Strange Love(5)
「とりあえず帰ろう?何なら負ぶって行くよ?」
キラキラと無駄に眩い笑顔を振り撒きながら差し出された手を、あたしは無言で叩き落としてやった。
かなり遅い昼食を食べ終えた後、王子と友人とあたしの三人で校門まで来たものの「ごめーん、今日漫画の新刊が出るから本屋行くね。また明日ー!」と言って友人は返事も待たずに駆けて行ってしまった。
残されたのはあたしと王子。裏切り者めっ、こいつと二人きりなんてどんな罰ゲームだ。
相変わらずスクールバッグが人質として取られてしまっているので逃げられないまま、半ば呆然と佇んでいたあたしに王子は冒頭の言葉をかけてきたのだ。
手を叩かれても全く意に介した様子はない。逆に楽しげだ。なんなのマゾなの?マジ勘弁。
「ここまで嫌がられると流石に傷付くよ」
眉を下げて寂しそうな笑みを浮かべる王子。
「嘘つけ。変態じゃなくて、尚且つあたしに迷惑をかけなければこんな嫌わないし」
「それは難しいなぁ。性格や好みって、そんな簡単には変えられないよ」
「…ものすっごく正論に聞こえるけど、それって要は変わる気ゼロってことでしょ?」
「まあね」
肩を竦めて今度は笑顔になった美顔を殴りたくなる。いっそ殴りまくって変形させてやろうか。…いやいや、落ち着けあたし。完全にこいつのペースに流されてる。
歩き出した王子の後に渋々続く。
こいつと会ってから全くロクなことがない。女子には疎ましがられるわ、男子にはからかわれるわ、ボールはぶつけられるわで散々だ。まだ頭が痛い。
目の前の背中を睨み付けていると視線を感じたのか王子が振り返り、立ち止まる。
「……なに?」
「何でもないよ」
言ってまた歩き出した。
なんなんだと横を見上げ、ふと先ほどまでは前にいた王子があたしの隣りに並んでいることに気付く。それが何となく嫌でちょっと歩調を緩めれば、王子の歩みもゆったりとする。もしかして、あたしに合わせて歩いてる?
目が合うとふんわりした笑みを向けられた。
「大丈夫?頭、まだ痛む?」
そっと労るように手の平があたしの頭に触れ、指先が控えめに髪を梳く。ええい、寄るな触るな!騙されんぞ!こういう気障な仕草を平然としてしまう辺りが‘王子’なんて呼ばれる由縁なんじゃないだろうか。
「地味にズキズキしてる」
「ちょっと休もうか?」
「いい。そんなんじゃ帰る前に日が暮れるし、別にそこまで酷くないから」
「そう」
軽く手を払えば困ったような表情を見せるのだ。被害を受けているのはこっちなのに、そんな顔を見せられると何故だか罪悪感すら感じてしまいそうになる。イケメンはホントに厄介だ。
学校はあたしの家から徒歩で通学出来るほどの距離だ。
やがて人気の多い大通りに出て、二人並んで人混みに流されるように歩道を歩く。
雑踏の足音や人々の話し声、信号機の音が鈍く痛んでいる頭に響いて気分が悪い。通い慣れたはずの道が見知らぬ場所みたいに思えて足が重い。ボールとは言ってもやっぱり頭を打ったのはマズかったかな。
通行人の邪魔だとかどうでもいい。動きたくない。立ち止まりかけた途端に腕を掴まれる。
「だから負ぶろうかって聞いたのに」
すぐ頭上から苦笑が滲んだ声がして、顔を上げる前にガクンと膝の力が抜けて一瞬浮遊感がかかる。ちょっと前にも味わっていたから知っている感覚だ。
目を開ければ予想通りあたしを見下ろす王子。
「っ、下ろせバカ!」
こんな人通りも人目も多い場所で何やってんだ!
腕を突っ張って抜けだそうとしても、逆に背中と膝裏にある手へグッと力がこめられて、より抱きしめられる。
「落ち着いて、北下さん。暴れたら余計気分悪くなるよ?」
「この状況の方が気持ち悪いわ!」
思わず叫んだらザワザワと周りが騒がしくなる。
――…しまった、叫ぶんじゃなかった!
