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14. 料理店への違和感

 朝食後、レティシアは部屋に戻って王都に来て以来の日課としている運動をするためにスラックスとシャツに着替えた。


「なんでこの格好で朝食を摂っちゃいけないのかしら。わざわざワンピースから着替えるほうが無駄じゃない……」

 朝起きて、朝食のために夜着からワンピースに着替え、それをまた今、動きやすい服装に着替えている。今日は朝食後に運動すると決めていたのだから、最初からこの格好で朝食に行けばひと手間省けたのだ。


 貴族、特に女性は1日の内でその時、その場で相応しい格好に何度も着替える。来客がなく外出することもなければ朝食時から同じ格好でいることもあるが、少なくとも夕食時はディナードレスに着替えるのだ。外出するような場合は、夜着からデイドレスに着替えて朝食を摂り、そこから外出着に着替え、帰宅後はデイドレス(朝と同じとは限らない)に着替え、さらに夕食時はディナードレスに、夕食が終われば気楽な部屋着に、そうしてようやく寝る頃になって夜着になれるという具合である。


 いちいち面倒くさい、なんという不合理、などとブツブツと小声でつぶやくレティシアを、着替えの介添えをしていたトエニ夫人は微笑みながらいなした。

「あきらめなさいませ。貴族令嬢としてのたしなみでございます」

「むぅぅ」

「そもそも、お出かけやお客様がいらっしゃらない限りデイドレスで過ごすこともできるのに、わざわざ着替えてまで運動しようというお嬢様の自業自得でございましょう」

「それを言われると……」


 フレルにいるときは、日課の運動は午後に行っていた。デイドレスからスラックスに着替え、運動後に汗を流してから夕食の席に付く習慣だったので、着替える回数も少なく済んでいたのだ。だが、王都に来てからは、昼食前に出かけ、早めの夕食を終えてから帰ってくるというスケジュールだったため、出かける前に運動することにした。日課の運動を欠かさないことも、ヘルミーネから与えられた課題の一つだったから。

 昨日までは、運動後に外出着に着替えていたから気にならなかったのだが、外出しない今日は、運動後にまた同じワンピースに着替えるということに、「着替え」の面倒を思ったのだった。


 ミント水の入ったピッチャーを用意してトエニ夫人が退出すると、レティシアは部屋の中央付近に肩幅くらいに足を開いて立った。そして腹筋を使って背筋を伸ばすと、側筋、上腕筋、背筋、その他一つひとつの筋肉を意識しながら、細く息を吐きつつゆっくりと腕を上げていった。

 そうしたゆったりとした動きで全身の筋肉を伸ばし終わった後は、全身にうっすらと汗がにじんでいた。

 ひと息ついた後は、床に運動用の敷物を敷いて、うつ伏せの状態から肘を付いて体を起こし、目の前の砂時計をひっくり返すと、砂が落ち切るまでつま先で下半身を持ち上げて頭の先から踵までを一直線に保ち続ける。

 それを何度か繰り返すと、今度は仰向けになって両手を横に伸ばし、腿を上げて膝から下を床と平行にしたまましばし。ゆっくりと足を右へ左へと倒していく。

 レティシアは、ヘルミーネから叩き込まれた緩やかな動きを黙々とこなしていった。


 最初は、領主館に隣接する騎士団の鍛錬場の周りを、訳も分からずただひたすらに走らされた。時には障害物が置かれ、ステップを踏んで避けて走るよう指示されることもあった。鍛錬場の片隅で、3本の線の間を横跳びで何度も往復したり、一定の短い距離を何度も素早く走らされたり、距離や回数は少ないものの騎士団の鍛錬同様のことをさせられた。そうして言われるままに体を動かしていると疲れ果て、泥のように眠る日々だった。やがて体が慣れてくると、疑問が頭をもたげてくる。


 なぜ、こんな苦しいことをしなければならないの?


