固有スキル《交換》は商人に向いていないそうです
「リタ。俺の帽子と、お前のリンゴを交換する。いいな?」
「はい!」
私は机の上に置かれたリンゴを指差した。
向かいに座っているのは、行商人のバルド親方。
親方は自分の帽子を脱いで、机に置いた。
「じゃあ、やってみろ」
私は頷いた。
「《交換》!」
ぽん、と小さな音がした。
私の目の前に帽子が現れ、親方の前にはリンゴが置かれていた。
「……ふむ」
親方はリンゴを持ち上げた。
「確かに入れ替わったな」
「すごいでしょう!」
「……手を伸ばせば済む話だろうが」
私は黙った。
それはそうだった。
十五歳のスキル鑑定で授かった固有スキル《交換》。
互いに自分の所有物を差し出すことに同意した二人がいれば、その品物を一瞬で入れ替えることができる。
大きさや値段が違っても構わない。ただし、一度に交換できるのは一品ずつ。そして、持ち主二人の同意が必要だった。
「商人向きだと思ったんですけど……」
「まあ、悪くはないんじゃないか」
親方はリンゴをかじった。
「でも、俺たち商人の仕事は、そもそも品物を交換することだからな」
「はい」
「金貨を払って布を買う。麦を売って銀貨を受け取る。それが商売だ」
「はい」
「お前のスキルがなくてもできるだろ?」
私は肩を落とした。
「……そうですね」
親方は笑った。
「まあ、せっかくだ。明日から俺の行商についてこい」
私は飛び上がった。
「本当ですか!」
「ああ。荷物運びくらいは任せてやる」
「ありがとうございます!」
こうして私は、商人見習いになった。
⸻
バルド親方は、優秀な行商人だった。
町から町へ馬車を走らせ、安いものを買い、高い場所で売る。何でもないように見える仕事だが、実際にやってみると難しい。
同じ塩でも、海辺では安く、山奥では高い。同じ羊毛でも、秋には安く、冬には高い。何より、売れると思って仕入れたものが、売れないことがある。
「商売って難しいですね」
親方は鼻を鳴らした。
「簡単だったら誰でもやってる」
私は毎日、帳簿をつけ、荷物を積み、馬の世話をした。
《交換》は、ほとんど使わなかった。たまに宿屋で、親方の荷物と私の荷物を入れ替えて遊ぶくらいである。
「……それ、何か意味あるか?」
「ありません!」
「だったら荷物を積め!」
「はい!」
そんな生活が二か月ほど続いた。
ある日、私たちは山間の小さな町に到着した。ヴァルトという、羊毛の産地だった。
町には大きな倉庫があり、羊毛の袋が山積みになっていた。ところが、住人たちは浮かない顔をしていた。
「魚が来ない?」
親方が聞き返した。
羊毛商人のヘルガさんは、倉庫の前で腕を組んでいた。
「峠の橋が落ちちまってね。もう二か月も港から荷馬車が来てないんだよ」
ヴァルトは羊毛の産地だった。羊は多いが、海は遠い。
住人たちは冬になる前に、港から大量の塩漬け魚を仕入れる。ところが、橋が壊れたせいで、大きな荷馬車が通れなくなっていた。
「北回りの街道は?」
「ひと月もかけて運んだら、魚の値段が倍になっちまうよ」
「そんなに!」
ヘルガさんはため息をついた。
「もう今年は諦めるしかないねえ」
⸻
その日の夕方。宿屋に、一人の男がやってきた。赤い髪に、日に焼けた顔。大きな革鞄を抱えている。
「バルド! 久しぶりだな!」
「おお、ロイじゃないか!」
二人は大声で笑い、握手をした。ロイさんは、海辺の町で塩漬け魚を扱う商人だった。
私は目を丸くした。
「……魚屋さん?」
「そうだよ。君は?」
「リタです! バルドさんの見習いです!」
「そうか、よろしくな!」
ロイさんは笑った。
「いやあ、参ったよ。ここの羊毛を仕入れに来たんだが、帰り道に橋がないと聞いてね」
「まあ、そうだな……」
親方は倉庫に積まれた羊毛を見た。
