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固有スキル《交換》は商人に向いていないそうです

掲載日:2026/10/20

「リタ。俺の帽子と、お前のリンゴを交換する。いいな?」


「はい!」


私は机の上に置かれたリンゴを指差した。


向かいに座っているのは、行商人のバルド親方。


親方は自分の帽子を脱いで、机に置いた。


「じゃあ、やってみろ」


私は頷いた。


「《交換》!」


ぽん、と小さな音がした。


私の目の前に帽子が現れ、親方の前にはリンゴが置かれていた。


「……ふむ」


親方はリンゴを持ち上げた。


「確かに入れ替わったな」


「すごいでしょう!」


「……手を伸ばせば済む話だろうが」


私は黙った。


それはそうだった。


十五歳のスキル鑑定で授かった固有スキル《交換》。


互いに自分の所有物を差し出すことに同意した二人がいれば、その品物を一瞬で入れ替えることができる。


大きさや値段が違っても構わない。ただし、一度に交換できるのは一品ずつ。そして、持ち主二人の同意が必要だった。


「商人向きだと思ったんですけど……」


「まあ、悪くはないんじゃないか」


親方はリンゴをかじった。


「でも、俺たち商人の仕事は、そもそも品物を交換することだからな」


「はい」


「金貨を払って布を買う。麦を売って銀貨を受け取る。それが商売だ」


「はい」


「お前のスキルがなくてもできるだろ?」


私は肩を落とした。


「……そうですね」


親方は笑った。


「まあ、せっかくだ。明日から俺の行商についてこい」


私は飛び上がった。


「本当ですか!」


「ああ。荷物運びくらいは任せてやる」


「ありがとうございます!」


こうして私は、商人見習いになった。


⸻


バルド親方は、優秀な行商人だった。


町から町へ馬車を走らせ、安いものを買い、高い場所で売る。何でもないように見える仕事だが、実際にやってみると難しい。


同じ塩でも、海辺では安く、山奥では高い。同じ羊毛でも、秋には安く、冬には高い。何より、売れると思って仕入れたものが、売れないことがある。


「商売って難しいですね」


親方は鼻を鳴らした。


「簡単だったら誰でもやってる」


私は毎日、帳簿をつけ、荷物を積み、馬の世話をした。


《交換》は、ほとんど使わなかった。たまに宿屋で、親方の荷物と私の荷物を入れ替えて遊ぶくらいである。


「……それ、何か意味あるか?」


「ありません!」


「だったら荷物を積め!」


「はい!」


そんな生活が二か月ほど続いた。


ある日、私たちは山間の小さな町に到着した。ヴァルトという、羊毛の産地だった。


町には大きな倉庫があり、羊毛の袋が山積みになっていた。ところが、住人たちは浮かない顔をしていた。


「魚が来ない?」


親方が聞き返した。


羊毛商人のヘルガさんは、倉庫の前で腕を組んでいた。


「峠の橋が落ちちまってね。もう二か月も港から荷馬車が来てないんだよ」


ヴァルトは羊毛の産地だった。羊は多いが、海は遠い。


住人たちは冬になる前に、港から大量の塩漬け魚を仕入れる。ところが、橋が壊れたせいで、大きな荷馬車が通れなくなっていた。


「北回りの街道は?」


「ひと月もかけて運んだら、魚の値段が倍になっちまうよ」


「そんなに!」


ヘルガさんはため息をついた。


「もう今年は諦めるしかないねえ」


⸻


その日の夕方。宿屋に、一人の男がやってきた。赤い髪に、日に焼けた顔。大きな革鞄を抱えている。


「バルド! 久しぶりだな!」


「おお、ロイじゃないか!」


二人は大声で笑い、握手をした。ロイさんは、海辺の町で塩漬け魚を扱う商人だった。


私は目を丸くした。


「……魚屋さん?」


「そうだよ。君は?」


「リタです! バルドさんの見習いです!」


「そうか、よろしくな!」


ロイさんは笑った。


「いやあ、参ったよ。ここの羊毛を仕入れに来たんだが、帰り道に橋がないと聞いてね」


「まあ、そうだな……」


親方は倉庫に積まれた羊毛を見た。


