この名故に女性寄りな創造は致し方無い~うちの由利鎌之助さん~
長身に濃い紅の忍装束を纏う。顔を見た者から性別不明な忍と言われる程に整った顔立ちと一重の若干垂れ気味な瞳に濡羽色の髪。
しなを作り女の様に細腰で歩く後姿を見れば、色忍なのかと思える程に大胆に背の開いた装束から白い肌を見せている。
此の容姿に騙され近付けば、非情なまでに惨殺されると知る者は少なく、兵達の集う戦場で真っ先に敵に群がられる鎌之助は嬉々として鎖鎌を振るう。
「なんだい?詰まらないったら、ありゃぁしないよ」
噎せ返るような生臭さが立ち込める中、詰まらなそうにぽそりと呟く鎌之助。じゃらりと鎖を揺らし、大きな鎌を一振りすればビチャリと赤黒い液体がは先から離れ土に色を付けて沈み込んで行った。
鎌之助は血を好む。よく言えば戦忍としては優秀、悪く言えば命を摘む事を心の底から楽しめる気の触れた者。
主、真田幸村様に仕えるは真田が十勇士。他国にまで知られるその存在の中の1人には違いないのだが、そんな大層な名を頂戴する程でも無いと言う。では何故かと問われれば鎌之助はいつも同じ言葉を吐く。
「アタシかい?そうさね、周りがみぃんなおっちんで、アタシにまわって来ただけさ」
戦場では身軽な方が良い。それは大層な役なんぞ付いちまったら気軽に露払いに馳せるのも難しくなる。折角の鎌を存分に振るいたいのだ。
もう1つ。鎌之助が10人に名を連ねたくない理由。それは鎌之助の過去にあった。鎌之助の生まれは武家、三河の野田城主菅沼新八郎の家臣の家に生まれ鎌之助という名では無く、幼名は八千代であった。
子は沢山居たため、名を考えるのも面倒だったのだろう。兄の幼名は七千代。所詮幼名だしとでも思っていたのだろうか。そこは謎のままである。
下級とて武士。保険の三男以降は人手不足ともなれば元服前に戦に出され、七千代も元服前に戦に駆り出され初戦で短い生涯を閉じていた。
容姿に似合わず好戦的でセンスも良かった八千代は初戦で敵陣地に単身切り込み手柄を立てた。何度か手柄を立て続けていたある日城に呼ばれた。
殿の御前にて垂れていた頭を上げさせた殿様は顔を近付け、此の者を小姓として召し上げると宣った。
美少年の小姓を性欲発散の相手として召し抱える。今で言えば上司による堂々としたセクハラ、パワハラである。八千代の年齢で言えば完全な未成年淫行。
だが年少者の中にも出世するために利用する者も少なくなく、それがまかり通っていた世の中だったので一族の者は狂喜乱舞した。
取るに足らない家の者が殿様に召し抱えられるという事は其程誉な事であったが、本人は嫌で仕方が無かった。
その日今川の元へ向かうのを拒否した八千代は言い争ううちに、この顔でなくばと閃くと躊躇なく右の額から一直線に鎖骨の上辺りまで刀傷を付けた。顔を気に入られ召し抱えると言われたその顔に傷が付き、未だ血が流れ出ている。
思ったよりも派手な血飛沫に、先程まで威圧的な態度だった本家筋の男達が戸惑い、今後の事を考えてなのか頭を抱え蒼褪める姿が可笑しくて笑みが零れた。血が流れ出る傷をそのままに血塗れで笑う八千代を見た家の者達は気が触れたのだと家から除籍した。
此の時はまだ八千代は皆の言う”正常”だった。家では重責を苦にし、死んだ事とされていて今更引き返せない。身一つ、怪我の処置もされずに家を出された事を特に恨むでもなく、殿の意に沿わない自分も悪いのだと八千代は食べ物を求め山を彷徨った。
