お見合いの断り文句に使っていたら、本当に黒騎士様とお見合いすることになりました(冒頭)
「わたしは黒騎士様が好きなんです」
そう言い続けて約一年。
わたしにとってこの言葉は定型文みたいなものだった。
両親が次々に持ってくる見合い話を断るために、一番角が立たなくて、相手も納得してくれる理由として丁度いい。
ただ、それだけだったのに。
目の前には漆黒の髪に、澄んだ青い瞳、大変見目麗しい男性がいる。わたしより顔立ちは整っているのではと思う。
心臓が嫌な意味でドッドッドッドッと騒いでいた。
……なんで本当に黒騎士アークロイド・ゼルビア様とお見合いしてるの、わたし!?
紅茶を一口飲んだゼルビア様が言う。
「ずっと君に会いたかった」
「えっ?」
その言葉に驚いた。
まさかゼルビア様がわたしのことを知っているとは思わなかったし、そもそもどこかで会った記憶もない。
思わず、まじまじとゼルビア様を見てしまう。
綺麗な青い瞳と視線がかち合った。
「君は一途な人だと、ずっと聞いていたから……」
「いちず……?」
「……その、君と見合いをした者達からよく『お前を理由に断れた』と話しかけられていたんだ。それで君のことを知り、ずっと、どんな人なのか気になっていた」
ゼルビア様が少し、照れたように目を伏せる。
わたしは頭を抱えたくなった。
……ごめんなさいそれただの断り文句だったんですとは言い出せない雰囲気……!!
そう、わたしは「黒騎士様が好き」と言い続けてきた。
でも、それは決して黒騎士──……ゼルビア様と関わることはないだろうという思いから言っていただけなのだ。
「想像より可愛らしい人で、驚いた」
わたしは恋愛的な意味で誰かを好きになったことがない。
つまり「黒騎士様が好き」は嘘なのである。
「ゼルビアのことをそんなに好いてくれるご令嬢がいてくれるとは、こちらとしてもありがたい話だ」
斜め前のソファーに腰掛けていた、この国の王太子殿下が機嫌良さそうにそうおっしゃった。
ご本人様と本当にお見合いすることになるなんて。
…………ああ、詰んだ。
* * * * *
十六歳で社交界デビューしてから早二年。
わたし、ユフィーデル・マイヤーは十八歳になった。
やや灰色みのある柔らかな茶髪に濃い緑の瞳、顔立ちは貴族のご令嬢の中では特別整っているわけではないが特別不細工というわけでもなく、体型もやはり痩せても太ってもいない。
自分で言うのもなんだが本当に『普通』だった。
社交界で目立つご令嬢のような目を引く髪色も、人を惹きつける華やかな容姿も、誰からも好かれるような優しい性格でもなかった。
大勢いるご令嬢の一人として埋もれてしまう。
それがマイヤー伯爵家の次女、ユフィーデル。
そして、ここ一年でわたしにはあまり喜ばしくない渾名がつけられ、社交界の裏で、こう呼ばれている。
マイヤー伯爵家の夢見がち令嬢。
その呼び方はある意味では正しく、でも間違ってもいる。
他のご令嬢達がデビュタントと同時に「ナントカ男爵の誰それ様が素敵よ」とか「あの何だか様と踊ってしまったわ」とか、将来のため、家のために結婚相手を探している中、わたしは一人、ろくに誰かとダンスを踊ることもなく、のんびり壁の花になっていた。
最初は「まだ社交界に出たばかりだから」と微笑ましく思っていたらしい両親であったが、わたしが半年、一年と壁の花で過ごしているのを見て、さすがに危機感を覚えたらしい。
わたし自身も恋愛や結婚には全く興味が持てず、デビュタント以降も友人達と過ごしたり、一人で観劇に行ったり、読書をしたり、自分の時間を満喫していた。
……そもそも、ユニがいるんだもの。
わたしには双子の姉ユニーヴェラがいる。
見た目も色彩も双子というだけあってそっくりだけれど、わたしよりもしっかり者で思慮深く、きちんとした姉であり、デビュタントから半年後にはちゃっかり婚約者を見つけている。
その婚約者は侯爵家の次男で、姉であり長子であるユニーヴェラと結婚し、我がマイヤー伯爵家に婿入りする。
……わたしが無理に結婚する必要なんてないでしょ。
だが、それを良しとしてくれないのが両親だった。
「ユフィーデル、お見合いをしなさい」
十七歳の誕生日、父はそう言った。
それから両親による怒涛のお見合い攻撃が始まった。
同格の伯爵家、少し下の子爵家、裕福な男爵家──……侯爵家とのお見合い話もあった。
お見合い相手も貴族なので、皆、紳士的でこれと言って悪いところがあったわけではないが、わたしは結婚自体、正直に言うと面倒くさいと感じていた。
どこかの家に嫁入りし、家の管理をしつつ社交を広げ、夫を支え、子を生して。
それが貴族の令嬢にとっての幸せだと分かっている。
分かっているが、わたしにとっての幸せではない。
お見合い相手を見ても特に惹かれず、そもそも恋愛一つしたこともないので、目の前の相手と結婚して子を生すという未来を思い描くことすら出来なかった。
しかし「何とも思わないので、この話はなかったことで」と言えば、それは相手の男性の自尊心を傷付ける。
かと言って「最初から結婚するつもりはありません」と突っぱねても、お見合い相手にも、その家にも失礼である。
どう断るか考えた時、ふと、妙案が浮かんだ。
……想い人がいるって設定にすれば良いのでは?
