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10. 王都一の美食店

 翌日は、さっそく王都で一番の美食店という「旭光の青鹿亭」にやってきた。

 出かける前に、着飾ったレティシアを連れ回したいグスタフと、ひらひらしたドレスで出歩きたくないレティシアとの間でひと悶着あったのだが、結局、「物見遊山ではない!」というレティシアの言葉にグスタフが折れて、ブラウスとスカート、前開きのビスチェというちょっと裕福な商家の娘のような格好に落ち着いたのだった。


 タウンハウスまでカンフェル商会のレオンが迎えに来てくれ、商会の馬車の中で、「旭光の青鹿亭」は、高級食材をふんだんに使ったこの店ならではの料理の数々で名を馳せ、「旭光の青鹿亭の〇〇〇を食べた」というのが成功者、大物の証のように言われており、大商人や貴族がこぞってやってくるのだという話を聞いた。

「あら、だったら貴族子女らしい格好のほうが良かったのかしら?」

 失敗したかと眉をひそめるレティシアに、グスタフは(それ見たことか)と言わんばかりの視線を向けたが、レオンは笑って問題ないと言った。

「むしろ最適なお召し物ですよ。今日は取引先の商家の親子を接待するということで予約を入れていますから」

 それを聞いたレティシアは、グスタフを見ながら顎を上げてふふんと笑った。


 馬車に揺られること数十分、辿り着いたのは、大きな広場のほど近くにある、元は貴族の別邸だったという館だ。時代を感じさせながらも落ち着いた雰囲気で、店名を示す看板もプレートもなく、言われなければ料理店とはわからない。

 馬車から降りると、待ち構えていたドアマンが扉を開けて、館の中へと誘う。エントランスには黒いスーツ姿の黒髪の男が待っていて、

「いらっしゃいませ。カンフェル様」

 と言うと、優雅に左手を腹に当てた執事の礼を取った。


「久しぶりに足を運んだよ、ケインズ。今日はよろしく頼む」

 レオンの朗らかな声掛けに、ほんの少し口角を上げて軽く腰を折った後、ケインズと呼ばれた男は先に立って歩み始めた。


 レオンの後ろにグスタフと並んで立っていたレティシアは、2人が言葉を交わしている間、ケインズの後ろにいる同じスーツ姿のダークブロンドの男が片眉を上げたのを目にした。ついそのまま見ていたら目が合ってしまったが、男は、ほんの一瞬蔑んだような目をしたものの、笑顔を浮かべてことさらゆっくりと頭を下げてきた。


 レティシアたちは何事もなかったようにその場を通り過ぎ、レオンに続いて短い廊下の先を曲がると、広いホールに出た。庭に面した一面すべてが天井までの高さがある窓で、明るく解放感があり、見渡せば細部まで優雅な装飾が施されている。外観に違わぬ品の良さに、親子は揃って小さく感嘆の声を上げ、館の元の持ち主である貴族に思いを馳せた。ただ、今はいくつものテーブルがそれぞれ十分すぎる距離を取って配置されていて、昼にはまだ少し早い時間とあってか、客は一人もおらず、やたら広く感じられたのであった。


(華やかなパーティーや晩餐会が相応しいホールで、ポツンポツンと離れて食事をするの? かえって落ち着かなくない?)


 貴族といえども、家族や内輪で食事をする自邸の食堂は、そんなに広い部屋ではない。もしかしたら王族や高位貴族はただっぴろいホールで食事をしているのかもしれないが……。

 レティシアがモヤモヤする中、3人が案内されたのは、入り口近く、窓から遠い一隅のテーブルだった。

 ケインズは申し訳なさそうに眉を下げたが、レティシアはホッとしていた。


(隅っこでよかったぁ。こんなに広いホールの真ん中でポツンだなんて、もの寂しいんじゃない? でも、そのほうが料理に集中できるってことなのかしら? これが王都の貴族風のおもてなしってこと? う~ん、田舎者にはわからないわ)


 レティシアはホールが見渡せる奥に、グスタフはその隣、レオン会長はレティシアの向かいの席に着いた。それぞれの飲み物をオーダーしてケインズが下がると、レティシアはそわそわしてレオンのほうに顔を寄せ、声を潜めて聞いた。


「レオンおじ様は、こちらによくいらっしゃるの?」

「先代のオーナーにお世話になっていて、その頃に何度か来ています。息子さんの代になってからは久しぶりですね」

「ここは人気の料理店と聞いたけれど、貴族の疑似体験をするところなのかしら?」

「そうですね。人に傅かれることに意味を見いだしている者もいるでしょうが、元々は多くの人に美味しいものを食べてほしいという初代料理人と、美味しいものを心地いい空間で楽しんでほしいという先代オーナーの思いから始まった店なんです。今日は、初代料理人のレシピが受け継がれるこの店の定番料理を頼んでいますから、ぜひ召し上がって感想を聞かせてください」