偶然、山賊に出会い返り討ちにした八千代は山賊の棲みかを手に入れた。そして其処で囚われていた元忍という初老の男と出会う。
「武士とは、難儀な生き物よの」
元忍は八千代によくそう言った。此の忍崩れと共に過ごすうち、八千代は自分が家を出されなければならなかった事実に理不尽さを感じ、武士の命ともいう刀を捨てた。
「名を捨てた所で武士には変わらぬの」
武士言葉だと馬鹿にされれば武士の話し言葉を捨て、歩き方が武士だと言われれば歩き方も変えた。そうして武士とは逆へ進むうちに、今の鎌之助が出来上がった。自分でも気に入っていた。
完全に武家の出だとは分からなくなった八千代は、元忍が死んだのをきっかけに一人山を降りた。
八千代は食うために一先ず元忍が入り込みやすいと言っていた、勢力の拡大しつつある織田の配下の武家に属した。
此処でも八千代は男に言い寄られ散々と嫌な思いをした。だが以前と違い、武士では無ければ縛られる家も無い。
一度、しつこく待ち伏せされ薬を盛られた八千代は怒りに任せ、意識が遠のく前に相手を殺した。
流石に味方を殺したとあれば何か咎が与えられるだろうと思っていた八千代だったが、特に何も無かった。
それ処か、しつこい付き纏いの男の行為と嫌がる八千代を見ていた連中が、あれに構うと命が危ういと触れ回ったお陰で八千代は大分過ごしやすくなった。
武士を捨てたと思っていても沁みついている習慣や、幼年より植え付けられた思考は根付いているものだと思うと、八千代は敢えて女のような仕草を真似てみる事にした。
近付いて来た男は返り討ちにすれば良い。そう思うと愉しくて仕方が無かった。八千代。女の名とも取れる名を何時までも名乗っているからと言われても、気にもならなくなった。
言いたい奴は言えば良い。自分に害を与える奴は出来ないようにしてやれば良い。今まで下級武士の生き方に無自覚に囚われていた八千代は視界が開けた気がした。
ある勝ち戦の帰り道。八千代が見たのは敵の負傷兵に鎌を振り回しては血を浴びる農夫の男達だった。抑圧されている事もあったのか、人を切り刻み笑い声をあげる男達。
何故あんな風に笑っているのか不思議で仕方無かった。鎌や刃物を持っていない者達は、棒で既に動かなくなったものを叩き続ける。
それから八千代は戦が終わった後の帰り道を注意深く見ながら過ごすようになった。武士の時には決して目に入らなかった武士以外の目線で戦を見ると、なんと馬鹿らしいと思う様な争い事も多かった。
何故今まで盲目的に家の為、殿の為と思っていたのだろう。負けても勝っても帰還が叶わなければ、道端で土埃と血に塗れて息絶える。
勝ち戦であろうとも、負傷し使い物にならなければ、その後の家の存続は難しい。そして負ければ傷を負った残党は田畑を荒され家族を失った農民達によって無残な最後を迎え、身包み全て剥される。
何故今まで疑問にも思わなかったのだろう。八千代は勝鬨を上げ帰還する先頭にいるであろう騎乗の武士達を遠くに見ながら一人思う。
そして今日も戦が終わり、八千代は列の後ろの方をプラプラと歩きながら後に続く武装させられた農民達の行動を興味深く眺めていた。
ある者は泣きながら家族を返せと、ある者は怒りに任せて。皆それぞれに理由があるのだろうが、決して手柄の為、お家の為では無かった。
そして一人二人と屠るうちに皆の目が血走り、悲愴感が薄れ、ざまあみろと、何が武士だ偉そうにと、笑い声が上がる。
