕事までの時間もまだまだ余裕があるので少しくらい見てもいけないということはないだろう。
「あ、あの人……」
私は仮面を付けた男性を前方に居ることに気がついた。
こんなに暑いのにも関わらずにコートを着こんで、白の仮面を付けた異様な男性だ。
「ね、ねえ! 待って」
私は走って彼の腕を掴んだ。振り返った彼は半顔でも分かるくらいに驚愕している。
「?! セーレ?」
「今朝方振りね、頂いたチョーカーとても気に入ったわ、ありがとう」
チョーカーのお礼を言うと、彼は驚いた顔を少し緩め、赤らめながら言う。
「気に入ってくれて何よりだ。…………付けてはくれないんだな」
「仕事の時はね、なるべくお客様から頂いたプレゼントは身につけない決まりなのよ」
「そうか…………」
彼は残念そうな顔をして顔を俯かせるが、私も残念な気持ちだ。
本当は今すぐにでも付けたいくらいに気に入っている。
「そうだ、私これから仕事なのだけど、時間に少し余裕があるから貴方にお返しをしたいのだけど」
「お、俺に!?」
「ええ、勿論都合があるのなら諦めるけれど」
「いや、予定はない。あったとしても後に回す」
ハッキリとした口調で彼は言った。彼は話す時にじっと私の目を見てくるのでかなり恥ずかしい。
私も負けじと微笑みながら彼を見つめると彼は視線を逸らした。
すると、何かに気がついたように私を凝視して、彼は自分の着ていたコートを脱ぎ、私に羽織らせた。
「えっと……何?」
「な、何て格好をしているんだ…….仕事なら仕方がないとしても……いや、仕事ですらこんな格好」
ぼそぼそと何かを言っているが聞き取れない。
「暑い…….」
「我慢をして。どこか涼しそうな喫茶店にでも行く」
手を引っ張ってずんずんと進んで行く彼、何だか子供の頃を思い出してしまう。
そういえばこの裏通り地域にも昔は貴族様が遊びに来ていたりしたな……今は貴族様達も裏通りの住人を毛嫌いしているし、裏通りの人達も貴族様を毛嫌いしている。
何でなのかなとも思ったが、貴族様の気持ちなんか庶民が分かるはずもなく、庶民の気持ちを貴族様が分かるはずも無かったのだ。
「ここでいいか?」
ここは丁度表と裏の真ん中にあるカフェで、私もよくここに来る。
裏通りの方が気軽だけど、表通りで仕事がある日はここを贔屓にさせてもらっている。
なるべく表通りのカフェなんかは行きたくない。こんな露出の多い格好をしていては裏通りの人間だと気づかれる。
それだけならいいけれど、ヒソヒソと聞こえるんだか聞こえないんだか分からない声で言われるのが嫌なのだ。
「意外ね、貴方もよくここに来るのかしら?」
「まあ、最近はここに来るな。表通りの雰囲気は好まないし、裏通りの店に入るのも……目立つからな」
確かに。こんな分厚いコードを着て仮面なんて付けていればどちらでも注目されるに決まっている。
今その変なコートは私が着ているから中の服が丸見えなわけだが、中の服はかなり上質そうなシャツを着ていた。
髪の色と比例するように白いシャツに白い肌。
体もコートの上からでは分からなかったが、細身なのに引き締まっている。
「あ……えっと……は、入るぞ……」
体をジロジロと見る私の視線に気がついてか顔を私から背けながらカフェの中へ入った。
カランカランと小気味の良いベルの音がなり、店の中に入るととても過ごしやすい気温だった。
人は私たちを含めて四人くらいだろうか。
ふと奥を見ると彼が座りながら手招きをしている。
席につき、私はすぐにコーヒーを頼み、彼はココアを頼んだ。
私は「ココアを男性が飲むなんて珍しいのね」と言ったら彼は「コーヒーは苦いから……」と小さい声で言った。
思わず彼の可愛らしい理由に笑ってしまう。
今日の朝に会った時は怖さが八分くらいだったのに、今はこんなに可愛いと思える。
彼には凡そ人間らしさなんてないと思っていたというのにどうだろうか、彼は照れたり、怒ったり、怒鳴ったり、こんなにも人間らしさがあった。
