勇者召喚に巻き込まれたけど、そもそもわたしは神らしい。(冒頭)
「あの、佐原さん、集計手伝おうか……?」
放課後の教室、人気のほぼなくなったタイミングでそう声をかけられて顔を上げた。
そこには隣の席の男子が立っていた。
今までほとんど話したことがなかったので驚いていると、向こうもいきなり話しかけたという自覚はあるらしく、少し気まずそうに視線を逸らした。
「アンケート、一人で集計するの大変そうだなって思って。……ごめん、いきなり話しかけて」
頭の中で男子の名前を思い出す。
宮嶋翔太君。わたしの隣の席の男子で、これまで話したことはなかったけれど、よくクラスメイト達から話しかけられている人だ。
多分、何か頼まれると断れないタイプ。
クラスメイト達から掃除当番を変わってほしいとか、部活で人手が足りないから一日だけ来てほしいとか、そういうお願いをされては、いつも快く承諾しているお人好しという感じだった。
開けた窓から吹く風で短い黒髪が揺れている。
……確かに一人で集計するのは面倒だったけど……。
でも、一人で出来ない量ではない。
断ろうと口を開いた瞬間、教室の扉が開かれた。
「お兄ちゃん、おそ〜い!」
扉のほうを見れば、金に近い明るい茶髪のツインテールが目に飛び込んできた。
制服のリボンからして一年生らしい。
ツインテールの女の子が近付いてくる。
「今日は一緒に帰る約束だったじゃん!」
ややつり目の気の強そうな女の子が宮嶋君の腕に抱き着き、それに宮嶋君が「あ」と少し焦った顔をする。
「ごめん、まりあ。忘れてた」
「ええ、ひっど〜! うちずっと待ってたのに!」
思わず二人を見ていると宮嶋君が苦笑した。
「これ、俺の従妹なんだ」
「ちょっと『これ』って何よ! お兄ちゃん、うちの扱い酷すぎない? 約束も忘れるしさあ」
「まりあ」
まりあと呼ばれた女の子がムッとした表情を見せたものの、宮嶋君に抱き着いたまま、わたしを見る。
「宮嶋まりあ、お兄ちゃんの従妹です」
「あ、えっと、クラスメイトの佐原朔です……?」
どうして急に自己紹介が始まったのか疑問に思いつつ、返していると、また教室の扉が開いた。
そこにいたのはクラスで人気者の女の子だった。
艶やかなストレートの黒髪に、整った顔立ちの和風美人といった感じの女の子、津辻都さんがいた。
わたし達を見て、教室へ入ってくる。
「宮嶋君、佐原さん、まだ残ってたんだね」
「ああ、うん、ちょっと。津辻さんは?」
「私は忘れ物を取りに……」
わたしの二つ前が津辻さんの席だ。
津辻さんが机からノートを取り出し、振り返って、わたしの手元を見て訊いてくる。
「佐原さん、手伝い要るかな?」
それに首を振る。
「ううん、大丈夫。宮嶋君も津辻さんもありがとう」
こんな、ろくに話したこともないクラスメイトにも気遣いが出来るのは凄いと思う。
だけど、わたしは極力この二人に関わりたくない。
津辻さんと一緒にいたら悪目立ちをしてしまうし、宮嶋君は正直、お人好しすぎてわたしはあまり好きではないのだ。
津辻さんは「そっか」と言い、宮嶋君が眉を下げる。
「お兄ちゃん、早く帰ろ?」
宮嶋君の従妹さんが不満そうに腕を引き、宮嶋君が困った様子でわたしと従妹さんとを見る。
もう一度断ろうとして、ふわ、と浮遊感に襲われる。
「──……え?」
座っていた椅子から体が浮き上がる
驚くわたしの目の前で、宮嶋君と従妹さん、そして津辻さんの体もふわりと浮き上がった。
「きゃあ!?」
「何これ……!?」
「うわ、何だ!?」
床が光り、不思議な模様が現れる。
そしてその模様の光がフラッシュライトのように強くなり、視界が白く染まった。
無意識のうちにギュッと目を瞑ってしまっていたらしい。
恐る恐る目を開けると、そこは一面真っ白だった。
すぐ目の前に壁があるような気もするし、どこまでも白い空間が広がっているようにも見える、不思議な場所である。
呆然としていると目の前に金色の光の球が現れた。
それは大きくなると人のような形となり、パッと小さく光が弾けると、背の高い人が立っていた。
……男性? ううん、女性?
