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9. 王都のタウンハウス

 領都フレルから5日間の馬車の旅を経て、グスタフとレティシアは王都に着いた。レティシアにとって初めての王都である。

 これまでも他領に行ったことはあった。フレルより大きく、人も多くてにぎやかな街にワクワクしたものだったが、王都はそれらとはまったく違っていたのだ。

 城壁は果てが見えなくて、聳え立つ城門を越えると大きな広場に馬車や人が溢れていた。そこからタウンハウスに向かって馬車道を行ったのだが、とにかく人が多い。大人も子どももせわしなく行きかっていて、レティシアは、王都では早歩きしなければならない決まりでもあるのかと不安になった。建物も一つひとつが大きく、それが隙間なく立ち並んでいる様に、圧迫感を覚えた。あちこちに荷物が積み上がっていて、所々に見える路地にも人の姿があり、どこも騒がしくて雑然とした印象だ。


 ようやくタウンハウスに着いたレティシアの顔には、疲労の色が濃く表れていた。

 王都に入ってしばらくは、「あれは何?」「それはどうして?」「あの人が運んでいるのは何?」「どうしてああなっているの?」などと目に入るものすべてにはしゃいだ声を上げていた娘が、どんどん言葉少なになり、最後は黙り込んで馬車の窓からじっと外を眺めていたことに、グスタフはどこかホッとしていた。


(レティシアも普通の田舎の子だったか)


 かつての自分もそうだった。初めて王都にやってきたときは、都会の喧噪に怯み、人ごみに疲れ、今まで自分が暮らしてきた世界との違いに愕然としたものである。もしレティシアが、初めて見る王都の様子にずっと高揚したままであったなら、一体何をしでかすつもりなのかと戦々恐々としたことだろう。

 そんなことを考える自分に苦笑しながら、グスタフは馬車からレティシアを抱き下ろした。小さな子どものような扱いにムッとした顔で見上げてきたが、構わず頭をなでた。


「初めての旅で疲れただろう? 今日はゆっくりして、明日から王都を見て回ろう」

 レティシアは、不満げな顔のままグスタフに乱された髪を直しながら「はい」と小さな声で応えた。


 今回、王都へ2人でやってきたのは、レティシアを王都の料理店に連れていくためだった。グスタフの「料理店やるぞ!」発言の2日後、冷静にまじめにいろいろ考えたレティシアが、料理店とはどんなところなのかを聞いてきたのだ。


「フレルにある食堂みたいな店とは違うのでしょう? 料理店って、どんな人が食事に来るの? 以前のウチの食事みたいなのが出されるって言っていたけれど、国中の人と物が集まる王都なのに? 私は、お父様やみんなに美味しいものを食べてほしくていろいろ考えたし、ウチを辞めたロッコの食堂では、領都のみんなが気安く食べられるメニューをロッコと一緒にあれこれしたけれど、王都の料理店ってどんなところか想像できなくて、どんな料理がいいのかわからないの……」


 レティシアに負担をかけまいと、料理だけを考えくれればいいと言ったことをグスタフは猛省した。ただ料理が好きで、美味しいものを考えることを楽しんでいるのだとばかり思っていたが、思い返せば、レティシアが料理に口を出し、手を出すようになったのは、ヘルミーネとまだお腹にいたクリストフのためであった。レティシアが料理を考えるときは、必ず対象となる誰かが必要なのだと気づいたグスタフは、娘を連れて王都に行くことを決めたのだった。


 タウンハウスで勢ぞろいした使用人たちに迎えられた後、レティシアは家政婦長とともに旅装を解くために部屋に向かった。案内されたのは、フレルの領主館の自室と似た小花が散る淡い植物柄の壁紙に合わせた設えで、自分のために整えられたことが一目でわかる部屋だった。思わず感嘆の声を上げるレティシアに、家政婦長が笑みを浮かべながら、説明してくれた。

