18. モリンベル家らしい料理店とは
ノルデン翁にとって、その夜の食事は最後まで衝撃的だった。
いい加減、驚き慣れたと思っていたが、デザートに出てきたフルーツタルトを切り分けたものを見てやはり驚いた。
ノルデン翁が知っているタルトは、嚙み砕けないほど固く焼き上げた器にクリームやジャムを入れた上にフルーツなどを盛ったもので、器の中身だけを食べるものだった。食べられる素材で作った器は食べるものではなかった。
それが切り分けられているだけでなく、フォークで割ることができ、口の中でホロホロと崩れて、カスタードクリームやフルーツと絶妙に混ざり合うのだ。
「なんだ、このタルトは? 器も食べられるのか?」
「タルトの外側が食べられないなんて、もったいないでしょう? せっかくおいしくできるのですから」
クリームが乗った焼き菓子からは、微かに酒の香りがしていた。
「これは! しっとりしているのは酒が染み込んでいるからか」
「お父様のために領主館の料理長が考えました。私のぶんにはお茶のシロップを振りかけてあります」
また言葉少なになったノルデン翁だったが、最後は目を瞑ったまま上向いた。
やがてすべての皿が下げられ、大人たちには食後の紅茶、レティシアには果実水が配られると、グスタフが勝ち誇ったような顔をしてノルデン翁に声をかけた。
「親父さん、わが家の食事はどうでした? お楽しみいただけましたか?」
ノルデン翁は、大きな息を吐いて後頭部に手をやった。
「いや、参った。どれも目新しい上に味わったこともないうまさだった。文句のつけようもない。料理屋をやるからにはよほどの料理人を抱えているんだろうとは思っていたが……」
そう言って、ちらりとレティシアに視線を向けた。
グスタフは真剣な顔で一つ頷くと、テーブルの上で腕を組んだ。
「すでにお判りでしょうが、ウチの料理は、レティシアが主導しています。先ほど、レティシアも関わっていると言ったのは、こういうことだったんです」
ノルデン翁は、グスタフの強い視線を受け止め、レオン、レティシアと順に視線をめぐらした。そして、テーブルに肘を付いて組んだ手に額を付けると、苦し気にもう一度大きく息を吐いた。レティシアが今宵味わった料理の数々の考案者であることの危険性を理解したのだった。
「はぁぁぁぁ。……だったら、これはもう、ハンスのことはなかったことにしたほうがいいな」
「いや、親父さん、それは……」
レオンが身を乗り出して言うのと、グスタフの声が重なった。
「ハンス?」
ノルデン翁は身を起こすと、テーブルの上で腕を組むと、ため息をついた。
「青鹿亭の前の料理長だ。料理人として雇ってもらえないかと思ったんだが……」
孤児だったハンスは、子どもの頃から旭光の青鹿亭の初代料理長に可愛がられ、奉公に上がれる年になるとそのまま弟子入りした。長じて初代料理長の右腕といわれるほどになり、初代料理長亡きあとは、旭光の青鹿亭の2代目料理長として腕を振るっていたが、店の路線を変えたい2代目オーナーとそりが合わず、新たに店のパトロンとなった貴族の不興を買ったということで解雇されたのだった。その後は、神殿契約によって青鹿亭以外の場所では初代料理長譲りの輝かしい料理の数々とその味を再現することができず、記憶にはあるのに調理しようとすれば手順も方法も頭に靄がかかったようになり、思うように体も動かないことに絶望し、普請現場などで人夫として働いているのだという。
「前から聞いていて、気になってたんだよ。お前たちが料理屋をやるならそれ相応の料理人を抱えているだろうから、その下でもう一度何とかならんかと思ったんだが、他から下手に突かれるような要素はないほうがいいようだな」
ノルデン翁は視線を落とした。
だが、レオンはそれに異を唱えた。
「元々料理人としての腕はあるのですから、改めてモリンベルと神殿契約を結んでもらえば、モリンベルの料理人としてやっていけるはずです!」
