prologue ケインズの物思い
パーラー「空飛ぶリクガメ(通称ソラガメ)」のサブマネージャー、ケインズは、今しがた弾んだ足取りで店を出ていった少女に目を止めた。
(あれは、一時期王族と一緒に来ていた……)
王立学院の生徒で、何度か店に来ていたが、身分の高い貴族令息たちと同行しているにしてはいちいち甲高い声を上げて騒がしく、平民であればありえないほど図々しい、貴族令嬢としては考えられないほど厚かましい態度が印象に残っていた。男爵令嬢と聞いていたが、今出ていった姿は、見るからに庶民の格好をしていた。
「ケインズさん、2周年の記念品が届いています。確認をお願いいたします」
店の奥から顔を出した事務員に声をかけられると、ケインズの物思いは霧散し、2周年の記念品という言葉に、この店の商品開発を一手に担うもう一人の少女を思い浮かべて、自然と口元が緩んでいた。
ソラガメは、グランツ王国の王都にあるパーラーで、今年開店2周年を迎える。
王都に限らず、どの街でも飲み物や軽食、菓子などは屋台や店頭で買って、持ち帰るか外のベンチなどで食べるのが一般的で、単価が低い飲食物を店内で提供する店舗は少ない。飲食店といえば、食事だけでなく酒も出す食堂や貴族や裕福な商人が利用する値段の高い高級レストランなどに限られる。しかし、ソラガメは、庶民にとって“少々お高め”の値段ながら、他にはない軽食や菓子が明るく清潔な店内で安心して味わえる珍しい店だ。
開店した当初は、まず、既婚女性や働く女性の間で話題になった。王都の治安は決して悪くはないのだが、食べるという行為は無防備になりがちで、屋外で女性だけで飲食していると、いろいろなトラブルに巻き込まれることもあったからだ。
そもそも、昼間に食事以外の目的で入れる店がなかった。男性なら酒場に行くこともできるが、普通の女性が昼間から酒場に入ることは憚られる。ソラガメは、小腹を満たす軽食や菓子類をお茶と共に提供することで、そうした隙間を突いたともいえる。昼前に店を開け、夜には閉まるという微妙な営業時間や酒を出さないことも相まって、近隣の食堂や屋台と競合することなく、町内でも好意的に受け入れられていった。今では、学生や若者、親子連れ、老夫婦、貴族や庶民など身分を問わず多くの人が訪れる店となっている。
昨年の春先、店の商品開発責任者であるレティシア・モリンベル子爵令嬢が、開店1周年を迎えたら来店客に記念品を配ろう、と言い出した。
「お客様に感謝を表すの。例えば、2日間は、来たお客様全員に配って、それ以降は期間を区切って、いくら以上のお会計のお客様に渡すとかして、その時期だけの限定品にするの」
王立学院に通いながら季節の新作メニューを開発するのが大変で、この上、周年記念メニューを考える余裕はないけれど、何か記念になるようなことをしたい。食べればなくなるプティ・フール(一口サイズのケーキ)などの取り合わせではなく、他では手に入らない特別感があって、身近に置いて、店に来なくても店を意識してもらえる品がいいという。
話を聞いたとき、店を経営するモリンベル子爵家お抱えのカンフェル商会のレオン会長も、マネージャーのテレンスも、ケインズも、店の主だった従業員も、みな困惑した。
(また、お嬢様が難しいことを言い出した……)
食堂の周年記念など、常連客が祝い品を持って集まるのが一般的だ。周年記念の品を配るなど、まるで老舗商会のやり様だ。
大体、記念品を配るのはともかく、不特定多数の客に特別感のある品を配るなんて、どうやって数を揃えるのか、予算はどうするのだと、誰もが思ったのだ。
だが、レティシアは、すでに答えを用意していた。
前年の店の開店に合わせて、モリンベル領から王都に出てきていた木工職人に、大人の男性の掌に乗るほどの大きさの薄い木製のトレーを作らせていたのだ。
周囲が浅く立ち上がった細長い楕円形の真ん中あたりに指で円を描きながら、「ここに店の名前と1周年の記念の1を焼き印するの」と説明した。これを見本に、モリンベル領の木工職人たちに数を揃えてもらえるはずだとも。
レオンは、トレイを手に取って、矯めつ眇めつ眺めながら、不思議そうに言った。