そんなの当たり前と言われればそうだけど、私はそんな彼のことを少なからず気になり始めていた。
「そうだ、コート返すわ」
「いや、今日は着ていけ」
「寒くならないのよ?」
ここは比較的暖かい地方で冬でも暑すぎず寒すぎずな丁度良い気候の土地だ。
昼よりは寒くはなるが、それでも今の格好で寒いということはない。
「…………んな……で」
「何?」
ぼそぼそと言っている彼がなんと言おとするのかを聞き取ろうとして、私は体を倒して彼の口に耳を近づけた。
「だから、そんな格好で暴漢にでも襲われたらどうするんだって言ってるんだ!」
机を叩いて大声をあげるのに驚いて私は呆然と彼の目を見る。
顔が真っ赤…………
「そ、それに君は計算していないようだけど……ぅ」
店にいる全員が彼を見ていたことを気づいたのか、身を縮めて椅子に座った。
「えっと……ごめんね、心配してくれたのね、ありがとう」
「いや….…俺もはしたない真似をしてすまなかった」
今のではしたないと言ったら酒屋の親父共の喧嘩は何になるというんだろうか。
そして親父共を見たら彼はどんな反応をするんだろうか。そんなことを考えるのがなんだか楽しい。
彼はまだ恥ずかしがってか顔を俯かせている。
本当に可愛い人だ。男性をこんなに可愛い……愛しいと思ったのは初めてだ。
いつもなら沈黙になったら新たな話題を提供しなくてはと思うが、今はそんなことを思わない。
沈黙が全然苦痛ではない。むしろこのままでも良い。
けれどそれと同時に疑問に思うことも次から次へと出てくる。
「貴方って貴族の方よね?」
「…………まあ、そんなところだな。やっぱり分かるものなんだね……」
「流暢に話すし、上品だしね。庶民ならハンカチで口元を拭いたりしないわ、手でそのままゴシゴシよ」
肩を竦めて言ってみせると彼はクスクスと上品そうに笑う。
それに反して私は口を大きく開けて笑う。上品な笑い方は柄じゃない。
それから私は彼に沢山のことを聞いた。お客さんの機嫌を良くさせる為に聞くのではなく、本当に私が気になってだ。
これを恋と言われれば……まあ、違うのかもしれない。
出会って一日も経っていないのに好きになるのはやっぱり難しいのだろう。
「あ、いけない! これから仕事なの忘れていたわ! ごめんなさい、今日は……また今度昼間にゆっくり話しましょう?」
「うん、ありがとう。送って行くよ」
私はカウンターに彼と私の分のお金を置き、私と彼は店を出、彼は仕事場まで送ってくれた。
**********
それからというもの、週に二回から四回のペースで会うようになった。
未だに彼の名前や、素姓は知らないが、そんなことはどうでもいい。些細な問題である。
彼は会うたびに「こんな仮面や黒いコートを着た男気持ちが悪いだろ?」というようなことを聞いてくる。
その度にそんなことはない。と言うのだが、それからは無言になる。
彼なりに何か思うところがあるのかもしれない。
そして、知らないうちに私は完璧に彼のことが気になっていた。
気になっていたという言い方は気に入らない…….そう、好きになっていた。
そしてそんな彼とショッピングや、海を眺めたり、そんな毎日が楽しかった。
けれど、そんな幸せで平和な生活はそう長くは続かなかった。
「…………私が王子様の妃に?」
それはどちらの仕事もなく、家でのんびりしていた時のこと。
王宮からの使いということで、王子様直筆の手紙を頂いた。
その手紙の内容が妃にしたいという旨の内容だった。
「いつだか貴方様の歌劇場に立ち寄った時に貴方様の歌声に深く感銘を受けたという話しであります」
「それならその時に話しかけてくるものではありませんか?」
「あ、いや……それは」
「直接言えないのでしたら所詮そのようなお話しだということです。他の妃を探した方が懸命だと思いますが」
私が一方的に巻くし立てると、その従者達は困った顔をした。
この手紙の家紋から本物では間違いないとは思うが、私は全く揺れなかった。
私はあの仮面の彼が好きだから。
