クーデター (2)
もの問いたげなマリーの視線に、ルートヴィッヒは悲しそうに微笑む。
「『未来を視る者』の伝承は知ってるよね?」
「はい。父から聞きました」
「なら、伝承の最後の言葉も知ってるよね」
マリーは眉根を寄せて、記憶を探した。
確か「予言された出来事は必ず起きるが、語られる予言が真実とは限らない」というようなことを言っていたはずだ。そして、その後にまだ続きがあった。何という言葉が続いていただろうか。
そうだ、「対処を誤れば身の破滅を招く」と続いていた。
「予言に何も対処しようとしなかった結果がこれだ、ということですか?」
「うん。私はそう思っている」
マリーたちやルートヴィッヒ自身がそうしたように、シーニュ国王やシャルルがうまく予言をやり過ごしていれば、こうはならなかっただろう、というのがルートヴィッヒの考えだ。
どうすればやり過ごせていたのか、マリーには見当もつかないけれども、言われてみればルートヴィッヒの言うとおりのような気もした。
「シーニュはこの先、どうなってしまうのでしょう」
「まあ、両親と弟のことはもう諦めてる。心配なのは、妹のことだけかな」
新聞にはまだ「クーデターが起きた」というところまでしか書かれていない。クーデターが起きた結果シーニュがどうなったかを知るには、続報を待つしかなかった。
ルートヴィッヒの言う妹とは、第二王女のことだろう。
姉である第一王女はすでに結婚して王家を出ている。
第二王女は、少し前に結婚が決まったと公表されたばかりだった。相手は国王派の中堅貴族の長男だ。
「なるべく穏便に収束するといいですね」
「そうだね」
マリーはルートヴィッヒとそんな会話を交わしたが、残念ながらその続報は、控えめに言ってもあまり穏便とは言えないものだった。
その後も一週間ほどにわたって、シーニュの情勢はオスタリアでも新聞の一面を賑わし続けた。
シーニュのクーデターでは、王太子夫妻を含む、現国王一家が軍部により身柄を拘束された。拘束の理由は「アントノワ侯爵一家の殺害容疑」および「第一王子ルイの傷害致死容疑」である。
現国王一家を離宮に軟禁した後、王弟は「アントノワ侯爵の公金横領容疑に関する裁判」をやり直すと宣言した。そしてそれが終わるまでの間、貴族たちが王都から出ることを禁じた。
要するに、全員が容疑者扱いだ。
この宣言の後、国王派の貴族たちの間にはある流言が広まった。
それは「王弟は、国王派の貴族にアントノワ侯爵一家と同じ目に遭わせようとしている」という内容だ。「同じ目に遭わせる」とはつまり、まともとは言えない裁判で有罪を確定し、さらには粛清される、ということであろうと推察された。
王弟自身はそのようなことは一切発言していないのだが、この噂にはそれなりの説得力があった。何しろ、怒りにまかせて軍部を掌握した上で実際にクーデターを起こしてしまう程度には、苛烈な人物なのだ。
この流言により、国王派の貴族たちは恐慌状態に陥った。そして生き延びようと必死になるあまり、王都を離れることを禁じられていたにもかかわらず、先を争うようにして王都脱出を図り始めたのだ。これは非常に悪手だった。
反国王派から見たら、後ろめたいことがあるようにしか見えない。
当然、軍部は総力を挙げて逃亡を阻止しようとする。だがこうして軍部が動くこと自体、国王派たちの恐怖をあおっている面もあった。
そんな中で、王太子シャルルまでが逃亡を図ってしまった。
もちろん、追っ手がかけられる。その追っ手との銃撃戦により王太子シャルルとニナ妃が死亡した、というのがシーニュから入ってきた最新のニュースだった。
シャルルたちは使用人たちの協力により、見張りの交代の隙をついて離宮を脱出したところまでは順調だったようだ。だが何を考えてか王家の紋章入りの四頭立ての馬車を使っていたため、とにかく目立った。目撃情報が相次ぎ、簡単に追っ手に見つかってしまったというわけだ。
シャルルとニナが死亡しているので本人たちの口からは事情聴取ができなかったが、拘束された御者によれば、オスタリアへの亡命を希望していたそうだ。
この知らせを聞いて、祖国とは決別したはずのルートヴィッヒも、心に思うことがあったようだった。
それは、演奏する曲に表れた。
