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夢は現か、現が夢か。 02

以前書いた「夢は現か、現が夢か。」の続き(?)みたいなものです。

印象的だったので残しておきます。

夢の中では全てが美しい風景だったのですが、起きて時間が経つごとにその美しさが記憶から薄れていってしまうのが非常に残念でなりません。

 



 誰かに呼ばれる声で目を覚ます。

 冷たい石畳の固く、ザラザラとした感触が右頬にあった。

 灰色の視界を持ち上げてみれば大きな鳥居の前に私は倒れていた。

 鮮やかな()と黒い(うるし)の背丈が五メートルはあろうかというほど、本当に大きな鳥居に、私は起き上がったまま地べたに座り込んでポカンとそれを見上げる。つい先ほど出来上がったばかりのように美しく汚れ一つない鳥居だった。

 どこからともなく男性の囁く声が聞こえて来た。

 低く、柔らかく、穏やかで、恐らく二十かもっと下だろう声だ。

 私を呼び起こしたのはこの声らしい。

 ゆっくりと、しかし促すような声に私は立ち上がる。

 よくよく周囲を見回してみれば、石畳は背後までずっと続いていた。

 あんまり長いものだから遥か彼方の石畳は霞んでおり、左右には祭りで見かける出店が軒を連ねて同じく続いている。けれども店にも石畳にも人は一人もいない。

 ぼんやりその光景を眺める私の耳に、また男性の声が響く。

 人っ子一人いない石畳を何故か後ろ髪を引かれる思いで視界から外し、大きな鳥居に向き直る。

 声はどうも鳥居の向こうから掛けられているようだ。

 名前を呼ばれるた度に、一歩、二歩と鳥居へ近寄る。

 鳥居を潜ると、まるで少し冷たい水に入った時みたいなヒンヤリした感覚が体を撫ぜた。いや、撫ぜたというよりかは、冷たい膜を擦り抜けたと言う方が近いかもしれない。

 振り返れば鳥居を挟んだ向こう側の石畳は眩しく輝いていた。

 それに真っすぐ進むことも出来ないんじゃあないかというくらいに人でごった返している。誰もいなかったはずの石畳には浴衣姿の人々が行き交い、出店では店主や呼子が笑顔を浮かべ、けれどそれらには音がない。どうして音がないのだろう。

 戻りかけた私の手を誰かがそっと掴んだ。

 顔を前へ戻すと、何時の間にか誰かがそこに立っていた。

 水干(すいかん)姿だが腹部から上は空気に溶けたように消えており、顔は分からない。涼しげな白い水干に淡い青色の袴、足元は漆か何かで綺麗に光を反射させる大きな浅沓(あさぐつ)だ。

 その人は私と身長差が殆どないのか、ほぼ私の頭と同じ高さの、恐らくその人の頭があるであろう場所から声が聞こえて来る。私を呼ぶ声の主だった。主はこちらへ、とやはり囁いて私の手を引いた。

 引かれながら、私は自分が浴衣を着ていることに気が付いた。

 白地に淡い青で名前の知らない小さな花が描かれている。足は丸い形の下駄だ。

 怖いとは思わなかった。戻りたいとも思わなかった。

 案内される先も石畳だったが、周りは鬱蒼とした木々が生い茂る。まだ芽を出して数年程度の若木もあれば、樹齢数百年以上はあろうかという巨大な老木もあり、そのどれもが伸ばした枝に青々とした葉を蓄え、風が吹いて葉が擦れ合うと聴こえるさざめきが心地好い。

 石畳と、古びた石灯篭と、木々が(そび)える道を歩く。

 早過ぎず、遅過ぎず、立ち止まることもなく、手は私を連れて行く。

 やがてまた鳥居が目の前に現れた。今度は全身丹塗りの赤い鳥居で、大きさは二メートルもない。

 そんな小さな鳥居が石畳の上をずっとずっと遥か先まで数え切れないほど立っている。

 伏見の千本鳥居にそっくりだった。だが、この鳥居は最初に潜った大きな鳥居と同様に傷一つ、汚れ一つない真新しさを感じさせるものだった。

 私をここへ連れて来た主が、この鳥居の中へ行きなさい、と言う。

 私は一度鳥居の中に目を凝らして、でも先が見えないくらい続いています、と返した。

 主は、そうです、私にもこの鳥居の先は分かりませんが、貴女は息が切れ、疲れ果て、もう身動き一つ出来なくなるまでこの鳥居の続く限り進まねばなりません、と厳かに応えた。応えた後に続けて、振り返るのは良いですが、決して戻ってはいけません、とも言った。

