オスタリアからの留学生 (3)
学年の違いによりアンヌマリーと接点がないと思われたオスタリアの留学生たちとは、意外にも日常的に顔を合わせることになった。国語の授業で一緒になったからだ。
彼女にとっての国語は、彼らにしてみたら外国語。そのため最上級生が通常受けるものより少し難易度を下げた授業を受けることにしたとのことで、それがちょうどアンヌマリーの選択した授業と一緒になったのだった。
人なつこい彼らはアンヌマリーを見かけると笑顔で声をかけて、隣に座る。彼女は教壇に近い席を好むが、最前列よりも二列目のほうが好きだ。そこへ毎回リヒャルトとランベルトが加わるものだから、中央二列目の席はすっかり彼らの定席になっていた。
シーニュ語に堪能で人当たりのよい留学生たちは、学内のどこでも人気者だ。
穏やかで清潔感にあふれたリヒャルトは特に女子の間で人気が高く、陽気で活動的なランベルトは男子に囲まれていることが多かった。二人とも学内での付き合いも社交の一環と理解しているようで、学生たちに取り囲まれても決して笑みを絶やすことなく、誰に対してもそつなく対応する。
けれどもやはり、常に人に囲まれ続けているのも疲れるものらしい。
アンヌマリーといるときだけは気が緩んでいるのかオスタリア語が飛び出し、そうなると自然と彼女と一緒にいるときには周りが遠慮するようになった。
今年の国語の授業は、たまたまいずれも昼前だ。そのためアンヌマリーは留学生たちと一緒の授業を終えると、そのまま昼食を共にするのが習慣になりつつあった。三人でとる昼食の席では、特に申し合わせたわけではないけれども、会話はオスタリア語だった。アンヌマリーはマグダレーナと文通を続けてきたお陰で読み書きについては申し分なかったが、会話のほうはこれまでオスタリア語を使う機会がなかったから、ちょうどよい実践練習になった。
この日もいつものように国語の授業の後、三人で食事をした。
そうして午後の授業に出るため別れようとしたとき、アンヌマリーはランベルトに小声で「大事な話があるんだけど、ちょっといい?」と話しかけられた。怪訝には思ったものの、彼女は素直に足をとめ、ランベルトに向き直った。
「はい。何でしょう?」
「きみ、このままだと一年後に婚約者から断罪されて婚約破棄された上に、一家そろって死ぬことになるよ」
そして冒頭のとおり、返答に窮した彼女は、笑みを貼り付けたまま会釈してその場を離れようとしたのだった。だって、それ以外にどうすればよいというのか。冗談にしては、たちが悪すぎて笑えないし、本気で言っているなら自分より相手のほうがよほど心配だ。主に、頭が。
だから彼女は聞かなかったことにして流してあげようとしたのだが、ランベルトが必死に食い下がるものだから聞かざるを得なくなってしまった。
仕方なく彼女は、ため息をつきつつ再びランベルトに向き直る。
「では伺いましょう」
「わかってる、荒唐無稽に聞こえるよね。でも真剣な話なんだ」
「さようでございますか」
うろんげな表情のまま木で鼻をくくったように返事をすると、それでも彼はあからさまにホッとしたように肩の力を抜いた。ランベルトは困ったように眉尻を下げる。
「『未来を視る者』の話を聞いたことはある?」
「『未来を視る者』ですか」
「うん。もしかして、こっちの国だと呼び方が違うのかな」
「どうでしょうか」
神話なのか、伝説なのか、童話なのか、せめてその種類くらいは教えてほしいものだと思いながら、アンヌマリーは読んだことのある本のタイトルを頭の中でざっと思い返した。しかし、似たようなものは何も思い当たらない。彼女は首を横に振って答えた。
「そのようなタイトルの本は読んだ記憶がありません」
「え」
「え?」
ランベルトがギョッとしたように目を見開くので、アンヌマリーは首をかしげた。何をそんなに驚いているのだろうか。全くかみあわない会話に、彼女は眉をひそめる。ランベルトはあわてたように言葉を続けた。
「いや、本の話じゃないんだ。もしかして聞いたことないのかな」
何の話をしているのか見当がつかない彼女は、心もとないまま「聞いたことがありません」と首を横に振った。それを見たランベルトは肩を落として深くため息をつく。アンヌマリーは眉間にしわが寄るのを抑えられなかった。ため息をつきたいのは彼女のほうだ。
「聞いたことがないなら信じられないのも無理はないんだけど、お父上ならご存じかもしれない。さっきの話を、お父上に話してくれないかな」
「さっきの話、とおっしゃいますと……?」
「さっき話した、一年後のことだよ」
「ああ……」
アンヌマリーの気のない返事に焦れたように、ランベルトの声音が高ぶる。
「きみは義理の妹を虐げてきたと婚約者から糾弾された挙げ句に婚約を破棄され、きみの父上は大きな罪に問われて、最終的には一家みんな殺されてしまうことになるんだ」
「うちに妹なんていませんけど」
いったい何の話をしているのだろう。義理の妹とは何のことなのか。聞けば聞くほどわけがわからない。アンヌマリーの眉間のしわは、さらに深まる。父が浮気をしているとでも言いたいのだろうか。もしそうだとしたなら、まったくもって失礼な話だ。
そこへ予鈴が鳴った。
ランベルトはハッとしたように背筋を伸ばすと、困ったような表情のまま早口に言葉を続けた。
「お願いだ、さっきの話を必ずお父上にしてほしい。頼むよ」
「はい。わかりました」
あまりにも彼が必死なので、彼女は戸惑いながらもうなずいた。
「ぎりぎりの時間まで引き留めちゃって、ごめんね。でも、お願いだ。頼んだよ」
「はい」
次の授業の教室に向かって早足で去って行くランベルトの背中を見送り、アンヌマリーは小さくため息をついて肩をすくめた。
ランベルトの頼みにうなずきはしたものの、こんな話を父にどう切り出せばよいのだろう。呆れて笑われる予感しかない。