それから、私を見た。


また羊毛を見た。


「……待てよ」


「どうしたんですか?」


親方は眉間に皺を寄せた。


「リタ。お前の《交換》だが」


「はい!」


「交換する物は、目の前になくてもいいのか?」


「え?」


「だから、遠くにある物でも交換できるのかって聞いてるんだ」


私は首を傾げた。


「そういえば鑑定のとき、距離は関係ないって言われたような……」


親方は黙った。


ロイさんも黙った。


「……お前」


「はい?」


「それ、何で今まで言わなかった!?」


「聞かれませんでしたから!」


⸻


翌朝。


町の大きな倉庫に、三人の商人が集まった。


バルド親方。


ロイさん。


そして、羊毛を扱う商人組合の長、ヘルガさん。


私は真ん中に立っていた。


「それで、何をするんだい?」


ヘルガさんが尋ねた。


「ちょっとした実験だよ」


親方は笑った。


「ロイ。港の倉庫に魚はあるな?」


「あるぞ。山ほどな」


「よし。ヘルガさん、ロイの魚とここの羊毛を交換してくれ」


「……何?」


「いいから!」


ヘルガさんとロイさんは、羊毛の品質を確かめて値段を決めた。


私は二人から交換の同意をもらった。


「この羊毛一袋と、港の倉庫にある、青い印の魚一樽ですね?」


「そうだ」


「じゃあ、やってみます!」


私は羊毛の袋に手をかざした。


「《交換》!」


ぽん。


羊毛が消えた。


代わりに、大きな樽が現れた。


三人とも黙り込んだ。


ロイさんが樽の蓋を開けた。


中には、塩漬け魚がぎっしり詰まっていた。


「……おい」


「はい?」


「俺の倉庫の魚が、ここに来たのか?」


「はい!」


「じゃあ、羊毛は?」


「魚のあった場所に行きました!」


ロイさんは、しばらく黙っていた。


そして、突然大声で笑い出した。


「……はははは!」


ヘルガさんも笑った。


「何だい、これは!」


私は嬉しくなった。


「すごいでしょう!」


親方は、腕を組んだまま呟いた。


「……なるほどな」


そして、にやりと笑った。


「これはすごい商売になるぞ!」


その日の午後、ヴァルトには久しぶりに大量の魚が届いた。町の人々は大喜びだった。


ただし、運送組合の御者たちは、たいそう不機嫌だった。


「俺たちの仕事をなくすつもりか!」


組合長のダグさんに怒鳴られ、私はすっかりしょげてしまった。


それでも翌日、魚を買った人たちからお礼を言われた。


商売というのは、なかなか難しい。


⸻


翌朝、私は衛兵隊の詰所に呼び出された。


「お前がリタか」


出迎えたのは、鎧を着た女性だった。


衛兵隊長のベルタさん。


背筋が真っすぐで、眉間には深い皺があった。


「はい!」


「昨日、港の魚を一瞬で取り寄せたそうだな」


「取り寄せたんじゃなくて、交換したんです!」


「その交換について聞きたい」


ベルタさんは机に銀貨を置いた。


「これは私の銀貨だ。お前の物と交換できるか?」


「はい!」


私は自分の銅貨と交換してみせた。


ぽん。


ベルタさんは満足そうに頷いた。


続いて、壁に掛かっていた剣を机に置いた。


「今度は、この銅貨とこの剣だ」


「その剣、ベルタさんのですか?」


「いや。そこの衛兵のだ」


指差された若い衛兵が、困った顔をした。


「隊長、私の剣をどうするんです?」


「少し借りるぞ。リタ、やってみろ」


「えっ、私は交換に同意してませんよ!」


私は試してみた。


何も起きなかった。


「……ふむ」


ベルタさんは頷いた。


「持ち主の同意がなければ交換できないんだな」


「はい」


「そうか、そうか」


ベルタさんは、にやりと笑った。


「これは盗品検査に使えるぞ!」


「……盗品?」


「よし! 門へ行くぞ!」


「えっ、今からですか?」


「善は急げだ!」


「私、まだ朝ご飯を食べてないんですけど!」


「門で食え!」


⸻


町の門では、荷馬車が列を作っていた。


「止まれ!」


