11 Fabula 深淵の森と永遠の禁典
俺たちの尊い癒し空間だと思っていたダルクヴァルトは、手放しで迎え入れてはくれなかった。
静寂というマントを翻した深い森は、いたずらめいた表情の顔をのぞかせた。
人の立ち入りを禁じた領域が設置されているなど、考えもしなかった。
俺たちは……いや俺は、任務の一環である探索にも関わらず、ただ、心地よさに酔いしれていただけだったようだ。
エリスが恐怖に襲われる事態になって、ようやく気付かされた弛緩。
――すべては俺の失態だ。
魅力的な侍女に囲まれていることに喜びを感じ、その楽しさが緊張感の欠如を生んだ。
決して侍女たちが悪いわけじゃない。彼女らを、いつか離宮の外へ連れ出してあげたいという思いがかなってうれしかった――。
この先、俺が注意すべき点を思い知らされ、せっかく遮域の暗闇が晴れたというのに、気持ちはどん底に突き落とされて真っ暗だ。
「アール、大丈夫? もう遮域は解かれたのだから、少しは気楽になったんじゃない?」
ティアラによって生まれた大木の葉をかすめた日差しが、ルヴェリナのやわらかな金髪を撫でている。
悔しい気持ちを感じながらも何かしら動いているつもりだったが、体は少しも動いていなかったようだ。
「大丈夫だよ、ルヴェリナ。ほっとしたら君の髪に目を奪われていただけさ」
「もお、アールったら……本当に?」
なぜだか今の俺は、悔しくて茫然としていただなんて言いたくなかった。
でも、大好きなルヴェリナの髪がきらきらと光る様子に見惚れていたのは事実だ。
「ああ、本当だよ。おかげで暗闇が晴れたことを、よりはっきりと実感できたからね」
「それならいいけど。でもね、私に隠し事をするなんてアールらしくないから、今回だけよ」
ルヴェリナは、俺の顔をのぞきこむと、人差し指で鼻の頭をちょんと叩いて微笑んだ。
失態というものは、連鎖を起こす悪魔だ。
最大限の注意を払い、極力起こさないようにしなければという意識を強く持たせ、自滅に追い込む。
悔しさに翻弄されて立ち尽くし、あげく、一番信頼している人にまで心を閉ざした。
それでもルヴェリナは、俺の心の扉を開けるなど造作もないと言わんばかりに、鼻の頭に触れた。
軽く触れられただけの鼻だが、全身を叩き起こすには十分な刺激を走らせ、俺の目を大きく開かせる。
人の心を癒すことができるルヴェリナにとって、心を読むなど容易い。
能力のない俺ですら、人の心を読むことができているのだから。
とはいうものの、気持ちを隠そうとした俺と、それを見つけたルヴェリナとの間には、能力を持つ者と持たざる者の差を感じずにはいられなかった。
再び考え込んでいることも、失態という悪魔のいたずら――なんて生易しいものではない、これは……恐怖だ。
「アール、ティアラが呼んでいるわ。離宮に戻ったらゆっくりしましょう。それまでは、ここでの指揮をしっかりね」
ルヴェリナは、そっと俺の指先を握ると、さりげなく引いて前に歩き出すよう促す。
でも、エリスが俺に張り付いたままだ。
「エリス、まだ耳鳴りはするかい?」
「そういえば……治っています」
「おお、それはよかった。一度受けた妨害は遮域が解かれるまで効果があるのか。どうあれ、治ってよかったよ。でも、まだ何が起こるかわからないから、エリスはルヴェリナとここにいてくれ」
「……わかりました、お気を付けて。ゼフィラ、アール様を守ってね」
「もちろん!」
エリスはゼフィラを許しているんだな。心を読むまではできなくとも、偵察能力を持つエリスが歩み寄ったのなら、ゼフィラが俺たちに対して敵意がない裏付けになる。
ルヴェリナに送り出された俺は、指示を守って付いてくるゼフィラと共に、遮域解除を成功させた三人のもとへと近寄った。
「リリアナ、リーニア、そしてティアラ、ご苦労様。怪我はなかった?」