八千代は、あんな風に心の底から愉しいと思える事が羨ましかった。そして、武士の最期を踏みにじる様に棒や農具で打たれいく姿を見ると胸がスッとした。
農民を真似てみれば少しは分かるだろうか。八千代は何度目かの戦帰りに、良さそうな長い柄のついた鎌を見付けるとそれを得物とした。
戦場では整った顔の鎌之助は格好の餌食だった。だが、それを待ってましたとばかりに鎌先でまるで稲穂を刈る様に狩って行く。
農具で戦場に立つ奇怪な振る舞いに誰と言わず「鎌の」と呼ばれるようになると、それも良いと八千代は名を変えようと考えた。
八千代がよく耳にしたのは太郎などの郎、太助などの助が末尾に来る名だった。子の多い時代、太郎二郎と順につけて行く名前や、武士のような格式を名前に求め、の助を付けることが流行していた。
そこで「鎌の」と呼ばれていた八千代は助を付け、鎌之助とした。助を付けたのは特に理由は無かった。鎌ノ郎よりは呼びやすい。それだけだった。
だが思い返せば多分、助や郎を付けようと思った根源には、ほんの少し残っていた鎌之助の女の様に見えると言うコンプレックスがあったのだったのだろう。
「由利の家の者が、何故織田に」
ある時、鎌之助の顔を見知った男が現れた。鎌之助は自分の素性を知る男を闇に葬った。そして生前、あの忍崩れの呟きを思い出す。
『武家の出は何処まで行っても武家の出よ。血には勝てぬの』
血。ならば自分を知る者も、自分の血も絶やせば良い、と。鎌之助は手始めに自分を家から出せと声を荒げた本家の門を潜った。
元々人を殺す事に躊躇は無かった。ひとり、またひとり。鎌之助は自分の血筋を手に掛けて行った。
「…嗚呼愉しいねぇ」
血溜まりでそう呟いた鎌之助の口元は綺麗な弧を描いていた。自分を家から出せと言った男の妻は刃を向けられる理由も分からず蒼くなりながら朽ち果てた。子も泣き叫び息絶えた。其の家主は恐怖に震え涙を零し許しを請いながら死んでいった。
「鎌之助?アタシだと?!武家の出がその様な…」
「其の家をおん出したのはアンタ等だろぉ?殺す前に、ひとつ礼を言わなくっちゃぁねぇ」
最後に鎌之助は自分の生家に足を向けた。静かにそれでも最期、八千代と名を呼び息絶えた母。罵声を浴びせながら見開いた目を閉じる事が出来なくなった兄妹。自分の付けた名を叫び怒りながら床に倒れた父の下からは、どろどろと赤黒い液体が広がり畳に染みて行った。
「鎌の、其方が八千代、とは」
息絶えたと思っていた比較的仲の良かった3番目の兄の横を通り過ぎた鎌之助は、か細い声で名を呼ばれ視線を落とした。
刹那、暗闇を一筋の光が分かつように走ると今し方自分が作った血溜まりが水鏡の様に鎌之助を映す。揺らめく赤黒の中に見えたのは、いつか見た農夫と同じ笑み。
笑っていたのか。雷鳴は止み、水鏡もただの黒い血溜まりに戻る。暫く呆けた様に立ち尽くしていた鎌之助の中で、赤黒い波に全身が染まって行く様な感覚に恐怖ではない何かがザワザワと湧き出て来た。
ぴちゃり、刃先から粘度の増した滴が零れた。その音に我に返った鎌之助は小さく息を吐き、ビュっと音を立て鎌の先を大きく振る。
「嗚呼嫌だ。薄気味悪いったら無いやね」
鎌之助は呟き、それから間もなく織田に仕えていた家が途絶えると、鎌之助も元の家との繋がりを懸念し織田から姿を消した。
「大体さぁ?こぉんな恰好の忍を、よっくもまぁ旦那は飼っていなさるたぁ思わないかい?」
「そう思うなら着替えろよ」
