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いつかきちんと書きたい小説ネタ。

昔思い付いてザッと書いたものです。

雰囲気だけの山ナシ落ちナシです。

ネタを放り込んでおくだけ。


 




見慣れた校舎の廊下を私は走っている。


足音も、息遣いも聞こえない世界はまるでサイレント映画のよう。


ただでさえ普段よりも人が多いのに、目的地に近付くにつれて更に人影が増える。


直後、私が頭に手を伸ばした。周囲にいた人々が顔を顰めて耳を押さえるくらい酷い轟音が廊下を突き抜けていったのだろう。


――…間に合わなかった…。


必死に動かしていたはずの足が段々遅くなり、角を曲がる頃には歩きになってしまっていた。


そして、視線の先にある光景に一度立ち止まる。


音のない世界でも分かる。


怪我をした場所を押さえながら痛みを訴える子、恐怖に顔を引き攣らせて泣き叫んでいる子、彼らの傍で真っ青な顔のまま携帯電話でどこかに連絡をしている大人。


私の足はふらふらと窓硝子が砕け散った部屋に向かう。


誰かに肩を掴まれたけれど、目も向けずにそれを振り払った。


残った炎が生み出す熱さと煤に塗れた室内に入る。


何回も見てきた光景がそこにはあった。


床に倒れ伏した彼はピクリとも動かない。


爆発の中で制服は所々焼け焦げ、何かの破片によって体の各所に切り傷が出来ている。


私は彼に歩み寄ることも出来ずに、ただただ呆然と立ち尽くしていた。


尽くす手がない。


なんて言葉があるけれど、まさにそれだった。




「        」




だって彼はもう、生きてはいないのだから。






* * * * *

 


 





「――っ!!」




声にならない叫びと共に飛び起きた。


尋常じゃないほど早鐘を打つ心臓は痛いくらいに私の不安を掻き立てる。


耳元で聞こえる鼓動に無意識に詰めていた呼吸をゆっくりと再開させた。


一つ、二つと呼吸をすれば、鼓動は落ち着いていき、やがて正常に戻った。


ようやく動かした腕は鉛みたいに重く、汗で額に張り付いた前髪を指先で脇に払う。


チラリと動かした視線の先にあるデジタル時計の日付を見て、喉が震えた。



今日もまた、十月二十五日が始まった。



無理矢理体をベッドから引きはがして起き上がる。


もう見慣れてしまったはずの悪夢なのに毎回掻く寝汗に自然と顔を顰めてしまう。


制服と下着を持ってスリッパをつっかけながら部屋を出た。


階段を下りるとダイニングから良い香りが漂ってくる。


僅かに混じるコーヒーの匂いから、父が既に起床していることが分かった。


そのまま脱衣所へ行って扉を閉め、気持ち悪く張り付く衣服を脱いで乱雑に洗濯機へ放り込む。


肌寒さを感じながらもシャワーを頭から浴びる。


最初は冷水だから酷く冷たい。


でも、それをワザと浴びるのが最近の癖になっていた。


……私には、好きな人がいる。


クラスメートの男の子で、勿論一方通行の片想いだ。


すごくイケメンとか運動神経抜群とかじゃないが雰囲気がカッコイイ子で、話したことも多分片手で足りる程度。


どこが好きかと問われてもハッキリ答えられないけれど、それでも私は彼が好き。


――…だけど今日、彼は死ぬ。


文化祭初日の十月二十五日の十一時四十二分、調理室のコンロの一つが老朽化でガス漏れを起こし、爆発する。


彼は一番最初にガス漏れに気付いて室内にいた生徒を避難させた。


だけど他人のことばかりに気を取られていた彼は逃げ遅れ、爆発に巻き込まれて死んでしまう。


それを阻止するため…彼が生きている十月二十六日を迎えるために、私は今まで八回の十月二十五日を奔走し、八回全て彼を助けられず死なせてしまった。


誰かはこんな私を愚かと思うかもしれない。


とんでもない大馬鹿者だと嘲笑って罵るかもしれない。


それでもやっぱり私は彼に生きていて欲しいと思う。

 