「今年から王立学院に通われるので、旦那様に言われて年の初めからご用意しておりましたお嬢様のお部屋です」


「ありがとう。嬉しいわ。ほっとするもの」

 レティシアは、家政婦長を振り返ってにっこり笑った。


 メイドたちが荷物を整理している横で、家政婦長に介助されて着替えをしていると、家政婦長の目が潤んでいることに気が付いた。

「どうかした?」

 小首を傾げて聞いてみると、家政婦長の目にみるみる涙が浮かび、口元を抑えて慌てて頭を下げてきた。

「し、失礼いたしました……」

 そう言って、なかなか顔を上げないので、先ほど紹介された名前を呼ぼうとして、レティシアは、唐突に思い出した。

「えっ! トエニ夫人? 昔、領主館にいたトエニ夫人⁈」

 驚きで素っ頓狂な声を上げてしまっていた。

 レティシアがまだ幼い頃、トエニ夫人は領主館の家政婦長だった。当時より年を取ってしわが増え、赤銅色の髪にも白髪が目立つが、しゃんとした様は、昔のままであった。


 先ほど、タウンハウスに着いたとき、グスタフがレティシアを使用人に紹介するとともに使用人たちの名前も教えてもらったのに、なぜ気が付かなかったのか。

「私、どれだけぼんやりしていたのかしら。気が付かなかったなんて……。あらやだ。執事のケルナーもそうじゃない! もう、本当になんてこと……」

 懐かしさより申し訳なさで頭を抱えるレティシアに、涙をぬぐったトエニ夫人がそっと触れてきた。

「お嬢様、覚えておいででしたか……。本当に大きくなられて……」

 レティシアは、そう言いながらまた涙を浮かべるトエニ夫人を抱きしめた。

「ごめんなさい。きっといっぱい心配をかけたわね」

 トエニ夫人は頭を振りながら、そっとレティシアを押し返した。

「覚えておいていただけただけで十分ですよ。それに、貴族令嬢が簡単に使用人に謝るものではありません」

 幼い頃はその毅然とした口調が怖かったものだが、今となってはただ懐かしく嬉しくて、おしゃまな子どものような口調で言った。

「あら、でもこれは本当に“ごめんなさい”だもの。許してくれる?」

「許すも許さないもありません。さぁさぁ、早く着替えてしまいましょう」


 その後、トエニ夫人の手でテキパキと楽なワンピースに着替えたレティシアは、昼食のために食堂に下りた。そこにはすでにラフな服装に着替えたグスタフが席に着いていた。

「お父様、お部屋をありがとう。なんだか“帰ってきた”って気持ちになるくらいよ」

 レティシアの感謝に、グスタフは鷹揚に笑って頷いた。

「でも、ケルナーやトエニ夫人のことは、前もって教えておいてくれてもよかったと思うのよ?」

「おや、思い出したのかい? さっきは全然わかっていないようだったから、忘れてしまっているんだと思っていたよ。いろいろあったからね。忘れていることを指摘するのも可哀そうでな」

「さっきはここに着いたばかりで、とても疲れていたのよ、きっと」

 揶揄うようなグスタフの口調が癪に障って、ツンとしたのだが、丁度その時、ケルナーがワゴンを押して食堂に入ってきた。


 レティシアは、改めてケルナーを見て、やはり年を取ったと思った。シルバーブロンドだった髪がずいぶんと白っぽくなり、以前より痩せたような気がする。彼にも相当心配をかけたことだろう。

「あ、ケルナー、さっきは気付けなくてごめんなさい。これからもよろしくね」

 レティシアは、懐かしさを押し隠してあっけらかんと声をかけると、ケルナーは一瞬目を瞠った。そしてぐっと歯を食いしばり、頭を下げた。

「また、お嬢様にお目にかかれたこと、嬉しゅうございます」

 少し長めの礼をした後、何事もなかったかのように、ケルナーは昼食を配膳した。


 レティシアの前には、豆のポタージュスープとジャガポテ、ベーコン、チーズ、半熟卵の全粒粉ガレット、マヨを添えた蒸し野菜に果実水が並べられ、グスタフの前にはさらにステーキとワインが添えられた。

