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面接までの数週間、私たちはこれまで続けてきた生活を続けた。寝坊して、空腹になったら食事をして、話して笑って、ベッドで映画を観て、愛し合って、眠って。でも彼の心はもうここにはなかった。私を向いてはいない。私には背を向けて未来を歩き出している。二人の部屋に浮かんだ無数の虚空を追いやる力も、私にはなくなっていった。
Ramonは私の誕生日の三日前にニューヨークに旅立った。病気のことは言い出せなかった。私が死のうと生きようと、どうせ彼の人生からいなくなるのだから、打ち明ける意味などないように思えてきた。それとも病気を人質にして、もう少し傍にいて欲しいと縋ってみるか。私にはまだそこまで自分を貶めないで済むくらいの最後の力は残っていた。老女の意地だろうか。
彼のいない休日は一年半ぶりだ。何もない時間に圧迫される。寂しさに窒息させられる前に、部屋の外に出る。真夏の暑さはまだなく、風が心地よい。色とりどりの船が行儀よく並ぶ港に向かう。
Cassisは小さな可愛らしい港町だ。観光客のように町を歩いてみる。知人に声を掛けたり、掛けられたり、人を縫って一人きりで歩く。土産物屋の店先にはCassisと書かれたマグネットやキーホルダーが山のように売られている。アルファベッド一文字のキーホルダーがAから並んでいる。鍵をあちこちに置き忘れるRamonの癖を思い出した。Rを探して、3.5€払う。私は何処にいてもRamonといる。諦める。
50歳の誕生日、6時間の時差のあるニューヨークからRamonが電話をくれた。
「誕生日おめでとう!」
いつもの低音の優しい声が響いてくる。
「ありがとう!」
「こっちはまだ夕方なんだけど、もう店は閉めた?」
「ええ、今日はお客さんが少なかったから、いつもより少し早めに閉めたの。そっちはどう?大丈夫?」
「あぁ、二時間後に面接なんだ。レストランはほぼ出来上がっていて、今は内装を工事中なんだ。外からみたけど、いい感じだよ。場所もいいし・・・」
Ramonは興奮のままに、現実も夢も混ぜ合わせて早口で話し続けた。彼の未来が映像になって投影される。
彼を呼ぶ女の人の声が背後から聞こえた。
「今いくよ。・・・ごめん、時間だ、行かなきゃ。」
「わかった。落ち着いて焦らないで、頑張ってね。」
私の言葉が終わる前に、電話の無機質な音が聞こえてきた。客も去り、Jean-Lucも、他のみんなも誰かのもとに帰って行った。誰もいない。店の電気を落とす。二階に上がる私の足音だけが聞こえる。愛もない。Ramonがいた時にはなかった空虚。彼がいない時でも、ここに虚空はなかった。暗闇に押しつぶされる。心が怖れで微かな振動を続ける。
50歳の誕生日に一人、飲みかけのワインを注ぐ。おそらく人生最後の誕生日だろう。涙が伝う。死の宣告では出なかった涙が、Ramonを失う絶望のために流れ出す。愛を失うことは、体を失うより、悲しいことなのかもしれない。