「…大丈夫。今度こそは、きっと助けられる」




いつの間にか温かくなっていたシャワーの雨の中で呟いた。


そうして軽く汗を流した私は浴室から出てバスタオルで手早く体と髪を拭う。


ドライヤーですぐに乾くショートヘアで良かった。


風呂上がりでまだしっとりとする体に制服を着込み、ヘアアイロンとスプレータイプの軽いワックスで髪を整えてから脱衣所を出る。


一度部屋に戻りソックスを履いて、小さなドレッサーに座る。


普段通りファンデと薄くチークを頬にさす程度でおしまい。


唇には塗るとほんのり色がつくリップクリーム。


他の女の子達みたいにバッチリメイクはしない。


…あんな風に可愛くなれるほど私にはメイクの技術もセンスもないから、これで十分だ。


カバン片手に階下へ下りてダイニングの扉を開ければ、朝食を食べ終えた父がコーヒー片手に新聞を読んでいる。




「おはよう、お父さん」


「あぁ、(ふみ)か。おはよう」




キッチンにいる母にも挨拶をすれば明るい声で返される。


自分の席に座ってジャムに手を伸ばした。


さすがに八回も同じメニューだと食も進まない。


誤魔化すように普段は使わないマーガリンを掴み、それをジャムと一緒にトーストに塗って一口かじる。


…意外と美味しい。


珍しいことをしている私を父が不思議そうにチラリと見てきたが、気付かない振りをしたままテレビへ目を向ける。


聞き飽きたニュースキャスターの声がよく知らない政治家の収賄について報じていた。


嫌でも覚えてしまっているそれらを聞き流しつつ朝食を胃に詰め込む。


食器をシンクへ片付け、洗面所で歯を磨いて、最後に制服を確認してダイニングに行き、カバンを持って両親に声をかける。




「行ってくるね」




「行ってらっしゃい」と重なる両親の声に背を押されて玄関に向かった。


ローファーを履いて玄関扉を押し開ける。


秋独特のどこか物悲しい肌寒さの中を駅へ歩きながら考える。


…どうすれば今日は彼が死なずに済むのかな。


調理室から遠ざけておくのが一番無難だ。


しかし言うのは簡単だけど、これがなかなかに難しい。


彼はどちらかと言えば短気で、でも意外と面倒見が良いと言うか責任感が強いところがある。


任された仕事はきちんと終わらせなければ気が済まないし、周囲が困っていればすぐに手を差し延べる。


文化祭実行委員会に所属してしまっている彼は絶対、途中で調理室の様子を確認しに行ってしまう。


八回の十月二十五日の中でも、何をどうやっても必ず彼は調理室へ向かおうとするのだ。


だけど、事実を伝えたところできっと信じてなんかもらえない。


例え信じてもらえたとしても、やっぱり彼は他の生徒を助けるために行ってしまう気がする。


どっちみち彼の死亡フラグを回避出来ないわけだ。


ならいっそ彼の本意に背いてでも彼を助けるしかないじゃない。


彼が調理室に行かなかった場合、もしかすると大勢の死傷者が出るかもしれない。


その可能性を理解していながら、それでも彼を助けたいと思うのは私のエゴだ。


人の多い改札を抜け、タイミング良くホームに入ってきた電車に乗る。


通勤通学ラッシュの車内は相変わらず居心地が悪い。


十五分ほどで駅に着き、半ば人波に流されて電車から降りる。


改札を抜けて学校までの十分ちょっとの道のりだけで、気分的にはへとへとだ。


だけど私にとっては今からが戦いの幕開けとなる。


校門を跨ぎながら、文化祭の名前が書かれて綺麗にデコレーションされた垂れ幕が校舎の最上階から存在をアピールしている。


私は今まで通りその垂れ幕を一つ思い切り睨み付けてから昇降口に入って行った。


階段を上がって教室に向かう。


すれ違った生徒の奇抜な格好にも、もう驚かなくなってしまった。


むしろ毎朝見るたびに無駄に凝ってるな、なんて感心するくらいには見慣れてる。


そうして2-Aとプレートが出ている自クラスの扉を開けた。


ガラリとした音に教室内にいた人が振り返る。




「おはよ、結構早いね」




私より早く来ているくせに、笑みを浮かべる彼に私は返事をする。




「…おはよう。早く目が覚めちゃったから、先にちょっとでも準備しておこうと思って」




なんてもっともらしい言葉が自然に私の口から溢れ出す。


繰り返される十月二十五日の中で、同様に繰り返し続けた嘘は台本の台詞のように感じられた。


