10 Fabula 人除けの闇を解く緑の手
ダルクヴァルト探索中にエリスが発見した暗闇は、俺たちの侵入を拒むために遮域が形成されていた。
それも、能力者によるものだと考えられるため、どんな仕掛けが待ち受けているのか想像がつかない。
森の中は静寂に包まれているが、暗闇の静けさは異様だった。
木々の間を抜ける風の音さえも聞こえず、まるで自然全体が息を潜めているかのようだ。
ところどころに苔むした岩が顔を出し、その上を這うように生えたツタが不気味な影を作り出していた。
「目の前の大木と同様の木が一つ置きに、そして交互に並んでいるわ。大木は全部で五本、これでは例え明るくても、直線で見通すことができない……でも、私が探ることはできているから、地中までは仕掛けがないようね」
水を連想させる青いチュニックが、作業用に仕立てた革のブーツの上部を隠している。
緊張感漂う中でも、しなやかな容姿で清涼感を感じさせるリーニアが、立膝をついて地面に手をかざし、わかったことを伝えてくれた。
「地中なら障害はないんだね。向こうの隙として生かせそうだけど――」
「リーニアの水が使えるのなら、木を取り換えてしまいましょう」
「木を取り換える?」
ティアラの案は、植物使いならではの発想で、俺には想像できないことだった。
しかし思い返すと、ゼフィラにさらわれたときに見せた、木々を次々に生やすなんてことをやってのけた子だ。
あのとき起こった様は目に焼き付いていて、ティアラを見るたびに脳裏をよぎる。
「はい。木を置き換えることで、仕掛けを無効にできると思うのです。ただ――」
「ただ? 何か問題があるの?」
ああ……すんなりと出た自分の言葉を聞いて、俺は、ティアラを信頼しているのだと実感した。
ティアラに対して、意識せずにくだけた言葉を使い始めていた。
「えっと……元の木とは違う木に変えてしまうので……申し訳ない気持ちもあるのです」
ティアラの瞳には、植物に対する深い愛情と、今目の前にある状況への葛藤が浮かんでいた。
それでも、仲間を守るためにその思いを飲みこみ、力を振り絞る彼女の姿に、俺は胸を打たれた。
「ティアラは優しいなあ。そういう気持ち、とても好きだよ。僕が君の立場になっても、同じ思いをしただろう。でもティアラは、今まで植物を扱ってきた人だ。気づいているはずだよね、人が植物と共存するためには、どうしてもこちらの都合に合わせなければならないときがあることを。植物は、人と同じように次の世代を作る。大木ならば、次の世代への橋渡しを十分に果たしてきたと思うよ」
「アール様……」
なんだか、妙にティアラの優しさが伝わってきて、彼女が感じている思いを共有できている気がする。
心が豊かな侍女たちと触れ合うことは、とても心地がいい。俺は、とにかく澄んだ心を感じていたい。
「エリスの震えもまだ止まらないでいる。できるだけ早く、暗闇が形成された理由を解明したい。ティアラ、君の案を採用するよ。やってみてくれ」
「わかりました」
ティアラは、リーニアに目で合図を送り、胸に当てた両手を静かに暗闇へ伸ばした。
リーニアもティアラに合わせて地面に手をかざし、目を閉じて意識を研ぎ澄ませる。
足元に微かな振動を感じた瞬間、俺はエリスを抱きしめる右腕に力を込めた。
震え続ける彼女の体が少しでも安心できるように、と。
同時に、左手でルヴェリナを抱き寄せる。祈るように目を閉じる彼女の肩を支えると、俺の胸に彼女の小さな鼓動が伝わってきた。
その背後のゼフィラは、俺が二人をしっかりと抱き込んだのを見届けると、無言で俺たち全員をまとめて抱え上げた。
ゼフィラの腕に巻き付く風の力が、まるで俺たちを包み込むかのように温かい。
次の瞬間、地面との距離がふわりと離れ、俺たちは低空を滑るように移動し始めた。
目の前の大木がぐらりと揺れ、根元から倒れ込む恐れを感じながらも、ゼフィラは冷静だった。
風の流れを計算しながら、木が倒れても届かない安全な場所へと俺たちを運んでいく。
