パチモンのお姫さま (5)
翌日、学校から帰宅したアンヌマリーは、父の書斎に呼び出された。理由がわからないながらも、制服から着替えてすぐに父の書斎に向かう。
「お父さま、ただいま戻りました」
「ああ、おかえり。ちょっと話があるから、そこに座りなさい」
ロベールが指し示すソファーにアンヌマリーが座ると、父もひとり掛けのソファーに腰を下ろした。
「ヨゼフから『パチモンのお姫さま』の話を聞いた」
「まあ。ヨゼフったら」
アンヌマリーは吹き出した。いったいどんな脈絡でそんな話をしたのだろうか。
「彼がマリーのことを『きれいなお姫さま』と言ったら、マリーは自分は別にきれいじゃないし普通だと言い返したと言っていたけど、本当かい?」
「ええ、本当よ。あの人、そんなことまでお父さまに話したのね」
アンヌマリーはくすくす笑いながら返事をした。が、どうしたわけかロベールは彼女の言葉に対して「ヨゼフの言うとおりだったか」とつぶやいて、不機嫌そうに目を細めた。
父の反応がいぶかしく、彼女は顔から笑みを消して不安そうに眉をひそめる。
「マリーは本気でそう思ってるのかな?」
「自分の容姿が普通だと思ってるか、という意味ですか?」
「うん、そうだね」
「もちろん思ってますよ」
ロベールは娘の返答を聞いて、背中を丸めるようにして肩をがっくりと落とし、深くため息をついた。
「マリーは私とオリーの自慢の娘だよ。愛らしいだけでなく、素直な努力家で、思いやりのあるすばらしい子だ。いつもそう言っているはずなのに、どうしてそんなふうに思ってしまったのかな」
父の嘆きを聞いて、アンヌマリーは困ったような苦笑を浮かべた。
「どうしてって、それはただの身びいきだからよ。もちろん褒めてくださるのはうれしいけれども、言葉どおりすべて真に受けるほど子どもじゃないわ」
「もしかして誰かに、私たち夫婦は親ばかだとでも言われたのかい?」
「そういうわけではないけど──」
「じゃあ、どうしてそう思ったのかな」
アンヌマリーは、父の詰問に困惑した。
どうしてこんなにしつこく尋ねられるのか、理由がわからない。こんなことは常識ではないのだろうか。
「だって親にとって自分の子どもが世界一すばらしいのは、当然のことでしょう。でもだからといって、それを額面どおりに受け取って、思い上がってしまったら恥ずかしいではありませんか」
「うん、まあ、それだけ聞くと正論だね」
「お父さまは、いったい何を心配してらっしゃるの?」
アンヌマリーの疑問に、ロベールはすぐには答えなかった。代わりに娘の顔をじっと見つめ、こう言った。
「ヨゼフがね、マリーのことを心配して私に相談に来たんだよ」
前日の夕食後、ヨゼフはロベールをつかまえて、アンヌマリーは虐待かいじめを受けている可能性がある、と話したと言う。
それを聞いてアンヌマリーは目を丸くした。
「そんなこと、全然ありません」
「私も最初はそう思ったんだけど、彼の話には説得力があってね」
ヨゼフはアンヌマリーと話して、彼女は自己評価が不当に低いと感じたそうだ。
もちろん不当に高くても困りものだが、低すぎてもよいことはない。自己評価の低すぎる人間は、自ら不幸を引き寄せることが多いからだ。
ヨゼフの経験上、自己評価が低すぎる者はたいてい虐待かいじめを受けている。
孤児院にはいろいろな境遇の子どもたちが集まっているが、だいたいが何かしら不幸な経験をしてきた子どもだ。親を亡くして孤児院に入らざるを得ない時点でしあわせな子どもとは呼べないわけなのだが、その中でも孤児院に入る前に親戚の家を転々としてきた子ほど心に深い傷を負っている。
自分自身が孤児院で育ったヨゼフは、そんな不幸せな過去を持つ子どもたちをたくさん見てきた。その経験が「アンヌマリーは何かしら虐待を受けている」とヨゼフに告げるのだ。
ところが一家そろっての食事の場を見ても、家庭内に原因があるようにはとても見えない。となると消去法で、原因は家の外にあることになる。家庭内の話であればヨゼフにも助言のしようがあるが、家の外のことなど、顔を合わせたばかりのヨゼフの手には余る。だから彼はロベールに相談したというわけだった。
父から話を聞いたアンヌマリーは「なるほど」とは思ったものの、心当たりが全くない。
そんな娘に、ロベールは辛抱強く質問を重ねた。
「親ばかを真に受けたら恥ずかしい、というのは誰かに言われたことなのかな?」
「誰でも言うことじゃないかしら」
最初のうちアンヌマリーは、父の質問に対してあまり深く考えずに答えていた。しかし父の真剣な顔を見て、次第にゆっくり記憶をたどって思い返しながら答えるようになる。そうすると、彼女にも見えてきたものがあった。
アンヌマリーは幼少時より一か月に一回、王宮で「王族教育」なるものを受けている。王族特有のしきたりや作法などを学ぶためだ。そこで王妃や、教育担当の女官から「教育の一環」として王族としての常識や心得などを教えられるのだが、その中で「思い上がるな」「謙虚であれ」という意味のことをもっと婉曲にやわらかな言い回しに変えて、何度も何度も教え込まれていた。
「あくまでも各勢力間の調整のための政略的な婚約であって、わたくし自身に何か価値があるから選ばれたわけではない、とは何度も言われました」
実際に政略的な婚約ではあるのだが、それにしても言い方というものがある。
そもそも幼い子どもに言い聞かせるべき内容ではない。
ただし間違ったことを言っているわけではないし、王妃や女官たちは決してあからさまに意地の悪い態度を見せることもなかったので、アンヌマリー自身はそれを「虐待」とは全く認識していなかった。
その「教育内容」を親が把握していたら、話は違ったかもしれない。
だがアンヌマリーは、教育の内容については一切両親に話すことがなかった。
なぜなら口止めされていたからだ。「王宮で学ぶ内容は守秘義務のあるものが多いので、たとえ家族相手であっても教育内容をもらしてはならない」ときつく言い含められていた。そして素直で真面目なアンヌマリーは、律儀にその教えを守っていた。
国王夫妻が彼女をかわいがっている態度を見せていたこともあり、これまでロベールが教育内容について疑いを持ったことは一度もない。
娘から話を聞き終わると、ロベールは怒りをこらえるようにこぶしを固く握りしめ、「よくもやってくれたな」とつぶやいた。父の様子を不安そうに見つめていたアンヌマリーは、取りなすように声をかけた。
「でも別に、間違ったことを教えられたわけではありませんから」
「そういう問題じゃない」
もう二度と王族教育など受けなくてよい、と怒り心頭なロベールを、アンヌマリーは困った顔をしてなだめた。彼女自身はいまだ「虐待」とまでは思っていないのだ。
父と娘は話し合った末、王族教育をすっぽかすのも角が立つので、次回からは侍女としてマグダレーナを伴って行くことになった。




