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ももんが文学

妖精を見る方法について

掲載日:2025/12/12

曇天の午後、私は荻窪駅北口を出て青梅街道を東京方面へと歩いていた。美術大学時代の友人であるアメコのアトリエと住居を兼ねたマンションで、来週から銀座で行われる彼女の個展に展示する絵の梱包を手伝って欲しいと声を掛けられたのだ。青梅方面の空は黒が濃くなり始めて、オゾンの匂いが鼻腔を刺激した。恐らく雷が近付いているのだろう。


アメコというのは渾名(あだな)で本名は「響雨子(きょうこ)」という。美術大学の同じ絵画科のクラスに「今日子」という生徒がおり、区別する為に彼女は「アメコ」と呼ばれるようになった。アメコは真夏の暑い日以外は黒のゴシック・ロリータ・ファッションを着て登校し、また目鼻口の配置がバランス良く整ったマネキンを思わせる美貌も相まって学内では目立つ存在だった。


彼女とは入学式後にアトリエで行われたオリエンテーションで初めて知り合った。六十人の生徒は一列十五席、四列に並べられたパイプ椅子に着席している。四列目、私の左隣に座るゴスロリ衣装の彼女に、右席からリレー形式で流れて来た配布物を渡した際に声を掛けられたのだ。


「あ、時計」


「え、何」


ダイソーのミリウォッチだ、と言う彼女に「そうなんだよね」と私は返事をしたけれど、安価な時計に眼を留められたことに恥ずかしさを覚えて、身体の表面から水分が蒸発する感覚に襲われた。午後二時にオリエンテーションが終わると、何方(どちら)からとも無く声を掛けて二人で食堂に行き、遅いランチを共にしながら話した。


「モモカさんって、SF小説好きなの」と言う彼女に私は頷いた。


「何で分かるの」


「ダイソーのミリウォッチってさ」


「ウィリアム・ギブスン」と私達は同時に声を挙げた後、お互いのジャックにケーブルのプラグが差し込まれて通電した感覚に包まれ、同時に笑った。この安価な時計はそのSF作家のSNSで紹介されたアイテムなのだ。


* * *


アメコは有名な調味料メーカーの創業者一族の出身で、歳の離れた二人の兄がいる。彼女は幼い頃からその兄達と過ごしていた名残なのか言葉遣いが少し乱暴だ。気心の知れた私に対しても、時には「モモカ」では無く「お前」と呼ぶこともある。しかしながらそれを全く不快に感じさせないのは彼女の屈託の無い明るい性格によるものか、若しくは私の鈍感力のせいだろう。家族から何も制約を課されず、絵を描くことを得意としていた彼女は一浪の後に私と同じ美術大学に入学した。大学を卒業した後は既に調味料メーカーの要職に就いていた二人の兄に続き、その会社の広報部に勤務している。


「ゴスロリのアメコが毎日事務服を着てるなんて信じられない」


「最早、私は逆にそういうコスプレだと思ってる」


同じく大学卒業後に就職し、絵筆を捨て、日々マウスとキーボードを手にモニターに向かい、オフィスの水槽で泳ぐクマノミに餌を撒くことが気晴らしの私とは異なり、アメコは所謂(いわゆる)アフターファイブの時間や週末を使い絵画制作を続けていた。揺らめき踊る煙の流れを描いた油絵は評判を呼び、新進美人画家などと扱われて度々美術雑誌でも取り上げられていた。


親に頭金を出して貰い購入したという3LDKの部屋は建物の一階にあった。初めて入る彼女の部屋は廊下を挟んで右の部屋に寝室、左の部屋は衣裳部屋になっていた。突き当りの二十畳の広いリビングの床半分に青いビニールシートが敷かれていて、イーゼルに描き掛けの絵が乗っている。壁際には既に完成して搬出を待つ作品達と、梱包用の高さ百二十センチのロール状に巻かれたエアキャップが立て掛けられていた。残りの半分の床には食事用のテーブルと三つの椅子が置かれている。「もっと眺めの良い部屋も買えたんじゃないの」と私が言うと「百号以上の大作を搬出する場合、エレベーターに乗らないから駄目なんだ」と黒いジャージ姿の彼女はリビングの大きな窓を開けて、作品をベランダ経由で駐車場に運ぶルートを説明した。


* * *


「プチプチ君、取って」


はいよ、と私が適度な大きさに切ったエアキャップをアメコに渡すと、彼女は手際良く絵を包み、最後に養生用のテープで留める。全ての作業を終えた後、私達は彼女の会社が新発売したレトルトパウチのマッシュルーム入り和風ソースを電子レンジで温めて、茹でたパスタに()えて食べた。食後はテーブルに置かれていた缶の中からティーバッグを取り出して紅茶を淹れた。