それから、私を見た。
また羊毛を見た。
「……待てよ」
「どうしたんですか?」
親方は眉間に皺を寄せた。
「リタ。お前の《交換》だが」
「はい!」
「交換する物は、目の前になくてもいいのか?」
「え?」
「だから、遠くにある物でも交換できるのかって聞いてるんだ」
私は首を傾げた。
「そういえば鑑定のとき、距離は関係ないって言われたような……」
親方は黙った。
ロイさんも黙った。
「……お前」
「はい?」
「それ、何で今まで言わなかった!?」
「聞かれませんでしたから!」
⸻
翌朝。
町の大きな倉庫に、三人の商人が集まった。
バルド親方。
ロイさん。
そして、羊毛を扱う商人組合の長、ヘルガさん。
私は真ん中に立っていた。
「それで、何をするんだい?」
ヘルガさんが尋ねた。
「ちょっとした実験だよ」
親方は笑った。
「ロイ。港の倉庫に魚はあるな?」
「あるぞ。山ほどな」
「よし。ヘルガさん、ロイの魚とここの羊毛を交換してくれ」
「……何?」
「いいから!」
ヘルガさんとロイさんは、羊毛の品質を確かめて値段を決めた。
私は二人から交換の同意をもらった。
「この羊毛一袋と、港の倉庫にある、青い印の魚一樽ですね?」
「そうだ」
「じゃあ、やってみます!」
私は羊毛の袋に手をかざした。
「《交換》!」
ぽん。
羊毛が消えた。
代わりに、大きな樽が現れた。
三人とも黙り込んだ。
ロイさんが樽の蓋を開けた。
中には、塩漬け魚がぎっしり詰まっていた。
「……おい」
「はい?」
「俺の倉庫の魚が、ここに来たのか?」
「はい!」
「じゃあ、羊毛は?」
「魚のあった場所に行きました!」
ロイさんは、しばらく黙っていた。
そして、突然大声で笑い出した。
「……はははは!」
ヘルガさんも笑った。
「何だい、これは!」
私は嬉しくなった。
「すごいでしょう!」
親方は、腕を組んだまま呟いた。
「……なるほどな」
そして、にやりと笑った。
「これはすごい商売になるぞ!」
その日の午後、ヴァルトには久しぶりに大量の魚が届いた。町の人々は大喜びだった。
ただし、運送組合の御者たちは、たいそう不機嫌だった。
「俺たちの仕事をなくすつもりか!」
組合長のダグさんに怒鳴られ、私はすっかりしょげてしまった。
それでも翌日、魚を買った人たちからお礼を言われた。
商売というのは、なかなか難しい。
⸻
翌朝、私は衛兵隊の詰所に呼び出された。
「お前がリタか」
出迎えたのは、鎧を着た女性だった。
衛兵隊長のベルタさん。
背筋が真っすぐで、眉間には深い皺があった。
「はい!」
「昨日、港の魚を一瞬で取り寄せたそうだな」
「取り寄せたんじゃなくて、交換したんです!」
「その交換について聞きたい」
ベルタさんは机に銀貨を置いた。
「これは私の銀貨だ。お前の物と交換できるか?」
「はい!」
私は自分の銅貨と交換してみせた。
ぽん。
ベルタさんは満足そうに頷いた。
続いて、壁に掛かっていた剣を机に置いた。
「今度は、この銅貨とこの剣だ」
「その剣、ベルタさんのですか?」
「いや。そこの衛兵のだ」
指差された若い衛兵が、困った顔をした。
「隊長、私の剣をどうするんです?」
「少し借りるぞ。リタ、やってみろ」
「えっ、私は交換に同意してませんよ!」
私は試してみた。
何も起きなかった。
「……ふむ」
ベルタさんは頷いた。
「持ち主の同意がなければ交換できないんだな」
「はい」
「そうか、そうか」
ベルタさんは、にやりと笑った。
「これは盗品検査に使えるぞ!」
「……盗品?」
「よし! 門へ行くぞ!」
「えっ、今からですか?」
「善は急げだ!」
「私、まだ朝ご飯を食べてないんですけど!」
「門で食え!」
⸻
町の門では、荷馬車が列を作っていた。
「止まれ!」