「こ、今度は王子も連れてまた来ます」
「いえ、失礼ですが私はこの話を受ける気はないので他をあたられたほうがいいかと、妃になんてなりたい女性はたんまりといますし」
「失礼します!」
使いの二人は何だか少し腹をたてたようにして部屋から出て行った。
午後、私は彼との約束の場所である喫茶店に向かった。
店に入ると、いつもの席に彼はもう座っていた。
「早いのね」
「少し野暮用があったから」
無表情だけど、彼の口はだらしなく歪んでいる。
何か良いことでもあったのだろうか。
「嬉しそうね、何か良いことでもあったの?」
「え……そ、そんな顔してた?」
「してた」
そう言うと心底驚いた顔をした。無意識だったのだろう。
「お、俺のことはどうでもいいよ、それよりセーレは何か変わったことなかったの?」
変わったこと……というとやっぱり王宮からの手紙の話しかしら。
だけど、彼にそんなことを言うべきでは……あ、もしかして嫉妬してくれたりとかしないかしら。
私は口角がつり上がるのを抑えて言った。
「王子様から求婚のお手紙が届いたわ」
「そ、そっか! な、なんて返事をするの?」
「え?」
私は彼に聞こえない程度の大きさでそう呟いた。
何で彼はそんなに嬉しそうな顔をしているの?
どういうつもりなの……もしかして彼は私が王子様と結婚することを望んでいる?
何で? 何でよ。
どんどんと感情が溢れ出てくる。苛々してくる。彼は私のことが好きだと思っていたのにそれは私の思い込みだったの?
「何よ、随分と嬉しそうね」
「あ、いや……そういうつもりじゃなかったんだけど……」
「あっそ、とにかく返事は断らせてもらうわ」
コーヒーを一口飲んで調子を整える。さっきよりは落ち着けている。
「な、何で!? 王子と結婚してしまえばもうこんなところでは生活しなくても良くなるんだよ? 君にとっても美味しい話じゃ……」
「あのね、何をそんなに推すのか私には分からないけれど、私は何だかんだ言ってこの生活が気に入っているのよ。だから別にこのまま生涯を終えても良いとすら思ってるの」
頭がカッと熱くなると思ったが、私は自分でも不思議なくらいに頭が冷え切っている。
「ああ、それとね、私が一番気に入らないのは、何で従者に伝えて大事な婚約の話を持ってくるのかってことよ! 普通揺れる? 会ったこともない男の求婚に、どれだけ王子という立場に甘んじているのかが分かるわ」
「そ、それは!」
彼は立ち上がって私を宥めようとするが、ここまできてしまったら私も引っ込みがつかない。
彼に責任はないけれど、何だか知らないけれど彼に当たってしまう。
「貴方は悪くないのに……ごめんさい」
「いや……ねえ、聞きたいことがあるんだけど……君、好きな人はいるの?」
今更そんな話? 私は苦笑しながらも席を立ち上がり、「……秘密」と笑って店を出た。後ろからは誰も追ってこなかった。
**********
前に彼と会ってから数ヶ月後、彼とは一度も出会っていなかった。
今までは私が仕事上がりに必ず立ち寄る丘にいたり、お店に来てくれたり、あのカフェにいたりしていたが、それがめっきり途絶えた。
まあ、所詮遊びだったということか、新しい所詮女のところにでもいるのだろう。
イラつかないと言ったら嘘になるが、仕事のシフトを増やして考える暇をなくした。
「そういえば君にだいぶお熱だったファントム来なくなったな」
「ファントム?」
仕事終わり、歌劇場専属の作詞と作曲を受け持っているジャックとたまたま会い、食事を共にとることにした。
彼は私と同い年くらいか、下手したら年下に見えるが、劇場の中では年長にあたり、妻子もいる。
「あの仮面を被った奇妙な男性のことだよ」
ああ、なるほど……ファントムか。
「さあ? 本物のクリスティーヌでも見つけたんじゃないかしら」
そう言って笑うと、ジャックはさもおかしそうに笑う。
「いやぁ、でもね、あのファントムは君が思っているよりも君に入れ込んでいたからね、そう簡単に乗り換えるとはとても……」
