色のない男
色のない男
「真っ黒じいさんが出るぞ!」
子どもの頃は、そんな話を聞いた。真っ黒な服を着た髭のじいさんが、夜中に現れる。その服が黒いからわからないが、たくさんの人の血が染み込んでいて殺人鬼なんじゃないか、というヤツがたくさんいた。小学生のようやく高学年になろうかという年齢の子どもの言うことは、とりとめがなくてぼんやりとしかわからない。だから、すぐに気がつくことはなかった。
いつも通りの仕事の帰り道、缶コーヒーを買おうとしてよりにもよって冷たいもののボタンを押した。自動販売機に文句を言っても寒々しく光るだけで、虚しく持って帰る。温かければ苦でもないのに冷たいものだから持っているのもつらい。かばんにはギリギリ入らず、捨てるのもどうかと思い手に持つしかなかった。なんで雪の日にこんなものを持って歩かねばならんのか、いつも礼儀正しく勤勉に、会社勤めに励んでいるというのに罰でも当たったのだろうか。当てようと思えば後ろめたいことがないわけではない。海賊版動画を見たとかそんなことはいくらでもある。その罰がこれだとしたら、だいぶんと陰湿なものだ。そんな不満が、もしかしたらそいつを呼んだのかもしれない。
真っ黒じいさんは、夜中に現れる。雪の夜であることが多い。言うことを聞く子どもの耳元で、妙なことを囁く。連れていかれた人は、みんな死ぬわけではない。次の真っ黒じいさんにされて真夜中に現れる……。子どもの頃にわずかに聞いただけの話が、頭によぎる。色のない髭面の男は、オレを見ているように思えた。いい子にしていたかい?そんなことを聞かれたのは、オレの幻聴だろうか。街灯の明かりの下で震えずにいられなかったのは、今日が寒いからだろうか。しんしんと降りしきる夜の闇に、髭面が笑っていた。声も出ない。言葉もない。ただ寒さが、心臓のど真ん中を貫いてブルブルと手が震えた。意味もなくプルトップに添えていた指が、缶を開けるのには十分だった。
ぶしゅう、と勢いよく噴き出したコーラが雪の上に飛び散って、髭面にかかった。髭面は、苦々しい顔をして逃げていった。がくりと腰が抜けて、缶が雪の上に落ちる。幸運と不運が、どうやら逆だったらしい。真っ黒な男なんて、今日は見たくない。髭のじいさんには、この空き缶のような服を着てもらうに限る。