男性にも見えるけれど、女性にも見える不思議な人は、少し癖のある真っ赤でふわふわしていそうな髪に鮮やかな緑色の瞳で、肌は褐色だった。日本人ではないのは確かだ。そして百六十センチのわたしが首をほぼ真上に動かすほど背が高い。顔立ちはあまりに整いすぎていた。
人間離れした美しさと言えばいいのか。
少なくとも、美術品のように外見が整いすぎている。
……でも、不思議。なんだか親しみが湧く。
その人も、同じ風に感じているのか柔らかく微笑んだ。
「久しいな、ディストアよ」
そう声をかけられて、わたしは戸惑った。
わたしの名前は佐原朔であり、ディストアなどという名前ではないはずなのに、そう呼ばれることに違和感がない。
「あの、わたしは佐原朔です」
「知っている。だが、それは人としての名だ。我が名はアヴァネーラ。ネラと呼ぶがいい」
「ネラ、さん?」
「ネラで良い」
その人、ネラが手を叩くと真っ白な空間に突然二つのソファーが現れ、ネラが片方に座り、もう片方へ座るよう勧められた。
とりあえず、訳が分からないまま、そこへ腰掛ける。
「そなたの状況について説明をするが、その前に、まずは我とそなたについて話したほうが良さそうだな」
そこからの説明は信じられないものだった。
目の前にいるネラ、アヴァネーラはわたしの生まれた世界とは別の異世界を創造し、管理している神で、その世界で主神として崇められている。
ここは神が過ごす神界だそうで、人間には白い空間に見えるけれど、実際は非常に美しい場所らしい。
まあ、それはともかく、ネラは神である。
そして、わたしも神なのだとか。
「そなたは我が生み出した双子神の片割れだ。生を司る兄神サランドルと死を司る妹神ディストア。我はそなたの親神であり、そなたは我の子、死を司る神ディストアの生まれ変わりである」
「いや、神様の生まれ変わりって言われても……」
これは何か、タチの悪いドッキリなのではないか。
周りを見回しても白い空間だけが広がっている。
「いきなりのことでそなたが驚き、混乱し、受け入れがたいと感じているのは分かる。だが、これは事実だ。そなたは昔から妙に勘が良かっただろう?」
言われて、思い当たる節があった。
わたしは昔から虫の知らせを感じやすく、親戚や知り合いが亡くなったり、危険なことが起こりそうになると何となく予感があった。
稀に、全く知らない人の死期を感じることもあり、わたしはそういったことを家族にすら話したことはなかった。
なんとなく、それは普通ではないと分かっていたから。
「異世界と言えど、神は神だ。別の世界に生まれ変わっても、ただの人間とは異なる」
「その話が本当だとして、どうして、神様が人間なんかに生まれ変わったんですか?」
「生き物の魂を刈ることに飽きたのだ。神にとって人の一生など瞬き程度。束の間、人として生きて、その生を自由に生きてみたいと思ったようだ」
ネラが苦笑する。
その表情は子を心配する親のものだった。
「本来ならば平穏な一生を終えるはずだったのだが……」
ネラの世界の、とある国で勇者召喚が行われた。
その世界には精霊という存在がいて、魔法があり、人間以外の人族がいて、魔物や魔族といったものもいるらしい。
人間は魔族と昔から仲が悪く、定期的に両者の間では戦争が起こっていた。
しかし人間は魔族に比べるととても弱い。
その世界の人間だけでは限界がある。
そこで、異世界から勇者と呼ばれる者達を招き、勇者達を魔族と戦わせるというのがここ数百年の人間の歴史なのだとか。
「異世界人は我が世界の人間に比べて成長速度が速く、全体的な能力や固有する技能も多い。同じ世界の人間を鍛えるより、召喚した勇者のほうがずっと簡単に強くなる上に、そなたの生まれた世界の若い者達は『勇者』という立場を好む傾向にある」
だから、異世界では定期的に勇者召喚を行い、勇者を召喚し、鍛え、魔族と戦わせる。
その後、戦争が終わるか停戦状態になったとしても、勇者達は魔物から国を守ってくれるし、勇者の子孫は基本的に能力の高い者が多く生まれる。
「わたしはそんなものになりたくありません」
「分かっている。勇者として召喚されたのは他にいた三名の男女で、そなたは巻き込まれたのだ。近くにいたせいもあるが、元よりこちらの世界の神であったため、引きずりこまれてしまったのだろう」
「ええ……」
ネラが申し訳なさそうな顔をする。
「せっかく人としてのんびりと過ごしていたのに、すまない。まさか巻き込まれるとは思ってもいなかった。しかし、そちらの世界の神との契約は成されてしまった。召喚魔法で喚び出された者はもう、元の世界には戻せない」
「どうしてですか?」
「元の世界から存在そのものが消えるからだ。人々の記憶からも、関わった物も、何もかもが抜き取られ、それを異世界での『重み』として移す。その『重み』がなければ異世界で存在することは出来ない」
「そして、その抜き取ったものは戻せないと?」
「そういうことだ。理解が早くて助かる」
……本当にわたしは神なのだろうか。
