17. ノルデン翁との食事
「む、これは先ほどの生ハムとやらか……」
「ノルデン翁は、生ハムをいたく気に入ったようだ」
グスタフが微笑んでレティシアに伝える。
「この白いポロポロしたのは……」
「生チーズですわ」
「生……か。確かにこの甘酸っぱいフラガと塩っ気がなんとも……」
ノルデン翁は、難しい顔をしながらフラガと生チーズを生ハムで包んだものを咀嚼していた。
「お、このホクホクした白身魚はなんだ?」
「ナバワの揚げ焼きですね。この間、私もこちらで初めて食べましたが、とてもあのナバワとは思えませんよね」
「これがナバワだとぉ? 信じられん……」
グスタフもレオンも、目を見開くノルデン翁を面白そうに見ながら、レティシアと会話を楽しんでいた。
「この生ハムは、エルマンが作ったのか?」
「そうなの。王都の豚だからちょっと味わいが違うから香草も変えたって言っていたわ。エルマンが言うには、まだ完成形ではないって」
「十分おいしいですよ。本当に御家の料理人は勤勉ですねぇ」
「そういえば、このナバワは、どうやって手に入れたんだ?」
「北方の領の方から直接買ったみたい。なんでもナバワの販路拡大のために王都に出て来たけど、いつも仕入れてくれる店ではカチコチの干しナバワじゃなければいらないと言われて、他の店ではナバワというだけで断られていたところに居合わせて、試しにって。いろいろやってみて、ただ焼くだけでもおいしいから、今度、お父様のナイトキャップのつまみに出してくれるそうよ」
「お、それは楽しみだ」
他にもジャガポテのガレット、豆のペーストを乗せたカナッペなど、ノルデン翁は盛り合わせた前菜の一品一品を眺めすがめつ、言葉少なに味わっていた。
そんな翁の様子に、レティシアは不安になってきた。
「ねぇ、お父様、ウチの料理、ノルデン様のお口に合わなかったかしら」
グスタフはノルデン翁を見て、笑いをこらえながら言った。
「あれは、堪能しているんだよ。相当気に入ったみたいだな」
「口に合わないなんてことは、絶対ありませんよ、お嬢様。しばらく放っておきましょう」
レオンも意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「でも……」
「まぁ、見てなさい。そのうち騒ぎ出すから」
「このスープは、最初からパンが浸してあるのか?」
「あぁ、ウチの息子のクリストフが好きなオニヨングラタンスープです」
「スープにチーズが乗っているのか……むぅ」
「オニヨンの甘みがクセになりますよね」
半生の落とし卵を乗せ、さらに卵のソースをかけた蒸し野菜を見たノルデン翁は声を上げた。
「表面しか火を通しておらんのか、この卵は!」
「大丈夫ですよ。モリンベル家で出る卵で腹をこわす心配はありません。むしろここでしか食べられない珍しい料理です」
レオンにそう言われても、ノルデン翁は、卵を崩し、ソースと野菜を絡めながらうまそうに食べるグスタフとレオンの様子を疑り深い目で見ていた。
「お前、そんなに野菜を食うヤツだったか?」
「いやぁ、蒸した野菜はなんかうまく感じるようになりまして。俺も歳を取ったということでしょうか」
グスタフが挑発するような目で言うと、レオンが宥めるように続けた。
「そういえば、親父さんも野菜はあまりお好きじゃなかったですよね。まぁ、ソースだけでも味わってみてください」
そこまで言われて、ようやくノルデン翁は、フォークの先にちょっとだけ卵のソースを付けて舐めてみた。そしてしばらく悩んだ後、落とし卵にこわごわナイフを入れ、とろけてきた黄身と一体になったソースを野菜に絡めて、思い切ったように目をつぶって口に入れた。
「!!」
目を見開いた後、小さくつぶやいた。
「なんだ、これは……」
そして、野菜とソースを絡めては食べ、絡めては食べ、最後はちぎったパンで皿に残ったソースをきれいに拭いとって、満足げに口に運んだ。
最初はハラハラしていたレティシアも、そんなノルデン翁の様子に、ホッとしたのだった。
メイン料理になって、きれいな焼き色が付いたどっしりとした塊をケルナーがワゴンで運んできた。
グスタフもレオンも初めて見る料理である。
「これはなんだ?」
「ケーキじゃないですよね?」
「ん? お前たちも知らんのか?」
レティシアは、3人の驚きに気をよくしてにんまりと笑った。
「これは、今宵、初めて披露するお料理です。ケルナー、お願い」
レティシアの指示に頷いたケルナーが、ナイフの柄をその塊に打ち付けた。すると塊の一部が崩れ、中にもう一つ塊が見えた。ケルナーは、崩れたところから殻のような外側を外していき、中の塊が現れると、それを覆う膜のようなものを剥がした。
その様子を、男たちは食い入るように見つめていた。
「豚肉の塩釜焼きです。お肉をたっぷりのお塩で覆ってオーブンで焼きました」
「塩⁈」
レティシアの言葉を聞いて、グスタフとレオンがバッと振り向いた。
その勢いに怯みながらも、レティシアは説明を続けた。
「王都にはいろいろな種類のお塩があって、大量のお塩が安く手に入るっていうからやってみた」
「やってみたって、いや、だって、お前。あんなに塩は使いすぎるなって……」
「それは味付けの話でしょ。だからこれもお肉に直接お塩が付かないようお肉をキャベッジの葉で包んだの」
「もしかして、お嬢様。この料理はものすごく単純、……簡単にできますか?」
「うん? そうね。誰でもいろいろなお肉でできるわよ。お塩をたくさん用意できれば。それにお魚でもおいしいと思うわ」
グスタフとレオンは顔を見合わせた。
