神託の御子姫は婚姻後に恋をする(冒頭・続)
目を覚ますとわたしは大きなベッドにいた。
あまりにフカフカで落ち着かなくて起き上がる。
見覚えのない部屋だ。
ぼんやりしていると部屋の扉が控えめに叩かれた。
そして少し間を置いて、中年くらいのメイドが入ってきた。
メイドはわたしに気付くと頭を下げた。
「御子姫様、お目覚めとは気付きませんで失礼いたしました」
「い、いえ、大丈夫です」
近付いてきたメイドがベッドサイドのテーブルに置かれていたグラスにピッチャーから水を注いで、渡してくれた。
それを受け取ってとりあえず一口飲んだ。
ほんのりと柑橘系の爽やかな香りがする。
自然と肩の力が抜けた。
「ありがとうございます」
メイドの女性がニコリと微笑んだ。
「あの、ここはどこなのでしょうか……?」
「王城の客室の一つでございます。御子姫様、お身体に問題がないようでしたらシャブラン様が面会を希望されております。御子姫様の現状についてご説明をしたいとのことです」
良かった、状況を教えてもらえるらしい。
「……身体は大丈夫みたいです。わたしもお話を聞きたいのでお会いしたいです」
「かしこまりました。お伝えして参ります。それから身支度を整えるためにメイドも連れて来ますので少々お待ちいただけますでしょうか?」
「え?」
……身支度?
「いえ、それくらいなら自分で出来ます。メイドの皆さんに手伝わせるのは申し訳ありません」
メイドが驚いたように一瞬、目を瞬かせた。
けれどすぐに浅く頭を下げる。
「かしこまりました」
そうしてメイドは顔を上げると「この部屋にあるものはお好きにお使いください」と言って下がっていった。
キビキビしていて、仕事の出来る格好良い女性という感じのメイドだった。
わたしは手の中のグラスの中身を飲み干し、そのグラスをベッドサイドのテーブルへ戻してベッドを出る。
履いていた靴はきちんとベッドの横に揃えて置かれていたのでそれを履く。
立ち上がって部屋の中を見回した。
大きな暖炉があり、豪奢な内装の室内はどこを見ても煌びやかで酷く落ち着かない。窓の外にはテラスもあるようだ。
ドレッサーがあったので移動して、そこへ腰掛ける。
大きくて装飾性の高いドレッサーはピカピカに磨き上げられており、試しに引き出しを開けてみれば、中にブラシなど身支度に必要そうな物が入っていた。
ありがたくそれを使わせてもらうことにした。
鏡を見ながら髪を梳かす。
わたしは装飾品の類を一切身に付けることが許されていない。
御子姫は清貧でなければならないという神殿の意向を受けて、王女という身分になっても、わたしは神殿から送られてくる御子の衣装しか纏うことが出来なかった。
神官用の真っ白な衣装は袖や裾が金で、そこに金糸で植物の刺繍が僅かに施されているが、それだけだ。
これでも一応最高位の特別な神官服である。
髪を梳いた後、立ち上がって服の皺を伸ばす。
壁に取り付けられた姿見で確認する。
……うん、大丈夫そうだ。
部屋の扉が叩かれる。
………………あ、そっか。
「どうぞ」
声をかけると扉が開かれた。
先ほどのメイドが入ってくる。
「シャブラン様を応接室へお通しいたしました」
「ではお会いします」
メイドが一瞬止まった。
「こちらでございます」
そうして扉を開けて横に避けてくれたので、そちらへ向かう。
どうやら続き部屋に案内してくれたらしい。
小さな部屋を挟んだ先が応接室だった。
メイドが扉を開けてくれると、ソファーに座っていた男性が立ち上がり、礼を執ってくれた。
それにわたしも礼を返す。
顔を上げたその男性には見覚えがあった。
……皇帝陛下のお側にいた騎士様だ。
騎士はわたしがソファーに座るまで待ち、わたしが腰掛けると、元いた場所へ座った。
メイドが紅茶を用意してくれる。
「ありがとう」
メイドは黙って浅く礼を執ると部屋の隅に下がった。
紅茶を飲みつつ、チラと視線を上げれば騎士と目が合った。
綺麗な短い金髪に鮮やかな翡翠みたいな瞳は、倒れる前にも見たので記憶に残っている。顔立ちは整っているが精悍で、体格も、座っていてもわたしより一回り以上大きい。
ティーカップをソーサーごとテーブルへ戻す。
男性が見計らったように口を開いた。
「改めて自己紹介させていただきます、マルブランシュ帝国シャブラン公爵家が次男ロベール=シャブランと申します。皇帝陛下の近衛副隊長という地位をいただいておりましたが、現在は御子姫様の護衛騎士という栄誉を賜りました」
胸に手を当てて略式の礼を受ける。
わたしも両手を胸の前で交差して、神官の礼を返す。
王女として王家の養子となっても所詮は平民に過ぎないわたしは、神官の礼しか許されなかった。
御子姫の立場上、それ以外は使えない。
