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16. やって来たノルデン翁

「よぁ、ダグ。久しいじゃないか」

 タウンハウスのエントランスに現れたライマー・ノルデン翁は、開口一番しゃがれた大きな声でそう言うと、右手を差し出した。

 それまで緊張を刷いていたグスタフの表情がみるみる柔らかになって、差し出された手を握ると前に進んで抱き合った。

「親父さん……。お元気そうで……」

 ノルデン翁は、グスタフの背を軽く叩きながら、耳元でそっとつぶやいた。

「リックのことは残念だった。なんの力にもなってやれんで、すまなかったな」

 グスタフはバッと体を離すと、慌てて言った。

「とんでもない! 見舞いも気遣いもいただいたのに、長いこと礼もろくにできずに不義理をしたのはこちらです。申し訳ありません」

 ノルデン翁は、そう言うグスタフを鼻で笑う。

「ふんっ、お貴族さまが平民にそう簡単に詫びるんじゃねぇよ。相変わらずの甘ちゃんだな。当主になってちったぁマシになったのかと思えばよぉ」


「親父さん、その辺で……」

 後ろに立っていたレオンにそっと肩に触れられると、ノルデン翁はおどけるように両手をパッと広げて人が悪そうな笑みを浮かべた。

「おっと、そうだった。二人して! この王都で!、儂に隠れて! なにか企んでいるんだって? 今日はそれを聞かせてもらおうじゃないか」

 そう言ってグスタフとレオンの背中をバンバン叩いたのだった。


 レティシアは、そんな3人の様子に内心ひどく驚きつつも、二分の笑みを浮かべながらグスタフの後ろに控えていた。

 ライマー・ノルデン翁は、身長こそグスタフより低かったが、厳つい顔つきながら表情豊かな偉丈夫だった。元会長というから事業からは引退しているのだろうが、とても精力的な印象で、レティシアが初めて会うタイプの「おじいさん」だった。

 先に自分が声をかけることで、貴族家には来たがへりくだるつもりはないし、以前の関係性でやらせてもらうことを宣言したノルデン翁に、グスタフは明らかにホッとしていた。どうやら今夜の支配権がノルデン翁にあることを、グスタフもレオンも認めているようだ。もちろんレティシアに否やはない。むしろ、父親たちの若い頃のことが知れそうな雰囲気にワクワクして、ほんの少し口角が上がった。

(お父様ってば、ダグって呼ばれてたのね。とう様はリックかぁ。余程親しかったのねぇ……。こんなに打ち解けた感じのお父様って、あまり見たことないわ)


「親父さん、紹介します。フェリ……、リックの忘れ形見で、ウチの娘のレティシアです」

 グスタフにそっと背を押されて前に出たレティシアは、軽くひざを折り、すまし顔でノルデン翁に挨拶した。

「レティシアです。初めまして。今宵はようこそおいでくださいました」

 ノルデン翁は、薄緑の目を細めて、レティシアの頭をぽんぽんとすることで挨拶に代えたようだ。

「両親のいいとこ取りをした別嬪さんだな。お嬢さんの父親たちの昔馴染みのライナー・ノルデンだ。平民ふぜいで大した力はないが、王都で何かあれば、言ってくれよ」


 グスタフとレオンが顔を見合わせた。

「王都で何かあれば、言ってくれ」は、ライナー・ノルデンが自分の持てる力を使って協力を惜しまないことを約束する言葉だった。かつて自分たちにもかけられた言葉だが、それをまだ子どものレティシアにも言うとは……。

 2人はノルデン翁から寄せられる厚意の大きさに胸が熱くなったが、逆にそれに甘えてはいけないと、改めて心を戒めるのだった。ノルデン翁が協力するということは、多方面に大きな影響を与えることでもある。フェリクスであれば鷹揚に笑ったのであろうが、グスタフとレオンにとって、ノルデン翁の協力とは、空恐ろしいものでしかなかった。


 だが、両親のいいとこ取りと言われたのが嬉しかったのか、ノルデン翁に触れられたところに手をやってはにかむレティシアを見下ろしながら、グスタフは、レティシアを守るカードが1枚増えたと思えばそれもいいかと思うのだった。



