03 Fabula 風光の襲来
離宮での祝賀会を楽しんだ翌日は、雲一つない晴天に恵まれた。
女中長リゼッタと女中たちが用意してくれた作業用の衣服に身を包み、森林地帯ダルクヴァルトへと足を踏み入れる。
ルヴェリナたちと四人で毎日のように眺めていた森は、遠目で見るのとは違って新鮮な体験をさせてくれる。
「へえ、結構暗いんだね」
「この森は木々が高く密集しているので、日差しが地面に届きにくいんです。でもそのおかげで土壌が乾燥せず、植物が根を張り続けることができるんですよ」
ダルクヴァルトを散策するにあたり、誰を主軸とするかは想像に難くない。
植物に詳しいティアラと、水を操るリーニアをそばに付けるのが妥当だろう。
ティアラは、得意な分野だからか、うれしそうに教えてくれる。
「あ、あの……アールヴェリス閣下、初めて城外へ出られる日であり、任務の初日という特別な機会なのに、おそばにいるのが私たちでよろしいのですか?」
「何か不都合なことがあるの? もし苦になることがあるのなら、代わってもらうけど」
「いいえ。大変光栄なことなので、役を務めることはまったく問題ないのですが、その――」
俺のそばに付くことが、重要な任に就いたような気になったか。
専属侍女となったのだから、俺の指示にいつでも対応できるよう、そばにいることが役目だろうに。
「今回は初日だから、特に何かをするってわけじゃなくて、ゆっくり散策するつもりなんだ。ティアラとリーニアは来て早々なんだし、森の散策なら少しでも気が楽になるかなって。それに、ゆっくり話せるとも思ってさ」
これからの活動場所は、ダルクヴァルトが中心になる。
植物と水の能力を持った二人は、おのずと任をこなす機会が増えるのだから、すぐに慣れるだろう。
「――えっ! アール様、避けて!」
突然、エリスが叫んだ。
咄嗟に周りを見たが、薄暗い中で緑と茶色だけの風景に目を惑わされ、何も視認できない。
集中して状況を把握しようと試みる前に、背中に迫る気配を感じた。
しかしそれは、すでに俺が出遅れていることを意味している。
「あはっ! 簡単じゃん。王子さまあ、ご一緒してもらいますねー」
「何だ!?」
背後から伸びる細い腕に絡め取られた瞬間、地面の感触が消えた。
鼓動が一気に高鳴り、視界がゆっくりと傾く。
下を見れば、木々が遠ざかり、風が肌を鋭く切り裂く。
宙に浮かぶことの不自然さが、全身を包み込んだ。
「えっへへー、王子様と空でお散歩だあ! とーってもすてきじゃないの!」
空だと!? みるみる離れていく地面から視線を上げると、そこには確かに空が広がっていた。
ということは、この少女は能力者か。空を飛ぶとは……また強力な能力者が現れたな。
――はっ、今、手を放そうとした? ほう、どうやら俺を落とす気らしい。
それは何を意味するのか――命を奪いに来たと考えるのが自然だろう。
さて、どうするアールヴェリス……。
「君は能力者なんだね。空を飛べるなんてすばらしい」
正直、空中に浮かぶなど想像もしていなかったことだ。
だが俺は、静かに息を整えた。恐怖を見せることは愚策となるからだ。
平静を保つことを意識しつつ、心の内で戦況の分析を急いだ。
「僕を驚かせるための手段にしては、なかなか派手だね」
「ありゃりゃ、案外冷静なんだねー。いーっぱいびっくりしてくれると思ったのに、ちょっとつまんなーい」
「楽しませてあげられなくてごめんよ。これでも君の能力にはびっくりしているんだよ」
目の端に、ティアラとリーニアが能力を使おうと構えているのが見えた。
手を放されるのが先か、侍女たちの動きが先か――。
俺が結末を考えるより前に、侍女たちの能力が発動した。
「何なにーっ! ちょっと、あの人たちも能力使えるの!? 聞いてないってばあ」
見知らぬ子に抱えられて空中を移動する俺の前に、次々と木々が現れる。
目が追い付かないほどの速さで伸びては迫る木々の隙間を、俺を抱えている少女は軽々と避けていく。
「わぁお、たーのしい! 面白いことしてくるじゃん。でもね、言われたことをやらないと怒られちゃうのよねー。王子様に仕えるのはとーっても魅力的なんだけど、こればっかりは――」