すでに剣を収めているリリアナが、俺と目を合わせるとうれしそうに答える。
「アール様、全員無傷で済みました」
「それは何よりだよ。君たちにはかすり傷一つ付けて欲しくないからね。ありがとう、リリアナ」
「いつも通りにしただけです」
満面の笑みを浮かべているリリアナが眩しくて、離宮にいるときと同じように、俺は彼女の頭を撫でた。
普段、軽く見られないように威圧感を出しているリリアナだが、気を緩めると誰よりも女の子らしさを出す。
特に、俺から褒められると力が抜け、凛々しさがかわいらしさへと入れ替わる。
そんな彼女が挙げた成果に対してはもちろん、俺に仕えてくれていることへの感謝も込めて、しっかりとかまってあげるようにしている。
リリアナのそばで静かに俺たちの様子を見ていたリーニアは、俺と目が合うと軽く会釈をしてから目線を森の方へ向けた。
リーニアにも成果の褒美をあげたかったが、彼女の仕種につられて俺も森へと視線を移す。
ティアラが両手をゆっくりと下ろし、何かを訝しそうに眺めていた。
「ティアラ、そんな顔をしてどうした。まだ遮域が残っていたとか?」
「いえ、遮域はすべて解除できました。ただ……不自然な蔦の塊が気になったので解いてみたら、あのような物が……」
ティアラが解いたという蔦が散らばっている真ん中に、苔むした石碑が立っていた。
石碑は年月を感じさせる重厚な姿で、表面には、古代のものと思われる文字や紋様が刻まれている。
魔力を放っているダルクヴァルトの木々や石などよりも強い、歴史の重みと神秘的な雰囲気に押されて思わず息をのんだ。
だけどそれは、俺に興味を持たせるきっかけとなる。
未知のものをそのままにしておくなど、俺にはできないことだ。
誘われるように近づき、慎重に石碑の一部に手を触れてみる。
石はわずかに温かく感じられ、まるで動物でも触っているような感覚だ。
不思議な感触に興味をそそられ、手のひらを石肌にしっかりと密着させる。
微動だにしないという予想は外れ、静寂の中にゴリっという重い音が響くと、石碑の一部が動いた。
石が動くだなんて微塵も思っていなかったため、構えていなかった体がよろめいてしまった。
何事かと改めて石碑へ目をやると、咄嗟に隠された機構が解き放たれ、石の中から薄暗い光が発っせられた。
その光の中に見えたのは、石碑と同じく年月を感じさせながらも、一切傷みのない一冊の分厚い書物だった。
古びた革装丁に包まれた書物は、明らかな魔力の波動を放ち、俺の目を引きつける。
その光景に圧倒され、一瞬だけ気持ちを高揚させたが、すぐに平静を取り戻す。
俺の心を揺るがすほどの物かどうかは、俺が決めることだ。
好奇心をくすぐるものでなければ、俺は動かない。
「古書か……完全な形で残されているのは、溢れ出るほどの魔力によるものだろう。中を見てみたいところだけど、遮域で守るほどだ。下手に手を出さない方が賢明か」
俺は、触れたい衝動に駆られている手を、発せられている薄暗い光に触れる寸前で止めた。
その時、ルヴェリナとベリスの焦る気持ちが胸に響き、エリスの慌てた声が耳に届いた。
「アール様、後ろ!」
ルヴェリナたちの気持ちを感じ取ると同時に振り返っていた俺は、エリスの声を真正面で受け止めた。
俺と目が合ったリリアナが、すぐさま剣を抜きながら俺の方へと駆け出し、目の前で滑り込んで体を翻す。
構えたリリアナの剣先越しに、深い琥珀色の瞳が鋭い視線を向けていた。
視線は一瞬交わったが、纏わりつかれる前に外し、俺は、視線を男の肩から足まである濃紺のローブをなぞるように降ろした。
「リリアナ、目は見るな」
「目……はい」
男は、俺たちの動きを見てもまったく動じず、悠々と近づいてくる。
あの目は能力者の目。それも、人の心を探ることができる能力の持ち主だ。