「見目なぞ如何でも良い、働け」
呆れ顔の上役と、唯一見えている目を細める同僚。鎌之助は大きく欠伸を洩らすとだらりと両足を床に投げ出したまま、上体を逸らす様に両腕を床に着く。
「働こうにもさぁ、この雪じゃあ何処も仕掛けて来やしないじゃぁないか…嗚呼暇だぁねぇ」
男か女か。この二人は気にも留めないと言った風で、一度も尋ねられた事は無い。興味も無いのだろう。だから居着いちまったのかねぇと鎌之助は天井を見上げた。
「あのさぁ。血浴びるだけが忍の仕事じゃねぇんだよ。ほら、さっさと立つ!」
言っても仕方ないと諦めているのだろう、無言の才蔵。だらだらするなと佐助が言えば、鎌之助は大袈裟に溜息を吐いてのっそりと立ち上がった。
「あーあ。誰か主と間違えて小助の命でも狙ってくれりゃあいーのにねぇ」
「なんだよ、それ!やだよ!」
チラと視線を投げられた小助は思い切り顔を顰める。渋々といった感じで立ち上がった鎌之助は、それでもまだ仕事をしたくないのかブツブツと文句を言いながら外を見る。その後ろ頭に才蔵は竹簡を投げた。
「アンタ。こんなもん、ぶっつかったら痛いじゃないのさ」
これもいつもの事で、振り向きもせずに片手で竹簡を取った鎌之助は大袈裟に非難する。が、才蔵は無言で仕事を続けていた。
「…こりゃあ殺しちまっても良いのかい?」
竹簡を見ていた鎌之助は、ついと其れを懐にしまうとニンマリと笑みを浮かべた。三人を遠巻きに見ていた他の忍は各々静かに溜息を洩らす。一番大きく息を吐いた佐助はこの忙しいのに仕事を増やすなと鎌之助を見た。
「良い訳ねーだろ。ほら、さっさと行くっ!んでちゃんと息してる状態で。話せる状態でっ」
始末するだけなら何もお前が行かなくても良い。皆口には出さなかったがそう思っていた。それでも鎌之助は諦めずに、佐助の言った事を反芻していた。
「話せて息してりゃぁ良いってこったね?」
「五体満足でお連れしろ、無理ならば他の…城壁整備等如何だ」
振り返りそう言った鎌之助に才蔵は筆を止め鎌之助の方を見て、絶対に行きたがらない仕事を振ろうかと提案する。
「嫌な男だねぇ。行きゃぁいーんだろ、行きゃぁさ」
思い切り顔を顰めた鎌之助は仕方が無いとまだブツブツ言いながら出掛けて行った。才蔵に報告を上げに、真田の上忍達が詰める離れに来ていた忍は真田十勇士に憧れて配属願を出したのに思っていたのと大分違うと小さく溜息を洩らした。
該当者を連れて来た鎌之助は、其れをポイと先程の離れに投げ入れると次の仕事を押し付けられる前にと城の樫の木の枝葉に隠れる様に座っていた。
この木もあれから随分と伸びたもんだねぇと葉の隙間から差し込む陽射しが眩しいとを閉じた。
「其処で何をして居る?…鎌之助か」
まだ、この木が今より低く屋敷の屋根まで木陰を伸ばしていなかった頃。何もする事が無く今日と同じ様に幹に身を預けていた鎌之助は、その下で槍を振るい汗を撒き散らし大声を上げながら励んでいた若き主が、汗を拭いながら自分の座る木を見上げて名を呼ぶ事に驚いた。
「何って、御武家様が狙われないよぉに見てたんですよ」
「そうか。其れは礼をせねばな」
サボりを堂々と護衛の為と言い切った鎌之助に、幸村は屈託なく笑うと饅頭でも食うか?と鎌之助を的確に見ているように視線を上げた。
目が合う訳がない。気配が分かっても居場所までは分からないだろうと思っていた鎌之助は、この風変わりな主の側へと降りた。
