09 Fabula 森に潜む操られし闇
エレスのおかげで、ライサリア妃と第二王妃派の動きについては、ずいぶんと気が楽になった。
姉との再会を機に俺たちは、ようやくダルクヴァルトの調査に集中することができている。
ゆっくりと、できるだけ隈なく見て歩くことを幾日か続けているが、まったく飽きる気がしない。
好きな森の景色は目を喜ばせ、澄んだ空気は吸うだけで全身が浄化されるような気分にさせるが、それだけではないように思う。
そんなことをのんびりと考えていられる時間をくれるダルクヴァルトは、俺たちの安らぎの地であることは間違いない。
「ふふ、私たちが毎日歩くから、道ができてしまったわ」
ルヴェリナが、ふと振り返って呟いた。
俺もルヴェリナが見た光景を知りたくなり、振り返ってみる。
「本当だ。探索を初めたころは、歩くための足場を確保するばかりで進まなかったのに。それを思うと、ずいぶんと移動距離が長くなったね」
「遠くまで行くことができるのはいいけれど、帰りは大変そう。途中で休む場所が欲しくなるわ」
「ふむ……拠点か。今後さらに足を延ばすことを考えると、そういう場所も必要だね」
食事場所や採取した物の一次置き、雨露をしのいだり、場合によっては夜を明かすこともあるだろう。
「ルヴェリナ、とてもいい案だよ。ダルクヴァルトを歩いていたら安心してしまって、肝心の探索についての見通しが甘くなっていた」
「身の危険を感じながらですもの、仕方のないことよ。そんなアールの手伝いをするために専属の侍女たちがいるんでしょ。一人で抱え込まずに、みんなに頼って」
確かにルヴェリナの言う通り、俺には専属の侍女がいる。
俺に能力がなくても、ルヴェリナと侍女たちには能力がある。
「ということは、僕が彼女らの能力を使わせてもらえばいい……のかな」
「そうよ。あなたは一国の王子なのだから、仕える者を堂々と利用すればいい。できれば、その中の一番が私だとうれしいのだけれど」
ルヴェリナは、俺を横目で見ながら言ったあと、頬をほんのりと赤くした。
俺に一番近い存在であるルヴェリナを、利用するなんてことはしたくない。
「協力……そう、利用ではなく協力だ。僕の考えに賛同し、忠誠まで誓ってくれている。そんな愛おしい人を、利用するなんてことはしたくない。みんなで協力して事を成し遂げるんだ」
言い切ったあと、侍女たちの足音が耳に届かなくなった。
何事かと辺りを見渡すと、俺が見える範囲で調査をしていた彼女らが、こちらを注目している。
「アール様、お気持ちを言葉で伝えていただき、私はうれしさで涙が出そうです」
「いつも優しく接してくださることに喜びをかみしめていましたが、愛おしいだなんて……はあ……どうしましょう」
涙が出そうと言ったリリアナは、目尻に今にも零れそうな涙が浮かんでいて、出そうではなく出てしまっている。
エリスは、真っ赤な顔を両手で覆い、モジモジし出した。
「いったいどうしたって言うんだ? またティアラとリーニアが驚く……ぞ」
ティアラとリーニアは、目を丸くしている姿を想像していたのだが、互いの背中に手をまわして体を支え合っている――というより、恥ずかしそうにしている……なぜ照れるようなことになるんだ?