 食べなれたメニューに、レティシアの口角が知らず上がった。


 5日間の旅の間、2人は行く先々の食堂や宿で塩味だけの食事に耐えてきた。グスタフはこれまで何度も経験していることなので、いつものようにワインで流し込んだ。レティシアには、久々に味わう筋張った硬い肉やくたくたに煮込まれた野菜の塩味スープとパンという食事が思いのほか辛く、食事のたびにげんなりとして父親を見ると、なぜか自慢げな顔で「だから言っただろう?」と訳がわからないことを言ってきた。いっそ自炊をしてはと提案したが、貴族が食堂や宿で食事ができないないなんて、どれだけ金に困っているんだと思われるだけだと却下された。貴族である以上、旅をする際は立ち寄った街の食堂や宿で食事をしなければならない。ヘリミーネの貴族令嬢教育では、折に触れ「貴族は耐える者だ」と言われて、なんとなくわかった気になってきたが、この旅でレティシアは「貴族は耐える者」を実地で学んだのだった。


 その旅の果てが、タウンハウスでの昼食である。どれだけ安堵したことか。どんなに嬉しかったことか。

 領主館でレティシア考案の料理が当たり前になりつつあった頃、以前のような食事に耐えられなくなったグスタフが、王都に出るたびに当時料理長だったロッコを伴い、王都のタウンハウスの料理人にもレシピを伝授していたのである。レティシアは、美味しいものを食べられることの幸せを改めて知った。


 食事が終わるころ、ケルナーが白い料理人服を来た男を伴って現れた。タウンハウスの料理人でエルマンと紹介された男は、キツイ目元を赤く染め、手を前で固く握りしめていた。

「お、お嬢様。……食事は…い、い、かがでしたでっででしょうか」

 目を伏せ、おどおど口ごもるエルマンに、レティシアはにっこり笑って答えた。

「とてもおいしかったわ。領主館と変わらないんですもの。大変だったでしょう? ありがとう」

 

 エルマンの頭の中でレティシアの『大変だったでしょう?』の声がこだまする。

 自分の料理を初めてお嬢様に食べてもらえた!

 美味しいと言ってもらえた!

 しかも自分の苦労を分かってもらえた! 

 最初はロッコから新しい料理を教えてもらえたが、王都と領都では簡単に行き来はできない。ロッコや領都館の今の料理長であるジークとも手紙をやり取りし、自分で試行錯誤を繰り返してきたのだ。そのことをお嬢様が認めてくれた!

 エルマンは、顔を真っ赤にして勢いよく頭を下げると、バタバタと下がっていった。そして厨房に駆け戻ってから、歓喜の雄叫びを上げたのだった。


「なんだ? いつもちゃんとわたしが美味いと褒めているじゃないか」

 エルマンの舞い上がった様子にグスタフがぼやいた。

「エルマンは、自分が作った料理をお嬢様に食べていただくことをずっと夢見ていましたから。今回、お嬢様がタウンハウスにいらっしゃることに、一番緊張していたのは、エルマンだったのかもしれません」

 ケルナーが静かにそう語った後、レティシアを見て一礼した。

「タウンハウスの使用人一同、お嬢様のお越しをお待ちしておりました」


「……私もここに来てみんなと会えて、本当に嬉しいわ」

 レティシアは、顔を引きつらせながら応えた。先刻、タウンハウスのエントランスで顔を合わせた際に同じ言葉を交わし合ったのだ。ただ、思いはまったく違っていた。先ほどは緊張をはらんでいたケルナーの言葉に、今は心からの喜びが感じられた。レティシアは、初めて来た場所への緊張とそれまでの旅の疲れで心あらずに挨拶したことが恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、同時に胸が温まって穏やかに言葉が出てきた。

「本当に嬉しい。お世話になるわね」




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