彼は向かい合わせに繋げられた二つの机に花柄の可愛いテーブルクロスをかけていく。


ロッカーの中にカバンを押し込み、貴重品の財布と携帯電話を制服のポケットに押し込んでから、私も教卓に積まれていたテーブルクロスを机に広げた。


女子が用意したからか花柄やらレースやらばかりだった。


それらにシワが寄らないように丁寧に整えながら考える。


…今日はどうやって彼を足止めしようかな。


まるでイジメみたい、と内心で嗤う。


彼が昼近くに調理室に行かないよう、近付かないよう、ずっと十月二十五日の中で邪魔をしている。


それしか私には思い付かなかった。


だって私以外の人々は十月二十五日を繰り返していることに全く気付いていないから。


本当のことを話したところで信じてもらえるはずもない。




「よし、こんなもんかなー」




若干機嫌が良さそうな彼の声にふっと我に返る。


気付くとテーブルクロスは全部机にかけられていた。


何度も繰り返していた行動だったせいか、無意識に手を動かしていたらしい。


振り返れば即席テーブルを眺める彼の背中が視界に入る。


それが一瞬、床に倒れる最期の瞬間と重なり思わず首を振って追い払う。


そうならないために私はココにいるの。


一つ深呼吸をしてわざと彼に聞こえる声量で呟く。




「…先生もう来てるかなぁ?」


「なんか用でもあんの?」


「用って訳じゃないけど…せっかく綺麗なクロスをかけたのに、テーブルの上がちょっと殺風景だし、何か飾れる物ないか聞こうと思って」




私の言葉に彼は「あー…、なるほどね」とテーブル達を見回して頷く。


そしてこう言うの。




「“そういえば美術準備室に造花があったはずだけど、それ使えねえ?”」




一言一句変わらない言葉に私は賛成する。


この“造花の選択肢”は、かなり良い。


何せ造花は私の両手いっぱい分くらいあって、それを運ぶだけでなく、造花を飾るための花瓶も更に借りることになる。


そして彼はまだ、この時点では花瓶の必要性を見出だしていない。


つまり彼か他の人が花瓶に気付くまで私は黙って流れに身を任せるだけ。


…罪悪感なんて十月二十五日を五回過ごした辺りには消えてなくなっていた。




「職員室行ってくっか」


「私も行こうか?」


「いや、一人で大丈夫。それより準備進めててよ」




彼は私の返事を待たずに教室から出て行ってしまう。


残された私は教室の前後の扉を開けて、喫茶店の名前が書かれた画用紙をセロテープで扉に貼り付ける。


用意されていた暖簾(のれん)を画鋲で出入り口の上に留めたり、会計専用に使う教卓を移動させたりしている間に一人二人とクラスメートが教室にやってくる。


段々増えていくクラスメート達と粗方の準備を終えた頃に彼はようやく戻って来た。


両手に抱えられた造花にクラスメートは歓声にも似た声を上げる。


皆が造花を手にするのを少し離れた位置から私は見ていた。


別に混ざる気がない訳ではなく、次なる策を進めるために脇にいた男子に話しかける。




「あの、迫田(さこた)君…」




 サッカー部で日に焼けた顔が私を見る。




「んー?って、向井(むかい)?珍しいなぁ、何か用かぁ?」




やや驚いた表情で見下ろされた。


今までほとんど話したことがないクラスメートに急に声をかけられて戸惑ってるよね。


何回繰り返しても迫田君のこの様子には苦笑いを浮かべてしまう。




「いきなりごめんね。ちょっと頼みたいことがあって…」


「頼みたいこと?」


「さっきクロスかけてて気付いたんだけど、あそことあっちの机、古いせいかすごくガタガタするの。先生に今から聞いてくるつもりなんだけど、よかったら机入れ替えるの手伝ってもらえないかな?」




元々ガタガタ揺れる机を指差して聞く。


普段なら気にしないことだけど、テーブルにする以上は揺れが酷い机は使いたくない。


でも私一人では二つも運べないから、と続ければ迫田君「おー、そんなんならいいぞー」と人好きがする笑顔を浮かべた。


クラスの中でも長身で体力のある彼に力仕事を頼むのは不思議じゃない。


何より迫田君は彼の親友だから、今まで通りきっと彼も手伝いに参加するはず。


彼の仕事を増やしてしまうのが少し心苦しいが背に腹はかえられない。

 

