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12. 料理人と神殿契約

 ちょうどその時、扉がノックされて外からケルナーの声が聞こえた。

「旦那様、軽いお食事をお持ちいたしました」

「あ、あぁ、入ってくれ」


 気を取り直したグスタフの声に応え、ケルナーがワゴンを押して入ってきた。

「ローストした赤牛とナバワの干物を揚げ焼きにしたもの、それと野菜のサンドイッチをご用意いたしました。蒸した野菜にはこちらのソースを付けてお召し上がりください。アマッツの焼き菓子もお持ちいたしました」

 サンドイッチは、取り分けを待たずにめいめいがトングで好きなものを自分の皿に取って手づかみで食べる。食堂ではなく、サロンのソファとローテーブルで気楽に食べられるよう配慮してくれたようだ。


 黒牛のローストを分厚く切って辛子を利かせたバターを塗ったパンに挟んだサンドイッチは、グスタフの好物である。旭光の青鹿亭でワイン煮込みを食べたとき、レオンが以前は赤牛を使っていたと言っていたから、おそらく王都では黒牛よりも赤牛が一般的なのだろう。ナバワという魚は聞いたことがないが、揚げ焼きと相性のいいマヨに野菜の酢漬けかオニヨンを混ぜたソースと一緒に挟んである。野菜のサンドイッチや蒸し野菜、焼き菓子は、昼食を食べてきた上でグスタフのようには食べられないレティシアが軽く摘めるように考えてくれたに違いない。

 サンドイッチは、中に挟んだ具がわかるようにどれもきれいに切り揃えられている。色とりどりで見ているだけで食欲をそそった。

(フレルにはない王都の食材を使ったウチのレシピって、新鮮だわ。ウチの料理人って本当に勤勉ねぇ)


 洗浄などの生活魔法を人前で使うのは無作法なので、3人は湿らせたタオルで手を拭った後、グスタフは赤牛のローストを挟んだものをガッツリと皿に取ると、さっさとかぶりついて満足げに頷いた。

「やはり、家はいいなぁ。レオンもあれじゃあ足りなかっただろう? 遠慮せずいってくれ」

「ご相伴に与ります」

 レオンは苦笑しつつも嬉しそうにトングを手にして、3つのサンドイッチをバランスよく取った。

 レティシアは、揚げ焼きと野菜のサンドイッチを一切れずつ、そして蒸し野菜を皿に盛った。余裕があれば赤牛のローストも食べてみたいと思いつつ、興味津々でナバワを眺めた。


「ナバワの干物は初めてですが、王都ではよく食べられているのですか?」

「北方の港町からときどき回ってくるようですが、硬くて少々癖があるので、叩いて炙ったものが下町の酒場で食べられているくらいでしょうか」

 レオンの返事を聞きながら、ナバワの揚げ焼きのサンドイッチを一口食べたレティシアは、小首を傾げた。

「……ほくほくした上品な白身で美味しいわ。これが干物?」

 グスタフとレオンは目を見合わせると、すぐにナバワの揚げ焼きのサンドイッチを手に取ってかぶりついた。

「む……。確かにうまいな。干物とは思えん柔らかい身だ」

「……表面は油でカリっとして中はふっくらした白身と酢漬けの酸味がよく合いますね。う~ん、私が知っているナバワの干物ではありませんね、これは」

「後で料理人に聞いておきますね」

 レティシアはニコニコして言った。常々ウチの料理人は優秀だと思っているが、商会の会長が知らないような食材を見つけてきたことに鼻高々であった。


「本当に御家の料理は素晴らしい。いやはや。グスタフ様もこれだけの料理人を抱えていらっしゃれば、社交界で大きな力を持つこともできるのに、興味はないとおっしゃる」

 レオンはゆっくりと首を左右に振って、信じられないというように言った。

「子爵ふぜいが社交界で力を持ってどうする。面倒が増えるだけだ」

 本当に嫌そうに顔を顰めて、グスタフはそっぽを向いた。だが、レティシアはレオンの言葉に興味を持った。

「おいしい料理は、社交界で力になるの?」


「もちろんです。美食は特権なのです。だから貴族や大商人は美食に費やす金に糸目をつけませんし、一つでも自分でうまい料理のレシピを生み出した料理人は引く手あまたです。そしてそういう料理人を抱えた家の晩餐会は、家格にかかわらず話題や注目を集めるのです。一度評判になってしまえば、誰もが招待を受けたくて何かと便宜を図るようになるでしょうし、貴族や大商人が集まれば小さなゴシップから国家事業まで大小さまざまな話が交わされるでしょう。いわば社会を動かせるような場を統括する者の影響力は、とてつもなく大きくなります。だから力を持ちたいと思う貴族や大商人は、優れた料理人を見つけて囲い込もうと必死になっているのですよ」


