ハーブで癒す魔女の弟子〜惚れ薬のせいで聖騎士様が恋に落ちてしまいました。……相手はわたしって本当ですか?〜(冒頭)
やや離れた場所からガチャンと音がした。
やや重い音と、食器が割れた時のような音が混ざったそれに慌てて店のほうへ戻る。
「大丈夫ですかっ?」
店内には二人の聖騎士様がいる。
一人は肩につくかどうかというくらいの長さでクセの強い赤い髪に、ややたれ目の金の瞳をした、少し無精髭のある三十後半ほどの男性だ。昔から付き合いの長い常連客だ。
そしてもう一人、クセのない短い銀髪に切れ長の灰色の瞳をした、無表情の、どこか冷たい印象を抱かせる相貌の二十代前半から半ばほどの男性がいた。
銀髪の聖騎士様の足元に箱が転がっている。
その箱には見覚えがあった。
中に納めていたはずの紅入れが割れて、破片が箱のそばに落ちていて、銀髪の聖騎士様がその破片のいくつかに触れてしまっていた。
「悪い、俺が叩いたせいで箱を落としちまって──……」
ほのかに漂う甘い匂いにハッとする。
……その箱の中に納めてあった薬は……!
顔を上げた銀髪の騎士様と目が合った。
淡い灰色の瞳としっかり視線が絡み合う。
騎士様の目が僅かに見開かれ、そして、その目尻が僅かに赤く染まった。
「……なんて、可愛らしい人なんだ」
それに赤髪の聖騎士様が「は?」と訊き返す。
銀髪の聖騎士様の熱い視線に、わたしは全てを悟る。
「……ああ、やっちゃった……」
箱に納めてあったのは魔女の特別な薬の一つ。
いわゆる惚れ薬と呼ばれるものだったのだ。
* * * * *
「セリちゃん、今日もありがとうねぇ」
いつものようにハーブティーを飲み終えたローラさんから、代金を手渡される。
齢七十を迎えたとは思えないほど腰もまっすぐで、一応杖はあるけれど、なくても問題なくスイスイ歩けてしまうような、そんな元気な近所のおばあちゃんである。
お店が営業している日は毎日、来てくれるのだ。
「ローラさんもいつもありがとうございます。まだ明るいですけど、足元に気を付けて帰ってくださいね」
「ええ、そうね、この歳で転んだら困っちゃうもの」
小さく手を振り、扉を押して、ローラさんが出ていく。
カラン、とベルの音がして扉が閉まった。
今日はもうお客さんが来る予定は夜までない。
……今のうちに商品の在庫確認でもしようかな。
紙とペンを持ち、棚に並べられた薬や薬草瓶などの在庫を確認し、足りないものの種類と数を紙へ書いていく。
一通り確認したら纏め、それらの薬などに必要なものを書き出した。
窓の外は夕陽で柔らかなオレンジ色に染まっている。
ふと、唐突に思い出した。
……そういえば、今日は師匠の月命日だっけ……。
そう思うと何とも表現しがたい気持ちが込み上げてくる。
わたしが前世の記憶を取り戻したのは五歳の時だった。
それまで暮らしていたのは国境沿いの小さな村で、わたし、セリカはそこで、両親とそれなりに穏やかに過ごしていた。
働き者の農夫の父に、優しく気立ての良い母、そしてわたしの三人で狭い小屋みたいな家で身を寄せ合って暮らしていたが、その村ではごく普通の家庭であった。
でも、わたしが五歳の時、村が魔物に襲われた。
どんな魔物であったかは分からない。
ただ、村の人々が殺されて、気付いた時には家の外に魔物がいるという状況で、母はわたしを棚の下段に押し込むと「何があっても静かにして、ここから出てはだめよ」と言って戸棚を閉めた。
その後のことは酷く断片的な記憶しかないが、母の悲鳴と恐ろしい獣の咆哮、何かの壊れる音、そしてしばらくすると物音は聞こえなくなった。
だけど母の言いつけを守らなければと棚の下で身を縮こませたまま、長い時間、そこで過ごした。
怖くて、寂しくて、狭くて、暗くて、変な臭いがして。
気絶するように眠った時に前世の記憶を思い出した。
前世ではわたしは長谷川セリという名前の、ごく普通の大学生で、家族も友人もいた。
しかし運がなかったのだろう。
交通事故に巻き込まれて死んだのだと思う。
大した内容もない夢のような記憶を見て、人の声に目を覚まして愕然とした。
母はわたしを守るために身を挺して死んだのだ。
幼いわたしでは分からなかったことを理解してしまった。
棚の中で震えていたわたしを見つけてくれたのは、ソフィアという老齢の魔女だった。
わたしは村で唯一生き残った人間で、本来ならば孤児院へ預けられるはずだったのだけれど、幸運なことに見つけてくれたその魔女の下に弟子入りすることとなった。
それから十一年、わたしは師匠の下で暮らした。