 好奇心で、戻ったらどうなるのですか、と問うと、主は、そこに留まり続けることになります、とどこか悲しげな声で低く答え、私の手に竹筒の水筒と白い小さな包みを幾つか乗せた。

 せめてもの餞別(せんべつ)です、包みは疲れた時に口にしなさい。

 主の言葉に私は頷き返した。

 別れの挨拶はなく、主は私の背中をそっと小さな鳥居へ押し出した。

 ふわりと軽い足取りで私は鳥居の道へ足を踏み入れる。

 振り向かずに駆け出した。鳥居と鳥居の間は四、五十センチほどで注連縄が張られた隙間から木々と木漏れ日が差し込んでいる。十本ほど鳥居を抜けて振り返ると、入り口に水干姿の主が佇んでいた。そんなに離れていないはずなのに、烏帽子(えぼし)は分かったが、主の顔は分からなかった。手を振り返し、私はまた走り始めた。

 どこまでも続く鳥居の中を走る。走る。走る。

 木漏れ日が夕日になり、日が落ちて夜になれば所々にある石灯篭に仄かな火が灯る。

 それを頼りに夜は歩いた。不思議と眠気も疲れも感じなかった。

 夜が過ぎ、日が昇り、明るくなるとまた走り出す。

 日が出ている間は走り、日が沈んでいる間は歩き、もうどれほど進んだか。

 振り向いてみても、もう遠くの鳥居すら霞んでしまっていた。

 随分遠くまで来た。水筒を仰ぐと中は冷たくてほんの少しだけ甘い水だった。飲んでも飲んでも水筒の中身は減らず、口を閉じると中でちゃぽちゃぽと水の跳ねる音がする。疲れたので小さな白い包みも一つ取り出した。中身は白いサラサラとした粉が小指の爪ほど入っていた。口に含む。これは塩だ。

 体の奥底にまでじんわりと甘い塩気が染み込んだ。

 すると疲れが嘘のように消えて、私はまた道を進んだ。

 平坦だった道が段々上り坂へ変わり、上ったかと思えば、今度は下り坂へ変わる。

 坂は大きかったり小さかったり、道も途中から右へ左へ蛇行し、私は道なりに進んでいるものの、一体どの方角へ向かっているのは判断がつかなくなった。

 何度か立ち止まっては、不安になって戻ろうかとも考えたが、主が戻るなと言ったことを思い出してはグッと心を抑えて前へ歩いた。

 無性に主の声が恋しい。あの優しい声をもう一度聞きたい。

 あれから何日経ったのか。何本の鳥居を潜ったか。

 気付けば、日が出てからも私は歩いてばかりだった。

 最初の頃のように走る気力はなく、ただただ歩き続けた。

 前に休んだ所からも大分離れただろう。

 日が落ちて灯った石灯篭に寄り掛かり、その段に腰かけて、水筒の水を飲み、二つ目の包みを開けて口へ入れる。一度目の倍ほどの量の塩を二度に分けて味わった。ほう、と安堵の息が洩れる。

 包みはあと一つ。大事にしなければならない。

 日が昇るまで休み、私はまた歩き出す。真新しかった鳥居も流石にここまで来ると段々傷や汚れのついたものがチラホラと出始めた。ただ欠けたり壊れたりしたものは一つもない。

