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「・・・長ければ一年ちょっと、短かったら一年はもたないでしょう。個人差があるから何とも言えないわ。」
「ありがとうございます。」
自分自身を支えるために大きな溜息をつく医師に、私は感謝した。フランスでは個人の意思が一番に尊重される。私の命だ。
「本当にわかっているの?自殺行為なのよ!」
私は黙って微笑み頷いた。
「この先どうなっていくかわかっているの?」
自らの責任感に興奮した医師が、非常識で馬鹿な考えの私に説得を始める。
「えぇ、大体のことは・・・私がどうなるかはわからないけど。」
「リンパに転移したら、すぐに全身に広がってしまうわ。肺に転移したら呼吸ができなくなる。・・・」
医師の机の上には、金髪の巻き毛の天使のような子供を抱いた彼女と、夫であろう人の家族写真が微笑んでいる。愛する人と愛する子供を育てる。愛する人と同じベッドで寝て、同じベッドで起きる。珈琲の淹れ方で喧嘩をして、牛乳をこぼして仲直りをする。愛して、愛を受け取ってもらう。愛されて、愛を受け取る。世界中でありきたりの少しも特別でないことが、どうして私の人生には起こらなかったのだろう。今さらねだっても、もらえないだろう。もう間に合わない。もっと早くねだってみればよかったのだろうか。
「痛みがあったり、体調が悪くなったら、すぐに来て頂戴ね。」
私は医師の長い説明を、きっと神妙な顔で聞くことができていたのだろう。彼女の医師としての情熱からようやく解放される時がきた。
「はい、わかりました。痛いのは嫌だから、痛み止めをもらいに来ます。」
私は心から微笑んで答えた。彼女の笑顔は寂しく見えた。
「必ず来てね。あなたの意思を尊重したいけれど、苦しくなったらすぐに来て。いつからでも治療は始められるから。」
「ありがとうございます。」
事実を知った瞬間から人生が変わる。知る前と私は同じなのに。私は病院の玄関に向かって、硝子窓の連なる回廊を抜けて行った。現実の世界に戻っていく。まだ向こう側には行かれない。
病院の外は変わらず暖かくなり始めた日差しが注いでいる。この世界から消えることに何の思いも残らない。ただRamonと別れることだけが心を痛める。彼と離れること、彼のいない世界に暮らすこと、それは痛みを伴う。それだけが痛い。最後の最後に私は人間であることを味わっている。いつ打ち明けようか。