いつもは明るい音楽で満ちていたピアノの部屋だったのに、今日は葬送行進曲やレクイエムを始めとして、さびしく、もの悲しい音楽ばかりだ。マリーはルートヴィッヒにかける言葉が見つからず、部屋のソファーにひとり腰を下ろして、静かに音楽に耳を傾けていた。
「どうしたんだ? なんか、今日は暗いなあ」
しめやかな音楽を遮るように部屋の入り口から声をかけてきたのは、ヨゼフだった。
「今日の新聞を読んで、ちょっとね……」
「ああ。そうか、弟か」
「うん」
言葉少なに答えるルートヴィッヒは、いつにも増して儚げな風情だ。ヨゼフは少し何かを考えるような目をしてうつむいてから、顔を上げて口を開いた。
「遠い国の話なんだけどさ、亡くなった人との別れのときに、明るく楽しい曲だけ歌ったり演奏したりする国があるんだって。泣いて嘆いてばかりいると、故人が天に還るのを引き留めてしまうからだそうだ」
「なるほど。そういう考え方もあるんだね」
どこか遠くを見るような目をしながらも、ルートヴィッヒの気持ちはいくらか慰められた様子だ。ヨゼフはその様子をじっと見ながら、言葉を続ける。
「もう二度と会えなくなっちまった人のことなんて、うれしかったことや、楽しかったことみたいな、覚えておきたいことだけ覚えておけばいいんじゃないかな」
「ああ。そうだね。本当にそうだ」
ルートヴィッヒは淡く微笑んで、ヨゼフに「ありがとう」と礼を言った。
ヨゼフはそれに対して言葉を返すことなく、ただ肩をすくめてみせるだけだ。そのまま彼は、黙ってマリーの隣に腰を下ろした。
ルートヴィッヒはアデールと顔を見合わせてから、打って変わって明るい曲を奏で始めた。
ホッとしてマリーが肩から力を抜くと、膝の上に載せていた手の上に、大きく温かい手が重ねられるのを感じた。ヨゼフの手だ。マリーが振り向くと、彼は何を考えているのか読み取れない表情で彼女の顔をのぞき込んでいた。
「何か少しは、いい思い出がある?」
「どうかしら」
どうかしら、と答えている時点で「ない」と言っているも同然だと気づいて、内心マリーは愕然とした。本当に何もないのだろうか。
「そうだわ、ニナにはひとつだけ感謝していることがあるの」
「ん? 何を?」
「あなたに会えたのは、あの子がわたくしたちのことを何も考えずにしたいようにしたからでしょう? それを感謝するなんておかしいとは思うけど、結果的にあなたに会えたことだけは感謝してもいいと思うの」
ヨゼフは声をたてずに笑うと、マリーの肩を抱いた。
マリーの肩に置かれたヨゼフの温かい手のひらの熱で、何だか心まで温まったような気がした。そうして温まった心の奥底から、ずっと忘れていた遠い記憶がふいによみがえってくるのを感じた。彼女のお気に入りの、船の王子さまの絵本の記憶だ。
あれは確か五歳の誕生日に、シャルルから贈られたものだった。
明らかに女の子向けの本だから、きっとシャルルが自分で選んだものではない。侍従の誰かが、女児に人気のある絵本を適当に見つくろっただけだろう。
たとえそうでも、絵が気に入ってとてもうれしかった。だけど五歳になったばかりの子どもには、少し文字が多くて難しい本だった。王宮でその本を贈られたときに、彼女が中を開いて正直にそう感想をもらすと、シャルルは彼女と並んでソファーに座り、その本を読み聞かせてくれた。そして彼女の知らない言葉が出てくるたびに、わかりやすく説明してくれた。
すっかり忘れていて、今までまったく記憶に浮かんでくることのなかった思い出だ。
どうして忘れていたのだろう。
あのときのシャルルは「親切なお兄さま」だった。そんなときもあったのだ。そう思うと、何とも名状しがたい切ない気持ちがあふれてきて、涙がこぼれそうになる。この記憶は、間違いなく「いい思い出」だ。
この記憶だけ、覚えておこう。
今でも大事にしている宝物の本を贈ってくれた、幼い日の元婚約者の思い出だけを、記憶の片隅に残しておこう。
その後、何度も悲しい思いをしたことは、全部忘れてしまってかまわない。
あふれそうになる涙を目をしばたたいてこらえ、マリーはヨゼフにそっと身を寄せた。
ヨゼフは何も言わずに、彼女の肩を抱き寄せる。
室内にはルートヴィッヒとアデールの奏でる、穏やかにきらめく優しい音楽が流れていた。




