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忘却のグレーテ  作者: だい
第一章
2/116

迫害の村ウェーゲ

「着いたね。」


ジャックが笑みを浮かべて言った。


「ちょっと、お兄ちゃん!待ってよー!」

「早く来いよー!」


広場では、子どもたちが追いかけっこをして遊んでいた。

幼い声が夕空に溶けていく。


「フフッ」


「ん?どうしたんだい?」


「いや、もっと怖い場所なのかなって、そう思っていたから」


「そんなことはないよ」

「この村はね。王国から迫害を受けた人たちが集まる村なんだ」

「一見、危険な所と思われがちだけれど、そうでもないんだよ」

「この村の名前はね。『ウェーゲ』っていうんだ」

「この国の言葉で『道』、迫害で居場所を失った者たちが新しい生き方を求めて辿り着いた村なんだ....」


「へ~。そうなんだ」


(悪いところではなさそう……でも、村の人がこっちを見てる。この病院服じゃ、目立つよね......)


「ところで、ジャックさん――」


「ジャックでいいよ」


「うん……。じゃあ、ジャック」


私は少し間を置いてから尋ねた。



「あのさぁ........今夜の宿代とかって……あるの?」


「ん? ないよ。」


「……そっかー......」

「……えっ?」


「じゃあ、お金がなくても泊まれる場所があるの?」


「ハハッ、そんなところはないよ」


「え?じゃあ......どうするの?」


「そうだねぇ。どうしようか.......」


「どうしようか.......って、えー.......」


ジャックは顎に手を当てて考え込んだ。


「困ったねー......」


(え、この人に、付いて行って本当に大丈夫なのかな……)


不安が胸の奥を締めつけた。

けれど、それでも立ち止まる理由もない。


(あっ......そうだ)


私はポケットから青い花柄のヘアピンを取り出した。


「これって、いくらかで売れたりする?」


そういって、ジャックに手渡した。


「ん?」


ジャックはそれを月明かりにかざして眺めた。


「これは良い品だね。きっと良い値で売れる。いいのかい?」

「でも、大切な物なんじゃ......」


「そうかもしれない.......」

「……でも、私、何も覚えていないの……」

「.......だから、いい.......」


「そうかい......」

「じゃあ、さっそく質屋に行こうか」


「うん」


質屋


「チリン、チリン」(ベルの音)


ドアのベルが鳴り、スキンヘッドの大柄な男が顔を出した。


「……すまんが、今日はもう店じまいだ」


「そう固いこと言うなよ」


ジャックはそっとペアピンを店主に差し出した。


ジャックが声を落として囁く。


「これ、いくらで売れる?」


「ん? ほぉ……これは良い石を使っている。しかもかなり精巧だ」

「魔法石ってわけじゃなさそうだが……。なんだ?」


店主は虫眼鏡を取り出し、ヘアピンを眺めながら続けた。


「で、これをどこで手に入れたんだい、お嬢ちゃん。身なりも珍しいし、異国の者かい?」


「まぁ、それはいいだろう。」とジャックが遮る。

「で、いくらだい?」


「百二十五ベルクってとこだな。どうだい?」


「決まりだ!」


「毎度あり」


その後、宿屋へ向かった。


宿屋ポパイ


宿は赤レンガ造りの可愛い建物で、大きな看板に『ポパイ』と書かれていた。


「チリンッ...チリンッ...」(ドアベルの音)