「……二重の神殿契約か? そんなことが可能なのか?」
疑わし気なグスタフにレオンは力強く頷いた。
「今朝、親父さんからハンスのことを聞いて、神殿に確認しました。複数の神殿契約は可能で、実際いくつかの例があるそうです」
グスタフとノルデン翁は、初めて知ることに揃ってほぉと息を吐いた。
「ただ、……やはり本人の記憶次第で、新たな神殿契約による知識や技術などの習得が難しくなったり、元の知識や技術と新たなものに格差があると苦しいようですが……」
レオンは、後ろめたそうにそう言った後、グスタフを見た。
「でも、ハンスなら! 本当に料理することを楽しんでいたハンスなら! きっと御家の新しい料理に夢中になるはずです」
「いや、だが……」
レオンに気圧されたグスタフが言い淀むと、ノルデン翁がレオンを制した。
「待て。ハンスにとってはそれでいいとしても、ハンスを雇ったことを知れば、青鹿亭の小僧は必ず難癖をつけてくるぞ。今宵のような新しい料理も『ウチの元料理人がつくったものならウチのものだ』くらいは言いかねん。不当な手段で、青鹿亭の新メニューを横取りしたと、な」
「モリンベルにはモリンベルの神殿契約があっても、ですか?」
なおも食い下がるレオンが聞くと、ノルデン翁は神妙に頷いた。
「神殿契約について、一般の者は知らんよ。街の者は、新しい店は王都で一番の美食店が激怒して非難している店だと思うだけよ。同じような料理屋で、貴族や大商人が贔屓にする店とぶつかって、できたばっかりの店が太刀打ちできるわけがない。店を開ける前から潰れることが目に見えるわ。それに粗探しされれば、いつ何時レティシア嬢のことがバレるかもわからん。お前だってそれは避けたいだろう? 今のままでさえ、王都中の料理店が悔しがるほどの料理なんだ。どこからどんな横やりを入れられるかわかったもんじゃない。少しでも弱みになるものは排除したほうがいい」
レオンを諭すノルデン翁の声には、残念だが仕方がないという諦めが籠っていた。
レオンの顔には悔し気で諦め切れない表情が浮かんでいたが、今度はノルデン翁の言うことに反することはなかった。
グスタフも難し気な顔で、その場に沈鬱な空気が漂った。
それを、レティシアの静かな声が破った。
「そのハンスという方、ウチで雇いましょう」
男たちはギョッとしてレティシアを見た。
「えっ? レティシア嬢、話を聞いていたか?」
「レティシア、無理を言うんじゃない」
「お嬢様……」
レティシアは、怪訝な顔をするノルデン翁、困ったように言うグスタフ、すがるような目を向けるレオンの顔を見渡し、にっこり笑って胸の前で手を組んだ。
「お父様から料理店をやるって聞かされてからずっと、なんとなくモヤモヤしていたの。今、それが晴れたわ。旭光の青鹿亭のオーナーの方は文句は言えないはずよ。あぁ、そうね、メニューも決まりそう! 他にも作ってみたいものがいろいろあるし! ハンスという方に領主館に入ってもらえれば、ジークが王都に来られるじゃない! エルマン一人じゃ荷が重いと思っていたの!」
徐々に声が大きくなり、嬉々として語り出したレティシアに、グスタフが慌てた。
「レティシア、落ち着け! 落ち着くんだ!」
グスタフの大声に、レティシアが我に返ってハッとした。
「レティシア、落ち着け? な? ……で、なにを思い付いた?」
不安げに宥めるように言うグスタフに、レティシアはにんまりと笑った。
「ふふふ、旭光の青鹿亭は、こちらが同じような料理店で競争相手になりそうだから難癖を付けてくるのでしょう? だから競わなければいいのよ。むしろウチを相手にすると評判が落ちると思うんじゃない?」
ノルデン翁はなにを言っているのか理解できないという顔で、グスタフは苦々し気に、レオンは興味深そうにレティシアを見た。
先走ったことに気付いたレティシアは、一つ咳ばらいをすると、ノルデン翁を見た。