 ふと、石畳が石段へ姿を変えていた。

 見上げるほど高くまで続く石段に、私はよしと気合いの声を入れて足を乗せた。

 一段一段は二十センチほどで、表面はごつごつとして上りにくい。

 上っても登っても石段は上へ伸びている。

 日が昇り、日が沈み、月が出て、私は思わず立ち止まって空を見た。

 月を見るのは初めてだった。美しい満月だった。月光が石段に鳥居の影を薄っすらとつけ、石灯篭だけの時よりも足元がはっきりと見えた。私は何段か上っては空を見上げ、上っては見上げを繰り返した。

 辛い石段も毎夜見える月のお陰か止まらずに上り続けられる。

 しかし、やはりどうしたって疲れは来るもので、私は足が棒みたいになってしまったのでまた石灯篭の段に腰かけて水筒の水と最後の包みを開けた。包みの中身は一つ目の包みの三倍ほどの塩が入っていた。水を飲み、塩を舐め、足を揉み、また水を飲んで、塩を舐めた。僅かな塩を残して懐へ包みを仕舞った。

 日が沈むまで休み、月明りと石灯篭を頼りに私は歩く。

 足は裏まで痛くて、棒のように上手く言うことを聞いてはくれないが、懐に仕舞った包みの塩の残りをお守り代わりに浴衣の上から撫でて、自分の気持ちを奮起させた。

 あともう少し、あともう少し歩いたら休もう。

 そう言い聞かせて足を動かした。

 気付けば振り返るのも恐ろしくなるくらい高い場所まで登っていた。

 もしかしたら雲すら抜けてしまったかもしれない。

 仄かな石灯篭と月光の下を、足を引きずりながら石段を上がる。

 疲れで全身がくたくただ。水は飲んでも飲んでも喉が渇くし、最後の塩をちびちび舐めていたが、とうとうそれも尽きてしまった。お守りがなくなって急にまた心細くなった。

 だけども、流石にここから引き返すことは出来ない。

 同じ距離を歩くなんて無理だった。

 一歩も歩けなくなって座り込んだつもりが私は石段に倒れていた。

 全身が重く、腕を上げる力もなくなっていた。

 何とか這いずって上がろうとしたけれど、数段上がったところで力尽きた。

 主に歩き続けなければいけないと言われたのに、と悲しくなる。

 零れた涙がぽろぽろ石段を濡らした。

 しゃん、と涼やかな音が頭上から響く。

 しゃん、しゃん、しゃん、しゃん。音が近づく。

 しゃん。音が倒れた私のすぐ前で止まる。

 白い布に包まれた草鞋(わらじ)を履いた足が見えた。

 そうっと頭に人の手が触れる感触がした。

 頭上で、よくここまで辿り着きましたね、と優しい声がした。

 主の声に似た、でも主よりも年嵩(としかさ)の男性の声だった。

 どなたですかと聞こうとしたものの、声は掠れて音にならずに消えた。

 ふわっと白い布が私へ被せられる。絹なのか、柔らかく触り心地の好いその布には、同じく白糸で美しい花が幾重にも刺繍され、月明りの中で微かに浮かび上がる花は清廉として見えた。

 その美しい白い布に包まれて抱き起された私は、声の主を見た。

 黒い直綴(じきとつ)に網代笠を被り、金色の錫杖(しゃくじょう)を持つ。

 でも、やはり上半身は殆ど透けていて顔は分からなかった。

 貴女の歩んできた道を最後に見てみなさい、と声が言う。

 何時の間にか、私は鳥居の遥か上空に浮き上がっていた。

 月光に照らされて、私の歩いて来た鳥居の道が地平線の彼方まで続いている。

 他にも鳥居の道が沢山地面を走っている。

 あれは何ですか、と掠れた声で聞くと、貴女と同じ人々の道です、と返った。

 こんなにも遠くまで来たんだ。また涙が溢れ出す。

 今になって、ようやく歩いて来た道が私の人生だと知ったのだ。

 長かった。本当に、とても、長い道のりだった。

 もう休んでもよろしいですか、と問う。

 声は優しく、ええ、休みなさい、好きなだけお休みなさい、と言う。

 私はその返事にホッとして最期に夜空を見上げた。

 まあるい満月の如く、来世も穏やかに生きたいと願って瞼を閉じた。

 そうなることを私も願っています、と声が囁いたような気がした。




 


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