鋭い視線でありながら、俺たちを案じる気持ちが溢れているベリスのそばに、ゼフィラは着地した。
「……始まるみたい」
エリスの囁きが耳に届き、右腕に力を込めたままだと気づく。
耳鳴りがすると言っていたが、その中でリリアナとティアラの声を聞き取ったみたいだ。
エリスの能力が、俺の想像などはるかに超えているのを実感する。
窮屈さから楽にしてあげるため、スッと腕の力を抜いたが、エリスは俺の胸から離れない。
いつの間にか身体の震えは収まっているが、まだ気持ちが落ち着かないのだろう。
今は、ティアラたちを見守ることしかできない状況だ。次に動くときまで、このまま休ませてあげることにした。
「あっ……木が沈んで消えてしまったわ」
ルヴェリナは、思いもしなかった光景に驚いたようで、俺の手を握りしめてきた。
大木が沈む瞬間、地面がわずかに震え、その音は深い低音として響いた。
新たな木が地面から生える様子は、まるで自然の一部が生きているようで、息を飲む。
「倒すわけではなかったんだ。まさか、大木が地面に吸い込まれる様を見るとは思わなかった」
遮域から離れているにもかかわらず、俺たちは未知の光景に心がざわめいていた。
しかし、ティアラはその小柄な体からは想像もつかない力で、目の前の大木を地面に沈めるという壮大な技を披露している。
続いて沈んだ大木に似た新たな木が現れると、周囲の暗闇は晴れていく。
「遮域が崩れたわ……ティアラの考え通りだったみたいね。それにしても、あの子の能力ってどれだけのことができるのかしら」
遮域崩しの様子を見守るルヴェリナは、能力を使わなくても癒されるほどに滑らかで細い指を絡ませてきた。
しっかりと俺の手を握っていたのだが、それでも足りないほど、遮域への不安と目に映る光景に付いて行けないことへの驚きを感じているのだろう。
俺は、そんなルヴェリナの指を直接味わっている指に、嫉妬にも似た不思議な感情を沸かせながら、ルヴェリナの言葉に同意する。
「まったくだよ。あの事件以来、彼女には毎日のように驚かされっぱなしだ。おそらく、ここがダルクヴァルトだってことが最大の理由なのだろうね」
右腕にはエリス、左手にはルヴェリナ、そして背後にはゼフィラ。
初めて遭遇した遮域への対処を考える一方で、俺の心を無防備にさせてくれる三人に触れていることに酔っている……。
自分のことなのに、何が起こっているのかわからない。いったいどうしたっていうんだ、アールヴェリス――。
そんな俺の困惑など知る由もないティアラたちは、着々と遮域崩しを進める。
新たに生えた大木は一本の太い幹ではなく、細いものが束になって大木を成していた。
その大きさは、この場にいる俺たち八人全員が手をつながないと囲めないほどだ。
表面は皺のように見え、途中から一本一本に分かれて枝となり、多くの葉を茂らせる。
暗闇が晴れてわかったことは、生え変わった大木の様子だけではない。
てっきり、遮域全体をまとめて闇にしているのかと思っていたが、違ったみたいだ。
暗闇を形成する力は、木々それぞれに仕込まれていた。
闇の空間を一つずつ作り、拡大することで広い暗闇を形成していたようだ。
とんでもなく強力な能力を扱う者がいるのかと心配したが、まだ俺たちの考えがおよぶ相手のようで、少しだけ安心した。
「ティアラ、無理をしてはいけないよ」
最後の一本を入れ替えるまで、手を休める気がなさそうなティアラのことが心配になり、俺はティアラの耳に届くように声を掛けた。
「アール様、見てくださっていたのですか!?」
「当然だろう、危険なことをさせてしまっているんだから。できることなら、リリアナの代わりに僕が付いていたいよ」
「それはダメです! アール様を危険にさらすなど、専属侍女として失格だから!」
剣を握りしめたまま、じっとティアラの様子を見守っているリリアナから止められてしまった。
「安心しなよ。その気持ちを持っている君たちは失格になんてならないから」