「アール王子、アタシも愛おしい?」
当初の約束を守って、ちゃんと俺のそばにいるゼフィラが、人差し指を口に当てて首を傾げた。
俺は全員に言ったつもりだが、ゼフィラはおそらく、自分のみに向けた言葉が欲しいのだろう。
最近、ゼフィラという子は、俺から特別扱いをして欲しい一心なのだということがわかってきた。
リリアナとエリスも、俺と二人だけの時間を求める節はあるが、どうもそれとは違う。
ベリスの言っていた、『王子様が大好き』だという、よくわからない好みによる独特な感情のようだ。
「ゼフィラとベリスについては、紆余曲折あったとはいえ、専属侍女として認めたのは他の誰でもない、僕だ。だから君たち二人のことは、すでに特別扱いをしていると思うんだけど。さすがに起こした事件の余韻はまだ冷めていないし、日も浅い。愛おしくなるよう、みんなを支えてもらいたい」
「がんばったら愛おしくなるの!? アタシ、がんばる。がんばって王子様を助ける!」
「僕だけじゃなく、みんなと助け合うんだ。僕の手が回りきらないところで、君たちを頼りにしているからね。彼女らと協力して、お互いの負担を軽くし合って欲しい」
「みんなを助けたら、アール王子が喜ぶの?」
「そうだよ。そして僕らの大事な約束――『無理は禁物』を常に意識するんだ」
「無理は禁物……確かに、みんなと助け合えば無茶なことはしない。そうしたらアール王子が喜ぶってわけね」
元気に話すゼフィラから、一歩下がったところで見守っているベリスに目をやると、じっと俺を見つめ、黙って深く頭を下げた。
この二人、あとは経験を積んでもらうだけになったな。あえて伝えはしないでおくが。
ダルクヴァルトの探索を八人でしている……となると、ルヴェリナの言う通り、拠点作りも並行して進める必要があるな。
「アール様……この中、怖いです」
ちょうど頭の中で浮かべていた侍女のうち、短髪黒髪で灰色の瞳の子が弱弱しく訴えてきた。
常に冷静沈着なエリスが、恐怖心を隠さず報告するほどのものを見つけたらしい。
怯えた声のする方へ振り向くと、軽く握った手を口に当て、もう一方の手で暗闇を指差しているエリスが立っていた。
目が合うなり、一刻も早く俺のそばに来たいという強い願いが伝わってくる。
普段なら、二人きりの時にしか見せない行動だが、周りの目など気にしていられないほどの状況ということだ。
願いを受け取った俺は、急いでエリスのもとへと駆け寄った。
「エリス、どうした?」
「この木の周囲だけ気配を感じ取れなかったので、不思議に思って来てみたんです。てっきり木が立っているだけかと思ったら、後ろにはまだ空間があるみたいで。でも、奥の方を見ようとしても暗過ぎて何も見えない。それならと耳を澄ましてみたら、音が無くて……それがわかった瞬間、耳がちぎられそうな痛みが走って、それから、それから……耳鳴りが止まなくなって……」
エリスは、俺の胸に顔をうずめて両耳を塞ごうとするが、手を下ろしてしまった。
突然、腕の力が抜けてしまったらしく、垂れ下がった腕は震え始め、自力で動かせないでいる。
俺は、エリスの頭を抱え、両腕で耳を塞いであげた。
小柄な体を震わせるエリスの姿が、胸を締め付けるように痛ましい。彼女の恐怖が伝わってきて、俺も自然と息を詰めた。
このまま落ち着くまで待ってあげるしかないが、木の後ろにある空間とやらが、どうなっているのかを知る必要がある。
俺たちに敵意のある何かが存在するなら、この探索を続けるかどうかを真剣に考えなければならない。
いや、その前に、今無事でいられるのかも怪しくなってくる。
「ティアラとリーニア。奥の様子を調べることはできるかい?」
「やってみます!」
自然に溶け込むような緑と茶色基調の服に、長い茶色の髪をなびかせるティアラと、流れる水のような青色基調の服に、波打つ青髪をなびかせるリーニアが、俺とエリスの両側を掠めて行った。
「待って、私が前に出る。二人は私の後ろから能力を使って!」
リリアナが、剣を握りしめてティアラとリーニアを追い越し、前に出て剣を構える。
そしてゆっくりと足を進めるリリアナを前に、植物使いと水使いが後に続いた。
「想像ができない場所だ。絶対に無理はしないように。危険を感じたら戻っておいで」
「はい」
俺がエリスのもとへ駆け寄ると、ルヴェリナとゼフィラもすぐに追いかけてきた。
ルヴェリナの落ち着いた瞳とゼフィラの決意に満ちた表情が、俺に少しの安堵をもたらす。
「エリス……今まで能力の届く範囲でわからなかったことはないから、初めてのことで怖くなったのね。大丈夫よ、私たちがいるからね」