「貴族の社交は、戦いなの。侮られたら負けよ。男子であれば剣を鍛えることで、たとえ下位貴族であっても一目置かれるようになる。では、女子は? わたくしたちは、美しいカーテシーと凛とした姿勢で戦うのよ。子爵家というだけで見下してくる人は少なくないわ。それを優雅なカーテシーと毅然とした姿勢で迎え撃つの! そうすれば、わかる人にはわかるの。決して侮っていい相手ではないということが。だから女子にも、いえ、女子だからこそ鍛錬が必要なのよ!」


 いつものように手本を見せるように一緒に走りながら、ヘルミーネは嫣然と微笑んで、そう答えた。

レティシアはまだ子供だから鍛えすぎてはいけないと、一定のところで鍛錬は終わるのだが、その日、へとへとになっている自分を置き去りにして颯爽と駆けていくヘルミーネの姿に、レティシアは唐突に理解した。


 これは……。逆らっちゃいけない人だ……。


 以来、レティシアはヘルミーネの指導の下、黙々と体を動かすようになった。貴族令嬢教育が始まり、マナーやダンスを学ぶようになると、鍛錬のおかげで長い間姿勢よく座っていることが苦ではなく、またダンスを踊りながら姿勢が崩れないのだとわかった。両親と共に他領を訪れて同じような年ごろの貴族子女と交流するようになると、たびたび大人たちから姿勢の良さを褒められ、ヘルミーネの言っていたことの一端を理解した。


 去年あたりからは、外での鍛錬が減り、室内でできるゆっくりとした動きの運動を教えらえた。ヘルミーネ自身、新たに他人から教わったものだというが、レティシアは、一般的な貴族令嬢がこんな運動をしていないことをすでに理解している。では、いったいどんな人物が貴族夫人にこんな運動を教えたというのか。いや、そこは親子といえども触れてはいけない、知ろうとしてはいけない領域である……。


 体を動かして思考を切り替えたレティシアは、汗を流した後、改めてモリンベル家の料理について考えてみることにした。料理のことを考えれば、漠然とした不安もなんとなくもやもやとしている考えも明確な形になるような気がしたのだ。


 レティシアは、グスタフとレオンが考えている料理店というものに懐疑的になっていた。彼らには子どもの自分にはわからない大人としての考えや構想があるのかもしれない。だが、どうしてもピンとこないのだ。自分と料理人たちとで考案した料理がここ数日で回った料理店や食堂で出されるところを想像してみても、なんとなくしっくりこない。そもそも、モリンベル家の料理を提供することが計画の柱であるのならば、料理店や食堂ではないような気さえしていた。かといって、屋台で出す料理でもない……。

 そうした諸々の違和感の元をはっきりさせなければメニューなぞ考えられないと、まずは基本に立ち返ることにしたのだった。


「半熟卵は欠かせないわよねぇ。王都には固ゆでか固焼き卵しかないようだし……。焼くのと煮込むのはあったけど、蒸すのはなかったかな。あと揚げ焼きも見かけなかったか……。お肉の筋切りも……」


 モリンベル家とこれまで食べた王都の料理の違いをつらつら思いつくまま書き連ねていると、ふと閃いた。


「そうだ! エルマンに聞けばいいんだわ!」


 エルマンは、王都で雇った料理人だ。近郊の村の出身で、とある食堂で働いていたのだが、そこの主人が転んで骨折したことで、高齢でもあるし店を畳むことになり、仕事がなくなった。目つきが鋭く、無愛想だからか、なかなか次の店も決まらずにいたところを、やはり高齢で引退したいと思っていたタウンハウスの前の料理長に誘われ、貴族家の料理人なんてできないと最初は断ったそうだが、普段は使用人だけなのでその賄いだと言われて半ば強引に仕事を引き継がされたのだという。


 昼食の準備で忙しいだろうけれど、作業しながらでいいから話を聞かせてほしいと、厨房に押し掛けたレティシアに、最初はガチガチに緊張して、手も口調も震えていたエルマンだったが、レティシアが話のきっかけとして聞いた、なぜモリンベル家のタウンハウスで働くようになったのかを語るうちに徐々に緊張が解けていったようだった。