お見合いの話が出たので一応会ったが、わたしには想いを寄せている相手がいるため婚約はしたくない。
たとえば、その相手が有名人で、伯爵家の次女に過ぎないわたしが想いを寄せても叶わないような相手なら、相手も「まあ、あの人なら仕方ない」みたいな風に感じて自尊心を傷付けずに済むのではないか。
そうして誰の名前を使おうか考えた時に友人の話を思い出した。
王太子殿下直属の騎士団、その中でも有名な黒騎士様。
漆黒の髪に青い瞳、大変整った顔立ちで剣の腕が立つ。
社交界でもその見目麗しさが有名で、想いを寄せる令嬢も少なくないが、黒騎士様は平民出身なので貴族の令嬢の結婚相手としては不釣り合いである。
たとえ令嬢が結婚したいと言っても家が許さない。
貴族の令嬢は家の利益のための結婚が当然だからだ。
……これ、使えるわ!
そういうわけで、わたしはお見合いをする度に相手の男性へこう伝えることにした。
「わたしは黒騎士様が好きなんです」
大抵の人は「そうですか」と苦笑する。
きっと内心では呆れているのだろう。
いくら王太子殿下の束ねる騎士団に所属している者と言っても、平民で、見目が良くても、やはり平民。
そんな男にいつまでも想いを寄せる、夢見がち。
そんな令嬢を妻にしたがる男性はいない。
だからお見合い話はいつも流れる。
その話はすぐに広まり、少し有名になった。
現実を見ていない夢見がちな伯爵令嬢。
これでいいのだとわたしは内心でほくそ笑んでいた。
半年を過ぎた辺りからお見合いの数が一気に減り、一年経つ頃には月に一度あるかないかになり、もう少しすれば、見合い話はなくなるだろう。
そうなれば、わたしは自分の時間をゆっくり過ごせる。
もちろん、両親がわたしの幸せを願ってお見合い話を持ってきてくれていることは理解しているし、その熱意は愛情であるとも分かっているが、どうしても結婚したいと思えない。
断り文句を言い続けるわたしに双子の姉は言った。
「その断り文句はやめたほうがいいと思うわ」
でも、これは魔法の言葉なのだ。
黒騎士様が好き、と言うだけでお見合い話は立ち消える。
両親もお見合いを断るための方便に過ぎないと気付いており、だからこそ、何度もお見合い話を持ってくる。
最近では両親とわたしの意地の張り合いみたいになってきていて、ユニーヴェラは呆れていた。
だって、まさかこんなことになるとは思わなかったのだ。
十八歳を迎えた誕生日、父が言った。
「見合い話が決まった。これで最後だ」
ついに意地の張り合いは両親の負けかと内心でホッとしつつ、わたしは表面上は澄まし顔で「分かりました」と答えた。
その一週間後の今日、最後のお見合いが行われた。
────何故か、王城の応接室で。
目の前には漆黒の髪に青い瞳の見目麗しい黒騎士、アークロイド・ゼルビア様。つまり、わたしが散々お見合いの断り文句に使ってきたその人がいた。
わたしの横に座る父を見たが、父は涼しい顔だった。
……な、なんてことをしてくれたのよ、お父様!!
