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2. レティシアの料理はじめ

「レチ、りょーり、ちっぱいちた?」


 クリストフは、裏庭の雑草取りをする庭師のグラ爺の隣にちんまりしゃがみこんで、舌足らずにそう聞いた。


「嬢ちゃまですかい? ちっぱい?」

 グラ爺は、雑草を抜く手を止めずに、クリストフが何を聞きたいのか思いめぐらした。


「みんな、とおいめ、ちた」


 みんな? 遠い目?

 しばらく考えて、あぁ、と思い当たり、フッフッフと思わず笑ってしまったグラ爺を、クリストフは不思議そうに見上げた。


「嬢ちゃまは、料理の失敗というか、まぁ、いろいろやられましたわな。そうですなぁ……。あれは、坊ちゃまがまだ奥様のお腹にいる頃でしたな」


 懐かしそうな目をして語るグラ爺によれば――。


 それまで、食べるものに好き嫌いを言わなかったレティシアが、ヘルミーネのお腹に赤ちゃんがいると知った途端、食事にうるさく口出しをするようになった。中まで火が通っていないお肉はダメ、お肉が脂っこすぎる、塩の使い過ぎはダメ、塩で食材の味がわからなくなっている、野菜をもっと食べなきゃダメ、などなど……。それまで口数少なく、食事の量も少なく、物静かで、大人しすぎて心配になるほどだった少女の急激な変化に、家中が驚いたという。


 グスタフとヘルミーネが一体どうしたのかと聞いてみると、ぽろぽろと涙を流しながら、口ごもりながら語り始めたという。


「お塩ばっかりなの、ダメ。良くないの……。おいしくないし、お塩の味しかしない……。お肉、硬いし、くさい…食べたくないの……。言っちゃダメだって分かっているけど……。お母様が病気になっちゃう……。赤ちゃんによくないよ……。食べるの、きらいになっちゃう。おいしいの、したい……。食べるの、辛い……ダメなのよ……。赤ちゃん食事できなくなっちゃう……」


 取り留めなく紡がれる言葉をつなげれば、母親には体にいいものを食べさせたい、生まれてくる赤ちゃんに美味しいものを食べさせたい。それはいい。だが、いつも静かで小食だったのは、食事がまずくて食べられなかったから? 生まれてくる赤ちゃんに自分と同じ思いをさせたくない?


 衝撃の告白であった。

 わずか9歳の子が一体いつから我慢していたのか。

 その我慢をやめて、母親と生まれてくる子のために言葉にし、赤ちゃんがうまれてこなければ、まだ我慢を続けるつもりだったようなことに、大人たちは言葉をなくした。


 子爵夫妻は「今まで何にも興味を示さなかったレティシアがようやく“わがまま”を言うようになったのだから、できる限り好きにさせてやりたい」と思った。料理長としては、食事がまずいと言われては立つ瀬がない。なんとしても美味しいと言わせたいと、まずはレティシアの言うことにつきあうようになった。

 とはいえ、この時はまだ、子どもによくある単なる好き嫌いだと誰もが軽く考えていた。


 やがてレティシアは、厨房に入り込んでは、直接あれこれ注文を付けるようになった。

 パントリーの棚の隅に乾燥しきった干し肉を見つけると、干し肉を削るか裂いて野菜と一緒に煮込むように言う。料理長がその通りにすれば、塩味ではないうま味のあるスープになった。

 肉を叩いてから焼くように言われれば、肉の噛み応えがなくなってまずくなると思ったのに、実際には柔らかくなった肉に旨味がより感じられるようになった。

 レティシアが言う香草や薬草を肉に擦り込めば、これまでは肉らしさの特徴だと思っていた臭みがなくなり、肉の味がよりダイレクトになった。

 それまでメインに塩、アクセントとしてコショウの味付けしかなかった肉に、果物や薬草を使ったソースを添えれば、同じ肉でもいく通りもの味が楽しめた。

 魚はぶつ切りではなく骨に沿って三枚にスライスして身をバターで焼けば、淡白な魚の味に新たに香ばしさが加わった。

 家畜や魔物の骨や魚の骨さえも、香草やくず野菜と一緒に煮込めば、おいしいスープになった。料理長や厨房のスタッフは、食材を無駄にしないことを覚えた。

 焼くか煮るか生のままかの調理方法に、蒸すという方法が加わると、それまで「肉は焼いたものしか認めない。サラダは不要」と言っていたグスタフや騎士団の面々が、蒸した肉や野菜を好んで食べるようになった。


 衝撃的だったのは、料理長や厨房スタッフがレティシアの言うことをそのまま受け入れるようになった頃にもたらされた卵料理の数々である。卵を攪拌してから焼き上げるふわふわのオムレツや少量の酢を入れた湯に生卵を落とした半熟卵、卵と酢を混ぜたマヨというソースなど、食卓に卵が欠かせなくなった。


