残酷で優しい世界に堕ちる
単発。帰る場所のない女の子と、女の子を拾うお兄さんの話。
手や足先が痛い。夜の寒い空の下で小さく息を吐いた。
吐いた息が白くなり、すぐに空気に溶けて消えてしまう。
座り始めは氷のように冷たかった石畳も今は自分の体温であったかいが、剥き出しの手や穴の開いた靴を履いた足はジンジンと痛む。擦り切れて、捨てられてしまうほど小さな布の切れ端をいくつも宛てがって縫ったワンピースは継ぎ接ぎだらけで袖も裾も寸足らず。一応服としての形にはなっているだけで、寒さから体を守ってくれるほど布はない。
この服は家族三人で暮らしていた頃に、お母さんが縫ってくれたものだった。
新しい服を買う余裕もないカツカツな生活の中でも、七歳の誕生日だからと自分の服を縫い直して作ってくれたプレゼントで、わたしの一番お気に入りのワンピースだ。
だけどこの服を作ってもらったのはもう三年も前のことだ。
その年、お母さんとお父さんは流行り病にかかって死んでしまった。
この辺りは貧困層ばかりで孤児院なんてものもなく、それからはずっとお母さんとお父さんの親戚だという人達の家をあっちへこっちへタライ回しにされている。どこの家も貧しくて、親戚といっても他所の子であるわたしを受け入れてくれるところはなくて、どこへ行ってもわたしは邪魔者扱いされた。
仕方がないことだと思う。みんな、自分達が生きていくだけで必死なんだ。
朝早くに水汲みをして、洗濯をして、薪を運んだり割ったりして、時間があれば野花で作った小さな花束をここよりもちょっとだけ裕福な人達が暮らしている場所で売って歩く。売れたお金は全部、お世話になっている家の人に渡さなければいけない。わたしはいつも、暖炉から一番離れた部屋の隅っこで少しだけご飯を食べて、元々持っていた毛布――三年も使い続けてボロボロだ――にくるまってその床で眠る。
最初は五枚あった服も段々穴が開いたり破けたりして、それぞれ無駄にならないように縫い合わせている間に三枚になってしまった。靴は捨てられそうになっていたものをもらった。
何とかがんばって来たけど、もうダメかもしれない。
今は真冬だ。しかも空から白い雪がひらひら落ちて来る。
それなのに、わたしはお世話になっている家から追い出されてしまった。
今日売った花束のお金がとても少なくてお世話になっている家のおばさんに「これじゃあお前の食事代にもなりゃしない。もっと売って来なきゃ、家には入れてやれないね」と扉を閉められてしまったのだ。
「……もう売れるお花がないよ」
冬は植物が少ない。だから花束を作るだけでも色んな場所を歩き回って、かき集めてもやっと小さな花束一つか二つくらいしかできない。売りたくてもないものは売れない。
辺りは真っ暗だけど、このまま帰っても家に入れてもらえないだろう。
入れてもらえたとしても絶対に怒られる。蹴られたり殴られたりするかもしれない。
それなら、いっそのこと、ここで凍えて死んだ方がいい。
そうしたらきっとお母さんとお父さんのところに行ける。
誰も通らない細い路地裏の隅で膝を抱えて座り込み、わたしは膝に頭を乗せた。
すごく寒い。でも、もう、どうでもいいや。
目を閉じようとしたら、上から声がした。
「おちびちゃん、こんな時間にこんなとこにいたら危ないよ」
若い男の人の声だった。
寒くて震える体で顔を上げると、やっぱり男の人がいた。
お世話になっている家のおじさんよりずっと若くて、だけどお世話になってる家の子達よりかは年上みたいだ。あったかそうな茶色の長いふわふわの髪に夏の葉っぱみたいな綺麗な緑色の目のお兄さんは、わたしのすぐ目の前に立っている。
いつの間に来たんだろう。気づかなかった。
「最近この辺りは人殺しがうろついてるらしいから、早くお帰り」