ベルタさんは先頭の旅人を呼び止めた。


「その短剣、お前の物か?」


「ああ」


「よし、リタ!」


私は旅人に同意をもらい、短剣と自分の銅貨を交換した。


ぽん。


ベルタさんは満足そうに頷いた。


「よし、通っていいぞ!」


次の旅人も問題なし。


その次も問題なし。


ところが四人目。


「《交換》!」


何も起きなかった。


ベルタさんの目が光った。


「……おい。その剣、どこで手に入れた?」


旅人は顔をしかめた。


「兄貴から借りたんですよ」


「……借りた?」


「俺の剣は鍛冶屋に預けてるんです!」


そこへ、野太い声が飛んできた。


「当たり前だろうが!」


振り返ると、昨日のダグさんだった。


「荷物を持ってる奴が、荷物の持ち主とは限らねえだろ!」


ベルタさんは眉をひそめた。


「ダグ。邪魔をするな」


「邪魔じゃねえ! うちの組合員だって、預かった荷物ばかり運んでるんだぞ!」


「それは分かっている!」


「だったら何で借り物を持ってる奴が泥棒なんだ!」


ベルタさんは黙った。


私は、そっと銅貨をしまった。


「……あの」


二人が振り返った。


「「何だ!」」


「もう朝ご飯に行ってもいいですか?」


「駄目だ!」


「いいから行け!」


私は困ってしまった。


結局、交換できなかった品物については、事情を調べることになった。


ベルタさんは不満そうだったが、翌日も私を呼ぶと言った。


「今度こそ盗賊を捕まえるぞ!」


「……私、商人なんですけど」


「給金は払う!」


「いくらですか?」


「……お前、急に目の色が変わったな」


親方の教育の成果だった。


⸻


その翌朝。


「リタ! 大変だよ!」


宿屋へ駆け込んできたのは、ヘルガさんだった。


顔が真っ青だった。


「宝石を盗まれた!」


「……宝石?」


「青いサファイアだよ! 金貨二百枚もするんだ!」


昨夜、宿屋の金庫から盗まれたのだという。


ベルタさんも捜査しているが、犯人の見当もつかないらしい。


「倉庫の拡張で金が必要なのに……。あれを担保にするつもりだったんだよ」


ヘルガさんは椅子に座り込んだ。


私は何と言っていいか分からなかった。


そこへ、ベルタさんがやってきた。


「ヘルガ。宿屋の従業員にも聞いたが、今のところ手がかりはない」


「そんな!」


「引き続き調べる。だから――」


ベルタさんは、そこで口を閉じた。


私を見た。


それから、ヘルガさんを見た。


「……待て」


「何だい?」


「ヘルガ。その宝石、誰かに売ったか?」


「売るわけないだろう!」


「誰かに譲ったか?」


「母の形見だよ! 大事にしまっておいたんだ!」


ベルタさんは私を見た。


「リタ」


「はい?」


「港の魚を交換したとき、お前は魚を見たか?」


「見てませんよ。港にあったんですから」


「では、魚がどの棚に置かれているかは?」


「知りません」


「……そうか」


ベルタさんは、突然笑い出した。


「……はは」


私は首を傾げた。


「どうしたんですか?」


「いや、まったく!」


ベルタさんは机を叩いた。


「どうして気づかなかったんだ!」


ヘルガさんが眉をひそめた。


「何の話だい!」


「リタ! 隠し場所の分からない宝石でも、交換できるか?」


私は少し考えた。


「……やったことありません」


「そうだろうな」


「できるかもしれませんけど」


「よし!」


ベルタさんは、自分の財布から銅貨を一枚取り出した。


「私の銅貨だ! ヘルガの宝石と交換してくれ!」


私は目を丸くした。


「……あっ!」


ヘルガさんも立ち上がった。


「……それだ!」


ベルタさんは、たいそう得意そうだった。


「何だ。衛兵も捨てたもんじゃないだろう?」


⸻


十分後。


親方も交えて、宿屋の食堂で交換を試すことになった。


「……本当にできるのかい?」


ヘルガさんが不安そうに尋ねた。


「やってみないと分かりません」


私は正直に答えた。