「いらっしゃい」

「ようこそ宿屋ポパイへ。宿屋の店主、バーバラです。お二人様でしょうか?」


「そうだよ」とジャックは応えた。


少しふくよかで穏やかな笑みを浮かべた女性。

その雰囲気は不思議と安心をくれた。


「それでしたら一泊二十四ベルクです。ご夕食はお済みで?」


「それが、まだなんだ」


「それでしたら、ご食事込みで三十ベルクのところですが、今回初めてのお客様!ということで二十六ベルクに負けさせていただきます!」


「それは、助かるよ!」


「毎度あり!」


「それでは、そちらの階段から二階に上がっていただき、一番奥のお部屋となりますので」

「ご夕食は後ほどお持ちしますね」


「ありがとうございます」


「いいえ。他に何かございましたら、お気軽にお申し付けください」


「........」

「あのー.......」


「はい」


「この辺で服屋さんって.......ありますかね?」

「この服......目立つみたいで.........」


「ちなみにお手持ちはおいくらほどに?」


「九十九.....ベルクです」


「そうですか.........」


「あっそうだ」

「昔、娘が着ていたものがあるかもしれません」

「後でお持ちいたしますね」


「いいんですか!?」


「ええ。大したことではありませんよ」


「ありがとうございます」


バーバラさんに感謝し、部屋に向かった。


「ギィー.....」

建物は古く、階段を上ると軋む音がした。


「ギィー.....ガガガ....」(ドアを引く時の音)


部屋を開けるとベッドが二つあり比較的質素な感じだった。


「ここが今夜泊まる部屋だね」とジャック。


「うん.......」


「どうしたんだい?なんだか不安そうな顔をして」


「あのね。ジャックはわかっていると思うけれど、私、寝てしまうと記憶なくなっちゃうんだよね........」

「だから..........」

「お兄さんのことも、あなたのことも..........」


「そうだったね。あれを説明しておかないと..........」


「コンコンッ」(ドアのノック音)


「またあとで」


「うん..........」



「失礼します。バーバラです。夕食の準備が整いました」

「大変、質素なもので申し訳ございません」

「村ではしばらく飢饉が続いておりまして..........」


野菜のシチューとパン。飢饉の中での温もりが、湯気とともに漂う。


「あとこちら、お召し物です。娘の服なのでサイズが合うといいのですが........」


控えめなデザインのピンクのドレス。

バーバラさんは微笑んだ。


「おー、良いドレスだね。きっと似合うよ。さっそく着てみて」


「えっ……」


「あっ!……ごめん、ごめん。」とジャックが慌てて言った。


「ありがとうございます!」

「あとで試着させていただきます」


「はい」

「大したことではありませんよ......」


バーバラの過去


「それにしても、娘さんがいるんですね」


「.....はい」

「でも、居た.....が正しいでしょうか......」


「えっ......」


彼女は静かに語り出した。


「ある日、王国軍が私たちが住んでいた村を襲ってきましてね」

「私たちは命からがらなんとか逃げた」

「けど……娘は傷が深くて、私は助けられなかった.......」

「赤毛の、心優しい子.......だった.......」


「そんな……」

「そんなに大切なものをっ」


「いいんです。使ってあげてください」

「あの子が今居たらきっと『そうしてあげて』って言うと思うんです」


「そう........ですか....」


「........それでは、ありがたく使わせていただきます」


「フフ.....よかった。ありがとう……」


「いいえ」


そして、彼女は続けた。


「この村にはね。国から迫害された者が多いんです」

「一見、普通に見えても心に深い傷を負っているいんです......」


「そうなんですね.....」


「ええ......」


「あの......一つお願いが」


「はい。私にできることなら......」

「ここまでして頂いたのに何にもしないって訳にはいきませんので.......」


「......ありがとう......」


「すみません。嫌だったら断ってください......」

「少しの間だけ、お嬢さんを抱きしめさせてもらえないでしょうか.......」


「........」

「えっ……」


「ごめんなさい……」

「私ったら、何を言っているの.......」


「やっぱり、忘れてください......」

「......ごめんなさい。失礼します......」


バーバラさんはそう言い、後ずさりしながら部屋を出て行こうとした。


後ずさりするバーバラさんに私は抱きついた。


「えっ........いいんですか.......」


「はい!」


バーバラさんからはどこか安心するような優しい香りがした。


「ありがとうございます」


そう言って、バーバラさんは優しく私の背中に腕をまわした。


暫くの間、優しい時間が流れた。


「あなたの目......娘にそっくり........」

「綺麗な目.......」


彼女の腕はとても震えていた。


「ごめんね、リディア……」


「痛かったよね......辛かったよね.......」


「なんで.......なんで私だけ生きているんだろうね……」

「私は、これから何のために......」

「何のために......」


「........っうううっ.........」


ずっと一人で我慢してきたんだろう……

誰にも打ち明けられず、ずっと、ずっと一人で.......