「そんな事言って、まあた真田忍の長や親仁に怒られっちまいますよ?」
「其方は、随分と高く登れるのだなぁ」
自分の側に忍が現れても眉一つ動かさず、平然と鎌之助を見た後で主は額に手を翳すと樫の木を見上げた。
「あの上からは、此処はどの様に映るのか」
視線に気付いたのか、興味深さを映した瞳を自分に向ける。鎌之助はやれやれと肩を竦めると、ひょいと主の体を肩に担ぎ地面を蹴った。
一瞬力んだが、その後はされるがままに身を預けていた幸村はごぉと風の音が止むと細めていた目を開けた。
「ほお。此れは見事。彼方は父上の居城か。此処まで登れる程回復したのだな。良かった」
臆する事無く忍に抱えられ屋根よりも半鐘場よりも高い場所で楽しそうな声を上げる主。鎌之助は良さそうな枝を見繕い、主を其処へ降ろした。
周りを見回していた幸村は、少し離れた場所で自分を見ている鎌之助を見て忍にあるまじき言葉を掛けると、徐に姿勢を正して頭を下げる。
「何だってんだいな?一体。そんな事したら、アタシ迄あの親仁に叱られっちまわぁね」
忍に頭を下げる等。先ず屋敷を預かる様な位の者が軽々しく頭を垂れて良い物では無い。武士として、次男であれど厳しく躾けられているであろう主の行動に鎌之助は眉根を寄せた。
「此処には易々他の忍は来ないであろう?其れゆえ六郎に叱られる事も無いと思ったのだ。屋敷に居っては悪いと思うていても、謝る事は憚られた故な。良い機会と思った迄」
頭を上げた幸村は嫌そうに顔を歪ませる鎌之助を見る。何を言っているのかと首を捻る様子に、幸村はきょとりと睫毛を瞬かせた。
「初見の時分、鎌之助をおなごと思って、すまぬ」
ずっと言いたかったのだと幸村は申し訳なさそうに鎌之助を見た。見られた鎌之助はそんな事を今まで気にしていたのかと目を見開くも、直ぐ元の顔に戻る。その表情に幸村は愉快そうに笑う。
「ははは。それとな、俺の前では繕わずとも良い」
「そうかい?そんじゃあまぁそうさせて貰うよ。別に気にしちゃあ居ないさ。忍なんてもんは男や女に重きを置かないからねぇ」
鎌之助の言葉に幸村は安堵したのか表情を和らげた。本当にくだらない事で気を病んでいたのかと鎌之助は目の前の武家の者をじっと見た。
「鎌之助。其方傷が癒えた後は何処へか行く宛ては有るのか?」
久々の負け戦で瀕死の鎌之助は、農民共に打ち殺される苦痛よりは瞬時に食い殺される方が良いと山に登った。
そこで目の前の男に会い、怪我をした女と周りの説得も聞かず連れて来られた事を思い出す。与した家は滅んだのだろう。
「行く宛て。そうさねぇ…またどっかの戦場で良さそうな家を探す積りだけんどさ」
「そうか。ならば真田は如何だ?」
何処に行くとも定まっていない鎌之助の口振りに、幸村は大きな瞳を更に大きくし提案して来た。
「アタシが、アンタに就くって事かい?嫌だよぉ、先までアンタは敵方だったじゃないのさ。寝首かっさらわれるたぁ思わないのかい?」
「ははは。俺の首級一つでは、持って行っても未だ価値は無いぞ?此処に居て、存分に価値が出た後に持って行け」
呆れたように答えた鎌之助に、幸村は楽しそうに笑う。その後の提案に、鎌之助は自分よりもぶっ飛んでる男が居るとはと驚いた。
「…そんな事言っちまって良いのかい?」
「構わぬ。だが、俺とて易々首を差し出す積りは無いぞ」
ピタっと音を立てて自分の首筋を叩いた幸村は、真面目な顔をすると呆れた顔のままの鎌之助を見た。