ベルタさんは先頭の旅人を呼び止めた。
「その短剣、お前の物か?」
「ああ」
「よし、リタ!」
私は旅人に同意をもらい、短剣と自分の銅貨を交換した。
ぽん。
ベルタさんは満足そうに頷いた。
「よし、通っていいぞ!」
次の旅人も問題なし。
その次も問題なし。
ところが四人目。
「《交換》!」
何も起きなかった。
ベルタさんの目が光った。
「……おい。その剣、どこで手に入れた?」
旅人は顔をしかめた。
「兄貴から借りたんですよ」
「……借りた?」
「俺の剣は鍛冶屋に預けてるんです!」
そこへ、野太い声が飛んできた。
「当たり前だろうが!」
振り返ると、昨日のダグさんだった。
「荷物を持ってる奴が、荷物の持ち主とは限らねえだろ!」
ベルタさんは眉をひそめた。
「ダグ。邪魔をするな」
「邪魔じゃねえ! うちの組合員だって、預かった荷物ばかり運んでるんだぞ!」
「それは分かっている!」
「だったら何で借り物を持ってる奴が泥棒なんだ!」
ベルタさんは黙った。
私は、そっと銅貨をしまった。
「……あの」
二人が振り返った。
「「何だ!」」
「もう朝ご飯に行ってもいいですか?」
「駄目だ!」
「いいから行け!」
私は困ってしまった。
結局、交換できなかった品物については、事情を調べることになった。
ベルタさんは不満そうだったが、翌日も私を呼ぶと言った。
「今度こそ盗賊を捕まえるぞ!」
「……私、商人なんですけど」
「給金は払う!」
「いくらですか?」
「……お前、急に目の色が変わったな」
親方の教育の成果だった。
⸻
その翌朝。
「リタ! 大変だよ!」
宿屋へ駆け込んできたのは、ヘルガさんだった。
顔が真っ青だった。
「宝石を盗まれた!」
「……宝石?」
「青いサファイアだよ! 金貨二百枚もするんだ!」
昨夜、宿屋の金庫から盗まれたのだという。
ベルタさんも捜査しているが、犯人の見当もつかないらしい。
「倉庫の拡張で金が必要なのに……。あれを担保にするつもりだったんだよ」
ヘルガさんは椅子に座り込んだ。
私は何と言っていいか分からなかった。
そこへ、ベルタさんがやってきた。
「ヘルガ。宿屋の従業員にも聞いたが、今のところ手がかりはない」
「そんな!」
「引き続き調べる。だから――」
ベルタさんは、そこで口を閉じた。
私を見た。
それから、ヘルガさんを見た。
「……待て」
「何だい?」
「ヘルガ。その宝石、誰かに売ったか?」
「売るわけないだろう!」
「誰かに譲ったか?」
「母の形見だよ! 大事にしまっておいたんだ!」
ベルタさんは私を見た。
「リタ」
「はい?」
「港の魚を交換したとき、お前は魚を見たか?」
「見てませんよ。港にあったんですから」
「では、魚がどの棚に置かれているかは?」
「知りません」
「……そうか」
ベルタさんは、突然笑い出した。
「……はは」
私は首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「いや、まったく!」
ベルタさんは机を叩いた。
「どうして気づかなかったんだ!」
ヘルガさんが眉をひそめた。
「何の話だい!」
「リタ! 隠し場所の分からない宝石でも、交換できるか?」
私は少し考えた。
「……やったことありません」
「そうだろうな」
「できるかもしれませんけど」
「よし!」
ベルタさんは、自分の財布から銅貨を一枚取り出した。
「私の銅貨だ! ヘルガの宝石と交換してくれ!」
私は目を丸くした。
「……あっ!」
ヘルガさんも立ち上がった。
「……それだ!」
ベルタさんは、たいそう得意そうだった。
「何だ。衛兵も捨てたもんじゃないだろう?」
⸻
十分後。
親方も交えて、宿屋の食堂で交換を試すことになった。
「……本当にできるのかい?」