「で、これは何に使うものなんです?」
「そんなの、なんでもいいのよ。もらった人が好きに使えば」
それまでレオンが手にしているトレイに注目していたみんなが、はぁ?とばかりに訳がわからないという目をレティシアに向けた。
物には用途がある。それに適した形と機能が備わっている。本来の目的とは別の用途に使われることもあるが、あくまでも転用であって、物自体は本来の目的のために作られている。それが、なんでもいいとかいう使用目的がはっきりしない物とは、どういうことなのか。
その場にいる者たちから追求するような視線を向けられ、レティシアは一瞬怯んだ。
「あー、小物置き? かな。ほ、ほら、いつも使うアクセサリーとか、いちいち引き出しや小箱に仕舞ったり出したりするのって面倒じゃない? そういうのをこれに入れて目に付くところに置いておけば、忘れないでしょう? ペン置きとか、あ、お茶のときにクッキーを並べて出してもいいかも。それから……」
貴族家や裕福な家であれば、身から外した装飾品や小物をビロード張りのトレーにまとめて置いてから、それぞれの小箱に仕舞うのだが、もっとカジュアルなアクセサリーや小物を置くのにちょうど良いとか、デスクのペンや書類挟みなどをまとめて置いておくとか、小皿としてとか、言われてみれば、確かに何にでも使えそうではある。
みんなが、レティシアの言っていることはこの場の思い付きだと認識しつつも、なるほどと思い始めたときに、さらなる思い付きが投下された。
「あ、見本のトレーをいくつか作るから、お店で使ってね。お金のやり取りとか、会計のところにペン置きとしてとか、いろいろ使えると思うから」
言われてみれば、レオンを初め店で働く者には思い当たるところがあった。それまで支払いの際には、小皿にシルクリネンを敷いた上に料金相当のお金を乗せてもらい、お釣りがあれば、その上に乗せて受け取ってもらっていた。貴族や裕福な商人などが利用するレストランの方式を採用したのだ。屋台のように木皿の上でコインや紙幣をやり取りするのではなく、少々お高めの高級感を出したかったので、多少仰々しくても仕方がないと考えていたが、シンプルながらオリジナルのトレーならば料金の支払いもカジュアルでスマートにできるだろう。
「それで、毎年、数量限定の周年記念品を配って、常連さんにコレクションしてもらうの」
そう楽しそうに未来を語る姿は、14歳の少女らしいあどけなさがあった。
しかし、思い付きのようでいて、長期的な販促効果を見込み、子爵領の木工産業も考えているあたり、商人としてのしたたかさを感じさせ、カンフェル商会のレオン会長、テレンス、ケインズは、レティシアを子どもとして見てはいけないことに改めて気づくのであった。
去年のそんなことを思い出しながら、ケインズが倉庫に行くと、いくつもの木箱が積みあがっていた。事務員と一緒に、蓋を開けて、今年の記念品の木製トレーを取り出すと、去年と同じ細長い楕円形で、真ん中に店名と数字の2が焼き印されていた。トレーの上下には“四肢の穴から火を噴く亀の甲羅”が回転している様子を表した、火を噴く方角が異なる甲羅が連続する絵が描かれていた。亀の甲羅だの、火を噴く四肢の穴など、言われなければわからない。芯の大きな4弁花が並んでいるとしか見えない。去年のトレーに描かれていた、首を出した亀が前足を水平に広げ、後ろ足の穴から火を噴いていた絵のほうが、まだ亀だとわかるが、亀だとわからない今年のほうが、まだまともに思えるだろうか。思わずため息が出た。
そもそも空を飛ぶ亀の魔獣など聞いたこともないのだ。開店当初は、各所から店名の由来を聞かれたが、想像上の魔獣を店名にするなんて、気が知れないとさんざん言われたものである。何を思ってこんな絵にしたのかはわからないが、もうすぐ夏休みが終わって、子爵領に帰っているお嬢様も王都に戻ってきて、王立学院の新学期と、ソラガメでの3年目が始まる。楽しみなような気もするが、やはり訳もわからず振り回されるのだろうと、トレーを見ながら遠い目をしてしまうケインズであった。
ちょっといろいろ我慢ができずに、見切り発車します。
更新は不定期になります。
よろしければ、お付き合いください。