 レオンが同じように声を潜め、どこか意味ありげにほほ笑むと、それまでの優しげな印象が一変した。


 レオンとは、これまで何度も領主館で一緒に食事をしてきた。いつもダークブロンドの柔らかな髪をピシッと後ろに撫で付け、少しタレ目で体格が華奢なこともあり、気弱げで苦労性に思われて案じていたのだが、この一瞬、レティシアは、レオンに大人の男、商人としての底知れなさをそこはかとなく感じ取って、思わず背筋が伸びた。


 飲み物のグラスが運ばれてしばらくすると、チーズとベリーを包んだハムの小皿、小さな肉団子が3つ沈んでいる褐色のスープ、ブラッディブルのワイン煮込みがタイミングよく順に供されていった。大人の男のこぶしほどの大きさの白パンもバターを添えて出された。

 料理が1品供されるたびに、ケインズが素材や調理法について簡潔に丁寧に説明してくれたので、レティシアは一つひとつ頷きながら興味深く聞いた。そしてケインズが下がれば、ワクワクしながらレオンに話しかけた。


「ベリーなんて、この時期にもう王都では出回っているの?」

「南部のほうから早生種を取り寄せているのでしょう。王都でこのベリーが並ぶのは、もう半月ほど先になります。旬の先取りとしても、少し早すぎる気がしますね」

「このスープは、初代料理長のレシピ通りなのかしら?」

「たぶんそうでしょう。この店の自慢の一品ですから……。ただ、以前はもう少し澄んでいて、すっきりした味だったように思います」

「ブラッディブルなんて、手に入れるのも大変じゃなくて?」

「王都近郊にはいない魔獣ですからね。以前は近くの牧場で飼育していた赤牛を使っていました」


 レティシアは、ブラッディブルのワイン煮込みを口にして、小さく笑った。

「さすがは王都の高級店ね。こんなお料理が食べられるなんて」

「そうだな」

 とグスタフが頷けば、レティシアは不服そうに言った。

「前に王都では美味しいものが食べられないって言っていたじゃない。この店のお料理は美味しいわよ?」


 肩をすくめるグスタフに代わって、レオンが内緒話を打ち明けるように言った。

「お嬢様、こちらのコース料理は、1人金貨3枚いたします」

 金貨3枚! 思わず片手で口元を覆ったレティシアだったが、おもむろに頷くレオンの目を見ているうちに気まずくなった。

「あの、ごめんなさい。金貨3枚って、どのくらいなんでしょうか……」

 いや、数字は分かるのだ。計算だって不得意ではない。ただ金貨に馴染みがないだけで……。


 ロッコが領主館の料理長を辞めて、フレルで食堂を開いたときに原価計算というものを教えてもらった。食材の仕入れ値から料理1品あたりに使用される食材の量で料理の単価を計算し、それに料理人の手間賃としての利益を上乗せしたのが1品の値段になる。手間賃が低すぎては料理人の労力を軽んじていることになるし、高すぎればお金を払って料理を食べてくれる人を謀ることになる。原価計算はなかなか難しい。


 それまで料理に使う食材の値段など考えたこともなかったので、いかに自分が食材の値段も料理人の労力も考慮せずに料理を考えていたのかを知って、愕然としたものだった。ロッコは、食堂でいかに安く、美味しいものを客に食べさせられるかがオレの腕の見せ所だと笑っていた。そして、効率を考えることと手抜きは別物なんだと、今も試行錯誤を繰り返している。そもそもフレルでは、食事の支払いに銀貨が必要になることなど余程の大人数分でもない限りめったにないのだ。王都でも手に入れるのが大変な食材を使っているから高くなるのはわかるが、王都での食事って金貨が当たり前?


 心の内で金貨3枚の意味がわからないことの言い訳をこねくり回してモジモジしていると、レオンが堪えきれずに噴き出した。

「プッ。失礼しました。お嬢様にはわかりにくかったですね。そうですねぇ……、金貨3枚もあれば、物価の高い王都でも家族4人が1カ月余裕で暮らせます」


 レオンは、いつも打てば響くように話ができるレティシアが、まだ13歳の少女であることを忘れていた。貴族の、しかもまだ親の庇護下にある令嬢が貨幣の価値を知らなくても当たり前であった。


 レティシアは、今度こそ心底驚いて目を見開き、言葉をなくした。

(王都で家族4人が1カ月⁈ もしかして、領都だったらここの支払いで1家族1年養えちゃう⁈)


「しかも、これはこの店で一番安いコースです」

 レオンのこの言葉が止めとなった。これ以降、レティシアはコースが終わるまで能面のような笑顔で「美味しいわ。さすがね」を、グスタフは気のない「そうだな」を繰り返したのだった。



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