ヘルガさんが不安そうに尋ねた。
「やってみないと分かりません」
私は正直に答えた。
ベルタさんは頷いた。
「それでいい。失敗したら、私が探し続ける」
「……分かりました」
ベルタさんの銅貨を机に置いた。
私はヘルガさんに確認した。
「昨夜盗まれたサファイアは、今もヘルガさんの物ですよね?」
「もちろんだよ!」
「ベルタさんの銅貨と交換してもいいですか?」
「ああ、頼んだよ!」
私は銅貨に手をかざした。
「……《交換》!」
ぽん。
銅貨が消えた。
代わりに、青い宝石が現れた。
誰も動かなかった。
ヘルガさんが震える手で宝石を持ち上げた。
「……私のだ」
そして、突然叫んだ。
「私のサファイアだよ!」
次の瞬間、私はものすごい力で抱きしめられた。
「リタあああ!」
「わあっ!」
「ありがとう! ありがとう!」
「く、苦しいです!」
親方が慌てて引き離してくれた。
ベルタさんは腕組みをして、満足そうに頷いていた。
「……よし」
親方が尋ねた。
「隊長さん。盗賊はどうするんだ?」
「もちろん捕まえる」
「でも、宝石は戻ったぞ?」
「それが何だ」
ベルタさんは鼻を鳴らした。
「宝石が戻ったからといって、泥棒を放っておけるか!」
そう言って、詰所へ戻っていった。
後日、盗賊は捕まった。
盗んだはずの金貨二百枚の宝石が、いつの間にか銅貨一枚になっていたので、大変取り乱していたそうだ。
私は少し気の毒になったが、ベルタさんは大笑いしていた。
⸻
それから半月ほど経った頃。
一人の老人が、親方の店を訪ねてきた。
上等な外套を着た、痩せた老人だった。
目の下には深い隈があり、まるで何日も眠っていないようだった。
「リタという娘は、ここにいるかね」
「はい! 私です!」
老人は椅子にも座らず、尋ねた。
「盗まれた宝石を取り戻したというのは、本当か」
「はい!」
「隠し場所も分からずに?」
「はい!」
「箱も開けず、壁も壊さずに?」
「はい!」
老人は黙った。
それから、私の手を握った。
「……王都へ来てほしい」
「……王都?」
親方が眉をひそめた。
「失礼ですが、どちら様で?」
老人は外套の内側から、王家の紋章が刻まれた銀の札を取り出した。
「王宮侍医長、オルフェンと申す」
親方は椅子から飛び上がった。
「……侍医長!?」
私は首を傾げた。
「お医者さんですか?」
「そうだ」
「何か盗まれたんですか?」
「……いや」
老人は、しばらく言葉を探していた。
「取り出したいものがあるのだ」
⸻
王都へは、馬車で三日かかった。
その間、オルフェン先生は何度も私に質問した。
「交換する品物は、自分の目で見なければならないのか」
「見なくても、どれを交換するのか決まっていれば大丈夫みたいです」
「容器の中でも構わない?」
「はい。樽の魚も交換できましたから」
「では、一つの物の中に埋まっている別の物は?」
「……さあ?」
「そうか」
先生は、何か考え込んでいた。
私は気になった。
「先生、いったい何を取り出したいんですか?」
先生は窓の外を見た。
「……王女殿下の病だ」
私は目を丸くした。
「病気を?」
「ああ」
「……でも、私のスキルは《交換》ですよ?」
「知っている」
「《治癒》じゃありませんよ?」
「それも知っている」
「……大丈夫なんですか?」
先生は、しばらく黙った。
そして、小さく首を振った。
「分からん」
私は不安になった。
「……帰ってもいいですか?」
「帰らないでくれ」
先生は真剣な顔で言った。
「頼む」
私は、それ以上何も言えなかった。
⸻
王女様は、十八歳だった。
銀色の髪に、淡い青の瞳。
薄い寝間着を着て、大きな窓のそばに座っていた。
想像していたより、ずっと普通の女の子だった。
ただし、顔色はひどく悪かった。