造花をどうするか話し合っている中から“花瓶”という単語が聞こえて来る。


花瓶は倉庫なので一階に下りなくてはいけない。


誰が取りに行くか決めようとしているクラスメート達を横目に、私は机の入れ替え許可をもらうべく職員室へと向かった。


短気な彼が痺れを切らせて自分が取りに行くと言い出すのは聞かなくたってもう分かっている。


ざわめく廊下には文化祭開始を今か今かと待ち遠しげに笑い合う生徒で溢れている。


これから一般人が入ってくれば、殊更騒がしくなる。


早く終わらせてしまおうと一階へ続く階段を一段飛ばしで下りて行く。


職員室前もかなりの数の生徒がいた。


きっちり閉められていた扉をスライドさせ、声をかけてから入り、閉める。


一度室内を見回して担任がいることを確認してから、足を動かした。




「先生、おはようございます」




隣りに立って声をかける。


担任は顔を上げて「あぁ向井か、おはよう」と言った。




「教室の机を二つ、備品室にあるものと取り替えても良いですか?かなりグラついてしまって、テーブルに使うのに不便なんです」




「そりゃ、構わないが…」と許可しながらも言葉を濁された。


担任が言いたいことは分かっているので、先手を打って私は口を開く。




「すみません、今朝気付いたんです」


「成るほどな。昨日のうちに気付いていればラクだったのに…一人で大丈夫か?」


「手伝ってくれる人がいるので平気です」


「そうか、気をつけて運べよ」




「鍵は一番左端のヤツだからなー」と机に向き直る担任に返事をして、壁にかけられている鍵の中から一番左端のものを取る。


古い鍵にはよく分からないキャラクターのキーホルダーがくっついていた。


手の平で覆い隠せるくらいの鍵を握った拳から、お世辞にも可愛いとは言えないキャラクターをぶら下げたまま職員室を後にする。


教室に戻りつつ携帯電話で確認すると時刻は八時半を少し回ったくらいだった。


…リミットはあと約三時間。


握り締め過ぎたのか鍵を持つ手が痛い。


全てがただの夢ならよかったのに、夢じゃないと訴える痛覚の現実味に泣きたくなる。




「あれ?」


 


不思議そうに聞こえてきた声に振り返れば、彼がプラスチックで出来た花瓶を入れたゴミ袋を両手で抱えて立っていた。


私も立ち止まってマジマジと彼を見返してしまう。


前回の十月二十五日はプラスチックの花瓶をそのまま大量に抱えていたのに、今回の十月二十五日の彼は袋を使っていたからだ。


…いくらプラスチック製とは言えど、ちょっと花瓶の扱いが雑な気がする。




「こんなとこで何してんの?そろそろ着替えないとヤバいだろ?」




花瓶の扱いを指摘するよりも早く彼がそんなことを言う。


自分だって同じくせに。




「机を入れ替えたら着替えるよ」


「机……あぁ、さっき勇介(ゆうすけ)が言ってたヤツか」




ふっと鍵を持つ手に視線を向けられ、慌てて手に込めていた力を抜いた。


ぶら下がるキャラクターを見て彼は一度目を瞬かせると、袋を持ち直してから片手を差し出してくる。




「俺も手伝うよ」




鍵貸して、なんて平然とした顔をする彼に素直に鍵を手渡した。


この繰り返される十月二十五日を経験していなかった頃の私だったら多分遠慮して断っていた。


彼は自分だって忙しいのに、いつも周囲の人々の仕事も一緒になってやってしまう。


しかも増えた仕事を器用にこなしてしまうから、皆も彼なら任せても平気だと甘えているような気がする。


それを当たり前のように引き受ける彼は相当のお人好しだと密かに私は思っている。




「でもいいの?迫田君もいるし、机くらい往復すれば私でも運べるのに…」


「中身が空でも机って地味に重いし、力仕事は男に押し付けとけばいいんだよ」


「…ありがとう」




フェミニストな発言に笑ってしまった。


怒るでも照れるでもなく彼はもう一度、今度は鍵を持った手を添えながら袋を抱え直し、思い出したように歩き出す。


今までの十月二十五日通り、隣りではなく半歩後ろを私はついて行く。


彼は振り返らないものの私でもゆっくりだな、と思う速さで歩いていた。


慌ただしく脇を駆けて行った生徒の背を何とは無しに眺める。


チラリと見上げた先にいる彼も通り過ぎた生徒を見ているみたいだった。

 