「それが若い恋よ、おじさん」
「碌に恋なんかしたことがない穴の青い餓鬼がよく言うぜ」
ジャックは勢いよく手を上げると、朝一番だというのにお酒を注文した。
「あのね、一応表通り付近のお店なんだから朝からお酒なんて飲まないでよ、酔いつぶれてそこらへんに寝てたら知らないうちに豚箱に入れられるわよ」
溜息をつきながら注意をしたが、ジャックは聞く耳を持っておらず、窓からそとを見た。
「随分騒がしいんじゃねーの?」
私も窓の外を覗いてみたけれど、確かに朝早い時間だというのに、表通りの方へ走っているのが多い。
「何か王子様がここの町に来たみたいですよ」
マスターはお酒とサービスのナッツの盛合せを持ってにこやかや笑いながら言った。
「そいつぁ珍しいな、王宮の人間が来るのも珍しいが滅多に顔を見れない王子が…………あ、そういやセーレは確か王子様に求婚されていたよな?」
「ええ!?」
いつの間にか座っていたマスターはいつもの糸目を開眼させて私を見ている。
「文しか寄越さないのが求婚だとは認めないわ」
腕を組んでそっぽを向く私に、二人は手のかかる子供を見つけたとでも言わんばかりに溜息をついた。
「あのな、お前は王子様という存在がどれほど凄いのか分かっているのか?」
「そんなの知ってるわよ、でも私はお金がなくてもわたしを愛してくれる人と一緒になりたいし、支えたい」
「お前の気持ちは分からんでもないがな……」
「失礼する」
ドアからそんな声が聞こえ、振り返ると五人くらいを引き連れた真っ白な服に漆黒の黒髪、そして灼けるように紅い目をもった美青年が入ってきた。
そして、その嫌に目立つ人たちは他にもたくさん席があるのに、私たちの隣に座って来た。
「…………あ」
騎士服に身を纏っている人たちを何気なく見ていると、数ヶ月前に私の家にまで来たあの王子の使用人と言っていた人たちがいた。
真っ先に私に気づいたが気づかないふりをしている。演技力は最低レベルである。
「ね、ねえジャック! この人たち絶対に王子様とその使用人だよ!?」
「が、がたがた騒ぐんでねえ! もっと堂々としていろ!」
小声でジャックに耳打ちをすると、ジャックはカタカタと小さく震えながらそう言った。
「……君たちは恋人同士か何かですか?」
黙って真っ正面だけを見ていた王子様らしき人が突然そう尋ねてきた。
私たちがあわあわしていると、王子は続けてどんどんと言葉を重ねていく。
「随分と素敵なお人ですね」
じろじろと見られてすっかり縮こまってしまったジャックは全く使い物にならない。
こうなったら私が話を続かせないといけない。なあに、私だって商売女の端くれ、のんなの乗り切れるさ。
「貴方様の方が素敵だと思いますけど、一般の女性たちが放っておくとは思えませんが」
「またご冗談を、その貴方曰く放っておかない人の求婚をたった一言で切ったのは誰ですか」
「一般のと言いました。残念ながらこうして会いにくるまで数ヶ月もかけた人を好きになるほど私も男性に恵まれていないわけではありませんので」
「だって……セーレが……」
小さく縮こまってしまった王子が何かを言っていたようだが、どうでもいい。
周りの使用人たちはその王子をどうにかこうにか宥めている。
どうやらこの王子はメンタルがべらぼうに弱いらしい。
「お、おい…………」
ジャックはようやく立ち直ったらしく、私の肩に手を置いた。
「そ、そもそもその人は何なんだ! お、俺が会いに行ってた時は……時は……」
バンッと机を叩いたと同時に、ジャックは後ろのボックス席の方へ避難した。
大丈夫なんだろうか、このおっさんは。
「…………それで、そのヘタレな男はセーレが本当に愛した人なのか?」
馴れ馴れしいな、と思ったが、これ以上話をややこしくするのもあれなのでとりあえず話を合わせておく。
「だったら?」
「べ、別に……お前が決めたんなら俺は……俺は……」
ギュッとズボンを握って皺が寄っている。