「あなたがリタ?」
「は、はい!」
「そんなに緊張しなくていいわ。楽になさって」
王女様は笑った。
名前はエレオノーラ。
三年前から、体のあちこちに異常な肉の塊ができる病気を患っているという。
最初は小さな腫れ物だった。
しかし、次第に数が増え、肺や内臓の奥にも広がっていった。
「治癒魔法では駄目なんですか?」
私が尋ねると、先生は頷いた。
「傷は治せる。しかし、あの塊は傷ではない。身体の一部として育ってしまっている」
「取っちゃえばいいのでは?」
「取れる場所なら、もう取った」
先生は、薄い板を持ってきた。
そこには王女様の体の内部が描かれていた。
魔法による診察で、病変の位置を調べたものだという。
肺のそば。
肝臓の奥。
そして、心臓のすぐ近く。
赤い印が三つ、体の中で光っていた。
「……これを、交換するんですか?」
「できれば、だ」
先生は私を見た。
「ただし、その前に確かめなければならないことがある」
「……何ですか?」
「身体の一部が、交換できるのかどうかだ」
⸻
実験台に座ったのは、オルフェン先生だった。
「本当にいいんですか?」
「ああ」
先生は首の横を指差した。
小さなイボがあった。
「若い頃からあるものでね。切るほどでもないから放っておいた」
横には、宮廷治癒師のミリアさんが立っていた。
四十歳くらいの、厳しい顔をした女性だった。
「侍医長ともあろう方が、得体の知れないスキルの実験台になるなんて……」
「患者に試す前に、誰かが確かめねばならん」
先生は平然としていた。
「それに、私はもう十分長く生きた」
「そういうことではありません!」
ミリアさんは怒った。
私はますます怖くなった。
「……やっぱりやめませんか?」
先生は首を振った。
「まずは小さなものからだ。失敗しても構わん」
「でも……」
「私自身が同意している。さあ」
交換する品物として用意されたのは、小さな器に入った生理食塩水だった。
「……では」
私は手をかざした。
「《交換》!」
ぽん。
器の水が消えた。
代わりに、小さな肉の塊が現れた。
先生の首には、小さな傷ができていた。
「ミリア!」
「《治癒》!」
淡い光が広がった。
傷が塞がる。
先生は鏡を見た。
首を触る。
もう一度触る。
「……取れた」
ミリアさんは、机の上の肉の塊を見つめた。
「……本当に」
私は、どっと疲れた。
「……よかったあ」
先生はしばらく鏡を見ていた。
それから、突然笑い出した。
「ははは!」
ミリアさんが眉をひそめた。
「何がおかしいんですか」
「いや、何十年も付き合ったイボがなくなると、妙に寂しいものだな!」
先生は私に向き直った。
その顔から、笑みが消えた。
「……リタ。もう一つ頼みたい」
私は頷いた。
先生は言った。
「王女殿下を、助けてくれ」
⸻
翌日。
王女様の部屋には、何人もの治癒師が集まっていた。
オルフェン先生は一つずつ病変を確認し、位置と大きさを説明した。
「大きなものを、三つ取り除く」
先生が言った。
「一つ交換するたび、ミリアが傷を治す。出血が止まるまで次には進まない」
ミリアさんは頷いた。
「分かりました」
私は手を上げた。
「……あの」
「何だね」
「もし、失敗したら?」
先生は黙った。
王女様も黙った。
しばらくして、ミリアさんが言った。
「私が、できる限りのことをします」
「でも……」
「それでも、助けられないことはある」
私は、震えそうになった。
帽子を交換するのとは違う。
魚を交換するのとも違う。
宝石を取り戻したときでさえ、失敗して誰かが死ぬわけではなかった。
私は、王女様を見た。
「私、もう三年もこの部屋にいるの」
王女様は窓の外を見た。
「最初の一年は、治るのを待っていたわ。次の一年は、何でもいいから試してほしいと思った」