「初めまして、シャブラン様。わたしはイヴェット=ルジェ・セリュジエと申します。……お恥ずかしながら人々から神託の御子姫と呼ばれております」
いつも、この自己紹介が少し恥ずかしい。
自分で自分を姫と称するのは落ち着かない。
男性、シャブラン様が頷いた。
「御子姫様に現在の状況と、今後についてご説明するために参りました」
「はい、お願いいたします」
「ではまず、御子姫様のお立場についてお話しさせていただきます」
そうしてシャブラン様はわたしの現状について教えてくれた。
王族は全員捕縛され、王位も王族位も剥奪されたため、わたしも現在は王女ではなくなったこと。
このままでは神殿側から御子姫を返せと言い出すだろうということ。
しかし、皇帝陛下は御子姫を帝国に連れ帰りたい。
それについては神も同意の上である。
そのため、帝国籍を得る必要があった。
そこで手っ取り早く婚姻で籍を得ようとなった。
気絶する前のことを思い出した。
「そういえば、皇帝陛下はシャブラン様にわたしと婚姻するようにとおっしゃられておりましたね……」
「はい、御子姫様を帝国へお連れするために私と婚姻を結んでいただくことになります」
シャブラン様が淡々と言いながら頷いた。
……この人は反対しないのだろうか。
「シャブラン様はそれでよろしいのでしょうか?」
「私は構いません。元より貴族であれば政略結婚はごく普通のことなので」
「そうですか……」
【この男なら大丈夫よ〜】と頭の中で神の声がした。
神がそう言うなら、そうなのだろう。
どちらにしてもわたしに拒否権はなさそうだ。
「分かりました」
まさか貴族と結婚することになるとは。
この国の王族も神殿も、わたしを結婚させるのを嫌がった。
純潔を喪えば、神託の力も失うのではと危惧されていたからだ。
だがこの話を聞く限り、シャブラン様との婚姻はいわゆる白い結婚と呼ばれるもになるだろう。
「わたしはこれまで公の場に出ることはございませんでした。貴族の生活というのも初めてで至らぬ点もあるかと存じますが、精一杯努力します。よろしくお願いいたします」
そこで、ふとシャブラン様が目を細めた。
「そこまで堅苦しく考えなくても大丈夫です」
シャブラン様は自分が次男で、騎士の一人に過ぎないため、シャブラン様の妻としてすべきことはほぼないと言う。
しかもわたしは帝城内にある宮の一つが与えられ、そこで暮らしていくのだそうだ。
シャブラン様も騎士寮からそちらへ移動し、宮で生活をするらしい。
「どちらかと言えば、御子姫様にはそのお立場上、これまでよりも公の場に出ていただくことになってしまいますが……」
しかしそれ以外では好きに過ごして良いそうだ。
「御子姫様は望むことをなさればよろしいのです。心穏やかにお過ごしいただければ、それが一番、我が国のためとなるのです」
頭の中で神が【そうそう!】と同意する。
……心穏やかに、か。
「……一つだけ、我が儘を申し上げても良いでしょうか?」
シャブラン様が頷く。
「何でしょう」
「神殿にわたしの弟達がいます。恐らく今は聖騎士として神殿に仕えていると思うのですが、その弟達を神殿から救い出して欲しいのです」
双子の弟達は十二歳から神殿に入った。
神殿の聖騎士として仕えているが、それは神殿がわたしに言うことを聞かせるために人質として引き取ったのである。
……弟達には可哀想なことをしてしまった。
他にも生きる道はあっただろうにわたしのせいで聖騎士以外の道を閉ざされ、しかも、弟達は弟達で姉を盾にとても口には出せないような汚いことをさせられていたようなのだ。
「もしお許しいただけるのであれば一度だけでも良いので弟達に会いたいのです。そして、弟達が望む道を歩めるようにしてあげたい。……あの子達はわたしの大事な弟だから」
もうわたしのせいで弟達の手を汚させたくない。
「陛下に必ずお伝えいたします。彼の方はきっとその願いを叶えてくださるでしょう」
その言葉にホッとした。
「ありがとうございます」
あの二つの小さな手を離してしまったあの日から、それだけがずっと心残りだった。
神を通して弟達の成長はずっと見守ってきた。
だから本当は会わなくても知っている。
でも、一度でも良いから直接会いたかった。
抱き締めて「ごめんね」と謝りたい。
あの家で十二歳まで幼い二人で暮らすのはとても大変だっただろう。
姉であるわたしが守らなければいけなかったのに、それを放棄させられたことが悔しかった。
「弟達の名前はレオン=ダルコとリオン=ダルコ、双子の男の子で、名前の通りダルコ村出身です。この王都にある神殿におります。立場は聖騎士見習いのままだと思います」
「分かりました。早速陛下にお伝えして探します」
それからシャブラン様は今後の予定についても話してくれた。
これより三日後にわたし達は帝国に向けて出立する。
