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8. まだあった騒動

「結局、旦那様が、浄化の魔導具のことを思い出されましてな。魔の森に瘴気が発生したときのために用意されとったんだそうで。忘れるほど昔のもんだっちゅう話でしたが、うまいこと悪臭をきれいさっぱり消せたんですと。わしら、悪臭がなくなったと聞かされたときは、それはもう、屋敷中みんなが声を上げて喜びましたんじゃ。そんで、きれいになった厨房で料理長が張り切ってなぁ。旦那様もわしら使用人をみんな呼んでくだされて、うんまいもんいっぱい並べてお祝いしたんですじゃよ」


 その時のことを思い出して、懐かしそうに、楽しそうに語るグラ爺の横で、クリストフは眉をしかめ、唇を突き出して唸っていた。

「むぅぅぅ……。レチのおもいちゅき、だめ」


「まぁ、嬢ちゃまもやろうと思って騒動になったわけじゃあなかったですからのぉ。いつでも良かれと思ってやっとられるもんだから……。わしらも最初の頃は奇天烈なこと言うもんじゃと思っとったんじゃが、実際、嬢ちゃまの言う通りにしたら、不思議といろんなもんがようなりました……。もっとも、あの後しばらくは旦那様も奥様もわしらも、嬢ちゃまの思い付きにビクビクしたもんだったんじゃが、まぁ慣れたんですかのぉ。ふぉっふぉっふぉ」


 さも面白そうに笑うグラ爺に、クリストフは目を瞠った。

(慣れるほど!)

 弟して申し訳なく思いながら、つぶやいた。

「でも、みんな、たいへん……」


 そんな幼子の心の動きを察して、グラ爺はクリストフにやさしく語りかけた。

「なんやかやあっても、最後はいいようになっておりますじゃろ? 嬢ちゃまのおかげで、わしら、食べたことないようなうんまいもん、食べられるようになっとります。それに、終わってしまえば、み~んな笑い話ですじゃよ。嬢ちゃまも楽しそうで、笑っておられるんが一番ですじゃ」


 グラ爺の慈愛に満ちた目で見降ろされたクリストフは、ガクリと小さな肩を落として息を吐いた。

(そうやって甘やかすから……)


 幼子の、そのあまりにも大人じみた仕草に、可愛いやら可笑しいやらで、グラ爺は思わず大笑いしていた。


「うわっはっはっはっ! あんときは、ちゃあんと、旦那様と奥様からだいぶお小言をもらったようですじゃよ。嬢ちゃまは厨房に出入り禁止になって、その分奥様からの淑女教育やら魔法の訓練とやらが増えて、奥様が厳しゅうなったと、しばらくはしょんぼりしとられましたぞ。それに、あれ以来、変なこと思い付いていないかとか、思い付いたら必ず報告しろとか、うるさく言われるようなって、今でも時々愚痴っとられますわ。ほっほっほ」


 クリストフにとって、レティシアは物心ついた頃からずっと頼りにしてきた姉である。まだ赤ん坊で、うーあー言っている頃から、なぜか言いたいことが通じて、両親や使用人に通訳してくれたので、快適に暮らしてこられたのだ。また、いつでも知りたいことを的確に教えてくれるので、なくてはならない存在であった。


 だが、そのレティシアが思い付きで何かしようとするたびに屋敷中の者が振り回されていたとは……。いや、思い返せば、家族団らんのサロンで、両親から叱責というほどではないものの小言を言われている姿を時折、いや頻繁に?見ていた。あまり内容は覚えていないが、要領が悪いのかな、そそっかしいんだろうなぁくらいに思っていたのだが、最近はそういうこともだいぶ減ったので忘れていた。あれは、何かをやらかしたからだったのかもしれない。


「グラじぃも、たいへん、ちた?」


 笑ってくれると思ったのに、ますます顔をしかめ、しゃがんだ膝に両手を乗せて小首を傾げて見上げてくるクリストフに、レティシアに困らされた覚えがないグラ爺は困った。しかし、眉間に柔らかなしわを寄せながらも、大好きな姉の話をもっと聞かせてくれと言われているようで、それに応えたいと思ったのだった。