言われたことをやらないと怒られる――誰かの命令に従っているってことか。
俺のことを殺めようだなんて考えるのは、母上の反対派ぐらいしか思いつかない。
国内に広がっている噂が、どこまでどのような形で広まっているのかはわからない。
だから母上ではなく、俺自身に対して気に入らないヤツがいてもおかしくはない。
ただ、今はその答えを導き出す時間なんて少しもない。
彼女の手が放されれば、俺は地面に叩きつけられて重傷、最悪は命を落とす。
一瞬の間に、頭の中を様々な事柄が駆け回っていると、強烈な光に包まれた。
「ゼフィラ、早くしなさいよ! こういうことって時間をかけてはいけないのだから」
ふむ、この少女はゼフィラというのか。そして仲間も光使いの能力者……厄介だな。
「わかったわよお、もう、せっかく王子様と空のお散歩だったのにい。いつでも落とせるんだからいいじゃ……ん!?」
ティアラの繰り出す木が今一歩追い付かず、このまま侍女たちに任せるだけでは間に合いそうにない。
不覚にもさらわれてしまったが、無論、このままにしておくつもりなんてさらさらない。
能力のない俺だが、日ごろ何もしていないわけではないところを見せるときが来たようだ。
ゼフィラと呼ばれた少女が、木々の回避に集中している隙に、腰から短剣をそっと抜く。
その剣先を彼女の脇腹へ当てて牽制した。
「落としたいなら落とせばいい。それは君が決めることだから、僕がとやかく言うことではない。でも、ただ指示に従っているだけの行動ならばやめておきな。僕は命を落としたところで何も苦しまないが、君は一生苦しむことになるよ」
言葉だけなら聞き流してしまえるが、剣先を身に触れさせていることで、相手の話を聞かざるを得なくなるようには持っていける。
「あらら、アタシもヤバくなっちゃった。どうしよう、アタシは死にたくないよお」
「へえ、死ぬ勇気もないのに僕を狙ったんだ。ずいぶんと甘い考えをしているね。相手に矛先を向けるってことは、自分も相手と同じ立場になるってことだよ。それでも手を放すか、自分の命を守るのか、さあ、どうする?」
ここまで形を作ることができれば、リリアナから教わった剣や受け身を冷静に使える。
自分を守る準備は整った。あとはこの少女がどうするのかを待つだけだ。
「えー、お腹に剣が当たってるから、木を避けているだけでも刺さっちゃいそうだよお。ベリスう、この王子様を殺すの無理みたい」
「ちょっと、名前を呼ばないでよ! ああもう、だから早くしなさいって言ったのに」
「名前を呼んだのはベリスの方が先だよお。アタシは悪くないもん」
仲間の名前はベリスというのか、一瞬俺の名前かと思ったそのとき、目の前に滝のような水の壁が現れた。
どうやらリーニアが、うまく連携がとれていない二人の隙をつき、能力を繰り出したようだ。
俺とゼフィラの空中散歩は、ここで終わりを告げた。
――バッシャーン。
「きゃっ……何なの!?」
驚いたゼフィラは、俺を抱えていた手を離す。
俺は、水壁への衝突と落下を覚悟して、受け身の準備をしていた。
水の壁に突っ込んだ瞬間、体がまるで布に包まれるように柔らかく押し止められた。
しかし、表面は渦のように動き続け、俺の体を優しく支えながらゆっくりと地面へと運ぶ。
まるで、生き物のように意思を持つ水――リーニアの能力が、ここまで精密なものとは驚きだ。
反射的にとった受け身は、まったく意味を成さずに終わる。
一瞬息の心配をしたが、水の中というわけではなく、溺れるようなことはなかった。
「アール様!」
リリアナの叫び声が、水壁越しで微かに耳に届いた。
外から見ると、水の中にいるようにしか見えないのだろうな。
妙な拍子抜けを感じて状況把握に手間取っていると、ゆっくり地上へと下ろされた。
侍女たちは、俺のもとへと必死に駆け寄ってくる。
その中の一人であるリリアナは、他の侍女とは比べ物にならない猛烈な勢いで向かっていた。
そして、剣を振り上げるのに合わせて飛び上がり、ゼフィラの首をめがけて剣を振り下ろそうとする。