「正直に言えばな。俺は嫡男では無く碌もほぼ無い。其方達には苦労をかけるであろう。だが必ずやこの首、一国の価値のある物と成程に奮う積りだ」
「そうかい。そんで、立派な城でも建てるのかい?」
ぶっ飛んでいても武士には変わりないその目標に鎌之助は詰まらないねぇと眉を下げる。だが、幸村の思いは鎌之助の想像していた物とは違っていた。
「立派な城等不要になる程に太平の世を作りたい。見えるであろう、此処は山に囲まれた領地。故に広くは無い平地に作物の実りも一定で無くば山の恵みに頼る他ない。山が痩せれば食えぬ者も出て来る」
幸村は鎌之助にも見える様にと近くの枝を手で押しやり、眼下の田畑を差した。成程、山に囲まれ良い立地とは言えない。
天候で左右される事も多いのだろうと鎌之助は豆粒程の人々が散らばっている茶色の地面を眺めていた。
「農民が、飢えぬ暮らしが出来るようにするって事かい?アンタの贅は?他の国に聞こえし家の名、お父上の誉は?負けじと栄華は誇んなくって良いのかい?」
家の為、殿の為。自らの贅沢の為。その思いは無いのか?鎌之助は不思議に思って目の前の男を見た。まだ元服も済んでいないのか?と思う位の若い男。だが堂々と語るその顔は少しの動揺も見せず、不要と首を横に振った。
「太平の世にすべく、必要となるならば城や家の名も要するが、俺の贅は不要であろう。贅か…なれば、あれに焼いているであろう芋が良いな」
幸村は再び枝をかきわけると、落ち葉でもを燃やしているのであろう燻った色の煙が上がっている方を差す。
「芋、って言ったのかい?アンタ」
「知らぬのか?あれは存外旨いのだぞ?」
呆れた声を出した鎌之助を振り返った幸村は、寒い中で熱々の芋を頬張る贅沢を鎌之助が知らないのなら今度芋を焼いてやろうとにっこり笑った。
そんな事を思い出していたからだろうか。煙の臭いがすると鎌之助は目を開けた。身を起こし臭いの元を探すと、下に居た主が幹を見上げる。
思い出の主より背も伸びた青年は、鎌之助の名を叫ぶ事は無く此方に向かって小さく手招きをした。
「如何だ、鎌之助。今年は良き芋が採れたそうでな。きっと旨いぞ」
「けんどさぁ、今時分に煙上げちまったら親仁に叱られるんじゃぁないかい?」
背丈は伸びても行動は変わらない、顔に煤を付けながら笑う主。今は書を記す時間だった筈だろうと呆れ顔で主を見ると、主は思い切り眉を下げた。仕方ないねぇと鎌之助は主を肩に担ぐとグンと腰を下ろして高く跳ぶ。
「ほぉ。此れは絶景。何時振りか…。あの山は富士か!」
絶景と瞳を輝かせ周りを見るその姿も以前と同じ。鎌之助は幹に寄り掛かると楽し気な声を上げる主を見ていた。
「まだやらぬぞ」
振り返った主は、自分の首に手を当てると楽しそうに鎌之助を見ながら言う。
「そうさねぇ、主はまぁだ芋の焼き具合が下手だしねぇ。アタシがくたばる前には何とかしとくれよ?」
鎌之助は一瞬目を見開くも屈託なく笑う主を見て笑みを浮かべた。
お読みいただきありがとうございました。
連載の方での鎌之助が気になると言われたので鎌之助さんを短編にしてみました。
鎌之助:肩甲骨の下程迄ある濡羽色の緩い巻髪。忍衣装を着崩し、後ろは背が見え、前はホルターネックの下穿きを見せている。丁度浴衣の上半身を肘程迄下げたような恰好。気分によって肩を覆うように着たりもする。
長身、一見女性にも見えるがよく見ると逞しい。垂れ目だが猫顔。
コメント、評価等いただけると大変嬉しいです。お待ちしております。