この世界のこと、街のこと、魔女のこと、魔女の薬のこと。沢山教えてもらって、沢山怒られて、沢山笑って、十一年わたしは師匠の弟子として過ごした。
けれども二年前、師匠はあっけなく老衰で逝ってしまった。
前世で『ピンピンころり』で死ぬのがいい、なんて言葉を聞いたことはあったが、師匠はまさにそれであった。
この世界は医療技術的も食糧事情的にもまだ未熟で、人々の寿命は精々七十年あるかどうかであり、九十近くまで生きた師匠は大往生だった。
それから二年、わたしは一人で暮らしている。
師匠の住んでいた家をそのまま譲り受け、店を継いだ。
魔女ソフィアの店で街の人から『緑の癒し』と呼ばれているこの店は、名前の通り、緑の……つまり薬草やそれを使った薬を扱う店だ。
昔からの馴染み客もいて、貴族とも多少だが商売のやり取りがあって、暮らしに困らない程度に暮らしている。
……お墓参りもできないしなあ。
師匠が死んだ後、遺言通り、遺体を焼いてから骨を粉にして川や山に撒いた。
一応許可は得た上で少量の骨は残したものの、大半は、もう自然に還っている。
「湿った暗い土の中で眠るなんてごめんだよ」
という理由が師匠らしかった。
……今夜は師匠の好きだった料理でも作って、ちょっとだけお祈りをしておこう。
そんなことを考えているとカランとベルの音が響く。
「よう、セリ、またハーブソルトよろしく」
聖騎士様の格好の、クセのある赤い髪の男性は常連客だ。
「お疲れ様です、ラウルさん。お仕事の帰りですか?」
「ああ、うちのが帰りに絶対買ってこいってうるさくって。それといつものハーブティーも」
ラウルさんは結婚していて奥さんがいる。
その奥さんはハーブティーとハーブソルトをお気に召してくれたようで、こうしてよく仕事帰りに買いに寄ってくれるのだ。
ラウルさんの後ろから別の聖騎士様が現れる。
「扉の前で止まらないでください」
短い銀髪に、切長の涼しげな目元の整った顔立ちの聖騎士様はわたしと視線が合うと目礼した。
無表情で少し、とっつきにくそうな雰囲気がある。
「悪い悪い」
ラウルさんと銀髪の聖騎士様が店内へ入ってくる。
「俺の部下の一人で、ユルリッシュっていうんだ。こいつ騎士のくせに細っこいだろ? だからもっと食わせようと思ってセリのハーブソルトを教えたら気に入ったみたいでさ」
ラウルさんの言葉に銀髪の聖騎士様が頷く。
「中央神殿の第二聖騎士団所属、ユルリッシュ・"グザヴィエ"・リウヴィルです」
「ご丁寧にありがとうございます、店主のセリと申します」
お互いに会釈をしているとラウルさんがカウンターに肘をつく。
「今日はまだハーブティーもらえるか? ……昨日飲みすぎて、まだちょっと二日酔いしててな」
それに苦笑していると、銀髪の聖騎士様……リウヴィル様がチラリとラウルさんに目を向けた。
何も言わなかったけれど、少し呆れた風に見えた。
「じゃあ二日酔いに効くものを出しますね。リウヴィル様も、よろしければハーブティーをいかがでしょうか?」
「ハーブティー、ですか……」
「はい、ハーブを紅茶のようにして飲むのです。ここではお店の物を購入していただいたお客様に一杯、ハーブティーをお出ししています」
リウヴィル様が少し考える仕草を見せた。
「美味いから飲んでみろ」
と、言うラウルさんに、ややあってリウヴィル様は頷いた。
「……では、いただきます」
「ありがとうございます。ハーブソルトもハーブティーも、ラウルさんと同じ物でよろしいでしょうか?」
「はい、それでお願いします」
二日酔いのハーブティーの中身を思い出す。
「キク科……えっと、タンポポに触って肌がかぶれたといったことはありますか?」
「いいえ、ありません」
少し不思議そうに目を瞬かせるリウヴィル様に、ああ、と気付いて説明をつけ加えた。
「人によっては体に合わない薬草もありますので」
「少々お待ちください」と伝えて棚からハーブソルトの瓶を出し、カウンターへ置いておく。
それから店の奥へ入り、袖を捲る。
まず、ティーポットとカップ二つを用意して、アイテムボックスが付与されたバッグから熱湯の入った大きなポットを取り出す。
アイテムボックスは魔法の一つで、異空間と繋がっており、中に物を入れると時間経過がなく、そのままの状態を維持できる。
いつも朝に大量のお湯を沸かして大きなポットいくつかに分けて熱湯を収納していて、使いたい時に、こうして取り出して使用する。
ティーポットにお湯を三分の二まで入れる。
それから、ポットを温めている間に必要なハーブを棚から出してきて、ポットのお湯を二つのティーカップにそれぞれ半分ずつ移す。
その後にポットへハーブを入れるのだ。
