星見る少女と食人鬼
わたしには家族がいた。
でも家族は‘他人’だった。
ひとりぼっちは嫌いである。
だから、外の世界へ羽ばたいた。
だけど輝いて見えるのは見た目だけ。
結局ひとりぼっちのまま。
ねえ、家に帰らないために
わたしは星を見ることにしたよ。
【 星見る少女と食人鬼 】
今日、新しい住人がやって来るらしい。
部屋を掃除しに来た不動産屋の人たちが言っていた。
この部屋は他の部屋よりもずっと家賃が安くて綺麗だ。
でも、それは事故物件だから。
二年前の夏にわたしはこの部屋の窓辺で死んだ。
それから五人、住人は入れ替わった。
早い人は一週間、長く粘った人は一年近く、この部屋にいた。
ロフトとバストイレ付きワンルームでベッド・テーブル・机と椅子・クローゼット・テレビが備え付け、駅から歩いて十分で近くにそこそこ大きなスーパーがあり、二階建ての一番角部屋。条件はなかなか良い。
ただし、この部屋にはわたしがいる。
もちろん住人を脅したり、傷付けたりなんかしていない。
ただ夜から朝にかけて夜空を眺めるために窓辺にいるだけ。
曇りの日はいないけど、晴れていれば毎日いる。
それが住人たちには怖くて仕方がないみたい。
わたしは一度だって話しかけたことも、振り返って住人と目を合わせたこともないのに、みんな朝になって少しカーテンが開いてるってだけでこの世の終わりみたいな顔をする。
がちゃり、玄関から鍵の開く音がする。
続いて扉がちょっと開いてもの凄い髪色の男の人が顔を覗かせた。
襟足だけが長いショートカットで、髪は鮮やかなマゼンタ色に染まっているけど、根元は黒いのできちんと地毛は黒らしい。色白ですらっとスマートな感じの二十代前半の人。
男の人は部屋の中に入ってくると中央付近で首を傾げた。
「うーん」
それから、いきなりわたしのいるところへ両手を突き出した。
探るように動く手を避けて脇へ移動すると視線が追いかけてくる。
…今回の住人は‘見えないけど感じる’タイプの人かもしれない。
以前‘見える’人もいたけど、その人は一週間でギブアップした。
男の人はしばらく不思議そうにわたしの方を見ていたけれど、やがて納得した風に何度か頷くと探るのを止めて肩にかけていたボストンバッグを床に下す。大きなバッグで、人ひとり入りそうなサイズだ。
それを開けると押し込めてあった衣類をクローゼットへ仕舞う。大して持って来なかったのか短時間でそれが終わると、すぐに閉めてロフトの上へ持って行った。まだ中身は大分入っている様子だったけど出す気はないみたいだ。
男の人は財布と携帯、車のキーらしきものを持って部屋を出て行った。
きちんと施錠される音が響く。
ふよふよと宙に浮きながら二時間ばかり待っていると男の人は帰って来る。
調理器具から調味料や食器、洗面用品などが入った袋、布団やシーツ、カーテンなど沢山の荷物を何度も往復して部屋に運び込むとテキパキと慣れた様子で部屋を整えていく。
あっという間に最低限生活に必要そうなものが揃うと今度は携帯を取り出した。
「あ、オレだけど明日までに冷蔵庫と電子レンジ用意しといて。…そう、冷蔵庫はデカイの」
どこかに電話すると満足そうに部屋を見渡した。
今度はロフトに上がってがさごそバッグを漁る音がする。
下に下りて来た男の人は手に大きなタッパーを持っている。中身は何かの肉で、保冷バッグか何かに入れてあったのか新鮮そうな色合いのそれを手に鼻歌交じりに男の人はキッチンへ向かう。
買ってきたばかりのまな板や包丁、フライパンなどを軽く洗って綺麗に拭くとキッチンに並べ、タッパーの肉もキッチンペーパーで血の気を拭ってフォークでぷすぷす穴を開ける。タッパーに醤油や生姜、調理酒を目分量で入れるとそこへ一口サイズに切った肉を突っ込み、中身が漏れないようきっちり蓋をして軽く振る。
それをキッチンに放置すると今度はテレビを観始めた。
三十分ほどして戻り、タッパーから出した肉に小麦粉をまぶすと余分な粉を叩いた。
フライパンにほどほどに油を入れて加熱し、そこへ肉を投入する。
じゅわー、からから。
美味しそうな揚がる音がする。
一分ほど経ったら裏返し、また一分したら裏返しを何度か繰り返す。
タッパーにあった肉は更に一山程度の唐揚げに変身した。
男の人はそれを手にベッドへ腰掛け、テレビを観ながら菜箸で食べた。
食べ終わるとすぐに食器や使った調理器具を洗う。フライパンに残った油を少しの間眺めたものの、それには手をつけずにほったらかしにしたまま、着替えを手にバスルームへ消える。
二十分もしないうちに出てきた。
まさにカラスの行水である。
大雑把に髪を拭って粗方乾くとテレビを消してベッドに横になる。
まだ九時過ぎなのに、もう就寝するらしい。
それから三時間ほど様子を見たけど起きる気配はなかった。
夜十二時を過ぎた頃にわたしは部屋の窓辺に立ち、閉め切られたカーテンを少しだけ開けて真っ暗な空を見上げた。今日も空には星が沢山輝いていて、いつもと同じ綺麗な夜だ。
ふとガラスに映る自分の姿に焦点を移す。
二年前と何一つ変わらない。
いまもひとりぼっち。
思わず目を閉じ、心を落ち着けて瞼を押し上げた。
同時にもうしていないはずの呼吸が止まる。
半透明なわたしの後ろに男の人が立っているのがガラス越しに見える。
怖がるでも面白がるでもなく、微笑を浮かべていて、どこか薄ら寒く感じた。
慌てて姿を消して逃げても見えているかのように視線が追いかけてくる。
もういっそ隣の部屋に逃げてしまおうと壁に突進しかけた時、声をかけられた。
「待って、逃げないで」
懇願するような声音に思わず動きが止まる。
振り向くと困ったような顔で、でも相変わらず口角を引き上げた男の人。
「オレ、ユーレイとか怖くないから出て来てよ」
何にもしないから、なんて両手を上げてひらひら振ってみせる。
わたしは幽霊だから自分から触ろうとしない限り絶対に害せないのに、それでも怖がらずにそうやってみせる人は初めてだったからちょっと考えた。
ゆっくり姿を見せると男の人は嬉しそうに笑う。
「キミがここのユーレイさん?」
頷く。
「夜空を見てるって聞いたけど、星が好きなの?」
また頷く。
「…もしかして毎日見てる?」
更に頷くと男の人はそっか、とベッドに腰掛けた。
そうして窓を指差すと言う。
「じゃあどうぞ」
首を傾げたわたしに男の人はベッドへ横になる。
「空、見てていいよ。オレ寝るから」
それだけ告げると寝返りを打ち、本当に寝始めてしまう。
残されたわたしは一人でおいてけぼり。
窓辺に近寄ってカーテンの隙間から空を見上げる。
【……ありがとう】
怖がらないでくれて。嫌わないでくれて。
許してくれて、ありがとう。
「え、喋れるのっ?」
ガラス越しにベッドの跳ね起きた男の人を見て、わたしは久しぶりに声を上げて笑うことができた。
これが‘星を見るわたし’と‘普通ではない彼’の初めての出会いだった。
前回と同じく続かないネタ。
星を見る幽霊少女になぜか食人鬼が惚れるだけのお話です。