社会人、異世界転移する
「どうよ、人生最後の楽園を追放された気分は」
四月一日になると社会は新しく始まるらしい。
三月三一日の深夜。そんな不安に囲まれた俺達は明日も早いというのに駄弁っていた。
「そういうのは高校生までに卒業しておけよ」
「ククッ、未だわれは学生……社会の歯車ないしお荷物ないし有象無象の一つへと成り下がった貴様の言葉など響くことなどない」
我ってなんだ我って。
魔王感を出しているが彼は大学院に進学し、残り二年の学生生活が待っているというだけ。
「言い方は悪いが社会に出るのを先延ばしにしているだけだろ」
「何を失敬な。元々それが目的だ」
「より悪いわ」
まぁ、その二年が人生で一番きつい時期だったとも聞くし本人がいいんならいいのだろうけれど。
「そろそろ切るか。貴様明日も早いだろう?」
「……いや、もうちょっといいだろ」
確かに明日は早い。引っ越しも済んだとはいえ道も覚えていない。できるだけ早く行くとして一時間前には準備を済ませるにしても、寝れる時間はあと5時間そこらといったところだった。
「貴様、この期に及んで学生に戻りたくなっているのではあるまいな?」
図星だった。
なあなあで済ませた就活も卒業式は知らない間に過ぎていった。めくられていくカレンダー、眼前に現れた四月という文字に実感が湧いていない。
本当にこれで良かったのかという不安は誰しもあるものというが、やはりそれは辛いもので。
気がつけば連絡を入れていた。
「だな」
「人間誰しも慣れる。耐え忍んでいればすぐにな」
人生経験が豊富なわけでもないけれど、そんなことくらいすぐに分かる。冬の体育がどれだけ嫌でも運動してれば暑くなるし、クラス替えがどれだけ怖くても、一ヶ月もすれば仲良く駄弁ってる。
確かに新しい生活というものに俺達は幾度となく慣れてきたのかもしれない。だけれど、冬の外への扉を開けるあの瞬間に、新しいクラスのドアを開けるあの瞬間に小さな葛藤が無かったといえば嘘になる。
どれだけ大丈夫と言われても、怖いものは怖いのだ。
「さっさと寝ろ。何事もなく過ごしたいのならばそれが先決だ。まぁ、辛くなったら連絡を入れろ」
何も言わせてはくれずに、彼は通話を切った。オンラインの緑が灰色に変わる。
ヘッドセットを外し惰性で流していた音楽から遠ざかる。耳に籠もっていた熱が外に逃げる不快感は既に無い。
暖かくなっている。時間は過ぎてしまったということなんだろう。
「社会人か」
自分に馴染みのない言葉だった。それでも過ごしやすい空気と深夜あまりに静かな空間が、その認識を綯い交ぜにしてくれて。
自分で虚につぶやいたその言葉で、やっと俺は大人になったんだと自覚する。
「寝るか」
日々のルーティーンやノルマをこなすように、抵抗なく寝床についた。
不安は少しだけ軽くなっていた感じがした。
「……は?」
目を覚ますと俺はベンチに座っていた。
身につけていた服も高校時代のジャージではなくなって、枯れ草色のシャツになっている。
流石に夢と思いたいけれどあまりに体を動かす感覚が鮮明だ。
座っている場所も何やら公民館のような場所だ。まばらに人が集まっている。
「……ん?」
だが、良く見れば人型ではあるがなにか変だ。
耳が長いブロンドの髪に身に着けた鎧、背中に背負うのはその体に不相応な大きさの斧。
あれはもしかしたら。
「起きられました?」
掛けられた声、その方向を見ると側に女性が立っていた。
「あの、ここって」
「城塞都市リヴァリード、その一区画ノーズリー区の区役所になります」
当たり前のように、その人はそう説明をする。しかしその口調とは裏腹にプンプンと怒っていた。
「そうそう、あなた夜更かしをしましたね? そのせいで空間の転移があまりうまくいかず、睡眠状態のまま送られてきたんですから!」
未だ寝ぼけてぼんやりとする頭で必死に考えるも出てきた言葉は、
「……何を仰ってるのかさっぱり」
だが、その瞬間ハッとした。良く見れば建物は西洋風、そして何故か通じる言語。
これはまさか、異世界転移というやつなのでは……!?
その女性の両肩を掴んで迫る。
「あの、まさか俺、前の世界で死んだんですか?」
「いえおそらくそのまま転移されてきただけなので」
そりゃそうか。だって俺寝てただけだし。
「じゃあ、なんで俺」
当たり前の疑問だ。
だいたいこういうのは神様とかが絡んでいるんだ。どうもこの人は神様には見えない。
異世界転移なんてこんなもんか。トラックに引かれただの、通り魔に刺されただのしなかった分、自分の体のまま来れたみたいだし。
しかしその女性は何事もないかのように言う。
「年度末調整です」
「……はい?」
「人口が足りなかったので、いろいろな世界から人材を引っ張ってきたんですよ」
驚嘆の声は声にはならず、事務的に答える女性は何故かため息を吐いた。
あんなに不安だった新生活、やはり迎えてみればなんてことないのかもしれない。
……多分。