斜め前のソファーには、この国の王太子エルハルト・ディリア=ヴィルトレイン殿下がとても良い笑顔を浮かべて座っていらっしゃる。
さらりとした金髪に淡い水色の瞳をした、優しげな顔立ちの王太子殿下だけれど、これまで社交界で聞いた噂を考えると『優しい王子様』とはあまり言えないだろう。
どちらかと言えば辣腕という言葉が似合いそうだ。
お互いに挨拶を一通り終え、お若い二人で話でもどうぞ、となったがわたしは非常に気まずい。
紅茶を飲んで、黒騎士ゼルビア様が口を開く。
「ずっと君に会いたかった」
思いがけない言葉だった。
「えっ?」
実を言えば、ゼルビア様がわたしのことを知っているとは思わなかったし、平民出身のゼルビア様は社交界とは無縁なのでどこかで会ったということもないはずだ。
驚きのまま、まじまじとゼルビア様を見る。
綺麗な青い瞳と視線が合った。
「君は一途な人だと、ずっと聞いていたから……」
「いちず……?」
「……その、君と見合いをした者達からよく『お前を理由に断られた』と話しかけられていたんだ。それで君のことを知り、ずっと、どんな人なのか気になっていた」
ゼルビア様が少し、照れたように目を伏せる。
なんでも、これまでわたしとお見合いをした相手やその知り合いの方々がわざわざゼルビア様に話しかけてきていたそうだ。
その方々はいつも決まってこう言ったらしい。
「マイヤー伯爵令嬢はあなたが好きらしい」
「君を理由に断られたよ」
「また伯爵令嬢はお前を理由に断ったってさ」
この一年、ゼルビア様はそう言われ続けてきた。
平民である自分に想いを寄せる貴族のご令嬢。
最初はよくある話と流していたが、半年、一年と経ち、次第にわたしのことが気になっていったのだとか。
わたしは頭を抱えたくなった。
……ごめんなさいそれただの断り文句だったんですとは言い出せない雰囲気……!!
そう、確かに「黒騎士様が好き」と言い続けてきた。
でも、それはゼルビア様と関わることはないだろうという絶対的な確信から言っていただけなのだ。
平民だからというのも理由の一つだが、王太子殿下直属の騎士団の中でも剣の腕が立つと有名で、見目も非常に整っている人が、貴族令嬢の中でも普通の普通でさして目立つわけでもないわたしに目を向けるはずがない。
だから、関わるなんてありえない。
そう思っていたはずだった。
それなのに目の前にはゼルビア様がいて、少し、照れた様子でわたしを見る。
「想像より可愛らしい人で、驚いた」
王太子殿下は機嫌が良さそうに笑う。
「実はゼルビアを私の近衛騎士に昇格させたいと思っていたんだが、平民の出ではなかなか後見が決まらなくてね。マイヤー伯爵家ならば由緒正しき家柄だし、家格的にも低すぎず、高すぎず、今後もし爵位を授けるに当たっても問題はないだろう。どうかな、伯爵?」
「娘の想いが叶うかもしれない機会ですので、我が家としましても今回のお話はありがたいものでございます」
……お父様の負けず嫌い〜〜!!
確かに断り文句にそう言い続けたわたしも悪い。
だが、だからといって本当にご本人様とのお見合いを、しかも王太子殿下の立ち合いの下で行うなんて、断りようがないではないか。
だらだらと冷や汗が止まらない。
「聞くところによると一年も見合い話を断り続けたそうだね。ゼルビアのことをそんなに好いてくれるご令嬢がいてくれるとは、こちらとしてもありがたい話だ」
ニコ、と王太子殿下に微笑みかけられる。
……待って、この様子からして王太子殿下は本当のこと知ってるのでは?
慌てて父を見れば、優しい笑顔で頷き返された。
「良かったな、ユフィーデル」
……ああ、これ、詰んだ。
一度目を伏せたゼルビア様がこちらを見る。
まっすぐな視線であったものの、すぐにまた目が伏せられ、男性にしては長い睫毛だな、と現実逃避してしまった。
「改めて、アークロイド・ゼルビアだ。その、初めて会ったばかりだが、婚約者としてこれからよろしく頼む」
横には父、斜め前には王太子、目の前には黒騎士様ご本人。
「……マイヤー伯爵家の次女、ユフィーデル・マイヤーと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします、ゼルビア様……」
うふふ、と微笑みながらも内心で叫ぶ。
……どうしてこうなった!!?
* * * * *