「それで、一体どんな料理店をやるつもりなんだ?」

 レティシアを除く男3人が客間に入り、軽い白ワインで再会の乾杯をした後、久闊を叙する間もおかず、ノルデン翁はいきなり核心に触れてきた。


「大体なんで俺たちが料理店をやるって思ったんです?」

 グスタフがグラス越しに恨めしそうにノルデン翁を見やると、翁はちらりとレオンに視線を移して顎でしゃくった。


「そこの小僧が青鹿亭にいたって聞いてな。息子の代になって毛色が変わってから絶対に行かなかったヤツが、わざわざあの店に足を運んだんだ。何かあると思うじゃないか。会合があっても場所が青鹿亭だったらなんだかんだ理由を付けて欠席してたくせに。そしたら、父娘らしい2人を連れてやたらあちこちの店で食事しているというし。父親のほうがダグとあれば、最近、モリンベルの領都でうまい飯が食えるという噂も聞こえていたところだ。こりゃ食事関係でなんかやろうとしているなと思ったのさ」


 それを聞いたレオンが大きなため息を吐いた。

「あの店でご子息をお見かけしたときに、まずいっと思ったんですよね……」

「えっ? ヤニックさん? いた?」

 びっくりしたように言うグスタフに、レオンは力なく頷いた。

「後から入ってきた3人組がいたでしょう。そのうちの1人がヤニックさんだったんですよ。あなたは気付かなかったようですが、お嬢様はなにかしら感じていたんじゃないですかね。もちろんヤニックさんのことはご存じないでしょうが、我々に気付いたヤニックさんの様子にちょっと不思議そうになさっていましたから」

「だったら、その場に言ってくれればよかったじゃないか」

「あちらも仕事関係のようでしたし、場違いなわれわれと関係があると思われては迷惑だったでしょうから。それにお嬢様の前でいろいろ慌ただしくするもの憚られたので」

 シレっとするレオンに、暗に“あなたは腹芸が苦手でしょう”と言われたことに気付いて、グスタフは言葉に詰まった。


 ヤニックに気付けば、グスタフは動揺しただろう。ノルデン家には若い頃にいろいろ世話になったのに、大人になるにつれ貴族と平民だからという気遣いから一歩引いて連絡が来ることがなくなり、忙しさを理由にこちらから連絡しなくなったことに不義理の負い目を感じているのだ。そんなグスタフを不審に思ったレティシアから、知り合いかと聞かれれば、今のレオンのように「昔の知り合いだが、仕事のようだし、今は迷惑になるだろうから後で挨拶しておくよ」くらいに、さらりと説明できた自信はない。


 グスタフとレオンがそんな話をしている間、ノルデン翁は、テーブルに用意されていたつまみを食べて目を瞠っていた。

 つまみは、小さく切った薄いパンにチーズを乗せ、その上にそれぞれ野菜やフルーツ、ハムなどを細く小さな串で留めて、指でつまんで一口で食べられるようになっていた。


「で? 食事関係からなんで料理店だとバレた? 王都の料理を参考に、フレルの食堂の料理をてこ入れして領外から人を呼ぶことだって考えられるだろう?」

 グスタフがレオンにそう聞くと、忌々しそうにレオンが答えた。

「私が王都で物件を探していることを、この親父さんは突き止めたんだそうです。間に人を挟んでいたのに! 今朝、いきなり事務所にやって来て、“儂に黙って王都で料理屋なんて開けると思うな!”って怒鳴りつけられましたよ!」

 投げやりに言っているが、最後はどこか嬉しそうだった。


 王都にある商会の会長として、レオンはノルデン翁やヤニックと顔をあわせることが多かったが、相手は大商会である。吹けば飛ぶような小さな商会の自分とは、天と地ほどの差があった。だから2人に近づくことはなかったし、ノルデン翁とヤニックも自分たちが親しくすることがレオンの不利になることをわかっていたので、互いに赤の他人の顔をしていた。