「ロッコが来たときは、びっくりしたでしょう?」

「そりゃあもう……。今まで当たり前だったこと、全部否定されたっすよ。やったら手ぇ洗わされるし、まな板も包丁も1回使ったら洗えとか。コンロの周りもちょーっと吹きこぼれただけなのにすぐに拭けと言われるし。いちいち無駄だし手間ぁ増えるだけだしで、最初は全然納得いかなかったっす。おかげで洗浄魔法が上手くなったっすよ」

 

 豚肉の卵衣焼きに添えるトマトソースの鍋をかき回しながら、当時を思い出してぼやくエルマンに、レティシアは思わず声を上げて笑った。

「あーはっはっ!」

 エルマンからギョッとした目を向けられたレティシアは、慌てて両手で口を押させて肩をすくめた。

 視界の隅に、厨房の入り口で、こめかみあたりを手で覆うトエニ夫人の姿も見えた。トエニ夫人は、レティシアが厨房に入ることに難色を示したが、領主館では割とよくあることと何とか納得してもらい、使用人といえども男性と二人きりで話すのは良くないからと同席していたのだった。


 はしたないとわかっていても、レティシアの笑いは収まらなかった。

「ふふふっ、失礼。でも…ふっ。ロッコも同じだったわよ。最初の頃は…ふふっ」

 最初にレティシアが領主館の厨房に行くようになった頃、小さい子どものわがままの相手をさせられたロッコはずっと不機嫌だった。レティシアが何を言っても否定してきて、ギーゼンが宥め、ときにはグスタフにも同行してもらってようやく要望通りのことをしてもらえるようになったのだ。それでもしばらくは不満気で、嫌々やっているのを隠そうともしなかった。そのロッコが、きっと「これがモリンベル家のやり方だ!」とか偉そうに言いながら、ろくに説明もしないままエルマンに怒鳴っていたのだろう。その様子を想像するだけで、笑えて仕方がなかった。


「えっ? 師匠も? そうっすか……。でもその割に、いちいち怒鳴られたっす。訳わかんなくて、でも作ってくれる料理はうまくて、なんか腹立つばっかだったっすけど、しばらくしてジーク先輩から手紙がきて、いろいろちゃんとした理由があるってわかってからは、単純にすげーと思ったっす。師匠もジーク先輩もすげーけど、やっぱお嬢様が一番すげーっす」

 エルマンはそう言って、視線を鍋に落としたまま何度もうなずいた。


 レティシアは、ジークの目配りの細やかさに感心しつつ、エルマンを炊き付けてみた。

「エルマンもその“すげー”仲間の一人なんだけど。あぁ、でもそうね。洗浄魔法は、ウチの料理人に必須のスキルだわね」


「すげー仲間の一人」と言ったとき、体をピクッとさせて頬を染めたエルマンに、レティシアは期待を持った。きっと彼ならいろいろなことにも挑戦してくれるだろう。領地と王都の2カ所で、新しい料理の開発ができそうだ。


 その後しばらくは、エルマンがモリンベル家の料理をどう思っているか、王都の食堂ではどうだったかを、とりとめなく雑談のように聞いていると、トエニ夫人から声がかかった。

「お嬢様、そろそろ……」

「あ、そうね。ごめんなさい。長く邪魔しちゃったわね。次はもう少し時間に余裕のある時に話を聞きにくるわ」


 ひらひらと手を振りながら厨房を出ていくレティシアの後ろ姿に、エルマンは深々と頭を下げた。その様子にトエニ夫人は満足そうにうなずいて、レティシアに続いた。


 自室に戻ったレティシアは、エルマンとの話をメモにしながら、まだ明確ではないものの、考えがまとまりそうな、ずっと感じていた違和感の元が見えてきそうな気がしていた。

「それさえわかれば、きっといろいろなものが一気に進むはず……」



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