好奇心やら笑いやらが混ざった囁きが聞こえてきて、その中には横抱きされたあたしの容姿を馬鹿にするものもあった。普段なら気にしない――むしろ何見てんだとガン付け返す――ことなのに、喉が詰まったみたいに声が出ない。
何故か更に抱き込まれてギョッとする。
「ごめん、ちょっと揺れるけど我慢してて」
「はっ?ちょ、待…っ!」
たっ、と軽やかに足を踏み出した王子は走るよりかは遅いけど、早歩きというには速過ぎるスピードで通りを抜けて行く。
宣言通りに感じる揺れは不安定な体勢のせいか少し怖い。落とされたら絶対痛いぞ、これ。しかも何でぶつからないんだ。これだけ人がいたら普通ぶつかるだろ。
あたしを抱えたまま肩で風を切る王子を呆然と見上げる。
いつもは楽しそうに細められている涼しげな目が真っすぐに前を見据えていた。無駄に美形な顔は下から見たって美形だ。平然としている姿が妙に腹立つ。
降ろされたら一発ブン殴ってやろうと思いかけて、ふと別のことに気付いてしまった。触れているところから早い鼓動が伝わる。でも真上の王子の息は乱れてない。
…なんでこんなドキドキしてんの?
見上げたらチラと見下ろしてきた王子と目が合った。すぐに逸らされる。
「揺れが辛かったら寄りかかって良いよ」
少し赤い目元や引き結ばれた口許はいつもの余裕さが全然ない。
ああもう、これだからイケメンは嫌いだ!好きでもないのに心臓に悪い!!
揺れが結構あるし、気分悪いのは事実だし、仕方なくなんだと言い訳して王子の肩口に頭を預ける。そうすると確かに揺れがマシになった。保健室に行く時はほとんど揺れなかったけど、あの時はかなり気を遣ってたんだろうと今なら分かる。そもそも重くないわけ?あたしそこそこ体格良いし細くないのに。なんでコイツこんなにあたしに構うんだろ。あ、あたしの骨格が好きなんだっけ。
【こんなに愛してるのに、どうして僕の気持ちは北下さんに届かないんだろうね】
数日前の言葉が不意に頭を過ぎった。
………………ないないない!いや、あれは絶対冗談だ!!
「着いたよ」
「へっ?!」
いきなり声をかけられてビックリした。顔を上げたらあたしの家が目の前にある。もう着いたのか――…って、あたしの家を何故知ってる!
怒鳴る前に王子はあたしを玄関の階段に降ろすと手を差し出してくる。
「立てる?無理そうなら家の人に声をかけて来るけど」
「……大丈夫」
こんなイケメンが来た日にはミーハーな母はさぞ狂喜乱舞するだろう。リア充推奨な母は恋愛の‘れ’の字も匂わないあたしにヤキモキしている。そんな母をコイツに会わせたら最後、これ幸いとタッグを組んで畳み掛けてくるに違いない。
差し出された手を掴んで立ち上がる。
「明日にでも病院に行った方が良いんじゃないかな」
「分かってる」
「そっか、それじゃあ僕も帰るよ。お大事に」
苦笑して王子は背中を向けて歩き出す。
また腹が立った。いつもいつもヘラヘラ笑ってる癖に、どうして今に限ってそんなに寂しげな顔をするんだ。それに罪悪感を感じてる自分にもイライラする。
「御陵っ」
「!」
咄嗟に名前を呼べば驚いた顔で王子が振り返った。ぽかんと間抜け面を晒す姿に、そういえば初めてコイツの名前を呼んだなと気付く。
勢いで呼び止めてしまったその先なんて考えてなくて固まった。一拍置いて、お礼くらい言わなきゃと口を開く。
「その、送ってくれてありがと」
ぽかんとしていた王子は目を瞬かせて、それからゆっくりと破顔した。
「どういたしまして。おやすみ、北下さん」
今度こそ帰って行く背中を見送り、完全に消えてから玄関先にしゃがみ込む。
ドキドキドキドキ、胸がうるさい。ヤバい。ありえない。反則だ。いつもとギャップがあり過ぎる。
「……あんな顔も出来るんじゃん…」
親に褒められた子供みたいな、無邪気で心底嬉しくて仕方ないって感じの笑顔が頭から離れなくて、顔の熱が引くまで暫くの間家の中に入れなかった。
* * * * *
翌日、あたしは病院に行って検査をした。問題は何も見つからなかった。まあ、当たったのボールだし。問題があったら逆に困る。一応大事を取って更に二日休んだため、学校へ行ったのはボールをぶつけられてから四日だった。
「おっはよー、頭大丈夫?」
「その言い方だとあたしが頭可笑しい人みたいになるから止めて」
「ごめんごめん!」
悪気の欠片もない声で謝る友人に呆れながら席につく。その手には食べかけのエクレア。机にあったまだ封を切ってないヤツが投げられる。
「お見舞いに一個あげるよ」
「…どーも。ってか朝ごはん食べて来なかったの?」
「食べたに決まってるじゃん」
それで学校来たら今度はエクレアか。少なくとも既に三つは食べてある。マジでブラックホールに胃が繋がってるんじゃないの?