……仕事終わりで二日酔いならアレでいいかな。
ポン、と瓶の蓋を開ける。
今回は二種類のハーブティーを淹れる予定だ。
片方のポットにスケィシービーという黄色っぽい花の萼部分を乾燥させたものを大さじ一杯。これには疲労回復と新陳代謝を高める効果があり、ティーにすると鮮やかな赤色になる。
次にエルシスクリムという紫の花を咲かせる植物の種子を乾燥させたものを同じく大さじ一杯。肝臓の修復作用があり、肝機能が落ちた時の頭痛などにも効く、飲みすぎにぴったりの薬草である。
それからヤーブウォルドリー。赤いベリー系の実をつける植物の葉を乾燥させたものを大さじ二杯。鉄分やミネラル、カルシウムを含み、デトックス効果もあり、胃腸の働きも助けてくれる。
これが基本の二日酔いに効くハーブティーだが、ラウルさんのためにも更に追加しよう。
むくみ解消に効果のあるレヴォルティーを大さじ二分の一。余分な水分や老廃物の排出を助けてくれる。ただし甘い香りがするのであまり沢山入れないほうが良い。
最後に食用のバラの実から種を取り除き、乾燥させたピエソルを大さじ一杯。これを入れるとスケィシービーの酸味を和らげてくれて、飲みやすくなる上に、ビタミンも豊富なので体に良い。
熱湯を五種類のハーブが入ったポットに注ぐ。
これで三分半ほど待つ。
少しだけ魔力を注ぎ、ハーブの効果を底上げする。
よくハーブティーが抽出されたら、カップの湯を捨て、ティーポットを軽く揺すって中身を混ぜてから茶漉し片手にカップへ注ぐ。
二つのカップに交互に注いで濃さを均一にして完成だ。
ポットは後で洗うために避けておいて──……。
そこで、ガチャンと店のほうから音がした。
* * * * *
ユルリッシュ・"グザヴィエ"・リウヴィルは、店の奥へ入って行った、若い店主の背を見送った。
昔から世話になっている先輩騎士に誘われて初めて訪れたのは、薬草の香りが漂う不思議な店だった。
……薬師とは違うのだろうか?
店内に並ぶ乾燥させた薬草や瓶に詰められた液体や軟膏などの薬は、薬師の扱う粉薬などとは違うように見受けられる。
沢山の薬草があるせいか独特な香りに包まれる。
だが、どれも嫌な匂いではない。
「これこれ、このハーブソルトはここでしか買えなくてな」
カウンターに置かれた瓶を手に取る先輩騎士、ラウル・アルベリク・ドバリーに声をかける。
「会計前なので、勝手に触らないほうが良いと思います」
「お前はいちいち細かいよなあ。まあ、そこが良いところでもあるんだが!」
バシバシと容赦なく背中を叩かれ、少しよろめいた。
転ばないようにカウンターへ手をついたせいで、端に置かれていた箱に手が当たってしまい、それが床へ落ちる。
あ、と思った時には既に遅く、大きな音を立てて箱が落ち、蓋が開いて中に収めてあったものが床へ叩きつけられてしまった。
食器の割れるような音に慌てて膝をつく。
「悪い、それ大丈夫か?」
「割れてしまっています」
砕けた容器を集めていると甘い匂いが漂ってくる。
薬なのに甘い匂いというのが不思議であったが、目に沁みるような感覚がして、目をこする。
「大丈夫ですかっ?」
店主の声がした。
「悪い、俺が叩いたせいで箱を落としちまって──……」
顔を上げた先に店主がいた。
灰色っぽい柔らかな茶髪を二つの三つ編みにして、ややたれ目の優しそうな瞳は暗いこげ茶色で、色白で華奢そうだ。目が合うとジッと見返される。
何故だか、心臓がドキリと大きく脈打った。
そのまま、ドキドキと早鐘を打つ心臓に体温が上がる。
「……なんて、可愛らしい人なんだ」
気付けば、口からそんな言葉が飛び出していた。
「は?」
横から先輩騎士の呆気にとられた声がする。
瞬間、若い店主は額に手を当てて天を仰ぎ見る。
「……ああ、やっちゃった……」
絞り出すようなそれは耳を通り過ぎていく。
目の前にいる店主を見ているだけで、ぼんやりとして、立ち上がると彼女へ足が向かう。
……触れたい。声を聞きたい。目を合わせたい。
思わず伸ばした手が、細い手に掴まれ、心臓が跳ねる。
「リウヴィル様。あなたは今、惚れ薬が効いてしまって、正常な判断ができない状態にいます」
告げられた言葉を頭の中で三度ほど繰り返し、その意味を理解して、固まった。
…………惚れ薬……?
いや、だが、そうでなければ今のこの状況はおかしい。
出会ったばかりの、何も知らない、明らかに歳下の女性に対してこれほど急に好意を抱くなんてありえない。
頭のどこかで、そう冷静な声がした。
店主が申し訳なさそうに言う。
「あの箱の中身は魔女の惚れ薬なんです」
* * * * *