死神将軍と妖精令嬢は最愛を手に入れる(冒頭)
その日、アークシス=ウィンザードは王城を訪れた。
グランツィエル帝国皇帝陛下、フェデリコ=ラエル・グランツィエルより重要な案件があるために登城せよとの命があったのだ。
元より王城が職場であるため否やはないが、父であるウィンザード侯爵にも必ず登城するようにと言われ、アークシスは朝早くに王城へ出仕した。
しかし、アークシスを見て礼を執る者はいても、挨拶の声をかけてくる者はいない。
それは彼が『死神将軍』と呼ばれているからだ。
燃えるような紅い髪に新緑の瞳。
それだけならばまだ良い。
けれども彼は大柄で、体格が良く、その顔立ちも野性味があり、鋭い目付きは三白眼で、ただ見ているだけなのに「睨まれている」と勘違いされてしまう。
短い紅い髪をきっちり後ろへ撫でつけ、軍服をかっちりと着込んでいる姿は人を寄せつけ難い雰囲気がある。
しかも口を開けば腹に響くような重低音の声だ。
そこにいるだけで存在と威圧を感じさせる男。
一軍人からの叩き上げのせいか平民からの人気は高いが、貴族からはその強面のせいで不評だった。
だが、皇帝からの信頼は厚い。
普段は王城で軍人として体を鍛え、警備を担当し、時には王族の護衛も行う。
そうして長年小競り合いを続けている隣国ヨランジュ王国との戦があれば、そこに向かい、先陣を切って戦場を駆ける。
それがアークシスの仕事であった。
死神将軍などという呼び名はその血のように紅い髪と何度戦場に向かっても敵を打ち滅ぼして生還してくることから、そう呼ばれている。
……まあ、裏では色々と言われているのだが。
紅い髪は敵の返り血に染まっているようだとか、戦場で出会ったら死しかないだとか。
貴族は細身で繊細な、整った顔立ちの者が人気が高いため、その正反対の外見をしているアークシスはどうしても受け入れられ難い。
王城の廊下をアークシスは進んで行く。
ただ歩いているだけなのに、人々に避けられる。
確かにアークシス自身、自分の外見は近寄り難いものだと思うので、そのような周囲の態度にも慣れてしまった。
朝早く、まだ部下達も来ていない時間からアークシスは自分に割り当てられた執務室に入る。
コートを壁にかけ、自身の席に着く。
小さく息を吐く。
……相変わらずだな。
周囲から怯えられるのには慣れている。
慣れてはいるが、何とも感じないわけではない。
何もしていないのに「怖い」と怯えられればそれなりに傷付くし、ただ目が合っただけで「睨んだ」と冤罪をかけられるのも疲れる。
部下達ならばそのようなことはないのだが。
それは長年共に戦ってきた戦友であり、同志であり、仲間であり、命を預け合った者として理解してくれているからだ。
机の上に積み上げられている書類を手に取る。
ちなみに、死神将軍と呼ばれる理由は実はもう一つあるのだけれど、それは軍の関係者の中でもアークシスと共に戦場に出た経験のある者だけが知っている。
相対すれば死が訪れる、死神のような将軍。
そして彼が戦場に出るようになってから、隣国との戦争が激化し始めたことから死神に好かれている将軍とも言われている。
それがアークシス=ウィンザードという軍人だった。
* * * * *
ある程度の執務を終え、アークシスは部下達に一言告げて部屋を後にする。
皇帝陛下がわざわざ呼ぶということは、相当重大な内容なのだろう。
……まさか、またどこかで戦いが?