とりあえず置いておいたらチョコが溶けてしまうので、あたしも袋を開けて食べ始めた。あ、これ結構美味しい。
「あ、あのっ、北下さん!」
「っ?!」
いきなり声をかけられてエクレアが喉に詰まるかと思った。噎せながらも何とか飲み込んで話しかけてきた女子を見るけど見覚えがあるような、ないような。
「なんか用?」
――…って、おいこら。勝手に返事すんな。
しかも明らかに警戒してます、敵意持ってます的な刺々しさだ。
「えっと、誰?」
話しかけてきた子は可愛い。ふんわりした見た目で、まさに女の子って感じのか弱そうなその子はガバッと頭を下げてきた。
「ごめんなさいっ。あの時、ボールをぶつけたのはわたしなんです!」
「は?」
「でも頭に当てる気はなくて、ちょっと体にぶつけられれば良かったんです!本当にごめんなさい!!」
それこそ放っておいたら土下座でもしそうな勢いで謝られて置いてきぼりなあたしは目が点状態だ。
ボールを投げたのがこの女子だったとしても、ここまで必死なのは可笑しい。エクレアにパクつく友人と目が合う。サッと逸らされた。…怪しい。
「あんた何したの?」
「何もしてないって。ちょっと話聞いて、ちょっと犯人突き止めて、ちょっと王子けしかけただけ」
「やらかしてんじゃん!」
「だってさあ七佳が保健室行った後も、病院に行ったって話が流れた後も、そこの女子ってば全っ然悪いと思ってなさそーだったんだもん。謝りに来たのだって、どうせ王子に存在全否定の完全無視されて耐え切れなくなったからでしょ?」
違う?なんて友人に問われて、女子が顔を真っ赤にして唇を噛み締めた。うん、答え聞かなくても丸分かりな反応ありがとう。あたしが許せば王子も無視しなくなると思っての謝罪か。
それに考えが至ると一気に気分が冷めた。怒りとか呆れとか通り越して何も感じない。
「おはよう」
噂をすれば。違うクラスなの に平然と挨拶をしながら教室に王子が入ってきて、あたし達の席へ真っすぐに歩いてきた。
「れ、怜夜君っ」
「おはよー、王子」
「麻岡さん、その呼び方は止めてって言ってるのに…」
「あ、あの、わたしっ」
「面白いからいいじゃん」
あっけらかんとしている友人に王子が苦笑して、あたしを見た。
横にいる女子のことは見えているクセに、まるでいないかの如く振る舞っている。なるほど、これが存在全否定の完全無視か。王子ファンには堪える仕打ちだろう。
「検査どうだった?」
「別に異常なかったけど」
「そっか、良かった。三日も休みだったから何か問題があったんじゃないかって気が気じゃなかったよ」
「っ、怜夜君!!」
耐え切れなくなったみたいで女子が王子の制服を掴んで呼んだ。
それでやっと王子は女子を見下ろしたけど、その目つきが異様に冷たい。道端に落ちてるゴミを見るレベルの関心のなさだ。オマケに無表情。
女子も思わずといった感じで「ひっ?!」と悲鳴をあげて手を離す。
「何かな」
感情のこもらない平坦な声にはあたしもたじろいだ。誰だこいつ。ホントに普段ヘラヘラしてるあの王子?ちょっとドン引きするレベルの半端ない威圧感なんですけど。
声をかけだ女子は冗談抜きで涙目だ。
「…今、北下さんに謝ったの。だから…っ」
「そうなんだ。それで北下さんは許したの?」
後半はあたしへ投げかけられたので首を振って否定する。
だってボールが当たった時はかなり痛かったし、お陰で家族に心配かけちゃったし、謝ってきた理由も‘王子にシカトされて耐えられないから’じゃあ許す気にもならない。これで許せる人がいたら太平洋並に心が広いと思う。あたしの心は水溜まりくらいの狭さだから無理だ。