私は彼女に対してどのような言葉をかけてあげるべきなのかわからなかった。

せめてもと思い、更にギュッと抱きしめてあげた。


「ありがとう.......本当にありがとう......」


「........っうううっ.........」


「ごめんなさい、取り乱してしまいました……」


「いいんです」


「失礼します......」


バーバラさんはそう言って部屋からそっと出て行った。



夜の対話


「酷い.....酷すぎるよ......」


「キミはそう思ったんだね」


「ねぇ、ジャック......どうして王国はそんな酷いことをするの?」


「すべて、キミのお兄さんを連れて行った悪い魔女のせいさ......」


「どうゆうこと?」


「この国の国王はね。その魔女の言いなりなんだ」


「魔女の.....」


「うん」


「じゃあ、誰かがその魔女を倒してくれたら......」


「ハハッ、他人事みたいに言うね。キミが倒すんだよ」


「えぇ!? 私がっ!?」


「ん?」

「キミはそのために来たんだろ?」


「聞いてないよーーー!」


「ねぇ!来る前にちゃんと説明してよ!」


「そんな時間はなかったし、説明してもきっとキミはきっと理解できなかっただろうし......」


「まぁ、でもまぁ、もう遅いよ」

「来ちゃったんだから」

「ハハッ」


「来ちゃったんだからって!」

「もーー!」


「ハハッ」


(何なのー!)


「私、それ聞いていたら.....」


「聞いていたら、やめていたかい?」

「キミは眠りにつき、お兄さんを忘れ、すべてを忘れ......」

「そして、キミは何も変化のない日々を送っていたかもしれない.....」


「それは、キミにとってどうなんだい?」


「それは........」


「まぁ、その話はまた明日だ」

「それで、さっきの続き......」


記憶の砂時計


「確認だけれど、キミは寝てしまうと記憶を忘れてしまう」

「合っているね?」


「覚えていないですー!」

「だって、それ自体覚えていないんだもんっ!」


「ハハッ」


「笑い事じゃあないよー!」

「どうするのー?」


「んー….. 」

「説明しようと思ったけど......」

「やっぱりやめた」


「はぁ?」

「なんでっ!?!」


「説明しても、きっとキミは理解できないだろうからね.....」


(バカにしやがってっ!)


「説明してよっ!」


「だから、僕はやめたんだ」


「何で!」


「食事を終えて、寝る準備を整えてからまた僕に声をかけておくれ.....」


「も~!」


(説明ぐらい直ぐに終わるでしょっ!)


寝る準備を整え、ベッドの上で正座をした。


「はい。どうぞ......」

「さっさと教えてくださいな......」


死んだ魚の目をして淡々と聞き入れようとした。


ジャックは「はいはい。」という感じで面倒くさそうに帽子から何かを取り出した。


(なんだコイツっ!)


ジャックは私のベッドに上がり、私の目の前に何かをかざそうとした。


「さあ、これを見つめて.....」


(ん?何?砂時計?.......砂は落ちないし......)

(変.......なの.......)


視界が揺れ、急に眠気が襲ってきた。


「また明日だ……グレーテ。良い夢を」


翌朝


小鳥のさえずりとともに目を覚ました。


「ここは?」


目を覚ますと窓の下でこちらのニンマリと見つめる白髪の男が壁を背に座っていた。


「キャーーーー!」


「おはようグレーテ。起きたんだね」


「そっかー。これから毎朝、キミの奇声から始まるんだね........」


「あっ.....あっ.....あなたは!?ここは?ここはどこ?」


その男は何かを手に持ち、私に近づいた。


「わぁ......わぁ........誰?!来ないで!」


「グレーテ.......」

「取り戻すんだ」


「なっ!何?」


掛布団に包みながらも、恐る恐る彼が手に持つものを見つめた。


「............ジャック?」


「ああ。そうさ」

「思い出したんだね」

「成功さっ!」


「私、昨日のこと、覚えてる?」


「うーん。正確に言えば違うけれど.....」

「今のキミの状態はそうとも言える」


「ふーん.....」


………


「えっ!私......覚えてるの?!」

「昨日のこと.....」

「あれ、昨日のこと…..なんだ......」


「へー。これが記憶なんだねっ!」


(覚えている.....覚えているんだ.....私.....)