見下ろした手はどう見てもただの人間の女の子の手だ。
ネラが手を振ると、目の前に手鏡が現れる。
「それで自身を映してみよ」
言われた通り、手鏡を覗き込む。
「っ!?」
そこにはわたしがいた。
ボブヘアーの黒髪の、どこにでもいそうな女子高生。
でも、その後ろに、真っ黒なローブを着た骸骨がいる。
慌てて振り向いてみてもそこには何もいないのに、鏡を覗き込むとわたしの後ろに骸骨がいる。
「……死神……?」
真っ黒なローブを着た骸骨は人の背丈くらいある大鎌を持っていて、それは、まるで死神のようだった。
「そなたの生まれた世界ではそう呼ばれている」
「え、わたし、死神の生まれ変わりなの?」
「うむ、そうとも言えよう」
……死神……。
手鏡がふっと消える。
「言葉だけでは信じられないだろう」
ネラが手を叩くと、今度は大鎌が現れる。
わたしの身長と同じくらいある。
とても重そうで、刃は鋭く、黒い鎌はまさに死神の持つ鎌といった風であった。
けれども、やはりどこか懐かしさを感じた。
そっと鎌に触れ、柄を握る。
驚くほど手に馴染み、しっくりくる。
しかも鎌は重さなどないのではと思うほど軽い。
ソファーから立ち上がり、試しに振ってみると、長年ずっと扱っていたもののように簡単に振り回せた。
どこも引っかからないし、どこも当たらない。
わたしの体の一部のように感覚で使い方が分かる。
「それはそなたの唯一の相棒であり、友だ」
「友?」
「そうだ。それは人の形を取れる」
鎌を見れば、ぐにゃりと蜃気楼のように鎌の形が乱れ、次の瞬間、誰かに抱き着かれた。
「トア! やっと会えたな!」
若い男の子の声だった。
視界には真っ白な何かが映り込んでいる。
すぐにわたしに抱き着いた人が体を離した。
雪のように真っ白な髪と肌、少しやんちゃそうな顔立ちは非常に整っており、黒いローブを羽織っている。その瞳は血のような深紅である。
初めて会うはずなのに、もう何年も会っていなかった家族に再会した時のような、懐かしさと喜びと、少しの引け目を感じた。
「それはそなただけの武器、そなただけの相棒、そなただけの友。そして、そなたのためだけに存在する。命を刈り取るための鎌だ」
そっと手を伸ばせば、わたしの手に男の子が顔を寄せる。
「あなた、名前は?」
「オレに名前はない。でも、トアがつけてくれたら嬉しい」
キラキラと深紅の瞳に見つめられる。
真っ白な髪が輝いていて綺麗だった。
「……ユキ。雪みたいに真っ白で綺麗な髪だから」
「トアは昔から雪が好きだったよな。ユキ、ユキかあ。悪くないな。トアの好きなものだ」
男の子、ユキが嬉しそうにニッと笑う。
「これから、そなたを我が世界に送る。けれど、そなたは人であるが神でもあり、勇者にはなれない。勇者になれるのは人族だけだ。故にそなたは表向きは一般人として過ごせば良い」
「……表向き?」
「我が世界に三柱しかいない神の一柱なのだ、望めばどのようなことも出来るし、何でも生み出せる。たとえ人の身に生まれ変わっていようとも神の力が消えたわけではない」
つまり、わたしは表向きは巻き込まれただけの一般人として過ごし、困ったら神の力を使って好きに生きればいいという話だった。
「神の力を使えばいいって言われても、使い方も分からないですよ」
「望むだけだ。神であるそなたが望めば、それは叶う。もし困った時は我を呼ぶがいい。いついかなる時でも、そなたの呼びかけに応えよう」
「何、その至れり尽くせり感……」
逆に怖いと思っていると、わたしの体が淡く光り出す。
「む、もう時間か」
ネラが少し残念そうに呟く。
「ディストア、いや、朔よ。そなたの鎌はそなたにつけておこう。我が世界で好きに生きるが良い。勇者を助けるも、放っておくも、そなたの自由だ」
ユキの姿がぐにゃりと歪み、そして、小さな光の球になるとわたしの胸元へ吸い込まれていった。
驚いていると体の内側から声がした。
『オレはトアとずっと一緒だ』
よろしくな、と聞こえる声に頷いた。
「それでは、朔、良い人生を」
ネラが手を振る。
視界が白く染まっていき、ふわ、と浮遊感に包まれる。
けれどもすぐに浮遊感が消え、わたしは硬い床に尻餅をついた。地味に痛い。
「おお、勇者様が呼びかけに応えてくださった……!!」
その声に顔を上げれば、そばに宮嶋君とその従妹さん、津辻さんの三人が、わたしと同じように床へ座り込んでいた。
周囲にはコスプレみたいな白いローブを着た人、騎士みたいな格好の人、そしてドレスを着たお姫様みたいな人などがいる。
「勇者様方、どうかこの国をお救いください……!」
可愛らしいお姫様のような人が祈るように両手を重ね、そう言った。
……わたし、本当に異世界に来ちゃったのかな……。
お姫様らしき人が勇者召喚について説明するのを、どこか遠くの出来事のように感じる。
魔物や魔族のせいで民は苦しんでいると言うが、そのお姫様みたいな人が着ているドレスは華やかで、身につけている宝石などはとても高価そうだ。
……うわ、胡散臭すぎる。
召喚早々、厄介事に巻き込まれた予感がした。