「そもそも誠意がない‘ごめんなさい’って謝罪じゃないじゃん。ってかただの保身?そんな理由の謝罪なら要らないし、土下座されたって願い下げだから」
「北下さんって結構辛辣だよね」
「あんたの容赦のなさには負けるよ」
「そうかな?まあ、元々仲良くするつもりはないから、今更謝っても無意味だけど」
ここはいつから極寒の地になったんだってくらい王子の背後にブリザードの幻影が見える。
友人はバリッと袋を開封してエクレアを頬張る。溶け始めたチョコに悪戦苦闘していて空気を読む気すらなさそうだ。
友人と王子を見て気付いた。そうか、こいつら見た目が良くても中身が鬼同士だから妙なところで馬が合って結託しちゃったのか。戦慄きながらボロボロ泣く女子は運が悪かったとしか言いようがない。
例えあたしが彼女を許しても王子の態度は変わらないと言われた以上、もうどうしようもないだろう。身から出た錆と思って諦めて欲しい。
「それより、昨日みたいに名前で呼んで欲しいな」
「え?七佳、王子のこと呼んだの?名前で?めっずらしー!」
重たい空気を無視して王子が爆弾を投下してきた。楽しそうに乗っかる友人。
可愛い女子が泣いてるのに慰めるどころか存在を綺麗にシャットアウトした二人に内心で拍手しつつ、同時に彼女へ合掌。自業自得でご愁傷様です。
「違う、苗字だったから!」
「なーんだ、つまんないの。王子は苗字と名前なら、どっちで呼んで欲しい?」
「もちろん名前だね」
即答した王子を「だってさ!」と友人がめちゃくちゃ良い笑顔で指差す。指の先には期待満面のニコニコ顔。
「断固拒否する」
何が悲しくてこいつを喜ばせなきゃならんのだ。
「えー、でもさぁ、七佳ボールぶち当たり事件の時に保健室まで運んでもらったじゃん?こないだは帰りも送ってもらったし、ちょっとくらい良くない?」
焚き付けるな、ニヤニヤすんな!ほら、援護射撃を受けた王子の直視出来ないくらいの爽やかな笑顔を見ろ!!
何気に聞き耳立ててたクラスメート達が‘送る’発言でざわめいた。
「良くない」
「良いよね」
王子とハモった。しかも真逆だ。
「いや、全っ然良くないから」
「でも、‘あんた’って呼び方はちょっと嫌だな。きちんとした名前があるのに呼んでもらえないと、自分を否定されてるみたいで寂しいよ。せめて苗字でも良いから名前で呼んで欲しいな」
「う…っ」
確かにずっと‘あんた’とか‘お前’って呼ばれたら、あたしもイラッとする。寂しくはないけど腹立つ。言われてみれば、特に親しくもない相手からそう呼ばれ続けていたら結構嫌だ。
「なーなかっ!」
「分かった、分かったよ!」
目の前には楽しそうな友人の笑み、その机の横には満面の笑みで待つイケメン。睨みつけるように王子を見遣る。
「御陵!」
「うん、もう一回」
「はぁ?!なんで――…」
「「もう一回」」
友人と王子の声がハモる。
「御陵!」
「もう一回」
「御陵!!」
「もう一回」
「っ、御陵!!!」
「じゃあ僕の名前は?」
「怜夜!――…あ、」
思わず答えてしまってから口を手で覆う。だが遅い。
ものすんごく嬉しそうにそいつは首を傾げた。
「何かな、七佳さん?」
「〜っ、調子に乗るなあぁああぁっ!!」
滅びろ変人!!
「んー、やっぱ七佳と王子ってぴったりじゃん。打てば響くって感じ?」
「絶対違う!」
ここまで目を通してくださり、ありがとうございました。
結局苦労するのは主人公でした(笑)
その後どうなるかは皆様の御想像にお任せします。