優しい声で注意された。
私は首を振る。
「帰れないよ」
「どうして?」
「花束のお金が少なかったの。それでもっと売れるまで家には入れないって。がんばって探したけど花も見つからないし、何も売れなかったって言ったらすごく怒られる」
言っていて悲しくなった。
冬に花束にして売れるほど花が沢山咲いてるわけがない。
きっと、わたしが邪魔で帰って来てほしくないんだ。
「だから帰れない」
お兄さんがわたしの前で屈んだ。
「でもここにいたら、朝には寒くて死んじゃうかもしれないよ?」
「いいよ。死んでも。お母さんとお父さんに会えるから」
「お母さんもお父さんもいないの?」
ちょっとビックリした顔でお兄さんが目を瞬かせる。
わたしはうんと頷いた。
「病気で三年前に死んじゃった。それで親戚だって人の家をあっちこっち行ってる」
だけどこういうことって珍しくないって前にお世話になっていた家の人達が話してた。
親が死んじゃうと孤児院に捨てられるか人買いに売られることが多くて、わたしみたいに親戚に引き取られる方が特別で、他の子よりもわたしはまだ幸せなんだって。
ご飯が野菜の切れ端でも、カビかけのパンでも、お椀に少しだけのスープでも、食べられるだけ幸せで、雨風のない家の中で眠れるんだから感謝しろって。仕事をしなくちゃいけないのは家の子じゃないから。
そんなことをポツポツ話すと、お兄さんは変な顔をした。
初めて見る顔で、お兄さんが何を考えてるのかは分からなかった。
ただ怒ってはいないみたいだった。
ちょっと考えるようにお兄さんは首を傾げ、言った。
「ねえ、君は愛情って何だと思う?」
今度はわたしが首を傾げた。愛情?
考えて、最初に思い浮かんだのはお母さんとお父さんだった。
「相手が何もしてくれなくても、何かしてあげたいって気持ち。お母さんとお父さんはいつもわたしに自分の分のご飯を分けてくれたり、服を縫い直してくれたりしたよ。わたしもお母さんとお父さんのために何かしたいって言うとね、何もしなくていいよ、お前が元気でいてくれればそれで十分だよって笑ってたよ」
そう言うと、お兄さんが頷いた。
「じゃあ、優しさは?」
今度はもっと難しい質問だった。
わたしは考えてみたけど、ちゃんとした答えは分からなかった。
「誰かのために何かするのも優しさだけど、その人のために厳しくするのも優しさだと思う。お母さんはわたしが眠れない時には子守歌を歌ってくれたよ。でも悪いことをしたら、そんなことすると嫌われちゃうわよってすごく怒られた。それにお世話になってる家の子が風邪を引いた時に『大丈夫?』って聞いたら『うるさい、余計なお世話だ』って叩かれたもん。自分が優しくしても、相手にとっては邪魔かもしれないでしょ? 優しさってきっとみんな違うんだよ。だから分からない」
分からないから、わたしはわたしの考えたことを言ってみた。
言ってみたけど自分でもよく分からなかった。
「そっか」
だけど、どうしてかお兄さんは嬉しそうにニコリと笑った。
そうして顔を覗き込まれる。
「君はそのお世話になってる家が好き? 帰りたい?」
ううん、と首を振る。
「好きじゃない」
毎日毎日動き続けてヘトヘトで、休もうとすると怒られる。
叩かれて、蹴られて、ご飯ももらえない時もある。
そこしかないから帰るけど、本当は帰りたくない。
「それなら僕のとこに来ない?」
お兄さんがニコニコ笑って言う。
「ちゃんと毎日三食ご飯も食べられるよ。あったかい部屋で、ふかふかのベッドで寝て、綺麗な服も着せてあげる。君を叩いたり蹴ったり怒鳴ったりしない」
わたしはポカンとお兄さんを見上げた。
毎日三回もご飯が食べられる? あったかい部屋で? ベッドって裕福な人達が寝るために使う家具だよね? 服も綺麗なものをくれるの?