「そうさのぉ、わしは庭仕事しかしとらんですからなぁ……。嬢ちゃまが手つどうてくれることはあっても、奇天烈なことをやりたい言われたことはなかったですから。他から嬢ちゃまの思い付きとやらを面白おかしく聞いているだけじゃったが……。あ、いや……。でも、あれも嬢ちゃまのやらかしになるんか?」


 グラ爺がふと思い出したのは、自身も後始末に追われた香草浸食事案だった。


 食事をいろいろ改善する中で、料理に香草や薬草をよく使うようになった。中には雑草と思われているものもあり、いちいち説明して採取や調達をお願いするのが面倒だと思ったレティシアは、いつでも好きなだけ使えるように栽培しようと言い出した。


 ポーションや煎じ薬などに使われる薬草は、薬師が自家栽培していたり、大規模に栽培して特産品としている領地もある。香草は、虫よけや獣除けを作るために必要に応じて自分で街の外の野原や森に出かけて自生するものを採ってくるか、大量に必要な場合はハンターギルドに採取依頼を出すものであった。


 レティシアは、香草と共に薬草の栽培も目論んだので、父親の許可は簡単に下りた。領館の裏庭の一角に柵で囲った小さな畑を作ってもらうと、領都に住む薬師から分けてもらったり、ハンターギルドに依頼を出したりして集めた苗や種をせっせと植えた。


 土魔法が使える使用人に魔法で耕してもらい、早く育つようにと願いながら自分の水魔法で水やりをしたおかげもあって、畑はみるみる茂っていった。そのうち、一部の香草や薬草が柵を越えて繁殖するようになると、元気に育っていることがうれしくて、柵を移動させて畑のスペースを拡大させていった。


 香草や薬草がふんだんに使えるようになると、レティシアは、摘みたての香草や薬草にお湯を注ぐだけのフレッシュな香草茶のレシピ開発に嬉々として取り組んだ。そして、爽やかでいくらかの効能もある香草茶が領館中で人気になり、各自がオリジナルレシピを工夫するようにまでなっていった。紅茶など高価な茶を飲むことのない使用人たちは、それまで白湯を飲んでいた朝晩や仕事の合間に香草茶を楽しむことが習慣化したのである。


 ちょうどその頃、グラ爺は相次いで膝と腰を痛めたため、しばらく庭仕事ができずにいた。具合が良くなってからは、休んでいた間に遅れた庭木の選定や手入れに忙しく、レティシアの畑に気付かなかったのだ。


 あるとき、レティシアに手を引かれて自慢の畑に連れていかれると、繁殖力が強いため決して直植えしてはならない香草や薬草がこんもりわさわさと茂っていたのだ。それは、庭師として許されざる光景であった。


(なんちゅーこった!)

「ひぐっ」

 上げそうになった悲鳴を歯を食いしばって耐え、レティシアとつないでいた手に思わず力が入ってしまった。


「グラ爺?」

 グラ爺は、不思議そうに見上げるレティシアの前にしゃがんで目を合わせ、心を静めて言葉を選びながら話しはじめた。


「嬢ちゃま、草の中には直植え……っと、直接地面に植えてはならんもんがありますのじゃ」

「? 野原や森で地面に生えてるよね?」

「ここは人の手が入った庭ですじゃろ? 野生の草は強すぎて、あっちゅー間に広がって庭の花や木を負かして、枯らしてしまうんじゃよ」

「えっ⁈ じゃあ、育てちゃダメだった⁈」

 勢いよく繁殖していくことがうれしかったのだが、どうやらそれがまずかったらしい。レティシアは両手で口を覆い、青ざめた。


「いやいや、鉢に植えておけばいいだけですじゃ」


 グラ爺の言葉に、レティシアは薬師から種や苗を分けてもらったときに言われたことを思い出した。そういえば、鉢に植えろと言われたものがあった気がする……。すっかり忘れていた。

 失敗した、と思った途端、ギョッとした。グラ爺が「庭木を枯らす」というような危険なものを庭に持ち込んでしまったことで、一緒に薬師のところに行ってくれた侍女や薬師が責められる可能性に気が付いたのだ。


 なぜ薬師の言うとおりに鉢に植えなった! 薬師の話をちゃんと聞いていなかったのか!