王女様は小さく笑った。
「去年からは、もう何をしても駄目なんじゃないかって。期待したくなくて、新しい治療の話を聞くのも怖くなったの」
先生は何も言わなかった。
「でも、今度こそ……今度こそ治るかもしれない」
王女様は私の手を握った。
「だから、お願い」
「……承知しました!」
王女様は、少し満足そうに笑った。
最初は、肺のそばにある小さな病変だった。
先生が魔法の診察板を私の前に置く。
赤く描かれた塊を指差す。
「これだ」
私は頷いた。
王女様が同意する。
私は器から少量の生理食塩水を取り分けた。
「……《交換》!」
ぽん。
生理食塩水が消えた。
代わりに、赤黒い肉の塊が現れた。
王女様が小さく呻いた。
「ミリア!」
先生が叫んだ。
「《治癒》!」
光が広がる。
しばらくして、王女様の呼吸が落ち着いた。
先生は診察板を確認した。
「……消えている」
ミリアさんが、深く息を吐いた。
「傷も塞がりました」
私は、思わず笑った。
「できました!」
しかし、先生はまだ笑わなかった。
「次だ」
二つ目。
肝臓の奥にある、少し大きな塊。
交換は成功した。
けれど、王女様の顔から血の気が引いた。
「……っ」
「ミリア!」
「分かっています!」
治癒の光が強くなった。
先生が王女様の手を握り、何かを確かめていた。
私は、動けなかった。
やがて、ミリアさんが言った。
「……止まりました」
先生は長く息を吐いた。
「……よし」
王女様は、うっすらと目を開けた。
「……あと一つ?」
先生は頷いた。
「はい」
三つ目は、心臓のすぐそばだった。
一番大きく、一番危険な病変。
先生は何度も診察板を確かめた。
ミリアさんは、新しい治癒の術式を準備していた。
私は、次の生理食塩水を取り分けた。
王女様が、私を見た。
「リタ」
「……はい」
「終わったら、一緒にお茶を飲みましょう」
私は目を丸くした。
「……お茶?」
「ええ。王宮のお菓子、美味しいのよ」
「……本当ですか?」
「本当よ」
私は、少し笑ってしまった。
「……じゃあ、頑張ります」
王女様も笑った。
「お願いね」
私は、診察板を見た。
赤い塊。
心臓のすぐそば。
先生が何年も、どうしても取り除けなかったもの。
私は息を吸った。
「……《交換》!」
ぽん。
生理食塩水が消えた。
代わりに、掌ほどもある赤黒い塊が現れた。
王女様の身体が跳ねた。
「……っ!」
先生が叫んだ。
「ミリア!」
「《治癒》!」
眩しい光が部屋を満たした。
私は目を閉じた。
何も見えなかった。
ただ、王女様の荒い息遣いが聞こえていた。
しばらくして。
その息遣いが、静かになった。
私は恐る恐る目を開けた。
ミリアさんは、額に汗を浮かべていた。
先生は王女様の胸元に手を当てていた。
二人とも、何も言わなかった。
私は、声が出なかった。
やがて先生が顔を上げた。
「……脈が、整っている」
ミリアさんが診察板を見た。
「……病変が、消えています」
先生は、もう一度確かめた。
そして、椅子に座り込んだ。
「……消えた」
誰も動かなかった。
王女様が目を開けた。
「……先生?」
先生は顔を上げた。
「……はい」
「……終わったの?」
先生は、何か言おうとした。
しかし、声が出なかった。
代わりにミリアさんが頷いた。
「……はい、殿下」
王女様は、しばらく天井を見つめていた。
それから、小さく笑った。
「……じゃあ、お茶にしましょうか」
先生が、とうとう泣き出した。
ミリアさんも泣いた。
私は、どうしていいか分からなかった。
結局、つられて泣いた。
⸻
翌日。
私は王宮の大広間に呼ばれた。
国王陛下が、玉座に座っていた。
左右には大勢の貴族たち。
その前に立たされ、私はすっかり緊張してしまった。
「リタ」
