目玉の中の景色
試験作「目玉の中の景色」
……俺の地元は、どうということのない田舎だった。田舎といっても自慢になるほど山奥ってわけじゃない。国道も通ってるし便所は洋式の水洗、医者だってごまんといる。建ちも建ったり歯医者ばかりよくこんなに寄ってくるもんだ。そんな見るところのない、ないことも見れないくらいの田舎には、見えないものがある。……間違っちゃいねえよ、見えねえんだけど何かあるんだ。今日はそんな、俺の地元の話だ。
俺は中学の頃、いつもカバンを引っ掛けて歩いていた。家に転がっていた安物のトートバッグ、気に入っているわけじゃねえが手近なカバンがこれしかなかった。これに全部放り込んで出かけてたんだが、ある日頼まれた。駅前に行くんなら、コンビニに寄って支払いしてくれって。茶色い看板のコンビニでできるって言うから釣り銭を駄賃にする代わりに引き受けた。支払いの用紙と、金……コンビニなんて漫画を買うときしか使ったことのなかった俺は、ちょっと構えていた。初めてだったから、馬鹿みたいだが緊張していた。本当は、聞くこともできた。そんなコンビニあったか?って。
駅前のコンビニの看板は、やはりというかなんというか緑色だった。そんなもんあったかなあとは思ったが、いつもこのコンビニしか使わないし、他のコンビニがあるのを見落としてるとか、知らないうちにできたとか。コンビニがそんな急にできることはなくても、看板だけなら一晩で出せる。そんなところだろうと思っていたのに、やっぱりない。聞き流さずにその場で気がつけばよかったと思ったが、こっちはこっちで用事がある。一度電車に乗って町を離れて、金と支払い票はそのままに帰って、大目玉を食らった。茶色い看板のコンビニなんてないと言ったんだが、あると言って譲らない。みんな茶色い看板を目印にして待ち合わせをしているんだとか。俺だって駅は使うし待ち合わせくらいするが、茶色い看板のコンビニなんて言われたら待てない。そんな場所はないんだから。家族は怒って、もういいと支払い票をふんだくって自分で支払いに行った。ついでに菓子と飲み物を買ってきて、あんたにはあげないと得意になっていた。家族の持っていたコンビニの袋は、知っているコンビニ。緑の看板のコンビニだ。やっぱりなかったんじゃねえか……。言ってもわからないような相手だから呆れて黙っていた。コンビニ払いなんてどこでもできるもんだしな、って思ったんだけどさ。
次の日も、カバンを引っかけて出かけようとしたんだが、見当たらない。俺のカバン、知らない?って聞いたら、茶色のカバンなら居間にあった、と言われた。……俺のカバンは濃い緑色だから、それじゃない。俺が探してるんだから俺が引っかけてるカバンだとわかりそうなもんなのに……。いつも引っかけてる緑のカバンだと言ってるのに、茶色のカバンしか見たことがないという。何言ってんだ、そんなカバンは俺が知らない。うるさいなあ、ほらあったでしょ!と家族がソファの裏にあったのを見つけて俺に突きつけたのは、いつものカバン。すまねえ、とありがたく受け取りはしたが……どう見ても緑だ。強くはないが茶色というより緑が強い。俺がこれを緑色だと思ってるだけで、これは茶色なのだろうか。まあみんなにとっては茶色なんだろう、茶色っぽいといえば茶色っぽい。駅前でいつものコンビニに寄って、漫画の雑誌を探した。店員に聞いて裏にある在庫を持ってきてもらうとき、どうでもいいのに聞いてみたんだ。茶色い看板のコンビニがあるって聞いたんですけど、どこですか、って。
店員は、この近くにコンビニは三軒あるけど、青いところと赤いところしか知らない、って。赤いコンビニは駅から割と離れていて、駅前とは言いづらい。でもたぶん赤い看板のコンビニのことじゃないかって言うんだけど、あのコンビニなら赤い看板と言うはずだ。じゃあウチの家族は、茶色い看板をどこで見たんだろう。そのときは、わからずじまいだった。
話は、十年後に飛ぶ。社会人になる頃には、エンジニアとしてそれ相応に使える知識を持っていて、一度地元に帰って、緑の看板のコンビニがなくなっているのを見た。それでふと思ったんだ。茶色い看板のコンビニって、ここだったんじゃないかって。
光の三原色、ってあるだろ?赤と、緑と、青。全部混ぜたら白くなって、それがいわゆる蛍光灯の原理。三色が全部混じってるわけだ。俺の目に緑に見える看板は、家族からしたら茶色。……目が変化して、緑が見えなくなったら、あの看板は何に見える?赤と青が残って、紫。青も減っていたら、その色は茶色に近く見える、はず。はずなんだ。でも俺はそんなの試したことがない。俺は自分の目玉しか使ったことがないし、変えることもできない。緑色が見えなくなる目玉なんて、想像しかできない。雨上がりの虹を見ればわかるように、色の差なんて波長だけ。あとは全部同じなんだ。見る方の目玉、網膜に何かの異常があれば、受け取る波長が違って見える……。
でもそんなことあるわけない。だってそうだろ?このコンビニは、茶色い看板だってみんなで待ち合わせてたらしい。一人とか二人とか、茶色く見える奴が混じってたら「そんなコンビニない」ってすぐに言われる。まさか揃いも揃って茶色く見えるなんてことあるまいし……。コンビニの隣には、歯医者があった。こっちはまだやっている。ここのせいで俺の歯医者嫌いは治りそうにない。嫌なことを思い出す前に、とっとと立ち去った。
これが、十年前の話だ。俺たちは、お互いがどう見えているかわからない。俺がこれを赤と呼んだり緑と呼んだりして、他の奴がこれを赤と呼んで緑と呼んだとして、同じ色が見えてるなんて保証はない。生まれたときからこれを赤と呼んでこれを緑と呼んで、色は変わらないんだからずっと呼び続ける。でも、そんなことあるわけない。わからないわけない。俺だってそれくらいわかってるさ、うちの町にだって、眼科くらいあるしな。