そのまま二人で教室へ戻り、彼はクラスメート達に袋ごと大量の花瓶を押し付けるように渡すと、迫田君の服の襟首を引きずるようにして掴みながらその様子を教室の入口で見ていた私に振り返る。


仲が良いと知っていても何回見たところで彼と迫田君の友好度合いがイマイチ分からない。




「さっさと終わらせるぞ」


「おう。机の一つや二つ、パパッと運んじまうか!」




だって彼は迫田君に対して雑なんだ。


扱いとか、態度とか、かなり大雑把。


そして迫田君も彼の雑な扱いに慣れたようにニカッと笑って受け流す。




「あ、向井は着替えてきちゃいなよー。オレらで机取り替えとくし」




 階段の途中で迫田君が思い出したように私を見た。


更衣室に続く廊下へ一度目を向けてから首を振る。




「私が頼んだのにそれは悪いよ。手伝う必要なんかないかもしれないけど、言い出しっぺなんだから私も行くよ」


「そーかー?向井って律儀だな」




返答に困って愛想笑いを浮かべたときに、彼が私を見た。


真正面から見られるのは苦手。


嘘が吐き難くなるし、相手の表情がハッキリ読めてしまう。


彼は何も言わずに迫田君へ視線を滑らせた。


………ココ。


この動作の意味と、彼の表情はいつも読み取れない。


怒っていないけれど、普通でもないような、この瞬間は酷く居心地が悪くなる。


さっきまでドキドキと密かに早鐘を打っていた心臓も、冷水を浴びたみたいに一瞬で落ち着いてしまうんだ。




「お前も見習えよ」


「んー、ほら、人には向き不向きってありだろー?オレはこんくらいでイイの」




そんな二人の後を追って一階の備品室に到着する。


彼が鍵を使って扉を開けた。


中に入れば澱んだ埃っぽい空気と木の湿った臭いがこもっていて、全員でちょっと眉を顰めてしまう。


夏じゃないだけマシかな。


これに熱気がプラスされていたら絶対に入りたくない。




「どれにするんだー?」




傍にあった机を動かして壁際に寄せ、道を作りつつ迫田君が問いかけてきた。


手伝うように彼も目の前に重ねられていた椅子の山を退かしていく。




「えっと、私の腰より少し低いくらいのかな。」


 


