19. 男たちのため息
食事が終わった後、サロンに座を移した男たちは、それぞれ座るなり疲れた様子で揃ってため息をついた。
「本日、ノルデン様からいただいたウスケボーでございます」
ケルナーは、ノルデン翁が土産として持参したウスケボーを注いだグラスをそれぞれの前に置いた。そして少しばかりのつまみの皿を置くと、静かに下がっていった。
「あれが噂に聞くお嬢様の“突っ走り”ですか……。初めて目にしました」
3人だけになると、レオンがぼそりとつぶやいた。
「今日のところは、まともなほうだったか……?」
両手で顔を覆ったグスタフが悩まし気にいうと、ノルデン翁が気遣わし気に尋ねた。
「ああいうことは、よくあるのか? まともというからには、そうじゃないこともあったのか?」
グスタフは両手でゴシゴシとこすった顔を上げると、どこか遠い目をして言った。
「アレは頭が回るぶん、自分の考えに溺れるようなところがありましてね……」
レティシアが10歳になったばかりでクリストフが生まれて間もない頃、モリンベル領では春先に雨が降らない日が続いたことがあった。このまま雨が降らなければ夏に渇水の危険性が高まることや作物の育成に問題が出るかもしれないと農夫が不安に感じているため、その対策をどうするかをグスタフは官吏と話し合っていた。
それをどこで聞いたのか、レティシアは自らの水魔法が役に立てるのではないかと考えて、大人の目を盗んでは近くの畑の赴き、水をまき散らすと目立つので静かに土に水を染み込ませる水魔法を使った。領主館に近いほうの畑から順番に水魔法を施していって、それが何日か続くと、雨も降らないのに土が湿っている畑と乾いた畑に気付く農夫が出てきて、なぜだということになった。
乾いたままの畑の農夫は、湿ったことのある畑の農夫が共同水路や溜池の水を秘密裏に勝手に使ったのではないかと責め、湿ったことのある畑の農夫はそんなことはしていないし、自分たちも畑が湿った理由がわからないのだと説明するが、雨が降らないことへの不安が両者の対立を深めた。
乾いたままの畑の農夫たちの怒りと不満が危険に思われるほどになったところで、村長が相談にやってきて、グスタフは初めて思っていたより深刻な状況になっていることを知った。その日はとりあえず、都合を付け次第自分が赴いて怒る農夫たちの説明に当たると伝えて村長を返したのだが、夕食後のサロンでクリストフに授乳するヘルミーネ相手に本当に何気なく、不思議なこともあるものだと世間話の一つとして話したときに、一緒にいたレティシアが真っ青になっていた。具合でも悪いのかと聞けば、自分のしたことを白状した。
翌日、グスタフは村に足を運び、畑が湿っていたのは地下水がしみ出した可能性が考えられ、地下に亀裂が入っていて地面が陥没するかもしれないので、今後十分注意するようにと説明したのだった。
「お前さんにしては、上手く収めたじゃないか。畑が湿ったことにマイナスの意味を持たせて」
ノルデン翁が感心するように言うと、グスタフは自嘲気味に言った
「あの子のおかげで、オレの危機対応能力は確実に鍛えられましたね」
グスタフはウスケボーをぐっと煽った。
「あの小生意気なダグが、今じゃ子育てに苦労しておるか。はっはっはっは! いや、結構、結構」
ノルデン翁はグスタフの様子を見て気持ちよさそうに笑った。
「まぁ、それで、自分の思い付きでした行動が争いを招いたことに懲りたのか、思い付いて即行動ということは減ったんですけどね。何か思いついたときは、時間・場所・人みたいな最低限異なる3つの視点から考察しろと言い聞かせたせいか、まぁ、思い付きの理論武装が得意になってしまい……。時折、あんなふうに滔々と話すことがあるんですよ。何の意味があるのかわからない、まったく的外れのことを語ることもあるんですが、今日の思い付きは、まぁ、悪くない……のかもしれん」