ベッドの上で飛び跳ねながら喜んだ。


「そうだね」


喜んだ後、出発の準備を整えた。


バーバラさんから借りたピンクのドレスはサイズがピッタリだった。


「どう?かな?」


「とっても似合っているよ!」


「そう?」

「ふふ.....」


朝の騒動


「さぁ、朝ごはん食べに行こ!」


「あぁ」


食堂には豪華な朝食。

だが、バーバラの姿はなかった。


そこへ村長が飛び込んでくる。


「女将さんを知らないか!? 軍に連れて行かれたと聞いた!」


「えっ……!」

「バーバラさんのこと?」


「そうだよう。この村で女将さんはバーバラさんだけさ」


「もし見つけたら知らせてくれ」


村長が去ると、私はジャックに叫んだ。


「バーバラさんを助けないと!」


「うん」


広場の救出劇


広場では兵士が剣を掲げ、バーバラを縛っていた。


「出てこい! 加担した者は誰だ!」


「バーバラさんっ!」


彼女は首を横に振る。

“来るな”という合図。


(そんなの、できないよ!)


「あなた方がどんなに偉くても、バーバラさんを放してください!」


「貴様だな! 捕らえろ!」


「もう……キミって子は。」ジャックが苦笑する。


「僕に任せて。」


彼は広場の中央へ出た。


「皆様ー! 道化師のジャックがお見せしましょう!」


手拍子が広がり、空気が変わる。

ステッキが花束に変わり、帽子の中に吸い込まれる。

次の瞬間、兵士たちの頭に花の輪が咲いた。


「おぉーーー!」


「ふざけるなっ!」


そこへ馬の蹄の音。

「そこまでにしておこうか。」


現れたのは、自警団のロジャー。


「国の謀略に逆らい、罪なき民を守る――それが我らだ。」


群衆が沸く。

兵士たちは舌打ちしながら撤退した。


そして、別れ


「バーバラさん! 大丈夫ですか!」


「もう、あんた! 危ないことをして!」


「ごめんなさい。でも放っておけなかった。」


「……ありがとう。」


ロジャーが小袋を渡す。

「謝礼だ。少ないが受け取ってくれ。」


手のひらに、ずしりとした重み。


(クローバーの色が……また褪せている。)


「すみません。行かないと。」


「わかってるよ。……お弁当、作らせておくれ。」


市場と酒場


買い物の途中、雑貨屋でマジックバッグを探す。

強い闇属性の魔力を測る玉が割れ、店主が驚く。


「こりゃ玉だけにたまげた!」


笑いを交えつつ、バッグを手に入れた。

そしてバーバラへのお礼に、赤い髪飾りを選ぶ。


酒場では、女主人メアリに出会った。

魔女を探すと言うと、店の空気が一変する。


「正気かい? あの魔女は国王すら操ってるって噂だよ。」


「兄が捕まっているんです。」


「家族は……何よりも大事にしな。」


彼女は通行証と地図を差し出した。


「商業都市スフィアに行きな。何か掴めるかもしれない。」


出発


「バーバラさん、ありがとうございました。これはお礼です。」


「わぁ、赤い髪飾り……綺麗だね。付けてくれるかい?」


「はい。」


「どう? 似合う?」


「とっても。」


「ありがとう。……また帰ってきなよ。」


「はい!」


バーバラの温かい笑顔を背に、私たちは村をあとにした。


「グレーテ。……本当の名前は伏せておいた方がいい。

どこに魔女の手先がいるか分からない。」


「……わかった。」


(ジャックは、何かを知っている。

でも――それより、バーバラさんのお弁当が楽しみだな。)


風が二人の背を押した。

そして、彼らは商業都市スフィアへと歩き出した。

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