「ノルデン様、旭光の青鹿亭のお客様はどんな方々です?」
「ん、金も力も持っている大商人や貴族だな」
「では、旭光の青鹿亭が相手にしないのは、どんな方々でしょう?」
「貧乏人や一般庶民か?」
「言い方を変えましょう。ノルデン様は、奥様と旭光の青鹿亭に行ったことがおありですか?」
「いや、妻を連れて行ったことはないな……。あぁ、青鹿亭の客は男だけだな。……そうか、女こどもが行くところではないな」
「そう! それ!」
レティシアは立ち上がって腕を伸ばしてノルデン翁を指さした。
「レティシア! 指差し!」
慌ててグスタフが声を上げた。
レティシアは腕を引いて指さした手を反対の手で握り込んで、軽く頭を下げた。
「失礼いたしました……。そう、あちらは女こどもを相手にしていないんです。だからウチは、女こども向けの料理店をやりましょう? いくら非難したくても、女こども向けの店を責めれば、その店が自分たちと同等と認めているようなものだし、貴族や大商人が女こどもをいじめているようにも見えるでしょう? だからウチがハンスという方を雇っても何の問題にもならないし、むしろ料理人が足りないウチは、ぜひにもその方を雇う必要があるのよ!」
レティシアは力強く拳を握った。
そもそもレティシアは、ヘルミーネとクリストフにおいしいものを食べてほしくて料理人たちにアレコレ言い始めたのだ。今でこそ、いろいろな料理が増えて、グスタフやレオンも満足する酒に合う濃い味付けやガッツリとした量のものもあるが、それらはレティシアが考案したものから料理人たちがアレンジを加えたもので、レティシアの料理の原点は、女性と子どもがおいしく食べられるものなのだ。
また、旭光の青鹿亭や他の料理店でも、料理と共に酒が出てくるのが当たり前であった。だが、未成年のレティシアには、酒に合う料理というのがよくわからない。料理に合った酒の選定を誰かに任せることもできるが、それでは料理と酒が本当に合っているのか、どんな合い方をしているのかがわからない。そんな状態で、新たなメニューを考えることは難しいし、楽しくない。
それに、今まで行ったような料理店では、レティシアのような未成年が頻繁に出入りするのは憚られるが、女性や子どもが楽しめる料理店であれば、自分も客として行って、他のお客様の会話や様子から料理の手直しやメニューの見直しもできる。
せっかく王都にいるのだったら、王都でしか手に入らない素材で新しい料理に挑戦してみたいし、いろいろな情報が集まる王都なら、新しい調理方法に出会えるかもしれない。そんなレティシアの欲求をすべて満たし、他の料理店からの矛先も躱し、モリンベル家らしい料理店となれば、女性や子ども向けの料理店しかないではないか。
レティシアは、思い付くまま話しながら笑っていた。それまでずっと感じていた違和感の正体に納得がいき、新たな料理店のあり方がいろいろ感じていた問題を次々と解決するようにつながっていくことに気分を良くしていたのだ。
「レオンおじ様がおっしゃっていたけれど、王都ではいろいろな商会やお店で働く女性が多くて、中には高給取りの方もいらっしゃるって。広場で屋台の料理を食べている女性もたくさん見かけたけれど、時には変な人に絡まれることがあるって。そういう方々が安心して食事できるお店にできればいいんじゃない? 時間を外してもお食事ができて、お菓子やお茶だけでも楽しめるようにすれば、きっと喜ばれるんじゃないかしら。それにノルデン様も先ほどみたいな料理を奥様と一緒に気兼ねなく食べられるお店なら、何度も行きたくなると思われません?」
ノルデン翁は、楽し気に滔々と語るレティシアの勢いに押されて、思わず頷いていた。
「お、おぅ」
語り終えたレティシアが達成感に満足そうにほほ笑むそばで、グスタフは頭を抱えてテーブルに突っ伏し、レオンは手で口元を覆って目を瞠っていた。