隣国との戦争は長く続いている。
情勢は我が国グランツィエル帝国の方が優位だが、だからと言って油断は出来ない。
王城の奥に進み、皇帝陛下の政務室へ向かう。
多くの軍人達が警備をしており、その者達はアークシスを見かけると脇に避けて敬礼を行った。
アークシスはそれに小さく頷いて通り過ぎる。
そして皇帝陛下の政務室へ到着した。
扉を叩けば、中から現れたのは陛下の侍従だった。
アークシスが名乗ると中へ通された。
控えの間でしばし待ち、侍従が戻って来て、更に奥へ招かれる。
そこにはグランツィエル帝国の皇帝陛下がおり、入ってきたアークシスを歓迎してくれた。
「アークシス、よく来てくれた」
皇帝フェデリコ=ラエル・グランツィエルという人物は金髪に金の瞳をした、温和そうな外見の人である。
御歳五十八歳だが老いを感じさせず、皇帝でありながら誰に対しても比較的好意的で、寛容で、滅多に声を荒げるような人物ではない。
しかし、だからと言って気が弱いかったり優柔不断だったりはしない。
むしろ怒らせてはいけない部類の人間だ。
時には非情な判断も躊躇いなく下し、国や民を害そうとする者には容赦がなく、常に公平さを保とうと努力されておられる。
だからこその皇帝なのだろう。
この方の微笑みが常に良い意味だけとは限らないことを、アークシスは知っていた。
立ち上がった皇帝陛下が近付いて来る。
それにアークシスは敬礼を行った。
「陛下の命とあらば、いつ、いかなる時でも馳せ参じましょう」
もしも何かあれば、他を置いても駆けつける。
アークシスを高く評価し、取り立ててくれた恩人でもある皇帝陛下のためならば、どのようなことがあっても守りきる。
それこそ自身の命を投げうってでも。
「ははは、それは頼もしいことだ。そなたのように勇敢な男が必ずや駆けつけてくれるとは心強い」
「さあ、かけたまえ」とソファーを示されて頷いた。
皇帝陛下が座り、アークシスもその向かい側に腰かける。
侍従がお茶を用意してくれたので、礼を述べてから、それに口をつけた。
良い茶葉が使われていて非常に美味い。
アークシスがティーカップの中身を半分ほど飲んだところで、皇帝陛下が口を開いた。
「今日は急に呼び出してすまない。実はエルディンから妖精の話を耳にしたのだ。そなたが死神将軍などと不名誉な渾名で呼ばれていることは知っていたが。……それは事実か?」
その言葉にアークシスは驚かなかった。
「はい、私には妖精がついております。同じ軍人からは妖精ではなく死神と思われているようですが」
「そうなのか? 何故だ?」
「その妖精が現れた戦場では、敵味方関係なく多くの死者が出るからです」
アークシスには妖精がついている。
雪のように白い髪と肌に、ルビーのように赤い瞳の、繊細な顔立ちのとても美しい儚げな少女の妖精だ。
アークシスはその美しさから『妖精の君』と呼んでいるが、軍人達は『死神』と呼ぶ。
老人のような白髪に血のように赤い瞳。
その妖精は激しい戦いが起こる前夜に現れる。
それは決まって深夜、アークシスが休んでいる時に、突然天幕の外から悲痛に泣き叫ぶ声が響き渡るのだ。
その声は慟哭に近く、この世のあらゆる悲しみや苦しみを詰め込んだかのような胸を抉るもので、それを聞くとしばらくその声が耳に残るほどだ。
気の弱い者の中にはそれで精神をやられてしまうことすらあった。
少女の高い声が生み出す慟哭は闇夜を切り裂く。
敵陣まで響くのではと思うほどだ。
「私が十九歳の時、突然妖精は現れました」
常に戦場で現れるわけではない。
だが、激戦となる時には必ず現れる。
アークシスはその妖精のおかげで何度も戦いを生き抜くことが出来たと言っても良い。
皇帝陛下が考えるような仕草を見せた。
「ふむ、そなたが十九からということは八年ほど前か?」
「ええ、そうです」
アークシスが頷いたところで、扉が叩かれ、侍従が部屋を出て行った。
すぐに戻って来ると皇帝陛下に耳打ちをする。
それに皇帝陛下が一つ頷いた。
「今日そなたを呼んだのは、とある令嬢と引き会わせたいと思ったからだ」
