災厄の種 (5)
クライン子爵とマグダレーナにはそれぞれ客室が割り当てられたが、その晩、マグダレーナはアンヌマリーのベッドに一緒にもぐり込んでいた。
「マギー、来てくださって本当にありがとう。でも、学校は大丈夫なの?」
「大丈夫よ。しばらくの間お休みすると、届けを出してきたわ」
マグダレーナの返事に、アンヌマリーは心配そうに眉を寄せて首を傾げる。
「手続きはそれでよいのでしょうけど、長くお休みしてしまうと単位が取れなくなったりするのではないの?」
「ああ」
友人が何を心配しているのかが腑に落ちて、マグダレーナは笑みを浮かべた。
「それも大丈夫なの。だって、わたくしの学校は淑女学校ですもの」
「淑女学校だと、どうして大丈夫なの?」
それでもまだ心配そうな友人の柔らかな頬を、マグダレーナは人差し指でつつきながら答えた。
「淑女学校では、あなたの通う学校とは違って学問はあまり教えないのよ。礼儀作法だとか、刺繍だとか、そういった淑女の嗜みがほとんどなの。だからお休みをとって隣国の侯爵家で行儀見習いをしてきたと言えば、むしろ箔が付くくらいよ」
「そうなの?」
「そうなの」
不思議そうに問い返すアンヌマリーに、マグダレーナは微笑んでうなずいてみせる。
「どれだけ授業を休もうとも、滞りなく授業料を納めて、最後にきちんと課題を提出しさえすれば、問題なく卒業できるのが淑女学校なの」
「でも、あまり長くお休みしたら課題ができないでしょう?」
「平気よ。お裁縫の得意なメイドに手伝ってもらうから。ちょっと九割ほどお願いすることにはなるかもしれないけど」
「全然ちょっとじゃないじゃないの!」
すました顔でとんでもないことを言うマグダレーナに、アンヌマリーは吹き出した。
「使用人の適性を見て仕事を割り振るのも淑女の嗜みですもの、推奨されてるくらいよ」
「ほんとうに?」
驚きつつも、やや疑わしげに返したアンヌマリーの表情を見て、マグダレーナはいたずらっ子の顔で小さく舌を出した。
「ごめんなさい、うそです。本当は、いちいちとがめたりしないだけ。だって全部自分ひとりで頑張ったかどうかなんて、仕上がったものからある程度判断できてしまうものではあるけれども、証拠なんてどこにもないでしょう?」
「なあんだ、そういうことね」
顔色の悪いアンヌマリーを笑わせようとして、マグダレーナがあえて明るい声でふざけてみせているのに、彼女は気づいていた。その気遣いがうれしかった。そして実際、話しているうちに、恐怖に凍りついていたアンヌマリーの心は少しずつ温まってきた。
おかげでだいぶ気持ちも落ち着いて、予言を話題に出せるくらいには心に余裕が戻った。
「ねえ、マギー」
「なあに?」
「ランベルトさまは、お手紙でどんなことを知らせてくださったの?」
「んー。そうねえ。まあ、最初から事細かにいろいろと。あのかた、ああ見えて存外マメなのよ。全部聞きたい?」
「ええ、聞きたいわ。差し支えなければ教えてちょうだい」
マグダレーナは、ランベルトがリヒャルトから聞いた話を含めて最初から語り始めた。
一番始めは、リヒャルトがニナと出会ったところからだ。
* * *
リヒャルトは学院に転入する前に、一度ニナと顔を合わせていた。それは彼が母国から馬車でシーニュ王国入りしたときに、ちょっとした事故に遭ったときのことだった。
きっかけは些細なことだ。
リヒャルトたちが王都に入って間もなく、道ばたで野犬が小さな子どもにじゃれつき、犬を怖がった子どもは火がついたように泣き出した。リヒャルトたちの乗る馬車を引く馬は、さすがにその程度のことで暴走することのないようにしっかり訓練されているが、少し後ろを走っていた荷馬車の引き馬が暴走してしまったのだ。
暴走していた荷馬車の御者に「これを使って!」と少女が叫んで、にんじんを投げた。にんじんはきれいな放物線を描いて、見事に御者の手に収まる。御者はそのにんじんを使って、何とか馬をなだめることに成功した。にんじんを投げた、この少女こそがニナだった。
そのあまりの見事な投げっぷりに、リヒャルトの記憶には少女の姿が残っていた。
その少女に、リヒャルトは留学先の学院で再会した。
校舎の配置を頭に入れようと、リヒャルトがひとりで学内を散策していたときに、寮の裏手で鉢合わせした相手が彼女だった。辺りを見回しながらのんびり歩いていたリヒャルトは、建物の角から飛び出してきた少女に気づかず、ぶつかってしまったのだ。彼女は野菜を山積みにしたかごを抱えて小走りに歩いていたのだが、衝突した拍子に野菜がいくつか転がり落ちた。
リヒャルトは、前をよく見ていなかったことを詫びながら、彼女が野菜を拾うのを手伝った。拾った野菜を手渡すときに初めて、少女の顔に見覚えがあると気づいたというわけだ。
「あれ。きみ、先日暴走した馬車の御者に、にんじん投げなかった?」
「あら。よく知ってますね」
そこで少し立ち話をして、リヒャルトはこの少女がニナという名の奨学生であり、学費を補うために寮の調理場で手伝いをしていることを知った。
その後も何度か、そんなふうに「偶然」ふたりきりで顔を合わせる機会があり、その都度リヒャルトはニナから少しずつ生い立ちを聞くことになった。
彼女の母親は平民だが、父親はアントノワ侯爵家の長男だったこと。
アントノワ侯爵家はなぜか父の弟が継いでいること。
両親の死後、アントノワ侯爵家に引き取られたが「血縁者とは認めない」と言われて傷ついたこと。しかも「父親が誰だかわからない」などと、母がさも娼婦であるかのように言われて悲しかったこと。その上、下働きのメイドとして働かされたこと。
侯爵家が学院への入学を認めなかったので、奨学生枠の試験を受けて自力で入学資格をもぎ取ったこと。しかし入学時に侯爵家からは縁を切られたこと。
その話だけを聞けば、実に不憫でけなげな苦学生だ。
だがリヒャルトは、ランベルトから間接的にアントノワ侯爵について聞いたことがあった。ランベルトから聞く話と、ニナから聞く話では、アントノワ侯爵の人物像があまりにもかけ離れている。
どちらの言うことを信用するかと問われれば、リヒャルトの答えは決まっていた。
知り合って間もないニナと、子ども時代からの友人であり、リヒャルトに対して嘘なぞついたことのないランベルトでは、言葉の重みを比べるまでもないことだ。