ベルタさんは頷いた。


「それでいい。失敗したら、私が探し続ける」


「……分かりました」


ベルタさんの銅貨を机に置いた。


私はヘルガさんに確認した。


「昨夜盗まれたサファイアは、今もヘルガさんの物ですよね?」


「もちろんだよ!」


「ベルタさんの銅貨と交換してもいいですか?」


「ああ、頼んだよ!」


私は銅貨に手をかざした。


「……《交換》!」


ぽん。


銅貨が消えた。


代わりに、青い宝石が現れた。


誰も動かなかった。


ヘルガさんが震える手で宝石を持ち上げた。


「……私のだ」


そして、突然叫んだ。


「私のサファイアだよ!」


次の瞬間、私はものすごい力で抱きしめられた。


「リタあああ!」


「わあっ!」


「ありがとう! ありがとう!」


「く、苦しいです!」


親方が慌てて引き離してくれた。


ベルタさんは腕組みをして、満足そうに頷いていた。


「……よし」


親方が尋ねた。


「隊長さん。盗賊はどうするんだ?」


「もちろん捕まえる」


「でも、宝石は戻ったぞ?」


「それが何だ」


ベルタさんは鼻を鳴らした。


「宝石が戻ったからといって、泥棒を放っておけるか!」


そう言って、詰所へ戻っていった。


後日、盗賊は捕まった。


盗んだはずの金貨二百枚の宝石が、いつの間にか銅貨一枚になっていたので、大変取り乱していたそうだ。


私は少し気の毒になったが、ベルタさんは大笑いしていた。


⸻


それから半月ほど経った頃。


一人の老人が、親方の店を訪ねてきた。


上等な外套を着た、痩せた老人だった。


目の下には深い隈があり、まるで何日も眠っていないようだった。


「リタという娘は、ここにいるかね」


「はい! 私です!」


老人は椅子にも座らず、尋ねた。


「盗まれた宝石を取り戻したというのは、本当か」


「はい!」


「隠し場所も分からずに?」


「はい!」


「箱も開けず、壁も壊さずに?」


「はい!」


老人は黙った。


それから、私の手を握った。


「……王都へ来てほしい」


「……王都?」


親方が眉をひそめた。


「失礼ですが、どちら様で?」


老人は外套の内側から、王家の紋章が刻まれた銀の札を取り出した。


「王宮侍医長、オルフェンと申す」


親方は椅子から飛び上がった。


「……侍医長!?」


私は首を傾げた。


「お医者さんですか?」


「そうだ」


「何か盗まれたんですか?」


「……いや」


老人は、しばらく言葉を探していた。


「取り出したいものがあるのだ」


⸻


王都へは、馬車で三日かかった。


その間、オルフェン先生は何度も私に質問した。


「交換する品物は、自分の目で見なければならないのか」


「見なくても、どれを交換するのか決まっていれば大丈夫みたいです」


「容器の中でも構わない?」


「はい。樽の魚も交換できましたから」


「では、一つの物の中に埋まっている別の物は?」


「……さあ?」


「そうか」


先生は、何か考え込んでいた。


私は気になった。


「先生、いったい何を取り出したいんですか?」


先生は窓の外を見た。


「……王女殿下の病だ」


私は目を丸くした。


「病気を?」


「ああ」


「……でも、私のスキルは《交換》ですよ?」


「知っている」


「《治癒》じゃありませんよ?」


「それも知っている」


「……大丈夫なんですか?」


先生は、しばらく黙った。


そして、小さく首を振った。


「分からん」


私は不安になった。


「……帰ってもいいですか?」


「帰らないでくれ」


先生は真剣な顔で言った。


「頼む」


私は、それ以上何も言えなかった。


⸻


王女様は、十八歳だった。


銀色の髪に、淡い青の瞳。


薄い寝間着を着て、大きな窓のそばに座っていた。


想像していたより、ずっと普通の女の子だった。


ただし、顔色はひどく悪かった。


「あなたがリタ?」


「は、はい!」


「そんなに緊張しなくていいわ。楽になさって」


王女様は笑った。