侍従が扉へ向かっていく。
「陛下、ですが私は──……」
「そなたが外見を気にしているのは知っている。その点に関しては問題あるまい。今日紹介する令嬢は私の姪だが、そなたの容姿に怯えるような娘ではない」
皇帝陛下のお言葉に驚いた。
貴族の令嬢は特にアークシスのような外見を怖がったり嫌がったりするので、予想外のことだった。
背後で扉の開く音がする。
皇帝陛下の視線がアークシスの後ろへ向かった。
「アリステア、入りなさい」
背後から「はい、失礼いたします」と高く澄んだ声がする。
その声の若さに驚いてアークシスは振り返った。
そして、思わず呟いてしまう。
「……妖精の、君……?」
そこには金髪に青い瞳の、髪や瞳の色は違えど、アークシスの『妖精の君』と非常によく似た少女が立っていた。
* * * * *
アリステア=ユーフィリアは十八年前にユーフィリア公爵家に生を受けた。
まるで蜂蜜をそのまま流したような金の髪に、透き通った海のような明るい青色の瞳を持ち、生まれながらに非常に整った顔立ちであった。
生まれてすぐの赤ん坊を見た母親である公爵夫人は溜め息混じりにこう言った。
「こんなに可愛い子は、初めてみたわ……」
事実、父親であるユーフィリア公爵も、アリステアの兄も、生まれてきたアリステアを見て驚いたほどだ。
しかも平均的な赤ん坊よりもやや小さかった。
そのあまりの愛らしさとか弱い姿にアリステアはすぐにユーフィリア公爵家の誰からも愛される存在となった。
そうしてアリステアは幼い頃より物静かな子供だった。
必要以上に泣くことはなく、暴れることもなく、乳母は心配したが、それを他所に公爵家の長女はすくすくと育っていった。
一年、二年と成長していく度にアリステアの容姿の美しさに磨きがかかっていく。
侍女やメイド達の苦労のおかげもあっただろう。
それでも、その時はまだ「この子は人より美しい容姿を持って生まれた」のだと両親も兄も、使用人達もアリステアを慈しんだ。
アリステアは何不自由なく、幸せに過ごしていた。
母親が出かけるお茶会について行くこともあったため、その美しい容姿はあっという間に噂の的となった。
さすが公爵家のご令嬢。
まるで生きる宝石のようだ。
誰もがアリステアの美しさを賞賛した。
母親が降嫁した王女であり、現国王の姪でもあり、まだ幼いというのにその美しさから早くも縁談が舞い込むほどであった。
だが、アリステアは大量の釣書を見ても、婚約に頷くことはなかった。
恋や愛という感情以前に、親族以外の者に興味を示さなかったのだ。
両親はそれに首を傾げた。
お茶会などでは誰とでも話したり遊んだりする子だが、そういえば特定の友人はいないと気が付いた。
「アリステア、お友達はいるかい?」
父親の言葉にアリステアは首を傾げた。
「おともだち?」
「そう、これからも仲良くなれそうだなと……、遊んだりお喋りをしたりしたいと思った子はいないのかい?」
「いないわ」
「だってみんなちがうもの」とアリステアは言った。
何が『違う』のか父親は訊いたものの、アリステア自身も上手く言葉で表現することが出来なかった。
それでもいつか、友人が出来るだろう。
アリステアは人気があるから。
両親も兄もそう考えて見守り続けたが、アリステアが十歳の冬、彼を初めて認識したのは八年前のことだった。
この帝国は長いこと隣国と戦争状態が続いている。
現在は小康状態であるものの、八年前はかなり状態が悪化しており、何度も隣国との境界で大きな争いが起きた。
当時、アリステアは戦争をよく理解していなかった。
ただ、王都から大勢の軍人達が隣国との国境沿いへ派遣され、その出発式を兄と共に見に行ったのだった。
大勢の軍人が一糸乱れぬ歩調で街の大通りを進んでいく。
それを、大勢の人々が見送っていた。
中には家族や友人もいたのだろう。
次々と声援が投げかけられていく。
そんな中、アリステアは兄と逸れないように手を繋がれてそれに混じって軍人達の行進を眺めた。
初めて見る光景は圧巻だった。