「水汲みは? 洗濯とか、薪を割ったり運んだりしなくていいの?」
「いや、そんなことしなくていいよ。え、まさか君今までさせられてたの?」
うんと頷くと、お兄さんは「ええー……」と眉を寄せて難しい顔をした。
「その代わり、僕の話し相手になって。それと僕との約束を絶対に守ること」
「約束ってどんなこと?」
「勝手に外に出ちゃダメとか、一人の時は誰かが来ても扉を開けちゃダメとか、そういう感じかな」
すごく考えた。お兄さんの言うことが本当だったら、お母さん達と暮らしていた頃よりもずっと裕福で贅沢な生活になる。わたしはほとんど何もしなくていいんだ。
よく見たらお兄さんはこの辺りに住む人よりも綺麗な服を着てた。
花束を売る時に行くところに住んでる人達みたいだ。
「どうして助けてくれるの?」
さっき会ったばかりの人なのに。
お兄さんは「うーん」とまた首を傾げた。
「君がとても面白くて、もっと沢山話したいから? それにこのままお別れしたら、本当に君は明日の朝には凍死しちゃいそうだしね。そうなったら僕は凄く残念に思うだろうなあ」
「どう? 僕のとこに来る気になった?」とお兄さんが聞いてくる。
わたしは考えて、考えたけど、答えは決まってた。
「お兄さんのところに行く」
「いいの? もう帰れないよ?」
「うん、お兄さんのところがわたしの帰る家になるからいいの」
「そっか、そうだね、嬉しいなあ」
お兄さんがニコニコしながらわたしを両手で抱え上げた。
重くないのかな、と思ったけど、お兄さんはわたしを抱えたまま歩き出した。
その足取りは軽くて、鼻歌まで聞こえるくらい嬉しそうだった。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったよね。僕はエルンスト。エルでいいよ。君は?」
「ミーアだよ」
わたしが名前を言うと、お兄さんはおかしそうに笑った。
「ミーア、ミーアかあ。猫の鳴き声みたいで可愛い名前」
よろしくね、僕の可愛い子猫さん。
楽しげな声でお兄さんがわたしの頬に自分の頬を寄せて来る。
その日、わたしは寒い夜の下で不思議で優しいお兄さんに拾われた。
設定的にエルンストは十五歳前後でミーアは十歳。
ミーアは素直で我儘も言わない良い子。
親戚中を盥回しの上に虐待されていたので人見知り。
ただしエルンストには拾ってもらって凄く懐く。
エルンストは自由気ままでお喋り好きな青年(青少年?)。
実は巷を賑わせている殺人鬼。仕事も殺し屋。
趣味の殺人ではまずターゲットに話しかけて質問をする。
その答えがありきたり又は気に入らなければ殺し、面白い答えや気に入った答えをすれば殺さずに見逃してくれる。見逃された人間はただ話しかけられただけなので、自分が狙われたとは気付かない。
まだ子供のミーアが想像よりもハッキリとした答えを返したため興味が湧く。
最初は単純な好奇心から拾うが、ミーアと話すうちに「この子も苦労してきたんだなあ」と同情し始めて、自分が殺人鬼と知っても慕ってくれる良い子過ぎて段々「ミーアを甘やかすのは僕の特権だから」とか「いつかミーアから我儘を言って欲しい」とか言い出して溺愛していく。
そんなエルンストを「このお兄さんはわたしにすごく良くしてくれる優しい人だ」ってミーアは感謝と尊敬と親しみを感じて、一生懸命話し相手になったり約束を守ったりして、更にエルンストに可愛がられていたりしたらいいなあと思うお話。
世界観的には魔法のない西洋中世くらいで、登場するのはアンダーグラウンドな人達ばかり。
ちなみにエルンストとミーアの約束は「家から勝手に出ない」「窓を開けない」「誰か来ても返事をしたり鍵を開けたりしない」「エルンストの部屋の物は触らない」「何でも隠さずに言う」の五カ条です。
エルンストは基本、隠し事をされたり嘘を吐かれるのが嫌いなタイプ。
でも自分はのらりくらりとしていて結構自己中心的っぽい。