災厄の種 (6)
そこでリヒャルトは、改めてランベルトにアントノワ侯爵とはどんな人物なのかと尋ねた。そして、ランベルトにとっては恩人だと知った。数年前に疫病が流行したときにハーゼ領とクライン領の被害が国内でも目立って少なかったのは、アントノワ侯爵の助言あってのことだと説明されたのだ。
それを聞いて、ニナに対するリヒャルトの疑念はさらに膨んだ。
娘の知り合いというだけのつながりしかないような他国の領主に、わざわざ助言を与えるほど高潔な人物が、ニナが言外にほのめかすように兄から当主の地位を奪い取ったり、兄の娘を引き取った上に虐げたりするものだろうか。しかも最終的に縁を切っている。それくらいなら普通は、最初から引き取らずに放置するだろう。
だから何度目かの「偶然」でニナとふたりで顔を合わせたとき、リヒャルトは彼女に尋ねてみたのだ。
「ねえ、もしかしてきみは未来に起きることの筋書きを知っているの?」
するとニナは「不憫でけなげ」な雰囲気を一変させて、やさぐれたような声を出した。
「えええ。なーんかおかしいと思ったら、リヒャルトもテンセイシャだったの?」
「ううん、僕は筋書きは知らないよ」
「そりゃあ、女性向けのゲームだしね。だけど、そういうのがあることは知ってるわけでしょ」
「うん」
「あーあ。がっかり」
リヒャルトは「テンセイシャ」が何だかわからなかったので、肯定も否定もしなかった。が、それでもニナはリヒャルトを「テンセイシャ仲間」と認定したようだ。
リヒャルトはリヒャルトで、胸の内でニナを「未来を視る者」と断定した。
「イチ推しのジョゼさまはリヒャルトルートを進めないと会えないから頑張ってたのになあ」
ニナが何を言っているのかさっぱり理解できないものの、何となく自分が標的にされていたらしき気配だけは感じ取り、ひやりとした冷たいものがリヒャルトの背中に流れて行った。しかしそんな内心はきれいに隠し、何げない口調で言葉を返す。
「でも僕の知り合いにジョゼなんて名前の人はいないよ」
「だよねー。知らないうちにシナリオ改変しちゃったんだよ、きっと。もうリヒャルトルートは捨てて他に行こうっと。今度は邪魔しないでよね!」
「今度は」も何も、もとより邪魔などしたことがない。挙げ句に気に入らないおもちゃをポイ捨てするかのようなこの扱いに、リヒャルトはどこか釈然としないものを感じた。だがそれ以上に、今後は標的にされるおそれがなくなったことに安堵した。
そうなればここは、できるだけ情報を得ておくべきだろう。
「邪魔するつもりはないけど、筋書きを知らないと自覚ないままうっかり何かやっちゃうかもしれないな。予防のために、どんな話なのか、できればなるべく詳しく教えておいてくれる?」
「うん、いいよ」
こうしてリヒャルトはニナに仲間と認識され、未来の筋書きを教えてもらえることになったのだった。
ところが、せっかくリヒャルトが頑張って集めた情報は、残念ながらあまり有効活用されそうもなかった。というのも、肝心のシーニュ王家が「未来を視る者」を迷信と断じて何も策を講じようとしなかったからだ。
母国オスタリアの父王に状況を報告すれば、一切の介入を禁じられてしまった。
リヒャルトも、父の判断が正しいと頭では理解している。信じる気持ちのない者は、自分が信じられるように勝手な理屈をつけるものだ。そんな者の前でうかつに未来に起きる出来事を口にして、実際それが起きたときに「事前に知っていたのは、黒幕だからではないか」などと痛くもない腹を探られる羽目に陥るのは避けたい。
だからと言って、オスタリアにとって恩義あるアントノワ侯爵に濡れ衣が着せられるのを黙って見ているのもいやだった。悩んだ末に苦肉の策でリヒャルトが思いついたのが、友人ランベルト経由でアントノワ侯爵に警告することだったのだ。
ところが困ったことに、ランベルトからアンヌマリーに話してみても、まともに取り合ってくれた様子がない。シャルルやシーニュ国王のように頭から否定するわけではないが、かといって信じた様子もない。
そう判断したランベルトは、即座に自身の父ハーゼ伯とマグダレーナに手紙を出した。それも金に糸目をつけず、船と早馬を掛け合わせて最短で届くよう手配した。だからマグダレーナはアンヌマリーから手紙を受け取る前日に、すでにランベルトからの手紙を受け取っていたのだ。
* * *
マグダレーナの話を聞き終わると、アンヌマリーはしょんぼりと謝罪した。
「ごめんなさい」
「え? 何を謝っているの?」
「だって、こんなに大ごとになってしまったのは、わたくしがランベルトさまのおっしゃることを素直に信じなかったせいでしょう?」
「そんなことは気にしなくていいの。知らなかったなら仕方のないことですもの」
マグダレーナにしてみたら、早いか遅いかだけの違いだ。
いずれにせよ「大ごと」なのだ。何しろ恩人一家の命が懸かっているとなれば、大ごとにならないわけがない。仮にアンヌマリーがすんなり信じて父侯爵にすぐ伝えていたとしても、マグダレーナとその父は訪ねて来ることになっていただろう。のんきに時間をかけて手紙でやり取りしていられるような問題ではないのだ。
そんなことよりも、マグダレーナには腹立たしく思っていることがあった。
「それにしても、そのニナって子は災厄そのものだわ。善意に対して悪意を返す人って、本当にいるのね」
「わたくしには元気でハキハキした、いい子っていう記憶しかないの」
「それはそうでしょうね。いい子に見えなかったら、そもそも仕事を世話してやったりしないでしょうから」
アンヌマリーはニナのことを考えると、みぞおちのあたりがしくしくと痛む。理由もわからず、悪意を向けられることに対する不安と悲しさが胸のあたりに固まっていく思いがした。
そんなアンヌマリーの表情を見て、マグダレーナは眉尻を下げた。
「ああ、思い出させたりしてごめんなさい。そんな顔をしないで。ニナという子は確かに災厄そのものだとは思うけど、今はまだ種でしかないわ。芽吹いて、育って、花を咲かせるまでには、まだ時間があるもの。大丈夫。少しつらい思いはするかもしれないけれど、わたくしはあなたの味方よ」
「ありがとう、マギー」
アンヌマリーは微笑もうとしたものの、涙ぐんでしまった。
マグダレーナは黙ったまま上掛けの下で友人に向かって手を伸ばし、友人の手の指先を軽くきゅっと握った。アンヌマリーも、その指先を軽く握り返す。
そのまま二人の少女たちは静かな声でおやすみの挨拶を交わし、やがてどちらからともなく眠りに落ちて、寝室はすっかり静かになった。
※テンセイシャ=転生者
わかると思いますが、念のため……