心を探るときに手っ取り早いのは、目を見ること。探られにくくするためには、とにかく目を見ないことだ。
ただ残念なのは、その行為自体が、心を探られまいとする意識の存在を知らせてしまうところだ。
「おやおや、素晴らしい人たちの集まりですね。この素敵な森を散策されることは大いに結構なのですが、森の機嫌を損ねるような行為はお控えいただきたい」
男は、能力を持っているが故の余裕か、はたまた、広い肩幅の体格が醸し出す圧なのか、焦りを微塵も出さない様子に見合った低く太い声を発した。
ルヴェリナとエリス、それに二人の前に立つベリスにちらりと目をやってから、こちらを伺う。
ティアラとリーニアは、隙をみて俺のそばへと移動し、二人とも地面にかざす手をリリアナと自身の体で隠した。
ゼフィラは、俺の背中に回した手に小さく風を巻き付かせ、いつでもこの場を離脱できるように構えている。
「ふむ、遮域が解除されたというのに、空気に乱れがない。これは恐れ入りました」
遮域のことを知っている……この男が仕掛けた能力者か。
「おや? その御身の飾りからすると、王家の方とお見受けしますが」
男は首を傾け、侍女たちの隙間から俺を見ると、探るような目つきをやめた。
王家を知る者ということは、アストレヴィアの民か、はたまた他国の要人か。
ただ、俺に限っては、第二王妃派のような反対派の可能性もあるから、慎重に対応する必要がある。
「失礼、警戒するのはごもっともですね。私は、リルヴァナク修道院で講師を務めております、ザルク・ミスティフラと申します」
俺が王族だと分かると、ザルクと名乗った男は能力らしき力による探りをやめた。
彼は、写本を抱き込むように、ボウ・アンド・スクレープをする。
リルヴァナク修道院――確か、ダルクヴァルトの中に存在すると聞いたことがある。
姉のエレスがゼシアノール修道院に通い始めたころ、教育係のセルヴィンが、リルヴァナク修道院も魅力的なところだと話していた。
「私は、お気づきの通り王家の者。アルステッド家の第七王子、アールヴェリス・フォン・アルステッドと申します」
「なんと! 公爵位をご叙爵されたという……グリーンシェイド公、アールヴェリス閣下でいらっしゃいましたか。遅ればせながら、心よりお祝い申し上げます。もしや、ダルクヴァルトに関わる役職に就かれたのですか?」
「はい、ダルクヴァルトは私の管轄となりました。まだ何もわかっていないので、こうして探索をしているのです」
「左様でございましたか。それならば、ダルクヴァルトにおられても不思議ではない」
ザルク講師は、小さく頷いて笑みを浮かべる。
まだどのような人物なのか掴み切れていないが、俺は王子とはいえ、彼からすれば十二歳の子供。
しかし軽んじることなく、とても自然な形で対等に接してくる。
特に広めたわけでもないのに、俺の公爵名がグリーンシェイドであることも知っていた。
リルヴァナク修道院の講師だというのも、好奇心がくすぐられるところだ。
「私の公爵名を知っているんですね」
「もちろんですとも! アストレヴィアの民として、王家のことを知らぬは恥。それに加えて私は、アストレヴィアに寄り添ってきたリルヴァナク修道院の者。殿下のご動向を把握しておくのは、当然の務めでございます」
このザルクという講師、幸いなことに反対派ではないようだ。今のところ、心紋に濁りはない。
「一つ尋ねたいことがあるのですが、この場所に展開されていた遮域は、あなたが仕掛けたのですか?」
ベリスに守られているルヴェリナとエリスが、こちらを心配そうに見ている。
近寄っていいのか、待っているべきなのか困っているようだ。
俺は、ザルク講師に問いを投げてから、ルヴェリナたちに向けて小さく頷き、そばに来るよう伝えた。
「いかにも。今、アールヴェリス閣下が見つけられた、『悠古の禁典』を守るためでございます」