名前はエレオノーラ。


三年前から、体のあちこちに異常な肉の塊ができる病気を患っているという。


最初は小さな腫れ物だった。


しかし、次第に数が増え、肺や内臓の奥にも広がっていった。


「治癒魔法では駄目なんですか?」


私が尋ねると、先生は頷いた。


「傷は治せる。しかし、あの塊は傷ではない。身体の一部として育ってしまっている」


「取っちゃえばいいのでは?」


「取れる場所なら、もう取った」


先生は、薄い板を持ってきた。


そこには王女様の体の内部が描かれていた。


魔法による診察で、病変の位置を調べたものだという。


肺のそば。


肝臓の奥。


そして、心臓のすぐ近く。


赤い印が三つ、体の中で光っていた。


「……これを、交換するんですか?」


「できれば、だ」


先生は私を見た。


「ただし、その前に確かめなければならないことがある」


「……何ですか?」


「身体の一部が、交換できるのかどうかだ」


⸻


実験台に座ったのは、オルフェン先生だった。


「本当にいいんですか?」


「ああ」


先生は首の横を指差した。


小さなイボがあった。


「若い頃からあるものでね。切るほどでもないから放っておいた」


横には、宮廷治癒師のミリアさんが立っていた。


四十歳くらいの、厳しい顔をした女性だった。


「侍医長ともあろう方が、得体の知れないスキルの実験台になるなんて……」


「患者に試す前に、誰かが確かめねばならん」


先生は平然としていた。


「それに、私はもう十分長く生きた」


「そういうことではありません!」


ミリアさんは怒った。


私はますます怖くなった。


「……やっぱりやめませんか?」


先生は首を振った。


「まずは小さなものからだ。失敗しても構わん」


「でも……」


「私自身が同意している。さあ」


交換する品物として用意されたのは、小さな器に入った生理食塩水だった。


「……では」


私は手をかざした。


「《交換》!」


ぽん。


器の水が消えた。


代わりに、小さな肉の塊が現れた。


先生の首には、小さな傷ができていた。


「ミリア!」


「《治癒》!」


淡い光が広がった。


傷が塞がる。


先生は鏡を見た。


首を触る。


もう一度触る。


「……取れた」


ミリアさんは、机の上の肉の塊を見つめた。


「……本当に」


私は、どっと疲れた。


「……よかったあ」


先生はしばらく鏡を見ていた。


それから、突然笑い出した。


「ははは!」


ミリアさんが眉をひそめた。


「何がおかしいんですか」


「いや、何十年も付き合ったイボがなくなると、妙に寂しいものだな!」


先生は私に向き直った。


その顔から、笑みが消えた。


「……リタ。もう一つ頼みたい」


私は頷いた。


先生は言った。


「王女殿下を、助けてくれ」


⸻


翌日。


王女様の部屋には、何人もの治癒師が集まっていた。


オルフェン先生は一つずつ病変を確認し、位置と大きさを説明した。


「大きなものを、三つ取り除く」


先生が言った。


「一つ交換するたび、ミリアが傷を治す。出血が止まるまで次には進まない」


ミリアさんは頷いた。


「分かりました」


私は手を上げた。


「……あの」


「何だね」


「もし、失敗したら?」


先生は黙った。


王女様も黙った。


しばらくして、ミリアさんが言った。


「私が、できる限りのことをします」


「でも……」


「それでも、助けられないことはある」


私は、震えそうになった。


帽子を交換するのとは違う。


魚を交換するのとも違う。


宝石を取り戻したときでさえ、失敗して誰かが死ぬわけではなかった。


私は、王女様を見た。


「私、もう三年もこの部屋にいるの」


王女様は窓の外を見た。


「最初の一年は、治るのを待っていたわ。次の一年は、何でもいいから試してほしいと思った」


王女様は小さく笑った。


「去年からは、もう何をしても駄目なんじゃないかって。期待したくなくて、新しい治療の話を聞くのも怖くなったの」