 料理長は、新たなレシピの開発に夢中になった。試行錯誤を繰り返し、自分でもよくできたと思った料理をレティシアに試食してもらうことが当たり前になった。もっとこうすればいいという意見やアドバイスがたちどころに返ってくるのが楽しくて、あれこれ試すようになると、子爵家の食卓は実に豊かに華やかになった。贅沢な素材を使っていないのに、ちょっとした下ごしらえや少しばかりの手間をかけるだけで、劇的に変わったのだ。

 そうした料理を味わってしまえば、以前の硬いパンと塩味のスープに肉か魚を焼くか煮ただけのメインディッシュという食事が、どれだけ雑であったことか。確かにまずかったことだろう。


 だが、そこで疑問を抱かざるを得ない。なぜそんな誰も食べたこともない料理やその調理方法を、わずか9歳の子が知っていたのか。

 子爵夫妻は、レティシアが“戻り人”ではないかと考えた。


 この国では、“戻り人”と呼ばれる、前世の記憶を持った者がたびたび現れる。彼らは、過去や他の世界で生きた記憶を持ち、その記憶にある知識で今のこの世界を豊かにするために生まれ返ってきたと考えられていた。過去には、戻り人であること分かれば国への報告が必須であり、国のためにその知識を活かすために囲い込まれていたものだが、ある時からそれが撤廃され、今ではあえて口にすることも、意識されることもなくなっていた。ただ、歴史を知る貴族家や老舗の商家などでは、その知識が一家の繁栄につながることから、密かにその誕生を望み、またその存在を探しているのであった。


「レティは、もしかして、前世の記憶があるのかな? 前世の記憶があってもなんの不思議もなくて、割とよくあることなんだけど……」


 ある時、グスタフがそう聞くと、レティシアはきょとんとして、首を傾げた。

「ゼンセノキオクって何? お父様にも、そのゼンセノキオクがあるの?」

「いや、お父様にはないんだけどね。レティは、いろんな美味しい料理を知っているよね? お父様も、料理長だって、あんな料理は知らなかったよ?」


 そのグスタフの言葉に、レティシアは両手で口元を覆って嬉しそうに、得意げに笑った。


「美味しいでしょう? 赤ちゃんも嬉しいかな。うふふふっ。あのね、想像するの。あれとこれを一緒にしたらきっともっと美味しくなるんだろうなーって。だって、いっぱい考えたのよ。お野菜だって、お肉だって、ホントに美味しいのよ? 美味しいのは美味しく食べないと。お塩はちょっとでいいのよ。いっぱい使っちゃうと、美味しいのが美味しくなくなるの」


 グスタフは天を見上げた。想像……。子どもが料理やその調理法を想像するのか……。飢えさせた覚えはないのだが……。

 そんなグスタフの様子に、ハッとしたレティシアが顔色を変えた。

「私、ダメ? 卑しいかも……。食いしん坊……」


 貴族令嬢として、食べるものに執着するのは褒められることではない。ヘルミーネから令嬢教育を受けるようになっていたレティシアが卑下するのも無理はないのだが、その想像力によって子爵家の食事は格段に美味くなってしまった。これからも、もっと美味いものが出てくるはずだ。それをやめさせるなどありえない。

 グスタフは、落ち込んだレティシアを宥めることに必死になって、美味しいものを食べられることがどんなに嬉しいか、レティシアが家族のために頑張っていることがみんなの幸せになっていることを伝えながら、戻り人ではなくても、この子が得難い子であることを改めて認識した。


 そうして、子爵夫妻だけでなく、厨房のスタッフや領館の使用人みんなが、多少の失敗があることを含めて、レティシアが何か新しいことを言い出すことを楽しみにするようになった頃、それは起きた。


 これまで誰も食用とは考えなかったものを料理に使おうとして、うまくいったこともあれば、失敗作を賄いとしたときにはスタッフがお腹を壊したり、熱を出したりしたこともあったが、そんなことは取るに足らなかったと思い知ったのが、あまりに衝撃的な「魔の悪臭騒動」だったという。


「まのあくちゅうちょーどー……」


 それまで、レティシアが料理に目覚めたのが自分のためだったと聞いて、はにかんでいたクリストフが、きゅぅぅと眉を寄せ、口を尖らせてたどたどしくつぶやく様子に、タグ爺から笑みがこぼれた。


「ふぉっふぉっふぉ。嬢ちゃまに関わる騒動は大小いろいろございましたが、一番はそれじゃろうて。あれは本当にお屋敷中がひっくり返りましたわな」




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