このくらいと手を理想の机の高さに持って行く。


二人は頷いて比較的に綺麗そうな机を探し出した。


私も手伝おうとしたのに埃だらけだからと断られてしまった。


時間稼ぎには好都合だけど毎回断られると流石に凹む。




「これなんかどうだ?」




少し奥から出して来た机を抱えて彼が振り向く。


パッと見は小さく見えるけれど、それは彼がそこそこ長身だからであって、机自体は丁度良い高さだった。




「いいと思う。高さもピッタリ」


「なー、コッチの机はどうだー?」


「ちょっと待って……うん、これも大丈夫だよ」


「じゃ、これとこれ運ぶかー」


「だな」




私の言葉に二人はそれぞれの机を抱え上げる。


教室に戻る途中で迫田君がエレベーターに乗ろうと言い出し、彼も本当は面倒臭く思っていたのか反論もせずに下りてきたそれに乗り込んだ。


本来は足が悪い人や怪我した人専用なんだけどね。


彼は扉の開閉ボタンを押したまま私を見る。


…やっぱり私も乗らなきゃダメか。


諦めて乗るとすぐに扉が閉まった。


小さなエレベーター内は彼と迫田君、二つの机、そして私でギュウギュウ詰めになる。


二人は机を入れ替えたら急いで着替えようだの、これからが忙しいだのと話していた。


私は会話に混ざらずに横の壁に視線を向けていた。


チン、と軽い音がして扉が開く。


先に出て、閉まってしまわないように扉に手を添えながら脇に避ける。


二人が机を持って出てから私もエレベーターを離れた。


机を教室に運び入れ、ガタつくものと交換する。


古い机を片付けに行く二人について行こうとしたが「テーブルクロスよろしく」と体よく今までと変わらず断られてしまった。


仕方なく私も今まで通りに頷いて新しい机にテーブルクロスを広げた。


それだけの作業だったので造花と花瓶は他の子に任せ、更衣室へ向かう。


私もウェイトレスとしてお店に出るので着替えなければならない。


ワイシャツをそのままに、スカートを穿()き替える。


私が渡されたのは柔らかな薄青色に白い百合の花が細かく刺繍された膝上十五センチのミニフレアスカートだ。


内側から少しだけ覗く白いレースがかなり可愛らしい。


それにスカートより少し短いくらいのエプロンを着る。


これは淡い黄緑にワンポイントで右胸のところに双葉の芽が描かれている。


頭にはエプロンと同色のバンダナを三角巾代わりにつけ、ヘアピンで留める。


ソックスはニーハイで白と薄い青色のものだ。




「…やっぱりちょっと可愛過ぎる…」




鏡の前で確認し終えて、ローファーを履き、溜め息を零しながら更衣室を出た。




「「あ」」


「え?」




綺麗に重なった母音に顔を上げると彼と迫田君がいた。


…そうだ、更衣室を出たときに鉢合わせになるんだった!


女の子らし過ぎて似合わない格好についつい気が緩んでしまっていたらしい。


とりあえず笑みを浮かべる。




「二人共、机ありがとう。忙しいのにごめんね」


「いやいや、別にあれくらい礼言われることじゃないって。そもそもクラスのコトだしさぁ」




迫田君がニカッと笑う。


隣りで彼が同意するように頷く。


二人が更衣室に消えて行くのを見送ってから私は教室へ戻った。


時刻は九時を十分過ぎた辺り。


一般開放が九時半からなので周りも騒がしい。


教室前方を入口専用にして、後方を出口専用にする。


既に十月二十四日の準備で教室内には間仕切りが立てられ、カフェとしての空間とは別に小さな空間が取られていた。


その中で受けた注文品を飾りつけて出す。


簡単に言えば厨房代わりのスペースだ。


後方の出口から出るには厨房脇を通って会計をして帰る、という仕組み。




「午前組は十一時半までねー。午後組は遅くても、その時間までには来てよ!」




クラス委員長が言いながら全員の名前が書かれたシフト表を厨房の壁に貼り付ける。

 


私は言わずもがな彼と同じ午前組だ。


手持ち無沙汰になっていた私は厨房代わりのスペースに置かれた紙皿や紙コップを纏めたり、ごちゃごちゃに混ざり合っていたクッキーなどを種類ごとに分けたりする。


今までは教室の隅にいたけれど気分的に今は何かをしていたかった。


厨房から出ると窓際に彼と迫田君がいて、二人揃って正門の方を眺めていた。


白いワイシャツに黒のスラックスで迫田君は淡い赤色のネクタイと同色のギャルソンエプロン、彼は淡い紫色のネクタイと同色のギャルソンエプロン。


二人のエプロンは左右対称で植物の絵が描かれていた。




「おっ、始まった始まった!」




楽しげに彼の肩を揺する迫田君。


揺らされる彼は呆れ気味の表情を見せながらも笑って頷く。


こんな二人の後ろ姿を見るたびに泣きたくなる。


何回も、何回も私は助けられたはずなのに失敗してきた。


今回こそは、なんて毎回信じて試行錯誤して…。




「みんなー、持ち場について!」




クラス委員長の声に私は二人から視線を外して振り返る。


とりあえず三時間くらいは彼も教室から離れないので、少しだけ肩から力を抜いた。


…今だけはウェイトレスの仕事に集中しよう。





* * * * *






何回繰り返しても私達のクラスの忙しさは変わらない。


それこそ一息吐く暇すらないほど、喫茶店は繁盛した。


飲み物とちょっとしたお菓子を出す程度のお店なのに、こうも忙しい理由の一つはウェイトレスやウェイターにあると思う。


カッコイイ男の子や可愛い女の子を見に来る他クラスや他校の子達が凄いのだ。


もう客を捌くだけで手一杯。




「ここまで忙しいと嬉しくない!」




表同様、戦場みたいに忙しい裏方の厨房でクラス委員長が騒いでいた。私も思わず内心で同意してしまう。


気付けば十一時を過ぎて午後組の人達がチラホラと教室にやって来た。それに伴うように私の心臓の鼓動も早くなる。


…後四十二分。


紙皿や紙コップを片付けながら、チラと視線を教室内に向ければ忙しそうに飲み物を運ぶ彼。


時々迫田君が通り過ぎざまに話しかけて、彼はそれを追い払うように手を振った。

 