「アール様……」
ティアラは二コリとしたが、リリアナは姿勢をそのままに、視線のみ肩まで移して俺に気持ちを返してきた。
三本目の大木が入れ替えられたが、遮域が崩されたというのに、今のところ周囲が明るさを取り戻していくだけだ。
何も起きないのなら、次の動きをしなければならない。俺は、ティアラのもとへ近寄ることに決めた。
「ルヴェリナ、近くへ行ってみよう。遮域が消えればこっちのものだ」
「うふふ、アールはティアラが心配なのね。私は、アールがいるならどこへでも。静かにしている二人がどう思っているのか気になるし」
二人が思っていることってなんだ? 俺だってリリアナとリーニアのことは心配だぞ。
ルヴェリナは、なぜだか笑みを浮かべて、心配そうではなく、楽しそうにしている。
理由を聞こうとしたが、俺の胸に頬を当てていたエリスが、もぞもぞと動いて顔を上げた。
「私はもう少し……こうしていてもいいですか?」
エリスは、おそらく初めて会った人ならば、たじろぐであろう鋭い目で俺を見る。
間近で見る灰色の瞳は、俺からすれば、じっと見つめていたいものでしかない。
怯えが拭え切れていないエリスだが、俺がいるならと目で伝えてきている。
「そりゃあ、かまわないさ。常に神経を研ぎ澄ませていて、寝ることもままならない君だ。少しでも休む手伝いができるのなら、むしろ大歓迎だよ」
ここぞとばかりに甘えてくるエリスは、いつ見ても飽きないし、面白くてかわいい。
また顔をうずめたのを見届け、頭をひと撫でしてやる。
ゼフィラとベリスに合図をして、遮域だった場所へと歩いて戻る。
「ご苦労様、リーニア。地下の様子に変化はあるかい? おっと、意識を集中させているところで話し掛けてすまない」
「水に触れているだけなので、ご心配にはおよびません。私より、アール様はまだ近づかない方がよろしいのでは」
「遮域をここまで崩しても、エリスが受けた障害以外に問題は起きていない。エリスは遮域の中を探ろうとして被害に遭っている。となると、遮域の中にさえ入らなければ何事もないと考えていいだろう。なにより君たちを、いつまでもワケのわからないところに居させたくないからね」
「お優しい。ダルクヴァルトよりも満たされる思いです」
「そんなにかしこまらないでくれよ。リーニアは僕が認めている専属侍女だ。リーニア、僕はね、形式で決めるつもりはない。君たちを任命したのはタイリン王だけれど、僕が気に入らなければ任を解くよ」
リーニアだけでなく、みんなに俺の思いを聞いてもらいたい。
こみ上げる気持ちが声に張りを持たせていく。その勢いに任せて話を続けようとしたら、左手から温もりが消えた。
思わず振り向くと、ルヴェリナが一歩前に出て、俺より先に口を開いた。
「ここにいるみんなは、アールにとって大切な人なの。なぜならアールは、心から認めていないとそばに置かないからよ。だから、アールのことを慕うのなら、自信を持って胸を張って仕えてあげて」
今まで、俺の思いは自分でなければ伝えられないと思っていた。でも、どうやらそればかりではないようだ。
ルヴェリナから俺のことを伝えられたみんなは、心に鋭い剣先が向けられたような緊張が走った。と同時に俺は、全員の意識が共有されて一つになる、貴重な瞬間を感じ取る。
またもや好みの感触を得られて、俺の心は満足げに踊った。
心の喜びに陶酔しかけているのを察知したのか、ルヴェリナが俺に振り返ってにこりと微笑んだ。
彼女は、心の治癒能力を持っている。それは人の内心に入り込むことを意味する。
要するに、人の心を読むこともできるってわけだ。
それでいて、俺のことを一番大切に思ってくれているのだから、自ずとルヴェリナへの信頼は厚くなる。
そんなルヴェリナの緑色をした瞳に目をやったとき、見慣れないものが映り込んだ。
それは、明らかに人為的に置かれた、もしくは、その場にあったものに細工を施した石碑のようなものだった。