後ろから使用人が「頑張れ王子!」だの「王子は強い子です!」だのと野次が聞こえてくる。
「はぁ……ジャックは妻子持ちのおっさんよ……私に不倫の趣味はないわ」
「お、おっさん? どう見ても俺と同い年くらいだろう……」
後ろを振り返ると未だに縮こまっている情けない中年の姿がある。
「ちなみに子供は今、十歳と二歳になるわね」
「え!? そんな大きな子供が?」
もう一度振り返ってジャックを姿を確認する王子。使用人達も口をあんぐりと開けている。
「ご、ごほん……とりあえず彼が恋人でないというのは分かった。でも……好きな人がいるんだろ?」
「え?」
頭の中に咄嗟に思い浮かんだのはやはり、あの仮面を被ったあの人の顔だった。
数ヶ月会っていないだけで、こんなに恋しいと思えるのか……
私は多分今、とても顔が赤いことだろう。
「やっぱり……どんなヤツなんだ?」
「身元は不明の人……だけど、ちゃんと私のことを考えてくれる人だったわ」
道を歩く時はわざと車道側を歩き、喉を傷めるような食べ物、飲み物は避けて、そして贈り物は私を、思って買ってくれたものだった。
「旅人か何かか?」
「違うと思うけど……ずっと仮面を被っていたから役者か何かかも」
「え?」
彼は一瞬フリーズしたように止まり、周りの使用人たちは自分の着ていた上着なんかを上げて、喜んでいる。
奥の席のジャックを見ると、もう復活しているようだ。どうでも良いが。
「セ、セーレはその仮面が好きなのか? 本当好きなんだな?」
「す、好きだって連呼しないで!」
急に恥ずかしさがこみ上げてきて、顔を抑える。
そういえばこの王子とあの人、とても似ているな。
最初は神々しいオーラを纏っていた王子だったけど、話すうちに彼と同じ匂いがしてくる。
「セーレ、見てくれ」
そう言って見せてきたのは、来なくなる前日に彼に渡した手作りのペンダントだった。
「え?」
「セーレ、好きだ」
後ろからはぴぃぴぃだとか、ふぅふぅ! だかという野次の声に内心睨みつけながら、彼を見据える。
何てご都合主義な展開だろう……だけど、とてつもないハッピーエンドには変わりない。
彼は私と会う時に付けていた仮面を付けて私の手を握り、告白をしてきた。
**********
それからは結構簡単に話が進んだ。
まずは、私たちはまだ結婚をしていない。
理由は私が結婚はまだ早いと言ったことと、彼自身も私をもっと沢山知りたいと言って結婚は先延ばしにした。
そして今、私たちは歌劇場近くの居酒屋に居る。
彼は変わらずに夏場だというのに暑苦しいコートと、仮面を付けている。
王子は顔が知られているから仮面は外せないらしい。コートは……オペラ座のファントムを意識したらしい。
「ねえ、暑くないの?」
「あ、暑いよ……」
少し覗く真っ白な肌が、真っ赤になって、犬のように唸っている。
「脱げばいいじゃない、そこまで我慢するようなものなの?」
「これが俺のアイデンティティだから……」
「あっそ……親父! もう一皿追加!」
威勢良く手を上げると、彼は呆れたような声を出して「まだ食べるの?」と言った。
「たくさん食べないとやっていけないの。あんたも食が細いから足もこんなに細いんじゃないの?」
「や、やめろよ、セーレ!」
手をコート内に潜り込ませて、足を触ってみると、とても細い。
「まあ、ところでさ、聞きたいんだけど、何で王子として求婚してきたの?」
今まで聞きたくても何となく聞けなかった話題。それを今はお酒の力を借りてようやく聞いた。
「セーレはとても人気だから、俺みたいな名も無い男からの婚約よりも王子様からの方が良いと思ったから……」
はぁ……そんなことだろうとは思ったけれど。
「ふーん、まあいいや」
「自分から聞いたくせに!」
そういや彼も前よりお茶目になった気がする。やっぱりこういう纏っていない姿が彼には似合う。
そう改めて思いながら、彼が大好きだと言った歌を口ずさんで注文を待ちながら、彼の百面相を正面から見ることにしよう。