先生は何も言わなかった。


「でも、今度こそ……今度こそ治るかもしれない」


王女様は私の手を握った。


「だから、お願い」


「……承知しました!」


王女様は、少し満足そうに笑った。


最初は、肺のそばにある小さな病変だった。


先生が魔法の診察板を私の前に置く。


赤く描かれた塊を指差す。


「これだ」


私は頷いた。


王女様が同意する。


私は器から少量の生理食塩水を取り分けた。


「……《交換》!」


ぽん。


生理食塩水が消えた。


代わりに、赤黒い肉の塊が現れた。


王女様が小さく呻いた。


「ミリア!」


先生が叫んだ。


「《治癒》!」


光が広がる。


しばらくして、王女様の呼吸が落ち着いた。


先生は診察板を確認した。


「……消えている」


ミリアさんが、深く息を吐いた。


「傷も塞がりました」


私は、思わず笑った。


「できました!」


しかし、先生はまだ笑わなかった。


「次だ」


二つ目。


肝臓の奥にある、少し大きな塊。


交換は成功した。


けれど、王女様の顔から血の気が引いた。


「……っ」


「ミリア!」


「分かっています!」


治癒の光が強くなった。


先生が王女様の手を握り、何かを確かめていた。


私は、動けなかった。


やがて、ミリアさんが言った。


「……止まりました」


先生は長く息を吐いた。


「……よし」


王女様は、うっすらと目を開けた。


「……あと一つ?」


先生は頷いた。


「はい」


三つ目は、心臓のすぐそばだった。


一番大きく、一番危険な病変。


先生は何度も診察板を確かめた。


ミリアさんは、新しい治癒の術式を準備していた。


私は、次の生理食塩水を取り分けた。


王女様が、私を見た。


「リタ」


「……はい」


「終わったら、一緒にお茶を飲みましょう」


私は目を丸くした。


「……お茶?」


「ええ。王宮のお菓子、美味しいのよ」


「……本当ですか?」


「本当よ」


私は、少し笑ってしまった。


「……じゃあ、頑張ります」


王女様も笑った。


「お願いね」


私は、診察板を見た。


赤い塊。


心臓のすぐそば。


先生が何年も、どうしても取り除けなかったもの。


私は息を吸った。


「……《交換》!」


ぽん。


生理食塩水が消えた。


代わりに、掌ほどもある赤黒い塊が現れた。


王女様の身体が跳ねた。


「……っ!」


先生が叫んだ。


「ミリア!」


「《治癒》!」


眩しい光が部屋を満たした。


私は目を閉じた。


何も見えなかった。


ただ、王女様の荒い息遣いが聞こえていた。


しばらくして。


その息遣いが、静かになった。


私は恐る恐る目を開けた。


ミリアさんは、額に汗を浮かべていた。


先生は王女様の胸元に手を当てていた。


二人とも、何も言わなかった。


私は、声が出なかった。


やがて先生が顔を上げた。


「……脈が、整っている」


ミリアさんが診察板を見た。


「……病変が、消えています」


先生は、もう一度確かめた。


そして、椅子に座り込んだ。


「……消えた」


誰も動かなかった。


王女様が目を開けた。


「……先生?」


先生は顔を上げた。


「……はい」


「……終わったの?」


先生は、何か言おうとした。


しかし、声が出なかった。


代わりにミリアさんが頷いた。


「……はい、殿下」


王女様は、しばらく天井を見つめていた。


それから、小さく笑った。


「……じゃあ、お茶にしましょうか」


先生が、とうとう泣き出した。


ミリアさんも泣いた。


私は、どうしていいか分からなかった。


結局、つられて泣いた。


⸻


翌日。


私は王宮の大広間に呼ばれた。


国王陛下が、玉座に座っていた。


左右には大勢の貴族たち。


その前に立たされ、私はすっかり緊張してしまった。


「リタ」


「は、はい!」


「娘の命を救ってくれたこと、心から感謝する」


「と、とんでもありません!」