詰めかける人々の熱気も、足音を一定に響かせる軍人達の進軍も、その足音を搔き消しそうなほどの声援も、何もかもに驚いた。
アリステアは公爵令嬢だ。
これまで、殆どの生活を公爵邸で過ごしてきたアリステアにとっては多くの軍人を見たこと自体が初めてであった。
自分の護衛や邸の警護はいたが、軍人達よりも気安く、アリステアをよく可愛がってくれる。
だが目の前の軍人達は違った。
全員が無表情で、キリリと引き締めた横顔はどこか怖いくらいに近寄りがたい。
それなのにアリステアの兄は「格好良い」と言う。
アリステアはそんな兄を見上げ、それから、改めて軍人達を見た。
そこに彼がいた。
その時は名前も知らない人だった。
短く刈り上げた髪は軍帽に仕舞われており、分からず、その陰にある目は鋭く、顔付きは強面で。
でも、アリステアは彼と目が合った。
たまたま偶然のものだった。
しかし目が合った瞬間、鮮やかな緑の瞳を見て、アリステアの心臓が大きくドクリと跳ねて顔が熱くなる。
言葉に出来ない感情が体を駆け巡った。
それが『喜び』だと知ったのはかなり後のことだ。
視線が重なったのは本当に一瞬の出来事で、瞬きほどの時間であった。
あっという間に彼は行進で通りの向こうへ消えていった。
「すごかったね、アリス!」
興奮する兄にアリステアもドキドキと高鳴る胸を押さえて頷き返した。
それがアリステア=ユーフィリアの初恋だった。
そして、それがアリステアと彼の人生の転機となったのだった。
名前も外見もまともに知らないのに、それから彼のことが忘れられない。
何故かは分からないが思い出してしまう。
そんな気持ちを抱えたまま、三日が過ぎた。
そうしてその日が訪れた。
「え、アリステア様?!」
夜、乳母が本を読み聞かせて寝かせようとしていた最中、ベッドの上で横になっていたアリステアがパッと消えてしまったのだ。
信じられない光景と出来事に乳母は半狂乱になってアリステアを探した。
しかしどこにも見当たらない。
慌てて乳母は公爵夫妻の下へ駆けていき、事の次第を説明した。
公爵夫妻も慌てて使用人達に娘を捜索させた。
公爵邸も、庭も、それこそ庭師が使っている小屋や馬小屋まで、探し回ったがどこにもいない。
誰かに連れ去られたのかとすら思われたその時、メイドの一人が息を切らせて走って来た。
「お、お嬢様がお部屋にいらっしゃいます!!」
メイドが指差す方向へ全員が向かった。
アリステアの部屋に行くと、そこには、確かにベッドの上にアリステアが眠っていた。
部屋は隅々まで調べた上に、騎士が必ず部屋の前にいたというのに、どういうわけかアリステアは誰の目にも触れずに部屋に戻っていたのだ。
窓から入るにしても、アリステアの部屋があるのは三階でとてもではないが十歳の令嬢が出入り出来るような場所ではない。
「ああ、アリステア、良かった……!」
母親が思わずアリステアを抱き締めた。
そしてアリステアの様子がおかしいことに気付く。
体を起こしたのに目を覚まさない。
それに、シーツが少し汚れている。
シーツを捲ってみるとアリステアの足の裏は土で汚れており、明らかに外に出た形跡があった。
すぐに医者が呼ばれ、眠り続けるアリステアは診察を受けたが、医者の見立てではただ眠っているだけだという。
触れても軽く揺らしても、頬を軽く叩いてみても、目を覚まさない。
時折寝返りを打ったり寝言を口にするので意識がないわけではなさそうだが、アリステアはそのまま三日も眠り続けた。
皆がこのまま目を覚まさないのではと心配する中、姿を消したあの事件から三日目の晩にアリステアは何事もなかったかのような様子で目を覚ました。
「お父さま、お母さま、お兄さま? みんなもどうしてここにいるの?」
その間のことをアリステアは何一つとして覚えていなかった。
これには誰もが首を傾げたものの、公爵家はアリステアが無事に目を覚ましたことに安堵したのだった。
しかしアリステアが姿を消すという事態が、これより八年間、何度も起こるのだった。
* * * * *