「リリアナっ!」
俺の叫びを聞き取ったリリアナは、降りてくる中で俺と目が合うと、剣を空振りさせて着地した。
「アール様……私……守れなくてごめんなさい!」
リリアナは、剣を地面に突き刺すと、涙をポロポロと落として号泣する。
「何を言っているんだよ。リリアナ一人だけでは無理なときがあるから、全員連れてきているんじゃないか。心得を忘れたのかい?」
「『無理は禁物』ですが、でも……でも……」
リリアナは、地面に刺した剣を強く握り、爆発しそうな気持ちを抑えている。
「無理にも色々ある。そのどれもが禁物なんだ。僕には幸い、付き従ってくれる侍女がいてくれる。それも一人じゃなくて、ルヴェリナを含めれば五人もいる。ならば、その利点を生かさなくてどうする。今回は僕に隙があったことが原因であり、みんなの経験不足も実感した。まだ僕の仕事は始まったばかりだ。これから何度もここへ来て、一緒にいろんな経験を積むんだ」
俺の横にルヴェリナが来て、そっと肩に手を乗せてきた。
正直なところ、突発な出来事に頭が追い付いていない。
ルヴェリナは、俺の鼓動が激しいことを察知したらしく、治癒の温もりを流し込んできた。
心を癒してくれるルヴェリナが一番近しい存在であることが、とても恵まれていると感じる瞬間だ。
俺の緊張が収まっていくのが伝わっているのか、リリアナも泣きやんで落ち着いてきたようだ。
「アール様、私も――」
エリスが静かに寄ってきて何かしら言おうとするが、俺は遮った。
「ティアラとリーニアが能力を的確に使えていたのは、エリスが指示を出していたからだろ? 君の能力がなければ、急な出来事に対応するのは難しかっただろう。それに、さらわれる前に避けるよう伝えてくれたから、僕はまるっきり慌てるまでにはならなかった。感謝しているよ」
「アール様は優しすぎます」
「そんなことないよ。僕は君たちに助けられてばかりだから、優しいのは僕じゃなくてみんなだ」
ルヴェリナが俺の肩に乗せていた手をポンポンと叩いた。
「反省会は離宮でしましょう。ティアラとリーニアが疲れてしまうわ」
俺たちの周りは、木々で覆われ、その外側には水の壁もできていた。
ティアラとリーニアが、俺を狙った二人が逃げないように閉じ込めている。
そして、さらに現れるかもしれない敵からの防壁にもなっていた。
「本当だ、二人ともありがとう。リリアナ、ゼフィラとベリスを拘束して離宮まで連れて行ってくれるかい」
「ゼフィラとベリス……その二人の名前ですね、わかりました」
リリアナは、何もできなかったことを悔やんだままのようだ。
挽回しようという気持ちからか、俺からの指示への反応がとても早かった。
「名前を覚えているの!?」
「君たちが口にしていたじゃないか。耳に入ったことぐらい覚えているさ」
俺が名指しで拘束を指示したことに、ゼフィラは驚いている。
空を飛ぶことができる強力な能力持ちにしては、考えが浅いようだ。
いや、強力な能力と感じたのは俺の基準であって、それに見合った人間性を求めるのはおかしな話か。
それに、話した感じでは俺より年下のようだから、経験が少ないってだけかもしれない。
彼女らが教えたも同然なのに、名前を知っていたことに驚いているのだからな。
リリアナは、腰に巻いていた丈夫な麻縄を取り出して、俺を空へと連れ去ったゼフィラの手首からしっかりと縛り上げていく。
「こうなってしまっては、名前を隠す意味がないわ」
ベリスは、冷静な振る舞いを見せてはいるが、ゼフィラと似ているところが多そうだ。
冷静ならば、名前を漏らしてしまうなんてことはないはず。
おそらく、自尊心が高いのだろうな。
リリアナが、ゼフィラとベリスの拘束を終えると、ティアラとリーニアは、それぞれが繰り出した能力に協力した森の姿を元に戻した。
ダルクヴァルトをゆっくり散策したかったが、飛び入り参加した二人に尋問をしなければならない。
俺たちは、拘束した二人を連れて、シルヴァーヴィスタ離宮へと戻った。
お読みいただきありがとうございます。
気軽に楽しんでもらえたら幸いです。