 それが、今朝、突然やって来て、昔のように怒鳴りつけられたのだ。驚きや戸惑いはどれほどだっただろう。


 グスタフは、なんとなくレオンの気持ちを察しつつも、他のことが気になっていた。

「えっ? それじゃあ、ウチが料理店を出そうとしていることは、あちこちにダダ洩れ?」

 ハッとしたレオンと共に不安になってノルデン翁を見ると、翁は3つ目のつまみを口に入れたところだった。

 翁は2人の視線に気付くと、慌てて口を拭った。

「ん? あ、いや。儂がレオンの動向に注視していたからわかっただけで、お前さんたちの店巡りも領都から出てきた取引先父娘の接待程度にしか思われておらんだろう。言っちゃあなんだが、世間はモリンベル家もレオンの商会も気にしちゃおらんて」


 取るに足らない貴族家と商会だと言われながら、グスタフとレオンは胸をなでおろした。同時に、離れてなお、自分たちのことを気にしてくれていたことに、有り難さと気恥ずかしさと嬉しさと悔しさと、いろいろな感情が溢れそうになっていた。


 モリンベル家とカンフェル協会が共同で料理店を開くこと自体は秘密にする必要もないのだが、料理を開発しているのがレティシアだということは隠さなければならない。もちろん実際のレシピや調理方法はレティシアと料理人たちの努力の賜物なのだが、高じればレティシアさえいればおいしい料理ができる、と世間に思われることが危険なのだった。新たな美食を求める有象無象が群がってくるに違いないのだから。


 では、なぜそんな危険性がある料理店を王都で開こうとしているのか。

 王立学院で、親元を離れたレティシアがどんな人物と出合い、どのような付き合いが広がっていくのか、誰にもわからないことだ。その中で、暢気なレティシアが王都で誰かれ構わずに美味しい食事や調理方法を広めることがないよう、枷となるものとして料理店を開くことにしたのだ。モリンベル夫妻とレオンにとって、苦肉の策であった。

 だから、実は、以前、意味は異なったが、王都に料理店を開くことはレティシアありきの計画かとクリストフに問われたとき、グスタフは内心かなり慌てていた。



「ところで、これ、本当にうまいな。薄っぺらい……ハムなのか、これ?」

 ノルデン翁は、つまみの一つを持ち上げてしげしげと眺めていた。

「どれです?」

 グスタフがそれを見て、同じものをつまんで口に入れた。

「あぁ、生ハムですね。向こうから持ってきたのか? いや、ちょっと違うな。もしかして、こっちでエルマンが作ったのかもしれん」

 グスタフは咀嚼して味わいながら、小首を傾げた。

 レオンも同じものを食べて何度か頷いた。

「あぁ、ちょっとクセがある感じですが、生ハムですね。フルーツと合うんですよね、これ」

 自分が今まで食べたことがない生ハムとやらのうまさに感動すらしているというのに、それをさも食べなれた風の2人にノルデン翁は目を剝いた。

「なんだ! モリンベルではこんなうまいものを当たり前に食べているのか⁈ いったいどういうことだ!! 領と王都で、いったいどんな料理人を抱えてるというんだ⁈」


 そんなノルデン翁の叫びに、グスタフとレオンは顔を見合わせてほくそ笑んだ。

(この様子なら、食事の席で昔話に興が乗ることはないかもしれない)

 グスタフもレオンも、今夜、ノルデン翁が食事の席で自分たちがやんちゃだった頃の話をレティシアに面白おかしく話すことを懸念していたのだが、これならきっと料理に感動して他に意識が向かなくなるのではないかと思われた。


「食事にはレティシアも同席します」

「あ、あぁ。儂は構わんが……」

「実は、料理店についてはレティシアも関わっているので、むしろ一緒に話したほうがいいと思うんです。今宵は、わがモリンベル家の料理をご堪能ください」

 そう言って慇懃に笑うグスタフと、意味ありげな笑顔を浮かべるレオンに、一瞬気圧されるようなものを感じたノルデン翁だったが、気を取り直して鼻を鳴らした。


 愛娘に1人寂しく食事をさせないためなのだろう。それに、まだ子どもに、たとえ名目だけであっても家の事業に関わらせるとは……。あの小生意気だった小僧が、美しく賢そうな娘を持って親バカ全開か……。

 ノルデン翁はそう思った。



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