時間が近付くにつれて手足が震えそうになる。




「午前組ー、交代してー」




聞こえてきた声に振り返る。


時刻は十一時半。彼は…、




「嘘…、いない…っ?!」




さっきまで、そこにいたのに!


慌てて廊下に出る。


が、彼の姿はどこにも見当たらない。


なんで?今までと動きが違う!


クラスメートに聞けば、クッキーが無くなりそうだったので午前組が交代する直前に、彼にお菓子を持ってきてもらうよう頼んだらしい。


お店に出してるクッキーなどのお菓子は調理班の子達が調理室で作っている訳で。


つまり、彼は――…


ザッと血が下がり、私はクラスメートの呼びかけを無視して走り出した。


廊下の時計は十一時三十七分を指している。


スカートのことなんて気にせず階段を一段飛ばしで駆け降りて行く。


今までは彼自身がお菓子が足りなくなることに気が付いたのに、どうして今回だけは他の子が気付いたの?


踊り場で人にぶつかって転んでしまう。


謝りながらも私はすぐに立ち上がって足を動かした。


パッと頭の中に仮説が浮かんだ。


“私が物を整理したせいだ”。


きちんと整理整頓してあったから、お菓子が足りなくなることに今までより早く気付いてしまったんだ。


間に合え、間に合え…っ!!


最後の一段を飛ぶ越えるように下りて調理室へ向かう。

大勢の人々を避けながら角を曲がった。


調理室から生徒達が我先に逃げ出している光景が見える。


生徒達を掻き分けるように近付けば、誰かが引き止めるように私の肩を掴んだ。


それを振り払って調理室の出入り口に手をかける。


ガスの嫌な臭いが鼻をつく。


彼の薄紫色のエプロンが見えた。


「か――…」


彼の名前を呼ぼうと口を開いた瞬間、物凄い衝撃と音に包まれる。


やだ、死なないで…っ。


肌を撫でていく熱さに歯を食い縛りながら私の意識はブラックアウトした。





 






「――…柏木(かしわぎ)君…っ」


バッと伸ばした手が見慣れた天井を背景に視界へ映り込む。


早い鼓動と間隔の短い呼吸が息苦しい。


アラームの鳴っていない携帯電話を掴み、震える手でディスプレイを確認する。


――…あぁ、ダメだった…。


今日もまた十月二十五日が始まっていた。


手中にある携帯電話を壁に叩き付けてしまいたい衝動に駆られる。


もちろん、そんなことをしたって十月二十五日が終わる訳でも彼が助かる訳でもない。


残った理性で何とか怒りを押し止め、携帯電話を握り締める。


まだ足には全力疾走した疲労の名残があるような気がした。


体全体で受けた爆発の衝撃も、肌を撫でた熱さも、目を閉じれば思い出せるのに、彼の最期の顔だけは記憶から抜け落ちていた。


ベッドから起き上がって自室を出て浴室へ向かう。


一時間以上早く起きたからか、家の中は人の動く気配がなく静まり返っている。


服を脱いで洗濯機に放り込み、浴室でシャワーを浴びた。


頬を伝うのがシャワーから落ちる湯だけではないことは、自分が一番よく分かる。


この言葉にならない激しい感情をいっそ叫んでぶち撒けてしまおうか。


本気で泣き叫んだら、もしかしたら誰か一人くらいは信じてくれるかもしれない。




「……なんて、信じてもらえなかったじゃない」




五回目の十月二十五日、私は両親に話をした。


彼が死ぬことも、何度も十月二十五日を繰り返していることも話した。


けれど両親は変な顔をして「今日は学校を休みなさい。疲れているんだよ、きっと」と取り合ってくれなかった。


結局は私一人で何とかするしかないんだ。




「“大丈夫。今度こそは、きっと助けられる”」




だってそうじゃなきゃ私が足掻いている意味がない。





 

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