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そして私は今ここにいる。
Angelaから預かった鍵で建付けの悪い古く頑丈な木のドアを開ける。二、三度軽くドアの隅を蹴らないと開かない。彼女のようにうまくいかない。思い切り蹴って、力づくで開ける。
閉店している今日は、テーブルが庭の隅に重ねられて片されている。庭の真ん中に生きているくぬぎの大木を見上げながら、家に向かってスーツケースを転がした。
小さな家の一階は、客席が30ほどと厨房と事務所がある。二階にはAngelaが生活していた部屋がある。リビングにキッチン、バス、トイレ、ベッドルーム。十分に暮らしていかれる。一人では広すぎる。
リビングの窓からは庭の客席が見下ろせる。スーツケースから荷物を出しもせず、客席を見渡して明日からを思う。屋根ほどの高さの庭の大木が、風に葉を揺らして涼やかな音を立てている。
日が暮れる前に荷物を整理し終えたい。スーツケースから当座の衣類を出して引き出しに入れ、Giorgioもしまい込む。明日はシェフと打ち合わせだ。というより、一から教えてもらわなければならない。新しい生活に胸躍ることはなく、葬式の延長にこの場所はある。それでも生きていく。Giorgioを愛したように静かにこの店を愛していくのだろう。
寝室のドアを叩く音が徐々に大きくなっていく。Cassisにいることを思い出す。今朝はシェフのJean-Lucと会う約束をしていた。
「今行きます。下で待っていてくれる?」
ドアの向こうのJean-Lucに声を掛ける。
「了解。」
もう約束の10時を過ぎていた。慌ててガウンを羽織って部屋を出ようとしたが、初日からこれではまずいと思い直し、ジーンズを穿いて髪を束ねたが、顔も洗わず目をこすって階段を降りた。
事務所にしている一階のリビングの大きな机には、シェフのJean-Lucが座ってノートを繰っている。白髪交じりの短髪と髭は不思議と清潔感がある。水色の麻のシャツのせいだろうか。贅肉の全くない引き締まった筋肉質の体形と白いジーンズも、60歳近いフランス人を若く爽やかにみせる。
「ごめんなさい。起きられなくて。寝坊しちゃったわ。」
Jean-Lucは立ち上がって、私の頬に挨拶のキスをする。生真面目で気難しそうに見える彼を怒らせたかと気になったが、青く透き通る瞳は微笑んで許してくれた。
「大丈夫?疲れているんじゃない?」
彼とはこのレストランで数回会ったことがあったが、最後に会ったのはGiorgioの葬式だった。
「ありがとう、大丈夫よ。昨夜寝たのが遅かったから。」
私たちは微笑み合って、Giorgioには触れずに仕事の話を始めた。
Jean-Lucは十代の時からフランス料理一筋の職人だ。娘二人はマルセイユに引っ越し、同じ年の奥さんと二人でCassisに暮らしている。Giorgioの父、Antonioとはパリで修行中に出会ったそうだ。兄のように慕っていたAntonioが病に倒れ、この店に乞われるまま手伝うようになってから、ずっとここでシェフとして働いている。