「は、はい!」
「娘の命を救ってくれたこと、心から感謝する」
「と、とんでもありません!」
「望みの褒美を申してみよ」
私は、少し考えた。
「……金貨でいただけますか?」
大広間が静まり返った。
国王陛下は、ぽかんとした。
「……金貨?」
「はい!」
「爵位や屋敷ではなく?」
「はい! 私、商人なので!」
国王陛下は、しばらく私を見つめていた。
それから、大声で笑い出した。
「はははは!」
隣に立っていたオルフェン先生が、額を押さえた。
「……陛下」
「よい、よい!」
国王陛下は笑った。
「商人ならば、商人として報いよう!」
こうして私は、金貨をたくさんもらった。
本当にたくさんだった。
親方に見せたら、腰を抜かした。
「……リタ!」
「はい!」
「お前、いったい何をしたんだ!」
「王女様の病気を交換しました!」
「それは聞いた!」
親方は金貨の袋を持ち上げた。
「……これだけあれば、店が三軒建つぞ」
私は目を輝かせた。
「本当ですか!」
「ああ」
「じゃあ、親方!」
「何だ?」
「魚の商売も、もっと大きくできますね!」
親方は、しばらく私を見ていた。
そして、笑い出した。
「……お前、本当に商人だな!」
「はい!」
二人で大笑いした。
⸻
それからしばらくして。
王都から一通の手紙が届いた。
差出人は、エレオノーラ王女様。
私は、親方に頼んで読んでもらった。
『リタへ。
先日は本当にありがとう。
身体の調子は少しずつよくなっています。
まだすぐに外へ出ることはできないけれど、先生たちは、来年には遠出もできるだろうと言っています。
そうしたら、ぜひあなたの町を訪ねたいです。
王宮のお菓子も持っていきますね。
それから、オルフェン先生があなたに会いたがっています。
今度は私の病気ではなく、ほかの患者さんのことで相談があるそうです。
先生は毎日、何かを調べています。
最近は、宮廷治癒師のみんなまで巻き込んで大騒ぎしています。
この前は先生が自分の足の爪を交換しようとして、ミリアにものすごく怒られていました。
あの先生、本当に困った人ですね。
また会えるのを楽しみにしています。
エレオノーラ』
私は笑った。
「先生、また実験してるんですね!」
親方も笑った。
「今度は足の爪か」
「はい!」
「……そのうち、何でも交換し始めるんじゃないか?」
私は少し考えた。
「……でも、いいことですよね?」
親方は頷いた。
「ああ。人助けになるならな」
私は手紙を丁寧に畳んだ。
そのとき、店の扉が開いた。
「リタ!」
ベルタさんだった。
「大変だ!」
「どうしたんですか!」
「王都から使者が来た!」
「……王都?」
「またお前のスキルについて相談したいそうだ!」
私は目を丸くした。
「……今度は何ですか?」
ベルタさんは、少し困った顔をした。
「……それが」
「はい?」
「隣国の王子が、呪いで石になってしまったらしい」
私は首を傾げた。
「……石?」
「ああ」
「……人間なんですよね?」
「そうだ」
私は、少し考えた。
「……それ、交換できませんよ?」
ベルタさんは頷いた。
「私もそう言ったんだがな」
「……じゃあ、どうして?」
「王宮の魔術師が、石になったのは王子の身体なのか、それとも王子を覆っている呪いなのか、議論しているらしい」
私は、しばらく黙った。
親方も黙った。
やがて、親方が呟いた。
「……おい、リタ」
「はい?」
「今度は何を交換するつもりなんだ?」
私は、少し考えた。
そして、にっこり笑った。
「……まず、見てみないと分かりません!」
親方は大笑いした。
ベルタさんは、頭を抱えた。
「……そうなんだよなあ!」
私は笑った。
どうやら、《交換》というスキルには、まだまだ使い道がありそうだった。
おしまい。