 聞き捨てならないことを聞いたレティシアは、食べていた野菜のサンドイッチを慌てて呑み込んだ。

「待って、待って。レオンおじ様」

 果実水を喉に流し込んで、一息ついた。

「ふぅ。美食にお金を惜しまない貴族や大商人が相手だから、旭光の青鹿亭の料理はトンデモナイお値段だったのね。それは理解できたけれど、なぜそこの料理長は貴族や商人に雇われずにいられるの? それに、もしかしたらウチの料理人も他に引き抜かれるかもしれないということ?」

 一緒にいっぱい失敗もしてきた領主館の元料理長のロッコや、失敗の後片付けをしながらいつも何か新しい視点でやり方を考えてくれる今の料理長のジーク、王都に来て初めて知ったがロッコやジークと作ったレシピを一人で工夫を重ねて形にしてくれるタウンハウスの料理人のエルマン、自慢の料理人たちだからこそ、他の人が欲しがることもわかって、レティシアは怯えた。


「あー、料理人については、あまり考えなくていいぞ。ウチの食事がうまいということを知っている外部者は、ごくわずかだ」

「でも、料理店を開けば……」

 危機感もなくのんびりと言うグスタフに、レティシアは焦れた。


「お嬢様、ご心配はごもっともですが、御家に関しては、問題ないでしょう。私が先ほど言ったのは『自分でレシピを生み出した料理人』です。御家のレシピは、ほとんどがお嬢様の発案と聞いております。もちろん料理人たちの試行錯誤や工夫もあるでしょうが、どんな料理になるのかの完成形が予め示されているものは、自分でレシピを生み出したとはいえません。それに神殿契約もありますし」


 そう言うレオンに続いて、グスタフが説明してくれたのは、レティシアが初めて聞く、モリンベル家の料理人たちとの神殿契約だった。


 料理人は職人と同じで、その技術や手法は個人の財産であり、軽々に他人に教えるようなものではない。いたずらに真似されないように、一番重要なところは特に秘すものだ。それでも弟子などと共有したい場合は、決めた場所以外でその腕を振るうことができないよう神殿で契約するのだという。最初の契約時こそ高額になるが、場所や契約者、技術などの追加契約にはさほど料金がかからないため、老舗の工房や、鉱山や特産物の栽培・製造といった産業を有する貴族家などが利用していて、中には代々の技術が連綿と受け継がれる証として契約書が分厚い本になっているところもあるという。


 モリンベル家も料理人たちと料理に関する神殿契約を結んでいる。これは技術の流出を防ぐためだけでなく、職人たちを守る意味もある。過去に、秘匿技術を欲するあまり本人やその家族を誘拐したり、脅迫して職人を引き抜くようなことが繰り返されたことから、それを防ぐために始まったことであった。神殿契約を交わしていれば、職人を無理やり連れ去ったところで秘匿技術は記憶に鍵がかかったようになり、言葉にすることすらできないので不当な囲い込みがなくなった反面、自ら新しい技術を開発した神殿契約に縛られていない職人を取り込もうとする競争は激化しているのだという。


「でも、そうすると、料理人たちはウチの関係各所以外では料理ができないということ?」

 レティシアは、それはそれで料理人たちの自由な行動を縛ることになるのではないかと心配になった。

「まったくできなくなるわけじゃない。秘匿技術として登録したものに関してだけだ」

「老舗の工房が弟子にのれん分けする際には、それまでの技術を譲渡する旨の契約を交わすこともあります。新たに工房を立ち上げた弟子が新しい技術を開発すれば、今度は自分が主体として元の工房と契約を交わすという例もあります。神殿契約は、本来、職人が持つ技術と権利を守るために契約者間で柔軟に対応できるようになっているのですよ」