対面に座る彼女に私は訊いた。


「今、ルミナは居るの」


「居るよ、そこの椅子に座ってる」とアメコは空席の椅子を見た。


今日(こんにち)は、と私は空席に向かい挨拶をした。彼女には幼少期から他人の眼には見えない何者かが見えていて、まるで親しい友人のように、時には相談相手となっていたのだ。アメコはその存在にルミナと名付けた。それを知った家族は精神科に通院するように促し、高校のクラスメイト達はルミナの存在を知ると彼女を気味悪がり距離を置くようになった。しかしながら大学に入ると状況は一変した。私を含む友人達は、その存在を受け入れ、また面白くも思い、更にはルミナに人生相談を持ち掛ける者も現れたのである。「ゴスロリの霊媒」という奇妙なポジションを得た彼女は大学で知らない者は居ない存在となった。


一学年の秋のことだった。私とアメコは食堂のテラス席に座り、年末に開催されるグループ展の打ち合わせを行っていた。ふと、一人の男子生徒が近づいて来た。


「あの、すみません、アメコさんですか、俺、ミウラと言います。ちょっと相談に乗って貰えませんか」


芸術祭実行委員会のミウラによると十月末に行われる芸術祭の最終日に大規模な打ち上げ花火を行うのだという。雨が降ってしまうと中止になり、業者へのキャンセル料が発生してしまうので、彼女の力で何とか雨を降らせないように出来ないか、という相談だった。アメコは私と彼女に挟まれて座っているルミナに相談し始めた。彼女の薄い唇が下手な腹話術師のように少しだけ開いては閉じる動きを繰り返している。ルミナと会話する時はこういう状態になるのだ。やがて彼女はミウラに向かって言った。


「祈祷するわ」


私達三人は大学構内にある芝生広場に移動した。アメコは広場の中心に立ち、踊り始めた。それは祈祷の為の舞というよりもアイドルのダンスに近い。五分ほどで彼女は動きを止めて「終わったわ。これで大丈夫」とミウラに言った。「アメコ様、ありがとうございました」と彼は手を合わせて頭を下げ、戻って行った。


「今のは何」


「雨が降らないようにする祈祷」


彼女の説明によると、これはアイドルグループ、嵐の『A・RA・SHI』という曲の振り付けの順番を(さかさ)にして踊ったものだそうだ。彼女は小学生から中学生までダンススクールに通っており、その曲の振り付けを今も覚えていたのだ。


「あの曲は、嵐を巻き起こせ、っていう意味の歌詞があってさ。で、それを逆に踊って嵐を起こさせないようにしたのよ」


「無茶苦茶だ」


「でも、ルミナが言ったんだもん、やれって」


十月末に行われた三日間に渡る芸術祭は晴天に恵まれ続けて、最終日には無事に花火も打ち上げられた。


一年後、芸術祭実行委員会のメンバー、男女合わせて十人がアメコをアトリエに訪ねて来た。今年も祈祷を依頼する為だ。彼女はその十人を引き連れて芝生広場に行き、再び逆再生ダンスを始めた。踊る彼女の周りを十人が手を繋いで輪を作り囲んでいる。踊りが終わり、彼女を中心にして手を合わせて頭を下げる集団を見て私は苦笑していた。その後、祈祷は私達が四年生になるまで芸術祭実行委員会で受け継がれて続き、遂に私達の在学中には芸術祭の期間に雨が降ることは無かったのである。


* * *


私は部屋に残されたイーゼル上の未完成の油絵を眺めていた。これもまた緩やかに立ち昇る煙の動きを描いている作品だ。眼を凝らすとその細密に描かれた煙の中に一匹の蝶のような形が見えてきた。


「モモカにも見えるの」


「蝶かな」


「妖精ね。元々、妖精って形を持ってないのよ。見る人が望む形に姿を変化させるの。だからこれは私がイメージする妖精だね。ティンカーベルみたいな。人によってはユニコーンになったり」


「妖精って居るんだ」


「居る。ルミナが妖精を見る方法を教えるって。早朝、水を注いだグラスと、何か植物を窓際に置くんだって。で、朝日の光がグラスに差し込んで、水が蒸発を始めた瞬間に出る、虹の彩光と一緒にグラスの(ふち)に現れるって。さっき食べたマッシュルームの妖精が見えたりしてね」


私は明日にでもその方法を試してみようと思ったのだけれど、生憎(あいにく)天気予報では今夜から数日は雨が続くそうだ。私のことだから、きっと忙しさに(かま)けて忘れてしまうかもしれない。

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