ルヴェリナは、エリスの頭を撫で、彼女の力を失った左手を両手で包み込んだ。
心なしか、ルヴェリナの幅広な袖がふんわりと広がったように見える。
手の周囲に何らかの変化が起こるのは、癒しの能力を使っているときだ。
エリスの様子を見かねて、治癒をしているのだろう。
「アタシも手伝いたい。風で何かできないかな」
「霧で見えない程度ならゼフィラに頼むところだけど、奥の様子がさっぱりわからないとなると、ただの挑発にしかならない可能性がある。今は待機だ」
「はい……」
残念そうなゼフィラの後ろで、指示されるのを待っているベリスが目に入る。
暗闇には光が欲しいところだが、この暗がりには効果がないように思う。
能力のない俺ですら、今まで調べた場所の平穏さが微塵もないとわかるほどだ。
それどころか、入るなという敵意にも似た気配がひしひしと伝わってくる。
おそらく、この暗闇を作り上げているのは、そんな人払いの力なのだろう。
「ベリス、君の光をいかせないか考えたけれど、ゼフィラと同じように挑発になってしまうかもしれない。それに、光で照らせるような闇ではないように感じる。すまないが、ゼフィラと一緒に待機だ」
「……承知しました」
「もし何か事が起きたとき、ゼフィラは、風を使って僕ら三人をこの場から離れさせてくれ。ベリスは、先に退避して待っていて欲しい」
「くっ……わ、わかりました」
ベリスは、返事をしたあと唇を嚙んで下を向いた。自分の能力が使えなくて悔しいのだ。
気持ちはわかる。ゼフィラは役に立っているのに、自分は役立たずだと感じていることを。
「ベリス、待機も立派な仕事だ。君に何の用もないのなら、初めから連れて来やしない。妙な勘違いをするようなことはないと思っているが、一応伝えておくよ」
「……はい」
ささやくように返事をしたベリスは、俯き加減に走り出したがすぐに足を止め、こちらを振り返った。
「アール様」
「ん、どうした?」
「その……私、アール様をお慕いしています」
意外にも、エリスを彷彿とさせる、鋭く強い視線の茶色い目が見つめている。
俺は、光を伴ったまっすぐな視線を向けられ、穢れのない気持ちを伝えられた。
瞳が光っているわけでも、涙を浮かべているわけでもない、心が見せる光だ。
俺の心が欲してやまない、何よりも潤う最上の光をベリスから得ることができた。
「ち、ちょっとベリス!? アタシの王子様なのに何を言って――」
ゼフィラは勢いよく振り向いて、足早に離れるベリスの背中に不満をぶつけようとした。
けれども、今そんな余裕はない。無事シルヴァーヴィスタ離宮に戻ることができたら、ゆっくり二人だけで話すなりしてくれ。
いや……俺が相手をすることになるんだろうなあ……たぶん。
「ゼフィラ、三人抱えて飛ぶことはできるか?」
語気の強さで俺の言いたいことを感じ取ったのか、ゼフィラは質問に答えるべく、俺とエリス、そしてルヴェリナを両腕で抱えてみた。
ふと、さらわれたときの感覚がよみがえるが、あのときとは違って今なら安心できる。
ゼフィラとベリスの二人とも、こんなちょっとした触れ合いがきっかけになって、もっと近くに感じられるようになるのだろう。
ベリスに関しては、なぜだか一気に距離が近づいたようだが。
「アール王子がエリス様とルヴェリナ様を抱えてくれるのなら。下からの風で支えられるから、できます!」
俺の胸にうずくまっているエリスが、もぞもぞと顔を上げて呟いた。
「ゼフィラ……私を呼ぶとき様はいらない」
「え、でも、まだ日が浅いし」
「私が嫌なの」
「それなら……エリス、で」
「うん、それがいい」
エリスは怯えたままだが、どうしても伝えておきたかったらしい。
言うだけ言って、また俺の胸に顔をうずめ、ぎゅっと抱き着いてきた。
怯えていることを理由に、俺に思いっきり甘えるところがエリスらしくて面白い。
「アール様、ここから奥の木々は、すべて操られています」
リリアナを先頭にゆっくりと足を進めていたティアラが、暗闇一帯の植物を確かめたようだ。
「操られている?」
「はい。何かしらの能力によって、侵入者の精神をかき乱すように仕組まれています。そして、それらが織りなす力によって、一種の遮域が形成されています」
遮域か……隠しておきたい場所ならば、武器を設置していることが多いと聞く。
だがここは遮域を形成するという、能力で封鎖をしている。となれば仕掛けたのは能力者ということだ。
暗闇の中に能力者が潜んでいる可能性があるのだから、このまま無事に帰らせてくれるかどうかはわからない。
エリスがすでに遮域の影響を受けたことで、能力者は俺たちの存在に気づいているはずだ。
さて、どうしたものか――。