「では、旭光の青鹿亭の料理長もお店と契約を結んだのね」

「……そうですね」

 少し言い淀んで眉をしかめたレオンに、レティシアは視線で問いかけた。

 だが、レオンはそれに答えることなく、胡散臭い笑顔を浮かべた。

「あ、いえ。なんでもありません。それで、旭光の青鹿亭の料理はいかがでしたか?」

 明らかに話題を逸らす意図が感じられたが、グスタフもレティシアもそれ以上問うことはなく、一つ息を吐いて意識を切り替えた。まさにこれが今日の本題であったからだ。


「あのスープ、ウチの出汁だろ?」

「あぁ、やはりそう思われますか。私も御家で出汁のスープを出されたときに驚きました」

「でも、ウチのはもっと澄んでいるし、クセがないぞ」

 グスタフは、出汁のスープ自体、上品すぎてあまり好みではなかった。だからモリンベル家の食卓にはあまり上らないのだが、あの店のスープよりウチの出汁のほうがマシに思えたのだ。正直なところ、あの店の料理はどれも微妙に感じられた。確かにうまいとは思った。数年前の自分であれば、きっと感激しただろうとも思う。ただ、今のモリンベル家の食生活に慣れてしまっては、これ以上のものを見つけるのは難しいのかもしれない。そう思ったら、なぜかゾクリとした。だが、グスタフはそれが何に対する怯えなのかを考えることを放棄した。


「実は、初代料理長のスープも、もっと澄んでいて旨味が凝縮されていたのです。肉団子なんてものも入っていませんでした。今の料理長になってから同じレシピと言いながら、微妙に変わったように思います」


(えっ⁈ もしかして、本来の初代料理長のレシピは、ウチのレシピと同じかも?)

 レティシアは、ドキリとして急に不安になった。

 澄んだ琥珀色のスープにするためには、時間も手間もかかるのだ。メインの食材(主に骨の類だが)によって使う香味野菜や香草も違う。そうした手間や食材の一つひとつがまったく同じということはないだろうが、見た目が同じだったら、いくら神殿契約したといっても、後からのほうが不当に真似をしたと思われるのではないだろうか。

「見た目も味も似ていたら、もしかして、ウチが初代料理長のレシピを不当に手に入れたと思われる可能性がある?」

「あ、いえ。神殿契約は、すでに他者が結んでいるものと同じものではできません。どのようにして判断しているのかは神殿の秘匿事項ですが、似たようなものであっても、そこには明確というか決定的に違うところがなければ、神殿契約はできないのです。ですから、モリンベル家で神殿契約がなされているということ自体、独自のものであることの証明にもなるのです」

 レオンがにこやかに説明してくれたことに、レティシアはホッとした。


「あの魔獣肉は……」

「ワイン煮込みに使われたワインが……」

「最後に出てきた砂糖菓子は……」


 やがて旭日の青鹿亭の料理の感想はどこへやら、3人はモリンベル家の料理を語ることを楽しんでいた。


「あのマヨというソースが……」

「揚げ焼きを食べたときに……」

「蒸し野菜は……」

「卵が半熟で出てきたときには……」


 テーブルにあった料理がすべてなくなり、焼き菓子をお代わりまでして、思ったより時間を過ごしていたことに気づいたレオンが、慌てて仕事に戻るために辞去すると、レティシアはソファに体を投げ出して、大きく息を吐いた。


「ん、今日はいろいろ疲れたよな」

 グスタフはその横に腰掛け、労わるようにレティシアの頭をぽんぽんした。

 レティシアはそれに甘んじたまま、唇を尖らせてグスタフを軽く睨んだ。

「私、知らないことが多すぎるわ。お店で出す料理のことだけ考えればいいというわけにはいかないことがよぉくわかった。お父様がちゃんと教えてくださらないから。もうっ! レオンおじ様の丁寧な説明を見習って! なんでも簡単に済まそうとしないで!」


「ははは……。すまん、すまん。オレも何をどこまで知っておくべきかの判断がついていないからなぁ。でも今日は、神殿契約の話ができて良かったよ。とりあえず、わからないことがあれば何でも聞いてくれ」

(お前は本当にいろいろなことに頭を回すものだと、今日、改めて思い知ったよ。これからいったいどんなことを知りたがるんだろうな……)

 グスタフは、レティシアの頭に手を置いたまま、楽し気に微笑んだ。



なかなか定期投稿できませんが、ブクマ、評価、リアクション、ありがとうございます。


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