悠古の禁典――初めて聞く物だ。なんだか禁典と聞いてしまうと、何が書かれているのか妙に興味をそそられる。
「悠古の禁典、ですか。遮域で守るほど貴重なものなのですね」
「はい。しかし、私の力不足が露呈してしまいました。解かれてしまうようでは、遮域と呼ぶに値しません。大勢のフォルシエールがお集まりの中、大変お恥ずかしい限りです」
ザルク講師は、頬を指先でぽりぽりと掻き、照れくさそうな仕種をしている。
こちらにしてみれば、初めて目にした能力で、侵入者を阻む効果は十分あったと感じている。
ティアラの案や能力がなければ、どうにもならなかった。
それはさておき、何の気なしに流しそうになったが、気になることを口にしたな……。
「フォルシエール? 何のことですか」
「……失礼しました。アストレヴィアでは『能力者』と呼ばれている『魔法使い』のことでございます」
魔法使い……能力が魔法? ならばルヴェリナたちは魔法使いってことになるじゃないか。
確か魔法というのは詠唱が必要だと聞く。だが彼女らは詠唱なんてしていない。ということは、能力者が魔法使いだとはいえないぞ。
「ザルク講師、魔法は詠唱して発動すると聞きます。しかし能力に詠唱は必要ない。魔法だとは考えにくいのですが」
「いつしかアストレヴィアでは、魔法を使える者が激減しましたから……ふむ、立ち話でする内容ではなくなってきましたね。どこで誰が聞いているかわかりません。もしお時間をいただけるのでしたら、修道院でお話しの続きをしませんか?」
能力についての情報が得られるのならば、ぜひとも続きは聞きたいところだ。
それに、俺たちの行動をできるだけ隠しておくためには、ザルク講師の言う通り、この場を離れた方がいいだろう。
考えをまとめていると、ルヴェリナが俺の袖をつまんでクイッと引っ張り、耳元でささやいてきた。
「アール、あまり遅いとヴォルフガングが困ってしまうわ」
「わかっているさ。でも、日を改めていたらきりがないよ。ザルク講師にも時間を作ってもらわなければならないし、今回は彼から情報を得る絶好の機会だ」
「うふふ。はい、承知しました。あなたがこの状況で切り上げられるわけないのはわかっているわ。一応伝えておいただけよ」
「あー、はは。僕のことを受け入れてくれるルヴェリナは眩しいよ」
以前のように離宮の中だけ、出られても城壁の内側だけだった俺たちが城外に出ている。
今まで味わってみたくてもできなかった分、少しでも多く色々なことを吸収したい。
これは俺だけでなく、ルヴェリナをはじめ、仕えてくれている侍女たちと共有したいことなんだ。
「大丈夫ですよ。僕らもその方がありがたい」
「承知しました。では、リルヴァナク修道院へご案内いたします。その前に、石碑だけ戻させてもらいますね」
俺たちは、ザルク講師が石碑へと近寄るのに合わせて道を空けるが、リリアナはまだ、剣を納めていなかった。
「リリアナ、剣を納めてくれるかい」
「でも、まだ……」
「ザルク講師なら大丈夫だよ。ほら、ローブの胸に付けられているブローチを見てごらん」
ブローチは、サファイアブルーを基調とした大きな盾と、その上に王冠が載り、周りを緑の葉で囲まれているアストレヴィア連邦の紋章だった。
「紋章……」
「それに、僕が大丈夫と言うんだから、わかるだろ?」
リリアナは、こくりと頷いてゆっくりと剣を納めた。
写本を見ながら詠唱し、能力で石碑を元に戻したザルク講師は、振り返ってリリアナに注目した。
「主への絶対的な忠誠を貫いておられる。素晴らしいお嬢様が仕えていらっしゃるのですね」
「彼女だけでなく、皆何ものにも代え難い者たちです」
ザルク講師は、改めて全員の顔を見ると、大きく頷いてから修道院へと俺たちを案内した。