「あぁ、すぐに真似されることを心配してる? これは真似されても構わないのよ。ただ、ウチが発祥だと知られていれば。ウチでしか食べられない料理と、どんどん真似されて広がっていく料理の元祖? そういう2つの立ち位置があれば、お店の特徴というか強みになるんじゃないかなって」
「……。流行の発信地、ですか」
「あ、そうそう。そういうの」
なんとも気楽そうに笑うレティシアに、グスタフは目元を手で覆ってため息をついた。
「はぁ。本当に、お前は……。飛んでもないことをなんでもないことのように……」
そうこうしているうちに、ケルナーが塊肉を切り分けた皿をそれぞれの前に配り終えていた。
「そのままでもおいしいと思いますが、お好みでアプフェルや香草のソースもお試しください」
男たちはレティシアの言葉を受けて皿にとりついた。そして揃って唸った。
「うまい……」
「うむ……」
「これはなかなか……」
レティシアは満足げに笑った。
「ノルデン様とお父様たちとの思い出の料理を、と思ったのですが、お父様ってばろくに思い出してくださらなかったので、それならいっそ新しい料理で新しい思い出を作っていただきたいと考えましたの」
レティシアの言葉に、男たちは顔を見合わせてくすぐったそうに笑うと、競うようにして料理の感想を言い始めた。
「確かに塩加減がいい。肉のうまみがすごいな」
「こんなに柔らかくてしっとりしている肉は初めてだ」
「口の中で肉汁が溢れてきますね」
「そういえば、昔、筋だらけの肉を出す店があったな」
「あった、あった。筋だけでも肉と名前がついてりゃいいだろうって亭主が言っていたが、ありゃ実は……」
「親父さんに連れられて行く店は、大体が何の肉かわからない肉が出てきて……」
「当たり前だ。若いモンに高い肉なんか食わせられるか!」
男たちの会話が弾み始めたことに、レティシアはようやく肩の荷が下りた思いだった。いくらグスタフやレオンに大丈夫だと言われても、ずっと言葉少なに料理を口に運ぶノルデン翁の顔に驚きこそあれ、笑顔が浮かぶことがなかったことが、ずっと不安だったのだ。
レティシアは気が楽になると、肉をどんどん食べながら笑い合う男たちの話を聞いて、なんだか不思議な気分になってきた。子どもの自分にとって、大人はずっと前から大人だったと感じていたが、この人たちにも若い頃があったのだと、不意に実感できたのだ。もっと若い3人が今のように笑って肉を食べていたのだろう。きっとそこにはとう様もいて……。時間が逆行した場面を見ているようで、少しだけ胸がきゅっとした。
そんなレティシアの感傷をよそに、グスタフがケルナーに向かって手を上げた。
「あ、ケルナー、もう一皿頼む」
「おっ、そういうのもありなのか。じゃぁ、儂もお願いしよう」
「すみません。私も……」
グスタフに続いてお代わりを要求する男たちの健啖ぶりに、レティシアは、何を競っているのかと呆れつつも、それだけ食べてもらえれば披露した甲斐もあると嬉しくも思っていた。
にぎやかに話を続ける3人の前にお代わりの皿が配られると、突然、ノルデン翁がカトラリーを手にピタリと動きを止めた。それに気づいたレオンが、心配げにノルデン翁に声をかけた。
「親父さん? どうかしましたか?」
「あ、いや……。こんなに柔らかくてうまい肉、ノーラに食わせてやりたいと思ってな……」
「おかみさんに?」
グスタフとレオンは顔を見合わせた。ノルデン翁の妻のノーラにもさんざん世話になった2人である。ノルデン翁が愛妻家であり、妻に頭が上がらないこともよく知っている。
場が静かになったとき、それに気づいたノルデン翁が慌ててフォークを持った手を振った。
「いやいや、気にするな。……ちょっとこのところ、歯を悪くしてな。肉が固くて食べられんと言うのよ」
しばらく皿の切り分けられた肉を見つめていたノルデン翁が、グスタフに向かって言った。
「なぁ。……これ。この肉、持って帰ったらダメか?」
これまで見たこともない目で頼み込むようなノルデン翁に、グスタフは怯んだ。
「あ、いや、それは……」
ノルデン翁は、皿に目を落とした。翁にもわかっているのだ。これまで味わったこともない料理の数々は、新しい料理店で初めて披露すべきもので、そう簡単に開店前に外部に出していいものではない。
「親父さんの家には、ヤニックさんのご家族もいらっしゃるでしょう? おかみさんだけにこの料理を食べてもらうのは難しいのではないですか?」
ノルデン翁の気持ちは汲みたいが、新たに料理店を出す当事者として料理の持ち帰りを承諾するわけにはいかないレオンが取りなすように言うと、ノルデン翁は上を向いて息を吐いた。
「そうだよな……。これだけの料理だ。そう簡単に外に持っていくわけにはいかんよな。開店まで待つしかないか……」
それまでの明るい雰囲気が一転、ズンと沈んだ3人の様子に、レティシアは、奇妙なものを見るような視線を向けた。
「ご夫妻で、またウチにおいでいただければいいのでは?」
3人だけの世界に浸っていた男たちは、その言葉にビクリとした。レティシアの存在を半ば忘れていたのだ。
「あっあぁ、そうだな。店の場所を決めるまでは王都にいますから、日を改めて来てください」
「それがいいですね。私もおかみさんにご挨拶したいですから」
ノルデン翁はそう言うグスタフたちに柔らかに笑った後、レティシアが初めて見る心からの笑みを向けてきた。
「ありがとう、レティシア嬢。その言葉に甘えさせてもらうよ。次回もよろしく頼む」
「承知いたしました。奥様とお会いできるのを楽しみにしております」
レティシアは軽く頷いてほほ笑んだ。