ここには皇帝陛下が連れてきた代官を置き、セリュジエ王国の王族は赤ん坊の第四王子とわたし以外、処刑される。
第四王子は代官の下で厳しく育てられ、何れは属国となったセリュジエ王国の王位に就くこととなるらしい。
ちなみにわたしは属国の王女という地位のままになるそうだ。
帝国では少々ややこしい立ち位置になる。
属国の王女でありながら、神殿の神官であり、帝国内でも神託の御子姫であり、そして恐らく帝国に繁栄をもたらす御子姫として皇帝陛下と皇后陛下の次に高い身分となる。
……本当にややこしい。
でもそれはつまり、わたしより地位が高くなるのは皇帝夫婦だけとなるということだ。
「そして私は御子姫様の便宜上の夫ですが、正式な立場としては護衛騎士となりますので、お側に仕えさせていただきます」
「そうなのですね……」
それは少し寂しいと思った。
……ううん、仕方ない。
皇帝陛下と神の考えならば従おう。
そしてこの人と夫婦になる。
……白い結婚だけどね。
* * * * *
それから三日後、本当にわたしは王都を出立した。
持って行くのは大きな鞄一つ分だった。
数枚の服と下着とこれまで書いてきた数冊の日記。
わたしの出立の準備を手伝ってくれようとついて来てくれたあのメイドは私物の少なさに非常に驚いていた。
その鞄を馬車まで運んでくれたシャブラン様も驚いたようだった。
王城を出立した時、メイドは見送りに来てくれた。
たった数日だったけどとても世話になったので、少し離れるのは残念だったが仕方がない。
帝都までの旅は一ヶ月ほどかかった。
馬車の中には皇帝陛下とシャブラン様、そしてわたしが乗ったが、わたしは乗り物酔いを起こしてしまい、馬車に乗っていた時間はほぼ横になって過ごした。
最初は皇帝陛下の前でと焦ったが、当の皇帝陛下に「顔色が悪いから横なっていろ」と半ば命令のように言われてしまい、向かいの席を占領してしまった。
わたしが馬車に酔っている間、皇帝陛下とシャブラン様は帝国に戻ってからのことについて話していた。
その難しい話が子守唄になってわたしは気持ち悪さを感じつつも、わりとよく眠れたのだが。
街から街への移動では何度か野宿もあったけれど、天候に恵まれて雨が降ることもなく、その辺りは神のおかげだった。
眠れなくて起きている間は「祈り」と称して神と話していた。
わたしの夫となるシャブラン様は忙しそうにしており、この一ヶ月、あまり話す機会はなかった。
初めての旅は馬車酔いにあったまま過ぎた。
馬車は結構な速度で走っていたが、帝都に着くと、パレードがあるからと起こされた。
「対外的にこの戦争は『虐げられている隣国の民と御子姫を助ける』のが目的なのだ。無理やり連れて来たのではないと印象付けるためにも、御子姫には笑顔で民に手を振ってもらいたい」
なるほど、と納得した。
戦争の目的の一つにされるのは少々引っかかるけれど、御子姫であるわたしが暗い顔をしていたら、それは他国から付け入る隙になるかもしれない。
御子姫を無理やり奪った。
そう言われる可能性は高い。
もしかしたら神殿や他国がそれを理由に帝国に反旗を翻すこともあるかもしれない。
……まあ、その根底にあるのは、あわよくば御子姫を自分達の手に入れたいという欲望だろう。
それを考えたら帝国での暮らしは元引きこもりのわたしにはかなり好条件である。
公の場に出ることはあるが、それ以外は好きに過ごして良いのだから。
帝都に入ってからは起き上がり、ゆっくりと動く馬車の窓から帝都の民へ笑顔で手を振った。
かなり時間をかけて行われたパレードだった。
顔が引き攣るのではと思うくらい笑顔を浮かべたが、その中で一つ分かったこともあった。
馬車がゆっくり走る分には酔わない。
わたしが馬車酔いしていたのは、早く帝国に帰るために速度を上げて走っていたからだ。
帝都の民はわたしを笑顔で受け入れてくれた。
……出来るだけ質素に暮らそう。
この民達が納めた税を使って贅沢しようとは思えなかった。
元よりそんなことをするつもりもないが。
帝城に到着するとわたしとシャブラン様はそのまま、これから暮らすのだという宮に通された。
その宮は予想以上に大きくて、白を基調としたそこはまさしく白亜の宮殿であった。
思わず、その前でしばし立ち止まって見惚れてしまったのは言うまでもない。
大勢の使用人に出迎えられ、騎士達に厳重に警備され、本当に帝国で高い地位に置かれたのだと実感したが、それが逆に怖かった。
メイド達に傅かれて世話されながら思う。
……こんな生活に慣れる日は来るのだろうか。
頭の中で神が【イヴは順応性が高いからすぐに慣れるわよ〜】と笑っていた。
でも神のおかげでわたしは新しい居場所が出来た。
……神様、ありがとう。
心を込めて就寝前の祈りを捧げたのだった。