「望みの褒美を申してみよ」


私は、少し考えた。


「……金貨でいただけますか?」


大広間が静まり返った。


国王陛下は、ぽかんとした。


「……金貨?」


「はい!」


「爵位や屋敷ではなく?」


「はい! 私、商人なので!」


国王陛下は、しばらく私を見つめていた。


それから、大声で笑い出した。


「はははは!」


隣に立っていたオルフェン先生が、額を押さえた。


「……陛下」


「よい、よい!」


国王陛下は笑った。


「商人ならば、商人として報いよう!」


こうして私は、金貨をたくさんもらった。


本当にたくさんだった。


親方に見せたら、腰を抜かした。


「……リタ!」


「はい!」


「お前、いったい何をしたんだ!」


「王女様の病気を交換しました!」


「それは聞いた!」


親方は金貨の袋を持ち上げた。


「……これだけあれば、店が三軒建つぞ」


私は目を輝かせた。


「本当ですか!」


「ああ」


「じゃあ、親方!」


「何だ?」


「魚の商売も、もっと大きくできますね!」


親方は、しばらく私を見ていた。


そして、笑い出した。


「……お前、本当に商人だな!」


「はい!」


二人で大笑いした。


⸻


それからしばらくして。


王都から一通の手紙が届いた。


差出人は、エレオノーラ王女様。


私は、親方に頼んで読んでもらった。


『リタへ。


先日は本当にありがとう。


身体の調子は少しずつよくなっています。


まだすぐに外へ出ることはできないけれど、先生たちは、来年には遠出もできるだろうと言っています。


そうしたら、ぜひあなたの町を訪ねたいです。


王宮のお菓子も持っていきますね。


それから、オルフェン先生があなたに会いたがっています。


今度は私の病気ではなく、ほかの患者さんのことで相談があるそうです。


先生は毎日、何かを調べています。


最近は、宮廷治癒師のみんなまで巻き込んで大騒ぎしています。


この前は先生が自分の足の爪を交換しようとして、ミリアにものすごく怒られていました。


あの先生、本当に困った人ですね。


また会えるのを楽しみにしています。


エレオノーラ』


私は笑った。


「先生、また実験してるんですね!」


親方も笑った。


「今度は足の爪か」


「はい!」


「……そのうち、何でも交換し始めるんじゃないか?」


私は少し考えた。


「……でも、いいことですよね?」


親方は頷いた。


「ああ。人助けになるならな」


私は手紙を丁寧に畳んだ。


そのとき、店の扉が開いた。


「リタ!」


ベルタさんだった。


「大変だ!」


「どうしたんですか!」


「王都から使者が来た!」


「……王都?」


「またお前のスキルについて相談したいそうだ!」


私は目を丸くした。


「……今度は何ですか?」


ベルタさんは、少し困った顔をした。


「……それが」


「はい?」


「隣国の王子が、呪いで石になってしまったらしい」


私は首を傾げた。


「……石?」


「ああ」


「……人間なんですよね?」


「そうだ」


私は、少し考えた。


「……それ、交換できませんよ?」


ベルタさんは頷いた。


「私もそう言ったんだがな」


「……じゃあ、どうして?」


「王宮の魔術師が、石になったのは王子の身体なのか、それとも王子を覆っている呪いなのか、議論しているらしい」


私は、しばらく黙った。


親方も黙った。


やがて、親方が呟いた。


「……おい、リタ」


「はい?」


「今度は何を交換するつもりなんだ?」


私は、少し考えた。


そして、にっこり笑った。


「……まず、見てみないと分かりません!」


親方は大笑いした。


ベルタさんは、頭を抱えた。


「……そうなんだよなあ!」


私は笑った。


どうやら、《交換》というスキルには、まだまだ使い道がありそうだった。


おしまい。

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