 繁殖力が強くて危険だと分かっているのに、なぜ領館の庭まで付いていって正しい植え方を教えなかったのか!


 まだ子供であるレティシアに自分が犯した失敗の責任を取ることはできないから、そうならないようにすることが侍女や薬師の責任である。レティシアが貴族令嬢であるからなおさら、侍女や薬師の責任は重い。


 自分の軽率な行動で、使用人や領民に理不尽な迷惑をかけることがないようにと、両親から何度も注意を受けていたのに、この失態である。このことで父親が侍女や薬師を叱責することはないだろうが、レティシアは、自分がすることの責任を取ることもできない子供であることが、悔しく、また情けなく、グラ爺の前でうつむいたまま。ますます顔色を悪くしていった。


「大丈夫ですじゃよ、嬢ちゃま。ここはちぃとモサモサしすぎておりますからの。わしがいいように旦那様にお願いして、きれいにしましょうかい。わしにお任せくだされよ」


 グラ爺に頭を撫でられながら、レティシアはコクコクと頷くことしかできなかった。


 そして、当初小さかったレティシアの畑がだいぶ大きくなってきたので、きちんと管理したほうがいいとグラ爺がグスタフに進言した結果、場所を変え、しっかりとした囲いを設けた薬草園として新たに整備することになった。


 元の畑から、必要な分だけの株を薬草園に移植した残りは、すべて抜いた。土もすべて入れ替えた。元の畑にあった土は、大きなたらいに入れて熱湯で洗い、乾かしてから一カ所にまとめて置いた。そうした作業をグラ爺ともう一人の庭師のハンスが行い、ときどきはレティシアも手伝った。


「裏庭が香草に覆いつくされる危機だったっちゅうのは、嬢ちゃまとわしとハンスだけの秘密ですじゃ。ふぉっふぉっふぉ。ハンスにもいい経験になったはずじゃ。……うむ。もしかしたら、嬢ちゃまと秘密を共有しとることが、わしら使用人の自慢かもしれませんのぉ」


 おどけてウィンクするグラ爺を見上げて、グスタフはぽかんと口を開けた。

(もしかして、レティのおかげって言われているもの一つ一つに、なにかやらかしがあったのか? それが自慢だとぉ?)


 領館の使用人たちは、クリストフに対して主家の坊ちゃまという態度を崩さない。だが、グラ爺は、主家に対する遠慮がありつつも、レティシアとクリストフを普通の子供として扱ってくれた。だから、他の使用人は気を遣って教えてくれないであろうレティシアの失敗についても、グラ爺だったら話してくれると思ったのだ。だが、聞いた話は、クリストフが予想していた以上に衝撃的だった。


 レティシアの思い付きによるやらかしは、ときにとんでもない破壊力がある。

 グスタフは覚えた。

 レティシアの思い付きによるやらかしを、振り回される側の使用人は嫌ってはいないので、本人がのほほんとして懲りていないこともなんとなくわかった。確かにその思い付きがいいことも多いのだろう。だが、それにしても……。


「レチ、ぽんこちゅ……」


 クリストフは、ついに膝と手を地面について項垂れた。


「はっはっは! 坊ちゃま、難しい言葉をよう知っとられる。いやぁ、ウチの嬢ちゃまはえらい、みんなの自慢の嬢ちゃまなんですじゃよ。坊ちゃまも大好きでございましょう?」


「あー、もー、ねー……」


 この日、クリストフは両親が見せていた「遠い目」を知った。




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