「思い付き、とおっしゃいますが、13歳の少女が考えたことにしてはかなり内容がしっかりしていて、思わず納得しましたよ」
「うむ。リックも人の意表を突くような考え方をするヤツだったが、娘もなかなかだのぉ」
ノルデン翁の言葉に、グスタフはピクリと片眉を上げてニヤリと笑った。
「青鹿亭がウチを責めることはできないと語った時のあの好戦的なすまし顔、まったくヘルミーネそっくりですよ」
「なんじゃ? リックに張り合ってか?」
「ふんっ。難儀な性格をしていますが、今はウチの可愛い娘なんでね」
「ところで、お嬢様の言う通りの店にするなら、物件も考え直さなければならないですね」
「もう、当たりは付けておったのか?」
「まぁそれなりに。でも、通りから奥に入った小体な店を考えていたので、やり直しです。女性や子ども向けとなれば、通りに面した明るい店がいいでしょうから」
「反対はせんのじゃな」
不思議そうに聞くノルデン翁に、グスタフは肩をすくめた。
「元々がレティシアのための店ですからね。あの子のいいように、われわれは整えるだけですよ」
「ふむ。では儂も陰ながら噛ませてもらうとするか」
ノルデン翁は顎を掴んで思案気に言った。
今宵、ノルデン翁はハンスのことを理由に、ダグたちに協力を申し出るつもりだった。息子からレオンが旭光の青鹿亭にいたと聞いて、急ぎレオンの近況を調べさせて、どうやら料理屋をやるようだと当たりを付けた。彼らのことだから、自分のところに挨拶がないはずはない。だが、それを待ってはいられなかった。
昔のように向こう見ずな青二才どもを庇護してやるほどのつもりでモリンベル家に乗り込んできたのだが、出された料理を味わって、これだけ凄腕の料理人がいるなら自分の協力は必要がなく、むしろ協力したいという者が押し寄せてくるだろうと、ショックを受けた。かつて甘ちゃんだった若造たちは、経験を積んで一角の男として立派に成長していた。自分など関わらなくても、きちんとした勝算を立てて料理店を始めようというのだ。それに思い至らず、いまだに守ってやろうなどと烏滸がましく考えていた自分の老いを唐突に突き付けられたような気がした。
だが、それなら、新たな店の最初の贔屓として、彼らの門出を寿いでやるのが年長者の役目かと考え直した。
小さなホステスとして一生懸命自分をもてなそうとしているリックの娘は微笑ましく、この娘に会えただけでも今日来た甲斐はあったと思った。だが、メインディッシュの豚肉の塩釜焼きを出されたときに、この日最大の衝撃を受けた。初めて見る料理をつくったのが娘だというのだ。
(いや、まさか……。そんなバカな……)
だが、これまでのダグたちの会話を思い返せば、端々にその気配はあった。ダグとレオンは、料理についていちいち娘に確認していたし、娘が料理の説明をするのも、料理人からの受け売りではなく、確信をもって語っていた。
そもそもこれだけの料理をつくれる料理人であれば、自分の名前で店が出せる。モリンベルなどという弱小貴族ではなく、高位貴族や大商人がパトロンに付くことだろう。それをしない、あるいはできないのは、こんな見たこともない料理を考えたのが、この娘だからなのか!
ノルデン翁は愕然とした。
(なんということだ……)
今宵、ダグたちが娘を食卓に同席させなければ、自分がこのことに気付くことはなかったはずだ。それをあえて自分に晒すことで、この危うい娘を守る一人として望んでくれたのであれば、なんとしても応えなければなるまい。
(大概のことは経験してきたと思ったが、いくつになっても新しいことや楽しいことはあるものよ)
以前のような年長者としてではなく、同志として、ダグとレオンと新たな付き合いが始まるのかと思うと、近年感じたことのない高揚感を感じた。
(それにしても、リックよぉ。お前の遺した娘はどんでもないなぁ……)




